■ あかね色と銀色と神隼人、は入学当初から人目を引いた。
皮肉な微笑みを浮かべる大人びた顔立ちに、風に揺れる肩ほどまでの青みがかった黒髪と随分恵まれた容姿な上に頭も運動神経も良く、スカしてキザったらしい振る舞いすらよく似合っていた。
スラリと手足の長い長身を目立たせるような黒いライダースーツなんて格好で、皆が憧れたチョッパーハンドルに改造されたオフロードバイクのエンジン音を派手に響かせ正門前に乗り付けた日には、如何にも流行りのシティボーイというやつを見せ付けられたようで山間にある浅間学園高校の人数比が少ない女子は密かに沸き立ち男子は揃って羨望やらの滲んだ不愉快な顔をしたものだ。
ミーハーだと思われるのも癪で気にしていない素振りをしながら(世の中には随分恵まれた奴もいるもんだなぁ)なんて、どこに向けてるのかもわからない少しばかりの苛立ちと共に思ったのが最初の頃の印象、だった気がする。
つい去年まで垢抜けない中坊だったはずなのに随分生意気だ、と彼に喧嘩を吹っかけた野郎は上級生にまで及び、そのことごとくは返り討ちにあったなんて話も日常茶飯事だった。
数ヶ月を過ぎても部活に所属せず、授業が終わればすぐに私服に着替えてふらふらと気ままに過ごしている彼の姿を、サッカー部で汗を流しながら何度見ただろう。体育の授業でまざまざ思い知らされた身体能力を見込んでどの運動部も彼を欲しがったし、自分も勧誘したものだ。全てあの人を拒むような鼻で笑う笑みと共にすげなく断られたが。
女子からの密かな人気も男子からの反感も、容易く集めて一匹狼を気取る姿に嫉妬しなかったのかと言われれば、していた。
あいつの実力は認めざるを得なかったが、俺にだってプライドはある。負けるものかと意地を張った。話しかけて「馴れ合いたいのか?」なんて鼻で笑われるのが嫌で、ひとりハーモニカを吹く姿を横目に眺め、張り出されたテスト順位でもいつもその名前を探し、自分勝手に好敵手だと思い込んでいた。
そうこうしているうちに夏が過ぎ、すっかりと秋も深まっていた頃だった。
「部屋替え、ですか?」
「いや、違うんだよ。今、君たちの部屋は三人部屋だが君と巴君で二人だけだろう?」
どうも神君の折り合いが悪くてね、同室の子から不満上がっちゃって。
ムサシと二人呼び出された寮の食堂でそう言って「困ってるんだよね」と頭を搔くのは上級生の寮長だった。
「自分は思った事を言っただけで先に喧嘩売って手を出して来たのは向こうだ、ってそりゃ確かにそうではあるんだよな。一年坊主に伸されたなんて知られたくないから黙る奴も多いし。そうなると明確に素行不良って訳でも無いし成績も良いから先生方も強く出れないみたいでさ。でもあの態度だろ? 反りが合わない子は本当合わないらしくて」
「はあ、それで僕達の部屋に?」
「流君と巴君なら無闇に喧嘩も売り買いしないだろ? な、頼むよ」
そう言って頭を下げられればムサシと二人、断りきれなかった。
「神隼人、ってあいつだろ。あのスカした感じ悪い奴。おいら、あいつはあんまり好かねえんだけどなぁ」
お前もそう思わねえか、リョウ?
