■ RISE ON GREEN WINGS ① 死のにおい、という記憶が線香と火葬場のものであったのはきっと幸せな事だった。
割れたアスファルトの道路、見渡す限り広がる瓦礫、力無く彷徨い歩く人、いまだ燻る家屋、泣く子の悲鳴、投げ捨てられた人形のような死体、家族を探し求める声。火事の後のような焼け焦げたものに混じるどこか甘いにおいが人間の身体が焼ける時のものだと知るのはそう時間はかからなかった。そういったものはすぐに鼻を効かなくさせて、つい数時間前までそこにあったはずの生きていたにおいすら感じさせなくなった。俺たちの頃にも木造建築は少なかったから火災こそ長続きはしなかったが、黒い煙が何本も立ち上がる空は曇ってなんかなくて、綺麗に青くて、いっそ無慈悲に思えたよ。
あの頃、数十年前に起こった事だ、と授業で見せられた記録映像はなんの為にあったのか。それを目の前にしてようやく理解したものだった。
「情けないものだったよ」
初めて理不尽で無惨な死を目の前にした時、小便も漏らしたし腰も抜けて、あいつに背負われてひいひい逃げた。ゲッターの狭いコクピットから見える切り取られた絵のような窓越しには耐えられた景色も初めて地上で目の前にした時には吐き戻しもした。
人間世界での義務教育が終わる頃だった。ゲッターのパイロットを目指したい、と話した時、灯りを落とした資料室でそんな淡々とした昔話と共に改めて見せられたのはそういった映像だった。自分達の物はあまり残っていないが、「戦争」というものは何処でも大した変わりはしない、と。
あの人の声は自分達しかいない資料室にポツポツと落ちて、静かな雨の日のような気配がしていた。冷静沈着を絵に描いたようなこんな人にそんな過去があった事はにわかには信じ難く、ただ、嘘はつかない人だったからそうなのだろうとは思えた。
「……それでも、貴方は戦い続けた」
「出来てしまったからな」
苦笑、とでも取れるような小さな吐息と共に落ちた声はなんの感慨もないように思えた。
人間とは都合の良いものでな。戦うために自分の思考を書き換える。日常感覚のままでは壊れてしまうものをそうして自衛する。
それでも戦地から帰った多くの人間は五体満足であろうと多かれ少なかれ心に傷を負う。勝とうが負けようが一生その記憶に苦しめられる者も少なくはない。結局、狂った世界で変わらずに健常でいられるものは最初からどこか異質なのさ。
……だが、ゲッターに乗りたいなら話は別だ。あの中でも確固たる心を持てる者にしかあれは乗れない。容易く何かに溺れ自分を見失うような者に過剰な力を与える訳にはいかない。そもそもそんな者にはあれは乗りこなせない。
暗い部屋でスクリーンに映し出される映像に目をやりながら、きっぱりとそう言い切るあの人はそれまでは自分に向けることは少なかった目をしていた。
見せられた映像には自分が産まれる前のものもあった。それほどに長い時間、この人は戦場に立ち続けていたとその時ふと気付いた。あなたは異質だったのか、と口から出かけて、喉の奥にしまい込んだ。
この人が数度に渡って人類を守り戦う最前線にいて、優秀すぎるほどに優秀だったとは聞いても、誰もこの人が傷付いていないなんて話してなかった。
「心」とはなんだろう。自分のそれとあなたのそれは同じでいいのだろうか。種族が違うものでも。
戦場でも持ち続けられるか、という問の前にそう思ってしまって、どう返せばいいかわからなかった。
多分あなたは同じだと信じて疑ってはいないのだろう。そうでなければ停戦と和平を結ぼうなどとは思えない。一方的な侵略の結果、大切な仲間まで殺された種族相手にまでどうしてそうある事ができるのかはわからないが。
答えに窮していれば、怖気付いたか自信が無いとでも思われたのか、ふと自分に向けた顔の中で目だけがわずかゆるんだ。
勘違いするな。
戦えない事や戦わない事は責められる事ではない。蛮勇で死にに行かれても無駄で邪魔なだけだ。個性には何事にも向き不向きがある。戦わずして社会を構成する、その一員となるのも選択だ。戦ってはならない人間もいる。その為に私達という存在がある。
……わかるか?
冷たく感じる声の中にわずか混じる言い聞かせるような気配に「はい」と頷いて目を合わせれば、じっと目を覗き込まれているような気がした。
確かに、お前には兵士として戦えるようにも教育はした。ゲッターに乗れるものならという期待もある。
だが、お前がいくら覚悟をしても、努力をしても、最終的に判断するのは私だ。適性がないなら切り落とす。
感情が読めない目でそう言って、あの人は一晩考えろと部屋を出ていった。
やはり不思議な人だと思う。考えて決めろ、と。結局は人質で自国からも体の良い駒と看做されている自分に。こんな時まで公平で誠実だった。
スクリーンは淡々と事実だけを流し続ける。善も悪も問わずただ破壊された景色を。
――あなたは自分と同じ年の頃、この光景をどんな表情で見つめていたのだろうか。
そんな事が頭から離れなかった。