お前らだって俺と同じだろ「八雲なみ知ってる?」
「は?」
数学が自習になって教室は無法地帯と化している。後ろの席のヤツとダラダラ話していて、会話が途切れたタイミングでそいつはそう訊いてきた。
「二組の」
「知らね」
「ツイスタでさあ」
うちの中学のルールで、スマホは放課後まで電源オフ、触ってるのが教師にバレたら即没収・親呼び出し・反省文のフルコンボが決まるわけだが、バレなきゃいいので自習の今はたいていのヤツが使ってる。
そいつから差し出されたスマホの画面にはツイスタのアカウント、『もなみ @maybe_monami0419』。十時間前の最新の投稿には自撮りが添えられているが、細い目を頑張って見開いた上目遣いは素直にキモく、「ヤバくね?」と声が出た。
「すっげーよな。なんで上げれんの」
「吐くかと思った」
笑って俺もスマホを出す。チラ見したアカウント名が思い出せず聞いたばかりの名前『八雲なみ』でツイスタアカウントをサーチしたが、同姓同名のタレントか何かの話題が少数引っかかるだけでヤバい自撮りは見当たらない。そいつからもう一回アカウント名を見せてもらってサーチしたら、大して可愛くもないくせに自信満々な自撮りが何枚も表示された。
「公害じゃん、もっとマシな顔になってからやれ」
「例えば誰くらい?」
「あー」
うるさい教室を見回して女子の顔をチェックする。鼻でかい・陰毛天パ・論外・笑うと歯茎出る……まともに可愛いって呼べる顔面の女子は少ない。いやまともに、っていうか普通に可愛い、っていうか、アリな女子はいる、けど、即答するもんじゃないから、俺は数秒待ってからやっと思い出した感じで「八宮めぐるとか?」と言った。
「ハーフはズルだろ」
「じゃあうちのクラスは終わり。死にました」
こそこそ言い合う俺らの声が届かない距離で、八宮めぐるは女子の輪の真ん中にいる。宿題か何かをやろうとしているらしいが、八宮めぐるのシャーペンを持つ手がここ十分は止まっているってことを俺は知っている。
「母親だっけ、アメリカ人」
「知らね」
「………………………………親子丼」
「バッカ!」
思ったより声が響いて、隣の席の女子が迷惑そうに睨んでくる。
八宮めぐるの笑い声の方が百倍うるせえだろ。
図書委員になれば電撃文庫とか置けるんじゃね? っつって図書委員になったけど、そんなことは全然なかった。
カウンター当番は同じクラスの委員同士でやる。男女一人ずつの図書委員のうち男子は俺で、女子は知らん地味なヤツだ。仲いい女子とかもいないから、当番のときは俺とその女子は無言で図書室に集まって無言で時間が過ぎるのを待って無言で解散する。虚無の時間だ。今月もまた虚無がやってきたと放課後の図書室のドアを開けると、図書委員が座るべきカウンターの中には八宮めぐるがいた。
は?
「えへへっ、お手伝いに来ました!」
びしっと敬礼してみせる八宮めぐる。
俺がカウンターに入って鞄を置く間に八宮めぐるがべらべら喋ったところによると、図書委員のあの女子は今日は部活(バレー部らしい)のミーティングでちょっと遅れるらしく、その間に八宮めぐるが派遣されたらしい。ミーティングはそんなに時間がかからないからあと十分くらいで合流するはず――というような八宮めぐるの話を相槌も打たずに聞きながら、俺は鞄からラノベを出す。開いたら挿絵があるページで、挿絵を内側に折りこんで見えないようにした。
「あっ……! ごめんね、図書室では静かにしなきゃだよね」
そんな俺を見てどう思ったのかは知らないが八宮めぐるは声のボリュームを落とす。潜められた声がくすぐったいと思った。
別にいいけど、喋っても。今日は誰もいないけど、たまに来る三年とかも普通にうるさくしてるし、俺は別に八宮と喋りたくないとかでもないし。
バレないように八宮めぐるを横目で見る。二十秒くらいは大人しく座っていた八宮めぐるは突然「あっ」と呟いて、鞄をごそごそやりだした。
「宿題やろっと」
そういや今日は英語の宿題が出ていた。must、しなければならない、とか、shall、しませんか、みたいな。英単語の小テストは明後日だから、宿題じゃないけどその復習もしといた方がいいかもしれない。
同じクラスだと授業の進みも同じなわけで、八宮めぐるが話しかけさえすれば話題はある。休み時間のたびにうるさい八宮めぐるのことだからすぐ話しかけてくるだろうと、俺はページをめくらず待っていたのに、八宮めぐるはたまに英単語を呟く以外は無言で宿題を進めていた。