食堂からの帰り道、渋い顔をしてムサシが言う。北海道から来たというムサシとは浅間学園に入学してからの付き合いだ。おおらかで気の優しい奴で寮が同室になってすぐ仲良くなった。そんなムサシがそう言うのは少し珍しい。だがわかる。
「さてね、深く知り合いでもないのに好きも嫌いもありゃしねえよ」
そんな風に返していれば廊下の向こうから当の本人が歩いて来た。俺達と同じように寮長に呼び出されたのかもしれない。こちらを一瞥もせずに歩いていく姿を横目に見て。
仲良くなれるだろうか、と思った。
「どうせそんなにここに居着くつもりもねぇよ」
俺が居ない方がお前らだって清々するだろ。
ハヤトが部屋を移って来た日、宜しくと言って手のひらを差し出せば、腕組みしたまま眉間に軽く皺を寄せてそんな言葉があった。ムッとした顔でなにか言いたそうなムサシを目で押えて口を開く。
「どうしてそんな事言うんだい」
「仲良しごっこなんざする気は無いって事だよ」
「ごっこなんかじゃないさ」
きっぱりと言い切れば初めて真正面から目が合った。訝しげに見つめてくる顔に表情を緩めて返してみれば、ふんと鼻で答えてそっぽを向かれた。
握られなかった手を引っ込めながらムサシと二人、顔を見合わせて肩をすくめた。どうにも気難しい奴のようだと思った。
空いていた三段ベッドの真ん中がハヤトの寝場所になった。半年程この寮で過ごしたはずなのに、ハヤトの荷物は少なかった。勉強机の下に荷物を置いて、音も立てず、するりとベッドに潜り込む姿が猫みたいだと少し思った。
同じ部屋で過ごしてしばらく見ていれば最初に言った通り寮の部屋には最低限しかいないようで、そんな様子はまるで他人を拒んでいるように思えた。
「……ハヤトは寂しくないんだろうか」
「好きでああしてるんだろ、ほっときゃいいじゃねえか」
「……そうかな」
ムサシの言う事はもっともなんだろうが、どうにも気になって仕方なかった。本当は、最初から気になっていたかもしれなかった。
一緒に過ごせば気付くことも増える。
ハヤトは誰にも興味なんてないみたいな顔して案外他人をよく見てる奴だったし、優しかった。
ムサシが宿題にてんやわんやしてれば悪態を着きながらきちんと教えてやってたし、忘れ物をした時には無言で貸してくれたりもした。態度こそ愛想も素っ気も無かったが、それを恩に着せることも無く、当たり前みたいな顔してやるのは嫌いじゃないと思った。
今までも別に俺たちを嫌ったり疎ましく思うからじゃなかったとわかればなんだか安心して、慎ましやかで繊細そうな思いやりも目に付くようになった。
自分が嫌なことは嫌だとはっきり言って、やりたくない事はやりたくないとまるで気まぐれでもあったが、逆に言えば色々と押し付けない限りは静かだし穏やかだった。
窓辺に腰掛けてハーモニカを吹くのには最初は面食らったが、慣れてしまえば悪くはなかった。たまに臍を曲げて夜間に吹くのだけは勘弁して欲しかったが。
「なんて曲だい?」
勉強机に向かいながら、ふとメロディが止まった瞬間にそう何気なく聞いたのは単純に気になったからだった。
ムサシは柔道部の練習でいない夕食前。開け放してハヤトが腰掛けた窓辺、冬の気配を含んだ風がカーテンを揺らしていた。
驚いたような間と気配に顔を向ければ、訝しげな顔でこちらをじっと見ている瞳と目が合った。こいつはなにをするつもりか、と身構える猫を思い出して、なんだか口元が緩んだ。すぐ逃げ出さないくらいには慣れてもらえたのかと思う。
「いや、よく吹いてるからさ。俺は嫌いじゃないよ、その曲」
「……特に名前とかはねえよ」
……昔聞いた歌、いじって吹いてるからよ。
しばらく考えるような間の後に、ふいと目を逸らして呟かれたのは、それでもきちんとした返事で少し嬉しくなる。
ハーモニカを持っていない方のハヤトの手が胸元からこぼれた十字架に触れていて、多分これ以上は聞いてはいけないんだろうと思った。
「そうか。ハヤトは器用だし、音楽の才能もあるのかもな」
するりとそんな言葉が口から出て、そういえば、いつの間にか遠くからハヤトを見ていた時のモヤモヤした気持ちが消えていた事にその時気付いた。ハヤトが色々できる事を羨んで情けないことながら嫉妬するより、素直に認める気持ちの方が強くなっていた。
「好きに吹いてるだけだぜ」
「少なくとも俺よりはありそうさ」
ふふ、と笑ってみせれば鼻白むように目を瞬かせて、困ったように顔を逸らした。白い肌が夕焼けに染まっていて、映画のスチール写真みたいに似合ってるのが癪だった。
もっと近くにいたらいいのに。
ふと湧いて形になった気持ちは理由なんかわからなくて、けどそう自分が思ってるのは確かで、多分ずっと前からそうで。
「……お前の好きな曲はあるのかよ」
「え」
小さく聞こえてきた声に驚いて目をぱちくりさせていると、横目でこちらを見たハヤトがふっと小さく笑った。
「気が向いたら吹いてやってもいいぜ」
リョウさんよ。
なんだか、初めてまともにきちんと名前を呼んでくれたようで、自分を認めてくれたみたいで。
「それは、嬉しいな」
自分でもわかる満面の笑みでそう返した。
――あまりハーモニカの音色を聞かなくなった今でも、たまに思い出す。
夕陽が差し込む中、どこか恥じらうように笑ったハヤトの顔。
なんだか勿体なくて、俺は今になっても誰にも話さずにいる。