その日の出久は早番で、仕事を終え足取り軽く事務所を出たときには正しく晴天であった。ヒグラシが鳴き始めた、空と街に青とオレンジが入り混じる時間帯。肌を焦がすような夏の暑さは先日訪れた台風が連れ去っていってくれた。随分涼しくなったなあと秋の入り口がやってきた気配に頬を緩めながら、出久は夕飯の買い物をすべく自宅近くのスーパーに立ち寄った。
お目当ての総菜を何パックか購入して店を出た。そういえば米のストックがないとレジに並ぶ直前に気付き、無洗米も十キロの物を購入したのでしっかりと脇に抱える。基本的に自炊をあまりしない出久だが、米だけは炊くようにしている。実際これも面倒なときは電子レンジでチンするだけで食べられるパックのものを使ってしまうのだけれど。まあ、便利なものは使うに限るので。安い早い旨いの三拍子は忙しい社会人にとって最強の味方だ。総菜だってバランスを考えて購入すれば体にだっていいし、自炊に慣れていない自分が作るよりよほどコストパフォーマンスがいいと出久は思っている。
背中には仕事道具が入ったリュックを背負い、左手には総菜が入った袋、そして右手には米袋を抱え出久は家路につく。そんな大荷物だったので直後から雲行きが怪しくなってきたことに上機嫌の出久は気付いていなかった。結果、家まで残り数分というところで鼻の頭にぽつりと大粒の雫が落ちてきて、間抜けにも「あ」と呟いた数秒後、バケツをひっくり返したような雨が出久に降りかかり、乾いていたアスファルトの色を一気に濃くしてしまった。
呆然と空を見上げる出久の横を、制服を着た男子高校生たちが騒ぎながら大はしゃぎで走り抜けていく。次いで、折り畳み傘を持っていてよかったと笑う女子高校生たちは立ち止まったままの出久を避けて歩いて行った。
出久はというと、残念ながら傘を持っていない。持っていても荷物が多いのでさすことはできないわけで。すでにTシャツはぺたりと重たく肌に張り付いていて、髪の毛だってぼとぼとと雫を落としている。家まで残り数分だ。それならば雨宿りをするよりもさっさと帰宅してシャワーを浴びる方がいいと判断し、出久は豪雨の中を駆け抜けた。
体中びしょ濡れで家の玄関についたときにはなんだか疲労困憊で、出久は辛うじて中身は無事そうな荷物を廊下に置いてから、そこに上がることなくTシャツを脱いだ。脱いだ服をどうしようか考えて、とりあえず土間に置くことにする。大量の水気を吸い取っているそれは酷く重く脱ぎにくく、吐いていたハーフパンツなんてさらに脱ぎにくかった。防水のリュックでよかったなあ、なんて思いながら小上がりに置いたリュックの中からタオルを取り出す。パンツ一丁で身体を拭いて、そのタオルで土間に放置していた濡れた服をくるりと包んでから、出久は己の失態にハッと気づく。髪の毛から滴る水を拭くのを忘れていた。そしてまだ履きっぱなしの靴に収まる自身の足も。
結局、玄関から脱衣所に続く廊下は出久の水気を帯びた足跡と髪の毛から落ちる雫でびちゃびちゃになってしまった。最悪である。
浴室に濡れた衣類一式を放り込んで、脱衣所のお風呂マットに両足を乗せたときには上機嫌だった気持ちは随分しぼんでいた。ハプニングで水に濡れる時っていうのは大抵げんなりしてしまうものだ。膨らんだ風船から空気が抜けると元よりもよれよれになる感覚に似ているだろうか。
冷えてきた身体を温めるべく、出久はさっさとシャワーを浴びようと浴室に入る。給湯器をオンにして蛇口ハンドルをひねれば簡単に温かいお湯がシャワーから出てきて、出久の身体と心を温めてくれた。
シャワーを浴びて、体を洗って、そうして濡れた服をついでにわしゃわしゃとシャワーのお湯でゆすいでいると、ふと思い出すことがあった。ハプニングでびしょ濡れになった経験は今まで何度かあるが、その中の一回。びしょ濡れになったけれど、気持ちが落ちなかったことがあったのだ。
川の浅瀬で尻もちをつき下着までびしょ濡れになって。その時、そんな出久に呆れたようにため息を吐いて、ずぶ濡れで立ち上がった出久をからりと笑い飛ばしてくれたのは。
「……ロディがいたら、よかったのにな」
