■ 合縁奇縁①なぜだかお前をずうっと前から知ってるような気がしてならねえや。……いンや、後かな?
あいつがそんな訳のわからないことを言って首を傾げたのは初めて会った時、十かそこらの頃だった。
定期的に開かれる各氏の長が集まっての会合に、「やがてお前の役目になる」と面通しのように連れていかれ、同じようにして連れて来られていたらしい同い年の石川の息子と顔を合わせた。
挨拶をしてしまえば「庭にいていい」とそいつと一緒に半ば放り出され、どうしたものかと同じ境遇らしい隣に顔を向けた時、少しばかり下から穴があきそうな程まんじりと見詰められている事に気付き眉をひそめた。
そんな俺の様子を気にもとめず、にかりと笑ってそいつが言ったのがそんな事だった。
まだ、「五右衛門」と呼ぶ前のあいつ。
それを機に、そいつは服部家に遊びに来るようになった。
伊賀の中でも発言力のある服部家の嫡男という自分にごまをすって取り入ろう、などという気配は見えなかった。素朴で単純、時に大雑把で豪快な好意らしきものに悩まされる事もあった。
唐突に鹿や猪を投げ込まれ、すわ敵襲かと色めく邸内にズカズカと入り込んでは「土産じゃ!」などと呵呵と笑う様子に、我ながら間抜けにも目を丸くし。
煙草を覚える頃になると面白がって顔面に吹きかけられては涙目になりつつ手で払い。
何度自分の名前は「疾風丸」だと言っても「はやて」だの「はやと」だのと馴れ馴れしく呼んで、「竜之助」のはずの自分の名前も「『りょう』でいい」とそいつは宣った。
「『りゅう』だろう、そこは」
「おまえが呼ぶなら『りょう』の方が良いんじゃ」
時々酷く意味のわからんやつで、本人にも特に理由なぞはなく。思い出すだに昔から図々しく厚かましく、無茶苦茶で振り回されてばかりで、しかし不思議と嫌う気にもなれなかった。
元服すれば名前も変わる。そんな風に呼びあっていたのも今は昔。
こやつも昔はまだ可愛げのある顔をしていた、と庭先から縁側に腰掛ける訪問者を出迎えながら「半蔵」は思う。
背も自分より低く、睫毛の濃いくりくりとした目で見上げられた事が今や夢幻のようだ。時折妙な懐かしさに駆られるような気がしていたあの頃。
それが、何故。
「なんだぁ?」
「なに、刻は残酷だと思っただけじゃ」
ねめつけてくるような視線と声に軽いため息をつきながらそう返して、半蔵は常ならば部屋の隅で埃をかぶりかける煙草盆を五右衛門の方に押しやった。
遊びに来る度にすくすくとのびのびと、それはもう力強く自由奔放に育っているとはわかっていた目の前の男は、気付けば里の中でも長身の筈の自分を追い越し止まらぬ巨体となり、山で見れば熊かなにかと見間違えそうな程になっていた。
実際間違われて騒ぎになり、山から来るなと言い含めた事もあった。
「土産を狩りがてらで丁度良いじゃねえか」などと不満そうだったが、有り難く獣肉を頂戴はしておいてなんだが、そもそも毎度のように狩って来なくていいというのだ。その妙な律儀さを女に向けろというに。
そんな事を思い出しながらこうしてようやく同じ位置ほどに頭がくる巨体を半蔵が眺める先、ぷかりぶかりと煙を吐いていた五右衛門が片眉を上げた。
「強くなったのはいい事だろ」
「引き換えにしたものも大きいがな、おぬしの場合」
「へっ、俺はちっとも惜しくないがな」
鼻で笑ってそう言ってのける姿は小山のようだとすら半蔵は思う。その癖何処に根を張るつもりも無いのか捉えどころがないものだから、どうにもしようのない奴じゃ、と軽くため息をつけば目のあった顔がなにか言いたそうに眉を釣り上げた。
五右衛門が不満そうにふん、と鼻から煙をあげて金槌かと思うほど大きな煙管を盆に置く。龍の細工が見事なそれはいつからその手にあっただろうかと、半蔵はまた記憶を遡ろうとして、手招きされたことに気付き膝を進めた。訝しげな顔で近づくと不意にその視界が陰った。
「なん――!?!?」
「よっ、と!」
すっと立ち上がった五右衛門が半蔵を持ち上げてまたストンと腰を落とした。脚の間に座らせるように、懐に抱きかかえるようにして。
一瞬の浮遊感の後には抵抗する間もなくそうなっていた半蔵は呆気に取られたように目を見開き固まっている。
「驚いた猫みてえな顔」
「……おぬしには見えてないだろう」
「わからあ」
頭の上からのくくくという笑い声と背中から伝わる振動に半蔵は眉根を思い切り寄せた。先程の会話といい、互いに読み読まれている事が嫌ではないのが小憎たらしい。
「……こんだけでかくなったんだぜ、満足してらあ」
そんな声と共に背中と頭に重さを感じて、半蔵は呆れ果てたように息を吐き。
「――ッ!? 痛えじゃねえか、喰っちまうぞ!」
「喰われては堪らぬな」
わざと顎にごつんと頭をぶつけてやれば聞こえてきた声にそう返しながら、負けじと寄りかかってやった。
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「みんな、俺の後ろで伏せてろ!!」
黒と赤の竜巻が荒れ狂うような戦いの寸前に聞こえた声、嵐に揉まれるより酷い鴉どもの襲撃。
守りきれなかった長老達の身体と新吉達だけでもと庇おうとした中、ばさりと頭から被さった布地といつかの覚えのある体温。
「……その直後にこれだから、おぬしは手に負えぬ……」
谷底へ落ちる事こそ免れたが「必死で走れ」もなにもないだろう、あやつめ。
ゴロゴロと転がっていく大岩を眺め、半蔵は苦笑混じりにそう呟いた。
「半蔵様!」と聞こえてくる声に息を整え、姿勢を正し、生き残ったもの達に振り返る。
犠牲を弔い、先に歩まねばならぬ。そして。
「皆、聞け。わしは五右衛門を追う」
――万龍眼宙秘録と刻読みを中心に巡る物語の、これは始まりに過ぎない。