タイトル未定 ようやく組織を完全にぶっ潰すことができた。だが二人が一番手に入れたかった情報、APTX4869の完全なデータを手に入れることは出来なかった。パシフィック・ブイの時に組織は老若認証システムを諦めるとあっさりと全てを海の底に沈めてしまった。だから当然警戒はしていた。いざとなったら組織の存在ごと全てを吹き飛ばしてしまうことを。
「工藤君、ちょっといいかしら? 解毒剤のことだけど」
「あぁ」
組織が壊滅して一ヶ月。少しずつ日常を取り戻し、ようやく今後のことを考える余裕が出て来た頃、灰原がコナンを阿笠宅に招いた。APTX4869の情報を手に入れることが出来なかった今、これから江戸川コナンとして生きる覚悟を決めるためにも、避けては通れない。
「話、長くなるんだろ? コーヒーでも淹れようぜ」
「コーヒーなら地下室に用意してるわ」
「さすが灰原、準備いいな」
「大事な話だもの。私にとってもあなたにとっても」
「……だな」
地下室の扉を開けるとコーヒーの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。灰原がコーヒーの入ったマグカップを二人分持って来てくれた。
「サンキュ、灰原」
心を落ち着けるようにコーヒーを一口飲むと灰原が重い口を開いた。
「ごめんなさい。あなたを工藤新一に戻すことができなくて」
「薬のデータが手に入っていたら解毒剤を作ることができたんだろ? だったら灰原のせいじゃないよ。それより、これからのことを考えようぜ」
「これからって?」
「まずは安室さん……降谷さんに頼んで江戸川コナンと灰原哀の戸籍を作ってもらおうぜ。時間はかかるけど、後十年経てば元の体に」
「やっぱり、そう思うわよね……」
「え?」
「工藤君、前に聞いたことがあるわよね? 身長が伸びないことと薬が関係ないかって」
「関係、あるのか?」
「これから私が話すことはあくまでもマウス実験で起こったことよ。だから私たちに当てはまるかは分からない」
「マウス実験って、一匹だけ死なずに幼児化したって話のことだろ?」
「えぇ、そのマウスが幼児化した後、どうなったか気にならない?」
はっとしたようにコナンが灰原の顔を見る。
「もちろん、マウスの実験結果がそのまま私たちに当てはまるとは限らないわ。だからあくまでも参考情報として聞いて頂戴」
「あぁ」
「幼児化したマウスは組織にその存在を知られないように他のマウスと一緒に死亡したことにした後、隔離して経過観察を続けたわ。でもそのマウスは何ヶ月たってもほとんど体重に変化がなかった。まるで今の私たちのように」
「私たち? 灰原、まさかオメーも?」
「えぇ、私もあなたと同じよ。この体になってから身長は一ミリも伸びていないわ」
「まさか、APTX4869の本当の効果は不老不死、とか言わないよな?」
「いいえ、その子はマウスの平均寿命、生まれてから約二年後に死んだから、そのマウスは不死ではないわ」
「不死ではないけど、成長はできない……?」
「ピスコに捕まった時、あなたに少し話したわよね? APTX4869の作用について。覚えてる?」
「あぁ、確かアポトーシスを誘導するだけでなくテロメラーゼ活性も……ってまさか⁉」
「さすがね、工藤君。言ったでしょう? そんなに夢のような薬ではないって」
「でも、それならオレたちの体は永遠に歳を取らないはずだろう? やっぱり不老不死なんじゃ」
「神経組織以外はね。現に私たちの記憶や味覚は幼児化する前のままでしょう? 体は七歳のままでも、神経組織は変わらずにずっと、今も時を刻み続けているのよ」
「じゃあ、解毒剤が完成しないとオレたちの体は一生このままなのか……?」
「えぇ。見た目は子供の姿のまま、神経組織だけはみんなと同じように老化が進んで、いずれは生命維持ができなくなり死に至るわ」