ぽつりとつぶやいた言葉はやけに浴室に響いた。
衣類をゆすいでいた手を止め、顔を上げる。そこはいつもの自分の一人暮らしの浴室だ。なんの代わり映えもしない白い湯気が充満した無機質な浴室。
もう何年も会ってない友人の存在をひょんなことから思い出すことは少なくない。例えば可愛らしい小鳥をパトロール中に見かけたときとか、出久では到底着こなせないだろうおしゃれな服をショーウィンドウで見た時だとか、青空を飛んでいく飛行機を見上げた時だとか。
いつも、元気にしているだろうかと考えて、一緒に過ごした短くも濃い時間を思い出して、よし頑張ろうと前を向いた。きっと全部とると笑ったロディも頑張っているだろうから。だから、こんな切ない音色を伴って彼の名前を呼んだのは初めてだったかもしれない。
――――ああ、会いたいなあ。
そんな思いが濡れた服に触れる指先からじわじわと全身に浸透していくような感覚に陥って、出久は慌てて服の水気を絞ってから浴室を出た。洗った服と身体を拭いたタオルを洗濯機に直接投げ入れて、寝間着に着替える。洗濯機を稼働させ、首にかけたハンドタオルとは別にもう一枚タオルを手に玄関に戻った。放置していた購入した商品を軽く拭いてから、濡れた廊下を拭いていく。むなしい。なんだかとても。
きっとこの光景もロディだったら笑ってくれるんだろうな、なんて考えだしたら止まらなくなってしまった。「シンデレラ気取りかい、ヒーロー」なんてにやにやと言ってくるかもしれない、なんて、もう何年も会っていないというのに、ありありと想像できてしまうくらいに脳内に現れたロディの姿は鮮明で。
しかし、その声を思い描こうとして、出久の廊下を拭く手がぴたりと止まった。背筋が凍ったような、ぞわりとした寒気が身体中を駆け抜けた。だってロディの声がはっきりと思い出せないのだ。
オセオンからの帰り、また来るよと言ったのにこの体たらく。巨悪と向き合う日がそこまで迫っていた出久は、もうロディには会えないかもしれないという気持ちもあった。自分が進むヒーローの道は厳しい。師であるオールマイトの姿も、よくしてくれたナイトアイの姿もいつだって出久の中にあって。もう会えないかもしれないけれど、それでも出久はロディとまた会いたいと願ったのだ。
それから色々なことがあって、出久は無事に雄英高校を卒業して、夢だったヒーローになった。生き抜く決意を改めてして、いろんな人にこれまでの御礼なんかも言いたくて。だから落ち着いたらオセオンにきっと行こうと、ずっと思っていた。
でもなかなか落ち着くことはなく、出久のヒーローとしての評価が上がるたびにどんどん連休が取りづらくなり、結局のところ何年もオセオンには行けていない。
そうしてついに今、記憶にあるロディの声がはっきりと思い出せない事実に直面し、出久のタオルを握る指先に力がこもる。
人は、人を、声から忘れていくという。数えてみればもうあの日から十年程時間が立っていて、その年月の長さに今更気づいた出久はひとり息を呑んだ。ひゅっと吸った息が冷たく肺に落ちる。あのとき「二度とくんな」と震えた彼のことを、絶対に忘れないと出久は勝手に誓っていたのに、その声が思い出せないなんて。
廊下を拭いていたタオルをその場に投げ捨て、出久は廊下に置きっぱなしのリュックの中からスマートフォンを取り出した。その場で胡坐をかいてスケジュールアプリを開き、隅々まで今後の予定を確認する。
オセオンに行かなければと思ったのだ。できることなら今すぐ行きたいけれど、さすがにそれはできないから、直近なら――……と二週間後、がんばれば三日間休みが取れそうな日程を見つけ、出久は明日事務所に行ったらスケジュールを調整してもらおうと決意する。
ロディの声を忘れるなんて、許されることじゃないだろうと自分に腹が立った。こうして焦って行動すれば、なんとか時間を作れるというのにこれまで作ってこなかった自分に一発くらいパンチを食らわせたかった。いっそロディに殴ってもらおうか。
