致命チョコ 一月三十日から二月十四日まで開催のバレンタインフェアは、折り返しを過ぎてもまだまだ大盛況だ。
平日の夕方は比較的空いているけど、その分お客さんはじっくり時間を掛けてショーケースの中を吟味しているようだ。一人で来ている人が多くて、でも僕以外のお客さんは全員女性だ。
学校帰りの制服姿の僕はちょっと場違いかも、と思わないこともないけど、あまり気にせず足を踏み入れる。
ここに来るのは三日連続。
今日こそ園田さんに贈るチョコを決めるんだ。
僕が園田さんに抱いている気持ちを具体的な一言に変えるのはとても難しい。
初めて園田さんを意識したのは去年の秋頃、コンビニ限定のガトーショコラアイスの発売日のことだ。
ツイスタでレビューが目に入る前に食べたいから、新商品のチョコやスイーツはよほどのことがない限りは発売日の朝のうちに買うことにしている。その日もいつも通り登校前にコンビニに寄ってアイスを買って、パッケージの写真を取ったらすぐさま開封。見るからに分厚いチョコにかじりついた瞬間、カカオの香りが広がるとともに「ああっ」と叫ぶ声が聞こえた。
声の方にいたのが、園田さんだった。
まだその時は僕は園田さんの名前を知らなかったから、同じ学校の女子だな、くらいにしか思わなかった。まんまるな目でこっちを見ているその子は友達と一緒にいて、置いてくよー、と言っていた友達に「すぐ行く!」と答えて走る間際、僕に向けて小首を傾げた。
――おいしい?
――おいしい!
一瞬、そんな風に目線だけでやり取りして。
その時はそれきりで、僕が次に園田さんを見つけたのは、とある雑誌のスイーツ特集号の誌面でのことだった。
お勧めのお店からレシピまで、様々な角度からスイーツについて書かれたその雑誌には、『スイーツを愛するアイドルたち』というコーナーがあった。この手のコーナーに登場するアイドル達は半ば常連化しているけど、時たま新しい顔が登場することもある。元パティシエアイドル、ケーキアイドル、ドーナツアイドルとお馴染みの顔ぶれが続いた後に載っていたチョコアイドルの顔を見て、僕は思わず声を上げた。
放課後クライマックスガールズも、園田智代子も知らない名前。でも、誌面からこちらを見つめるまんまるな目は知っていた。
「うちの学校にアイドルっているの?」
翌日、隣の席の女子に訊いてみたら「はあ?」と呆れた声が返ってきた。
「嘘、チョコのこと知らなかったの? クラス違うけど学年同じだしみんな知ってるよ」
「そうなんだ……」
女子からは「チョコ」、男子からは「園田」と呼ばれているらしい園田さんの存在を知ってから、園田さんを校内で見かけることが増えてきた。
園田さんは基本的に友達と一緒にいることが多い。たまに一人でいることもあったけど、どんな時でも机の上や手の中にお菓子があるか口をもぐもぐ動かしていて、それがなんだか面白いなと思った。
園田さんはアイドルとしてのツイスタアカウントを持っているようだから覗いてみると、そちらも頻繁に更新しているようだった。
『GODIVAさんの新作ショコラショーを一足先に頂戴しました! びっくりなくらい濃厚なのに、後味はベリーの風味で爽やかです! 『Seventeen』四月号でご紹介していますのでぜひぜひ!』
『モロゾフさんの期間限定スイーツプレートが明日で終わってしまう〜! 樹里ちゃん、夏葉ちゃんと一緒に食べ納めをしてきました! ではでは、今から三人でランニングに行って参ります』
初めて園田さんを見た時から分かっていたことではあるけれど、園田さんのスイーツ――特にチョコへの情熱には目を見張るものがある。
雑誌やテレビの宣伝でもないスイーツ絡みの投稿がツイスタに溢れ返り、たまたま見かけた音楽番組でも前後の流れは分からないけどクレープに何をトッピングするかを熱弁していた。園田さんはいつどこでスイーツの話題を出すか分からないからと、園田さんのスイーツが関係なさそうな出演情報もチェックするようになるにはそう時間はかからなかった。