「そりゃ、さすがに困ったな」
その言葉に哀は驚いたようにコナンを見つめた。
「ん? どした、灰原」
「なんでもないわ。で、あなたはこれからどうするの?」
灰原は気まずそうにふいっと視線をそらした。
(こんなことを告げてもあなたは私を責めないのね)
「とりあえず、あの人に相談してみるか」
コナンはスマホを取り出すとメール画面を立ち上げた。
「あの人って?」
「お、もう返信きた」
コナンがスマホ画面を見せると灰原は少々嫌そうな顔をした後、諦めたように息を吐きだした。
「この国で頼るならその人しかいないわね」
「話ならオレがするから、灰原はその時が来るまで休んでてくれ」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
組織が壊滅した今、『バーボン』と会う必要はなくなった。しかし、宮野志保か灰原哀か、今後どちらかの人生を歩むにしても『公安の降谷零』だけは避けて通ることは出来ないだろう。コナンが作ってくれた時間で灰原は降谷と向き合うため、心の準備を始めた。
「ありがとう、安室さん。時間作ってくれて」
「いや、僕も君たちに話があったからちょうど良かったよ」
「君たちってことはもう知っているんだね」
「あぁ、哀ちゃん……正確には阿笠さんからだけど、聞いたよ。君たちの体のこと」
「そっか。じゃあ、今日ボクと話をしてくれるのは公安の降谷さん?」
「まあね。その前に一つ聞いておきたいことがある。哀ちゃんから話を聞いて、君はこれからどうするつもりだい?」
「……分かんないよ、そんなの」
「だよね。僕が君たちの立場ならどうしたらいいか途方にくれるよ」
「もしも工藤新一に戻れなくても、江戸川コナンとしてもう一度成長できると思っていた。でも、成長しないまま寿命だけは平均年齢を全うするなんて、そんなの完全に異質の存在だよ」
「そうだね。完璧な解毒剤が完成しない限り、君たちは人並みの人生を歩むことはできない」
「そんなことを言うためにわざわざ来たの?」
「いいや、今日はゼロとして君を勧誘に来たんだ。僕の協力者に永久就職しないか?」
「は?」
すぐには降谷の言っている意味が分からずぽかんと口を開けていると悪戯が成功したとばかりに降谷に笑われた。
「あはは、君もそんな表情するんだね」
「降谷さんこそ、そんな笑い方ができるんだね」
安室透の時には見たことがない豪快な笑い方に初めて降谷の素に触れた気がした。
「安室透がこんな笑い方をしたらおかしいだろ。で、どうする?」
「降谷さん、それってプロポーズ?」
「君がそれで納得してくれるならプロポーズでもいいよ」
「やだよ。ボクの一生を降谷さんに縛り付けられるなんて」
「それは残念。まぁ冗談はさておき、その姿のままではいずれ生活にも支障をきたすだろう。君一人くらい僕が一生養うこともできるけどさすがにそれは嫌だろう。僕の協力者として契約を交わしてくれたら、仕事に応じた報酬を支払うよ」
「ボクが住む場所は?」
「もちろん、僕と一緒に暮らすことになるよ。君が望むなら学校にも行けるように手配するよ。まぁ数年置きに転校と引っ越しが必要になるけどね」
「……だよね」
「嫌かい? こんな生活は」
「それはこっちのセリフだよ。降谷さんこそ転々とする生活面倒臭くない?」
「僕のことは気にしなくていい。今の組織に配属が決まった時点で身辺整理は済ませたんだ。引っ越しくらい大した手間ではないよ」
確かに「安室透」名義のマンションは今すぐにでも出ていけるくらい荷物が少なくて驚いた。彼の過去を垣間見ることが出来るのは使い込まれたギターくらいだった。
「降谷さん、ボクをあなたの協力者にしてくれる?」
「あぁ、もちろんさ。改めてこれらからよろしくね。コナン君、でいいかい?」
「うん。よろしく、降谷さん」