猫と烏、泥仕合三番勝負「こら〜、くすぐったいだろ〜」
こんなに不快なのは詠に使役にされそうになって以来だ。機嫌の良い甘ったれた声音と、だらしなく下がった眉と目尻。その腕に抱かれた白い毛玉が、日に焼けた詠の肌へと舌を伸ばしたところで俺の我慢は限界だった。
「この、泥棒猫!」
『猫と烏、泥試合三番勝負』
八つ時。
いつも通り、サボりに来る詠を待ち伏せる為に葛ノ葉へと足を運んでいたが、当の本人が現れる気配が全くなかった。昼頃にはとっ捕まえて駄賃としてラーメンを食わし、午後はきっちりこき使ってやろうと考えていたが、ずるずると予定が遅れていく。今日は終わるまで帰さんと心に決め、5本目になる熱燗を飲み干した。
「どうしたんだろうねぇ、あの子は」
「さぁ」
「さっき鬼火に様子を見に行かせたんだけど戻ってきてないんだよ」
「ふーん」
無視を決め込もうとしたが、冷ややかな九尾の狐の視線が「探せ」と訴えかけてくる。詠は俺を怖がるが、俺なんかよりもコイツの方がよっぽどタチが悪い。
仕方がないので千里眼を使う為に瞳へと妖力を集中させた。自分を中心にして、するりと街中へと俺の視線が走る。目指すは見慣れた白黒の毛並み。暫くしてようやく、目標の人間を見つける。
「ふぅ……」
「長かったね。どうだったんだい」
「随分と街から外れた場所にいたよ。鬼火も一緒だ」
「おや。私が頼んだのは最初から鬼火の居場所だよ?」
「……ちっ」
「ふふふ」
ニヤついた不快な視線から逃れる為に、御代を席に置いて店を後にする。まぁ、良い。アイツに会ったらこの鬱憤を晴らすのに付き合ってもらうとしよう。
街の外れ。それも幻界に近い森の中にそれらはいた。鬼火は木を見上げ、詠は木によじ登っている。
「一体何をしてるんだ?」
「あ!烏天狗!!」
「げ!烏天狗!?」
二人の反応は真逆であった。木を見上げると、何かを抱えてボロボロになっている詠が此方を気不味そうに見ている。
「何している。さっさと降りて俺の手伝いだ」
「ちょっと!俺今日はもうヘトヘトだから嫌ですよ!」
「お前の都合だろう?こっちも忙しいんだ。早くしろ」
「詠、気をつけてね!」
「も〜〜、人使い荒いんだ、か、らぁあ!?」
「あ!詠危ない!」
「っ!!」
詠が脚を滑らせ頭から落ちてくる。この愚図め……! 懐から葉扇子を取り出し、素早く扇ぐ。風は俺の妖力を帯び、渦巻く束となりて詠を包んだ。少し力み過ぎたか。豪風の渦中で揉みくちゃにされながらも、ゆっくりと地面へと着地した詠を目にして鬼火と共に息を吐いた。
「……こっわ!」
「第一声がそれか、阿呆め」
「詠ー! 大丈夫!?」
普段は綺麗に別れている白黒の髪が、先程の強風で混ぜこぜになって育ちの悪い子猫のようだ。躑躅色の瞳を瞬かせながら、駆け寄った鬼火と共にやいのやいのと減らず口を叩く。
「助け方雑じゃないですか!?」
「詠、せんたくき?の中に入った着物みたいだったよ!ボク、現世で見た!」
「助けてやっただけ有難いだろ」
「四肢が千切れるかと思った……!」
「四肢千切れただけで済めば重畳だろ。あのまま行ってりゃ、お前の首は飛んでたぞ。俺はそれでも良いが……」
「はい!はい!すみませんでした!!ありがとうございます!」
「素直にそう言えば良いものを」
「詠、空飛ぶの? 凄い! 羽はいつ生えるの?」
ニャア
混沌とした会話の中にひとつ、獣の鳴き声が加わった。声の元を辿れば、ボロボロになった詠の腕に抱かれた茶色い毛玉がもぞもぞと動いている。大きな三角の耳に長い髭、澄んだ湖のような翡翠色の瞳が此方の様子を伺っている。ボロボロになった詠の腕の中には、小さな子猫がいたのだ。よく見れば、詠の身体のあちこちに引っ掻き傷が目立つ。
「なんだ。子猫じゃないか」
「そう! 母猫と逸れちゃったみたいでね! 詠が助けたんだよ!」
「助けようとしたのに、めちゃくちゃ暴れられて大変でしたよ……」
「ふーん」
俺が温情をかけてやっているモノに傷を付けられたことに微かに苛立つが、相手は子猫。長い年月を生きてきた大妖怪である烏天狗様の広い御心を以って赦してやろうと、その毛玉に手を伸ばす。が、全ての毛を逆立てた激しい威嚇。俺の手をしっかりと引っ掻いて詠の隊服の懐へと潜り込んだ。
沈黙。
「烏天狗、嫌われちゃった……!」
「ッ、……プッ、ははははははっ!!」
「……」
「はははっ、あっ、は、いえ。なんでもないです」
「……」
「…………ぎゃー!何するんですか!」
「煩い! 出て来い! この、猫風情が……!!」
頭にきた。幾ら俺が大妖怪で、年の功があって、寛大な御心の持ち主だとしても、限度があるだろう……!! この世に生を受けて間もない世間知らずな若造に躾ってやつを施してやらねばならんな。
詠の懐に隠れるように潜り込んだ毛玉を引っ張り出すべく、詠の上着の合わせへと手を突っ込むと、色気の無い喧しい喚きが聞こえてくるが、今はそれどころではない。
引っ張り出そうと試みるが、詠の服へと爪を立てているらしくなかなか出てこない。そうこうしていると、急に詠が身を引いて俺から距離を取った。
「なんだ、詠。こっちに来い」
「いや、だって……嫌がってるじゃないですか」
「だからなんだ」
「……可哀想だって言ってるんですよ!烏天狗さんは大人なんだから、そんな怒ることないじゃないですか!」
「大人だから? だったらそいつに礼儀ってもんを教えなきゃならんだろう」
「猫ですよ!?礼儀もクソもありますか!?」