杜野凛世/忘れられない女の子/凛世を見かけ、凛世を見つけられない人の話 その女の子に出会った日のことを覚えている。
珍しく涼しい夏だった。朝に買い置きのレトルトカレーを食べたきりで、空腹に耐えかねて私は夕刻に家を出た。
一蘭で腹を満たして気持ちにゆとりが出た頃合いに、私が最近気に入って観ているアニメのラバーストラップの発売日が今日であることを思い出した。ぜひ休日に使っているリュックに着けておきたい。汁を全部飲むのも惜しく、底面に一センチほどを残して私はアニメイトへ急ぐこととした。
前に来た時とは売り場のレイアウトが変わっており、売り場を探すには少々難儀した。私が求めているものではないセーラー服や学ラン姿のキャラクターのグッズに舌打ちしたい気持ちを抑えて売り場をさまよい、全キャラ分のラバーストラップを一つずつ得て会計を済ませる頃、彼女は店の入り口に姿を見せた。
濡れ鴉とはこのことかと瞬時に理解が及ぶほど美しい黒髪。切り揃えられた前髪の下、物静かな瞳がぱちりと瞬いた。いかにも清純らしいシャツに控えめなボディラインは包まれ、思わず私はビニル袋をきつく握ってしまった。
会計列を退くよう促す店員の無粋な声から離れるうち、少女は友人らしき女の子を伴って店内を移動しだしていた。茶髪のいかにも平凡な女の子ははしゃいだ様子を隠そうともせず、そんな彼女の秘めたる騒々しさを嫌悪することもなく少女は何やら言葉を交わしていた。あの美しい横顔の通りに、人を嫌うことを知らない純粋無垢さが見て取れるようであった。
彼女の横顔は恐ろしいほどに整っており、露出の抑えられたスカート丈も好ましい。とはいえ彼女も何かの目当てがあってここへいるのだろうから、わざわざ声をかけることはしない。しかしもしも彼女が、俗世に不慣れでありながら何やら興味を抱いてこの店を訪れたであろう彼女が、何か困った時に手助けができるようにと、私は彼女の後方に位置取って彼女の様子を注視した。
「凛世ちゃん、これ……!」
茶髪の連れ合いが声を上げる。キンキンと響く声を耳障りに思ったが、応じる彼女の声が私の耳を洗い流す。
「はい……! 学ラン――」
清涼な声はまさに理想そのものとも聞こえた。
彼女は本当に、この世のものなのだろうか? それとも私が長年思い描くあまりこの世に姿を見せた、私のためだけの少女なのだろうか。頭の低い位置で控えめに髪を結うリボンに触れ、解いてみれば彼女の麗しき真の姿が得られるのかもしれない。その黒髪を内側から撫ぜることを夢想しながら私は少女を見つめ続けていた。
その二人の目当ては、セーラー服や学ランを着た何らかの漫画作品のキャラクターのようだった。少女漫画らしい絵柄は正直言って私には受け付けられない。いかにも世間知らずそうな彼女は、きっと隣にいる茶髪の友人にそそのかされてこの漫画に夢中になってしまったのだろう。そんな彼女にホンモノの漫画とアニメを教えてやれば、きっと彼女は私に尊敬を向けることだろう。想像するだに素晴らしく、そうあるべきことだと私は直感した。
私は彼女を見失わないように足早に先ほど買ったラバーストラップの売り場へ向かい、私の最も愛しく思うキャラクターのストラップを握って急いで戻る。彼女ほどの子ならば、一瞥さえすればこのキャラクターの良さに気付けるはずだと私は信じていた。
「ボールペン――」
「ですが、智代子さんは……」
密やかに語らう声に耳をそばだてるも、隣に立つ茶髪の者がグッズを掴んで彼女の気を惹くせいで少女にこちらを見る余裕はないようだ。何かを選び取って二人は会計に進み、私もせっかくなので彼女の真後ろに立つ。髪はきっと白百合のような芳香があるはずだが、顔を寄せようとした時に別のレジに呼ばれてしまって彼女を鼻腔に収めることは叶わなかった。
店を出て、駅まで歩いて探したが、彼女の姿はすっかり消えてしまっていた。
――夢幻のような彼女の面影を求めて、テレビの中のタレントやアイドルを眺めることも増えたが、やはり彼女に及ぶ美しいひとは見当たらない。
出勤途中の駅には、放課後クライマックスガールズという名前のアイドルのポスターが掲示されていた。超宇宙的、と踊る文字のそば、黒髪の着飾ったアイドルがいたからしばらく眺めて、しかし溜息をついてその場を去る。
こんなにけばけばしいアイドルでは、あの夏の日の少女には到底及ばないであろう。