罪の終わり、贖いの果て(4)「らららら、人は我が失敗作。我が写し身でありながらエゴばかりが強い、醜い、醜い、醜い、死ぬが良い」
濃密で強大な魔力が立ち昇る。マナの指が宙を梳ると、無数の天使文字が弾幕となって降り注いだ。
咄嗟に振り抜いた剣に魔力を充填する。展開された障壁を衝撃と爆音が揺らし、ひび割れさせ、砕こうとする。
「レグナっ!」
急降下した蒼竜の爪撃を、マナはステップを踏むように軽やかに躱した。
石礫も砂埃も彼女には当たらない。踊り子のように嫋やかに笑いながら、花弁を撒くように魔弾を撒き散らしてくる。
それらを撃墜しながら、レグナの呼気に青い炎が燃えるのを見つけて、ノウェは慌てた。
『ダメだレグナっ。なんとか正気に戻さないと……』
『諦めろ。この娘の自我は神に乗っ取られた。此処で、討つッ!?』
マナの姿が掻き消えた。かと思えば、レグナの鼻の上に着地している。
赤い目がレグナを睥睨して、嗤った。
「らららら、竜は我がしもべ。我が玩具。我が箒。殺せ殺せ、我が失敗作を」
レグナの眼に赤が滲む。呆けた口から炎が消えて、翼が弛緩して地に伏せ、マナに頭を垂れようと……
「レグナーっっ!!!」
ノウェの一喝で、レグナの眼から赤が拭われた。咆哮と青い炎がマナのいた空間を焼き尽くす。
そのときには既に、マナは空にいた。宙を足場にステップを踏み、唇が呪文とも譫言ともつかぬ言葉を紡ぐ。くるくると回る腕に、光る天使文字の帯が羽衣のように絡みつく。
その帯が巨大化しながら地上に迫るのを、ノウェは力任せに斬り払った。光の帯を織り上げる緻密な術式はノウェにはとても読み解けない。だが、救世主と謳われたノウェの魔力が剣から伸ばした光刃は、この上なく靭く鋭かった。
『単純な力場展開だけで、神の傀儡に対抗しうる……ノウェ、やはりお前は』
『レグナっ。なんとか、なんとかマナから神を追い払えないかっ!?』
レグナの感嘆をノウェは聞いていなかった。閉口するレグナの呆れを察せないまま、必死に魔弾を捌く。
『諦めろと言ったぞ。あの娘は神と約し、自我を奪うも奪わぬも神の自在の操り人形。解放できるのは神だけよ』
「ららら。この女は仮の器。我が真の器に降誕するまでの捨て駒。天使わらう天使うたう天使天使らららら」
「仮? 本当の体が手に入ったら、マナを解放してくれるのか?」
「馬鹿者っ!!」
甘言に目を輝かせたノウェを、レグナが一喝した。
『真の器とは再生の卵に生きた人間が入ったもの、叶えば真に世界が終わるぞっ!』
『再生の卵って、それって、俺?』
明かされた己の出生を思い出し、ノウェが戸惑う。十八年前、封印の女神フリアエの亡骸を抱いた裏切りの竜騎士イウヴァルトが再生の卵に入り、ふたりが混じり合って生まれたのが、自分。
『おまえは神を封ずる女神の亡骸と、赤目病を自力で克服した男が混ざった、神の天敵だ。おまえが先に再生の卵に入れば、神の力を奪い真の救世主になれる』
『けど、マナが』
『おまえ以外が卵に入り神の依代が完成すれば、どの道、人間は滅ぶ。
失敗作だから滅ぼすなどと嘯いているが、水面に映った己の醜さに狂っただけのこと。和解も改心も不可能だ』
「ららら。竜よ。我がしもべたち。おいでおいで。ららららら」
マナの体で神が嗤う。赤く裂けた天に腰かけて、大きく頭上へ腕を広げる。
伝説が、降りてきた。エンシェント・ドラゴン。膨大な力と長きを生きるがゆえの希薄な自我。雷雲の如き巨大な体躯に、ノウェは吠えた。
レグナの背に飛び乗り、一気に飛翔する。勝てるかはわからない。マナを討つ覚悟なんて決められない。だけど、マナに、マナの体で、世界を滅ぼさせるわけにはいかない。
光刃が竜騎槍となって古竜へと突進する。巌の如き眼がノウェを睥睨し、神の意のままに息吹を放とうとして、閃光に灼かれた。
地上から無数の碧い魔弾が放たれた。咄嗟に回避しようとノウェは、それがエンシェントドラゴンだけを狙っているのに気づいた。器用にノウェとレグナを避けて、エンシェントドラゴンの鱗を蜂の巣にする。
緻密な魔力操作と、高密度の魔弾。目を凝らしたノウェは、地上を埋め尽くす無数のゴーレムと、その中で一際大きな一機の肩に乗る、小さな人影を見つけた。
「セエレ神官長!!」
いつも穏やかに微笑んでいたあどけない面差しは、今は厳しく空を、妹を乗っ取った神を睨みつけていた。