ロディとはオセオン空港で別れたあの日以来、連絡もなにもとっていない。彼が今どこで何をしているのか、そもそもオセオンにいるのかすらわからない。ロディは出久のことを覚えているだろうか。すぐに会えたらいいのだけれど、そもそもロディを見つけられるだろうか。オセオンのヒーロー協会の協力を仰ぐのは職権乱用になってしまうだろうか。限られた時間の中でロディを見つけるためにはどうしたらいいだろう。そして会えたなら何を話そう。何を聞こう。果たして再会を喜んでくれるだろうか。
そんなこをとつらつらと考えながら、ようやくとった三連休の前日の夜。
仕事を終え事務所から直接パッキングしたキャリーケースをひいて出久は不安と期待で胸を躍らせながら国際線の保安検査場にやってきた。手続きの時間ギリギリの到着になってしまったが、なんとか間に合った。
浮足立ちそうになる自身を押さえながら足をすすめていた空港ロビー。そこで耳に入ってきたアナウンスと、目に飛び込んできた電光掲示板の文字を見て出久は絶望することになる。
オセオン行きの飛行機が天候不良で飛ばない、らしい。
「うそでしょ……!?」
空港に来るまで天気は崩れていなかった。オセオンの天候も昨日チェックした限りでは大丈夫だったはずだ。慌てて搭乗予定だった航空会社のカウンターに行き、グランドスタッフにカウンター越しに尋ねるが、申し訳なさそうに今夜はもう飛ばないと説明されてしまった。
「インターネットでチケットをお取りになっている方にはメールでお伝えしたんですが、届いてませんでしょうか」
「え、メール……あ! 来てます! 来てました!」
慌ててスマートフォンを開きメールを確認すると航空会社からの未開封メールが昼の時点で届いていた。日本からオセオンに行く際に絶対に飛ばないといけない国で大型ハリケーンが発生しているので、本日の運航は見合わせるという文面に気が遠くなりそうになる。
なるほど、カウンターがごった返していないのは事前にアナウンスがあったかららしい。こうやってカウンターに駆け込んできているのはメールを確認していなかった出久くらいのものだ。そもそもヨーロッパ方面へ飛ぶ航空会社が集まるこのエリア、通路を挟んでアジア圏へ飛ぶ国際線のカウンター周りと比べると人がおかしいくらい少ない。ヨーロッパ方面の運航は絶望的なのかもしれないとそのときにやっと気づいた出久である。
「そ、そんなあ。振替運航もないんですか?」
思わず情けない声が出た。なにせ時間は限られている。ただでさえオセオンは遠くて移動時間だけで半日使ってしまうのだ。今回、向こうで自由に動けるのは実質一日。だというのに、出久の質問に眉を下げた女性のグランドスタッフはこくりと頷いてしまう。
「振替は明日の同時刻の便になります。天候次第ではさらに伸びますが、そちらで都合がつかなければ払い戻しの対応は可能ですので……」
「あの、ここで聞くのもどうかと思うんですけど、他の航空会社は……」
「今日はどの航空会社も運行を取りやめておりますのでオセオンへは飛ばないと聞いております。アジア圏からオセオンに向かう場合、どこも空路は一緒なので……南半球に一度飛んでから問題の空路を回避するという方法があるにはあるのですが、それなら明日・明後日の天候回復を待たれた方が、かかる時間もコストも良いのではないかと……」
パソコンを操作しながらグランドスタッフが色々と調べてくれるが、提示してくれた代案は彼女の言う通り現実的ではない。出久は思わず首をひねり、腕を組みウウンと唸ってしまう。眉間には皺が寄ってしまっていた。するとグランドスタッフにご希望に添えず申し訳ございませんと頭を下げられてしまい、出久が慌てて「あなたのせいじゃないですから!」と伝えようとしたその時だった。背後から落ち着いた声がかけられたのは。
「ミスター、この度はご迷惑をおかけしております。申し訳ございませんが、彼女の終業時刻が迫っていまして。彼女に代わって私がお話しをお伺いしましょ、う…………」
男性の声だった。最初、その声をかけられているのが自分だとわからなかった出久だ。終業時刻という単語で、はっとする。ミスターって僕か、と理解して出久がその声の主を見るべく振り返ろうとした直前で、そのかけられた声が不自然に止まった。