前に落ちてきた金髪をかき上げる八宮めぐる。横から見てもでかい胸はすぐ八宮めぐるの腕に隠される。
もう一回見てえな。
沈黙。時計を見上げると八分経ってる。あと二分しかねえぞと思った。
話しかけるなら今しかねえぞ、八宮めぐる。
――沈黙を破ったのは、俺でも八宮めぐるでもなかった。
「めぐるちゃん、ごめんね急に。ありがと」
図書室のドアを開けて、うちのクラスの図書委員の女子が入ってくる。
「ううん、気にしないで! ミーティング終わった?」
話しながら八宮めぐるは広げていた教科書とノートとペンケースを鞄に押し込む。消しカスがひとつ俺の手元に飛んできたことに八宮めぐるは気づかないまま、八宮めぐるは立ち上がった。
「この後、水泳部のお手伝いなんだ。また明日ね!」
俺は本を閉じる。何もしていない状態の俺は話しかけるにはちょうどいいはずだ。
女子と手を振り合った八宮めぐるは、ドアのあたりで俺を見る。青くてでかい目がこっちを向いた瞬間、反射で顔を背けたから、八宮めぐるの表情は見えなかった。
「またね!」
三文字言い残して八宮めぐるは立ち去った。八宮めぐるは足音までうるさくて、行ったきりもう戻ってこないのがよく分かる。
「……」
「……」
で、今月も虚無の時間。
ラノベの続きを読む気が起きなくて、俺はさっきの八宮めぐると同じく英語の宿題をやることにした。
『must(しなければならない)』『shall(しませんか)』を使ってそれぞれ英文を作りなさい
She must swim.
Shall we talk
テストが終わって夏休みが目前という日に、学年集会が開かれた。
小学校の頃からある、休み前の集会。熱中症に気をつける、水辺に近寄らない、子どもだけで遠出しない、万引きしない、SNSで知り合った人と会わない。ナントカ中の生徒として恥ずかしくない行動をしてください……といういつもの話の後、「特に」と生徒指導の駒木が声を低めた。
「他の中学校で、SNSで知り合った同い年の友だちに会いに行ったら年上の人だったということがありました。親や先生に紹介できない人とは会わないように。SNSにも、自撮りなど不用意な写真は上げないようにしてください」
前にツイスタで見た、二組の女子のやべー自撮りを思い出して笑いそうになる。八宮めぐるならともかく、ああいうヤツは出会いたくても出会えねえだろ。
八宮めぐるなら出会えるだろうな。夏服に衣替えすると、八宮めぐるの二の腕は思ったより白くて胸の形はくっきり浮き出ていた。エロくねって思ってるのは多分俺だけじゃない。なんかの手伝いとか適当なこと言って呼び出せば、あれを好きにできるんじゃねえの。
いや、八宮めぐるが頼まれごとを断ってるところは見たことないし、なんかの手伝いとか言う必要もないか。八宮めぐるの裸を頭の中でこねくり回しながらズボンのポケットに手を突っ込んだら、生徒手帳が出てきた。ページを破って「SEXしよーよ」って書いたらそれだけで笑える。
駒木の話はまだ続いている。俺はそっと八宮めぐるの方を見て、その紙切れを投げた。
投げは弱く、八宮めぐるまで届かない。八宮めぐるの前にいる女子は紙を拾って広げ、すぐに周囲に視線を巡らせる。
怒り混じりの視線がすぐ俺に気づいた。お前じゃねえよ、って感じに首を振ってみたけど、通じたかどうかは分からない。
その日の放課後、その女子とすれ違ったら「クソじゃん」と言われた。
うっせーブス。
その女子とも別の女子とも八宮めぐるともこれ以上の接点はないまま、俺は中学校を卒業した。
高校生になってしばらく経ってから、八宮めぐるがアイドルになったと知った。中二のあの頃、うまくいってたらアイドルとヤれてたんだと思うと惜しかった。
アイドルの顔で俺に笑いかける八宮めぐるを見ていると色々な気持ちが湧いてくる。それは恋愛感情だったり、後悔だったり、羨望だったり、軽蔑だったり、性欲だったりした。アイドル・八宮めぐるを見ていると俺の頭の中は汚いマーブル模様でいっぱいになって気持ち悪い。気持ち悪さに耐えられなくなると、俺は5ちゃんの適当なスレに拾ってきた八宮めぐるの水着の画像を載せる。
スレの流れにもよるがつくレスは似たようなものだ。「これで高校生はムリがある」「たまらん」「エッッ」みたいな、いつもどおりのレスがつくのを見ると、俺の頭の中のマーブル模様は消えて性欲と納得だけになる。
俺は目を閉じて、パンツの中に手を入れる。
お前らだって俺と同じだろ。