■ 星は遠く「あいつは本当に酷い男でな」
正直は美徳とは言ったもんだが、正直すぎて思った事はすぐ口や態度に出すわ、自分にわからんものはわからんと言って共感して欲しいものに理解は示さないわ、一度こうと決めたら曲げないわ……悪い奴では無かったがけして優しくは無かったよ。
ひどく長い年月を生きたようにすら見える年齢不詳の男は口調こそ憎々しげではあったがうっすらとその口元に穏やかな笑みを浮かべ、そう語った。
懐かしく、いっそ愛おしげなその表情と声を隠すように、雪のように白い髪が流れ落ちる瞬間をカムイは見ていた。
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早乙女研究所の最高責任者であり司令官でもある神隼人の私室にある仕事机の片隅に、その写真はいつもそっと隠れるようにして置いてあった。
隼人は多くを語らない人間であり、彼の過去についても語ることはほぼ無かった。それは幼少の頃に預けられたカムイへも同じであり、しかしカムイはそれを根掘り葉掘り聞くような事はしなかった。それは幼子ながら聡明であった彼の思慮や節度であり、稀になにかの折にふと話されるそれだけで満足していた。
自分にも過去があるように、この人にも過去はあるのだと、改めてカムイが感じたのは流竜馬の息子である流拓馬が研究所へやって来てからであった。
流竜馬。神隼人と共にあったゲッター乗り。旧早乙女研究所の崩壊により多くの記録は消失したが、それでも残された物の中にその名前は散見された。強靭な肉体と何よりもその類稀な意志の強さで恐竜帝国や百鬼帝国と戦い抜いた男。世界を救うため、一文字號、タイールという人物らと真ゲッターロボに搭乗し共に消えた男。隼人ひとりを残して。
拓馬への隼人の反応は他とは異なっていた。必然、流竜馬という人物に隼人が何がしかの強い思いを抱いていたのだろうとは察せられた。
常に誰に対しても、自分自身にすらあまりにも平等で偏った感情を見せることが無かった彼のそんな様子は、カムイの心をざわつかせ、興味となった。
流竜馬とは一体どんな人物だったのか――流竜馬といる時の神隼人は、どんな顔を見せていたのか。
「……流竜馬は……どのような人物だったのですか」
毎夜の報告の折、ふと目に入った写真に堪えきれず口にした問い。あなたにとって、と入れなかったのはカムイのせめてもの自制心だった。
その言葉に珍しく切れ長の目をわずかみはって、問いを投げかけられた男は軽く首を傾げた。
「気になるか」
「あいつが来てから何かとその名前を聞きますから……あいつ自身が一番気になっているでしょうが」
そうか、と呟いて隼人が写真立てに目をやる。そこに写っている人間は、既に彼ただひとりしかこの世に居ないとは聞いていた。
――あの人には家族同然だったろう、ここの人間をそう思ってるのと同じように。
そう言ったのは研究員の誰だったか。早乙女研究所崩壊は隼人から多くを奪い、殆どの人間は当時の事を知らない。隼人も多くは語らない。けれど、誰ともなくそう言わしめるだけの信頼があった。
「……流竜馬は」
……酷い奴だったよ。
ふふっと小さく笑い、ため息のように呟く声にその顔を見る。「聞くか?」と問うように向けられた目線にカムイは頷き返した。
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「優しくはなかった」という人物評価は拓馬が聞いていた流竜馬の人物像とは少々差がありそうだ、とカムイは感じた。
拓馬が母親から聞いていた父親の姿と教えは厳しくも優しく頼りになる如何にも「英雄」といったものであったらしいとは端々から知れた。
「俺の知っているあいつとは聞いている姿が少々違うようだ」
カムイが思っていることを察してか、隼人がそう言ってその横顔がどうとも言い難い顔をした。
合理的で現実的、必要とあらば非情で冷酷にもなるこの人は、その実、情深く思いやりも度々見せた。拓馬とその母の夢のようなものを安易に踏み込んで壊したくはないのかもしれない。
カムイはそう思い「そんな配慮があいつに必要ですか」と言いかけて、止めた。自分も自分が知るとは全く違う母の姿を不躾に教えられれば嫌な気持ちになるかもしれない。
机の上に指を組んだまま話していた隼人がちらと横目でカムイの顔を見て、そっと息を吐いた。この人にも思うことは色々とあったのかもしれない、とカムイは不意に感じた。
「確かに、あいつはきっと誰よりも強く人類を守りたいと思っていたろうさ。だが、もっと泥臭くて暑苦しくて大雑把でいっそ厚かましくて、山ほど欠点もある普通の奴だったよ。
ただ抗う事を恐れなかっただけで。戦う事を選んだだけで」
ぽつぽつと落ちる言葉は隼人にしては数多くも、思い入れを持った人物には少なくもカムイには思えた。感情をあまり見せないながら、何処か懐かしむように、惜しむように、大切なもののように話しているようにも聞こえた。
「……まあ、あくまでも俺が見ていたあいつの話だ。拓馬の母親といる時のあいつがどうだったのかは知らん。
上から物を言われるとか縛られるのがとにかく嫌らしくてな、到底所帯なんぞ持つ奴には思えなかったが」
存外悪くなかったのかもな。
そう薄く笑んで隼人が背もたれに身体を預ければ、ぎしと小さく椅子が音を立てた。
それなら、それが良い。
カムイには軋む音と一緒にそう聞こえたような気がした。
「……それに、俺が拓馬から家族を奪ったのは変わりない」
ハッとした。流竜馬を呼び戻したのは隼人だった。拓馬の存在を知らずに。実際の夫婦仲がどうあれ、それは事実だった。
「っ、それは――」
「話した事は拓馬には言うなよ」
貴方のせいでは無いはずだ。と言おうとしたカムイの言葉は目で止められた。
流竜馬は自ら戦場を選んだのだろうと思った。呼び戻したのはこの人でも。きっと、一緒に死ぬつもりだったこの人を置いて。
淡々と自分の残酷な選択を語る時、隼人はいつも感情を見せず、言い訳をしなかった。「それしか無かった」という言葉すらカムイの記憶には残っていなかった。全て自分の責任だとでも言うように。
そうした時に時折起こるやり場の無い気持ちをカムイが飲み込んでいれば「そろそろ戻るといい」と隼人が顔を向けた。聞きたいことは聞いたはずだ、と。
先程までの空気は消えて、その声色も表情も常と変わりなく。
「……会いたいですか」
何故、そんな言葉が出てしまったのかはカムイ自身にもわからなかった。隼人が戦友を語る時の表情が、妙に頭に残っていた。
「……会いたくない、と言ったら、嘘だろうな」
今更、寂しいも何も無いが。
そんな言葉だけぽつりと残して、無言で扉を見る姿にカムイは頭を下げた。ありがとうございました、と謝辞を述べて退室する。
閉じかけた扉の向こう、隼人がどんな表情をしているのかは、見えなかった。
ふと見上げた廊下の窓から見える星は遠く、手を伸ばしても届きそうにない。遥か彼方を見やるような。
あの人にあんな顔をさせるなんて、本当に酷い男なのだろう。
そんな確信に似た思いだけは、カムイの胸に残っていた。