葛之葉雨彦と古論クリス:ミヌモノキヨシ:パエリアを食べるクリスさんを雨彦さんが見る話 近所のバルがパエリアのテイクアウトを始めたから、クリスの今日のランチはパエリアだ。
事務所のテラス、クリスの向かいには雨彦がいる。想楽は大学に行っているこの時間帯、二人は昼食を共にすることがよくあった。
色づいた米と共にすくい上げられたエビは背に紅白の縞を描いている。持ち重りのする身を乗せたプラスチック製スプーンは軸がぶれ、乗せたはずのエビはパエリアの容器に落下した。
「おや」
「……」
思わずクリスは声を上げ、雨彦はちらりと視線を送る。
「お恥ずかしいところを見られてしまいましたね」
「見なかったことにしておくさ」
エビをすくい直して口に運ぶ。弾けるエビの旨味に頬を緩めるクリスを前に、雨彦は一言呟いた。
「見ぬもの清しってことだろう?」
「……?」
もぐもぐと口を動かしながらクリスは聞き覚えのない言葉に首を傾げ、飲み込んでから問いかける。
「ミル貝の仲間のような名前ですね。どのような意味なのでしょう」
「そういう諺さ」
稲荷寿司をかじりながらの説明で、ようやくクリスの頭の中に漢字が浮かんだ。合点がいった様子でうなずくクリスは、ですが、と言葉を継ぐ。
「見ぬ場所にこそ新大陸はあるのだと思います。まだ見ぬものがあるのなら、ぜひ見に行きたいものですね」
「ま、古論ならそう言うだろうと思ったさ」
雨彦がテーブルの下で組み替えた脚を、クリスが見ることはない。
クリスが想う先にあるのは彼が望む通りの新大陸か、あるいは照らし出されたことのない深海か。
「――羨ましいよ」
いずれにせよ、クリスのその姿は雨彦には眩しいものだった。