不思議に思いながらくるりと振り返ると、そこにはぽかんと口を開けた男性。出久よりわずかに身長が高いその男性が身に纏っている制服は、いま出久が話していたグランドスタッフである彼女のものとは違う。
白いシャツの両肩には肩章。ラインは三本。そして左の胸元には翼の生えたバッジ。赤みがかった茶色の髪の毛に、グレーの瞳。ずいぶんとスタイルも顔立ちも整った、すらりと姿勢よく出久の後ろに立っていたその男性は。
「……え?」
「……は?」
「ロ、ディ……?」
声が、掠れ、上ずった。目を見開き、出久は目の前の存在を凝視する。相手も相手でぽかんとした表情で出久を見つめていた。
「なんだ、俺は夢でも見てんのか? なんでデクがここにいんだ……?」
呆気にとられた表情から次第に眉間に皺を寄せ、ついには怪訝な表情で出久をじろじろと見始めた推定ロディは出久の隣に立ち、カウンター越しにグランドスタッフに声をかけた。
「ヘイ、ごめんね。ちょっと手の甲をつねってみてくれないかい」
カウンターの上に手の甲を出した推定ロディは、くすくすと笑うグランドスタッフにきっちり手の甲をつねってもらっている。そのやりとりを出久は顎を落としながら見ることしかできない。
「ああ、うん。痛いな、夢じゃなさそうだ。ありがとう。とりあえず上がっていいよ。あとは俺がやるから」
推定ロディはそう言って、ぺこりと丁寧に会釈をした彼女を笑顔で見送った。グランドスタッフである彼女がいなくなったカウンターは空っぽになってしまう。
「……デク、であってるよな? まさかドッペルゲンガー?」
横顔を見つめていたら、その顔がくるんと出久へ向き直った。腕を組み細く長い手を顎に当て、推定ロディが再び出久をじろじろと見てくる。疑いの眼差しに、出久は慌ててその言葉に首を横にぶんぶんと振った。本人です、と言いたいが声帯がなぜか動かない。
推定ロディは顎に手をあてたまま斜め下へ視線を投げ考える素振りをしたのち、パッと顔を上げた。グレーの瞳とグリーンの瞳の視線が確かに交差した。
「ああ、なるほど。事件だな? オセオンでなんかあったのか? 至急飛ばなきゃなんねえんなら、上に掛け合ってみるからちょっと待てくれるかっつーか、ヒーロー協会から直接連絡入れてもらったほうが、」
「待って待ってロディ! 違うんだ!」
そう言いながらカウンターに入って行こうとする推定ロディに出久は慌てた。反射で後ろ手を掴んで、ついにその名前を呼んだ。相手がぎょっとしたような表情で出久を振り向いた。ふいに目頭が熱を持って、鼻の奥がツンとして、ああ、ロディだと実感した。この温度を、手首の細さを、出久は知っている。泣きそうになる自身を誤魔化すために、出久は口を開いた。
「きっ、君に! 会いに行こうとしてたんだ!」
「……へ?」
「だから、ロディに会いにオセオンに行こうと休みを三連休で取ったから、今日飛ばなきゃ休みの都合で向こうにいる時間がほぼなくなっちゃうしどうにかしたかったんだけど……」
ロディが間の抜けた声を出した。それを拾い上げるようにして出久はこの状況の説明をしていく。そう。出久はロディに会いたくて、ここにきて、そして飛行機に乗ってオセオンに行こうとしていたんだけれど。
「会えちゃった」
自然と笑みがこぼれた。自身の目の周りや頬の筋肉が緩むのがわかる。
出久の言葉をわずかに唇を開き、信じられないというような表情で聞いてくれていたロディは、出久のその言葉でふっと力を抜いた。目尻を下げてゆるく口元に弧を描く。すこし情けなさにも似たなにかを顔に貼り付けたその笑みで、ロディは身体の向きをきちんと出久に向け、出久が掴む手とは逆の手で後頭部を雑にかく。
「えーと……じゃあ、そうだな。いま言わなきゃなんねえ言葉は」
下げていた顔を上げ、まっすぐにロディが出久を見た。へらりと笑うその顔が懐かしい。
「久しぶりだな、デク?」
「久しぶり、ロディ。会えて本当に嬉しいよ」