放クラの他のメンバーの名前も覚えて、スイーツ情報が出ないかばかり気にして聴いていたラジオの内容そのものが楽しいと思うようになってきた。園田さんはユニットの中ではどちらかというといじられキャラだけど、リーダーの小宮果穂ちゃんに対してはお姉さんみたいな態度を取ることもあって、そういうところがいいな、と思えた。
雑誌やテレビの中ではアイドルをしている園田さんは、学校で見かける時はどこにでもいる女の子って感じで普通に過ごしている。たまに遅刻や早退をしつつもみんなと同じ制服を着てみんなと同じ授業を受けている園田さんは学校の景色に溶け込んでいたけど、僕には不思議と園田さんだけが光って見えた。
園田さんを見かけた日は嬉しくて、見かけない日は仕事だろうかと想像する。そんな生活が日常になった冬の日にそれは起こった。
あの時、僕は教室の掃き掃除をしながら窓の外を眺めていた。放課後になってすぐの時間帯は下校する生徒の数がまばらで、運動部の声もまだ聞こえない。冬の空は夕方を飛ばして夜に近付いていて、外は紺色の膜に覆われたようだった。同じクラスの子が歩いているなとか、校門のところに車が停まっているなあとか思っていると、突然校舎から園田さんが飛び出るのが見えた。
(――あ、)
小走りで校門へ向かう園田さんが手を振った。誰に? と思う間もなく校門のところに停まっていた車が開いて、スーツ姿の男の人が出てくる。僕と園田さんの位置は遠く離れているはずなのに、園田さんがぱあっと笑顔になるのが見えて、
好きだって思った。
この好きが、何の好きなのかは分からない。
アイドルの園田さんを応援したくて推したくて、素顔の園田さんの笑顔をもっと見ていたくて、僕に向けて笑ってくれないかな、みたいな気持ちもある。今までアイドルを推したこともないし人と付き合ったこともないから、この気持ちがみんなが言う意味の好きとどのくらい同じなのかは分からない。
でも、園田さんに、この気持ちを渡してみたくなった。
「今年は柚子のお味が新登場して――」
ショーケースの前で立ち止まっていると、店員さんが何かと声をかけてくれる。
「甘いものが苦手な方にもお勧めなんですよ」
黒くて甘い宝石を前にして、僕は園田さんのことを考える。
「一番人気の十二個入りは完売してしまいまして……」
今年のバレンタインは日曜日だから、翌日の十五日に学校で渡そうと思っている。学校に持っていく間は冷蔵が出来ないから、要冷蔵のマカロンは除外。出来ればチョコらしいチョコを渡したいから、オランジェットみたいなチョコ以外の要素が強いものも避けたい。
「パッケージも可愛いので、とても喜ばれると思いますよ」
園田さんは、バレンタインにはきっとたくさんのチョコをもらうはず。園田さんだって充分調べ尽くしてめぼしいチョコは買っているだろうから、園田さんも他の人も思いつかないようなチョコを買わなければいけない。
うんうん唸りながら会場を四周したところで「お悩みですね」と店員さんに苦笑されてしまって、すみません、と呟くと、店員さんはゆったりと微笑んだ。
「いえいえ、どういったものをお探しですか?」
「ええと――フルーツとかが入っていなくて、常温でも持ち運べて、なるべく他で手に入らない感じの……」
言っていて、自分でも無理を言っている気がする。
店員さんは僕の言葉を聞いてしばらく考えてから「でしたら」と言ってショーケースの上に据えていたショップカードを一枚差し出した。
「ここからちょっと遠い本店になっちゃうんですけど、本店限定で出しているセットがありまして――通販とかにも出していないので、ご希望に沿えるかなと……数量限定なので今日残ってるかはちょっと分からないんですけど……」
ショップカードに書かれた住所は行ったことがない場所で、最寄り駅も定期の範囲からはきっと外れている。
「分かりました、行ってみます!」
それでも園田さんに渡すチョコのために、僕はショップカードを受け取った。