くしゃりと歯を見せ笑い合う。十年ぶりとは思えないほど自然と互いにハグを交わし、身体を離した。ここが空港ロビーでなければ泣いてしまっていたかもしれないと苦い気持ちになりながら、出久はふうと息を吐いた。腕時計をちらりと見て、ロディを見る。出久も身長が伸びたがロディも身長が伸びたらしい。身長差は縮まっているが、ロディの方が僅かに高かった。
「ところでこの状況について説明を受けたいんだけど、ロディ、君、時間ある?」
つまりロディがなぜ日本にいて、ここで制服を着ている理由を知りたい。心から。
出久が言外にそう含ませた言葉をロディは正しく汲み取ったらしい。苦笑したロディはひょいと肩をすくめてから飄々とした素振りで口を開いた。
「俺はな、デク。ロッカールームに行く前にさっきの子にお疲れって言いにきたんだ。そしたら厄介なクレーマーっぽいのがカウンターに噛り付いてたってわけ」
「厄介なクレーマー?」
そんな人いたかな、と思ったと同時。ロディがぴっと指をさした。その先にいるのは出久だ。そう、出久である。
「……えっ、僕!?」
素っ頓狂な声を出せば、ロディがにんまりと笑って、さした指をそのまま出久の胸の中心に置きトントンと突いてくる。
「どうあがいても飛べる状況じゃねえのにえらい食い下がってる客みたいだったからさ、対応が男に変わった途端に言い分変わるタイプもいるし声かけたんだよ」
「誠に申し訳ない……」
片眉を上げ「まさかデクだったとはなあ」と嫌味っぽく、からかう気満々でロディは出久の胸を指先でぐりぐりと穿ってくる。出久はというと穴があったら入りたい所存である。さっきのスタッフにロディ伝に謝罪してもらおうと心に決める。ぎゅうと顔のパーツを中心に集め面目なさでうずくまりそうになっていると、ロディが吐き出す息とともにふはっと笑顔を弾けさせた。その笑みに目を奪われた。なんだか、きらりと光った気がしたのだ。
ロディはそんな出久に気付くことなく、言葉を紡ぎ続けた。
「だからまあ、この状況がなけりゃこのままホテル行くつもりだったよ」
「じゃあこのあとご飯に誘ったら来てくれる?」
「お、ナンパかあ? 旨いとこ連れてってくれんなら考えてもいいかもな。パパラッチにヒーロ・デク、空港でナンパ! なんてすっぱ抜かれないようにしろよ~?」
「ナナナナンパじゃないけど!? で、でも! とっておきのお店に電話いれるよ……!」
「へいへい、期待してるぜ。んじゃあ、払い戻しの手続きすんならチケットよこせ。やってやるからさ」
ネット予約ならスマホな、と出久の胸を穿っていた動きを止め、その手のひらを上に向けた。親指以外の四本の指をくいくいっと動かすロディに、出久はふわふわとした心地から強制的に現実に引き戻される。慌ててポケットからスマートフォンを取り出し、予約画面を表示させてからその手のひらの上にスマートフォンを乗せると、ロディが慣れた様子でカウンターの中に入って行く。そのままパソコンを操作しながら「払い戻しでいいんだよな?」と確認してくるので、それに力強く出久は頷く。
オセオンにはまた行きたいけれど、ロディに会うというのが前提条件なので、今ここで会えているのだからオセオンに行く必要はない。出久の反応にオーケーとカチカチとディスプレイを見ながらマウスをクリックするロディに出久は首を傾げて問うた。
「えーと、ロディは空港スタッフなの?」
「んー? あー、空港スタッフっつーか……」
操作を終えたらしいロディがカウンターの上に出久のスマートフォンを置いた。そうして先ほど容赦なく出久の胸を攻撃していた指先で、トントンと表示されている画面を叩く。自然とその画面に目をやる出久だ。画面にうつっているのは、出久が乗ろうとしていたオセオン航空のオセオン行きのフライト情報。これが、なに? と聞こうとして出久が視線を上げた先。きっとほくそ笑むというのを画像付きで辞書に乗せるのであれば、この笑みになるんだろうという顔をしたロディがそこには居て。
「このフライトの副機長のロディ・ソウルだ。今後とも当社をご贔屓によろしく、ヒーロー?」
ニッと片方の口角を引き上げ、ロディがハッと息を吐く。これ以上ないほど目を見開き、出久はその言葉を脳内で反芻して、そうして一拍。空港ロビーにデクの驚愕の声と、見事なロディの笑い声が響いたのだった。