【おまけ】うちの山姥切国広と堀川国広の話山姥切国広は初期刀です。そして堀川国広も、うちの本丸ができた一日目から顕現していました。
はじめ、ふたりが同室になったのは、分かりやすく縁者っぽい刀だったからというだけの理由でした。
山姥切国広は、堀川国広をフルネームもしくは堀川と呼んでいました。堀川国広は山姥切さんと呼んでいました。
それは、堀川国広が顕現したときに、「あんたが堀川国広か」とフルネームで呼びかけてしまったからです。山姥切国広も、彼が兄弟にあたることは分かっていましたが、そう呼んでいいのか悩んでいるうちに、その躊躇いを察知した堀川国広が、「山姥切さん」と先に呼びかけました。それに引きずられるように山姥切国広も「堀川」と呼びました。それ以来その呼び方が定着しました。あとになって、あのフォローは失敗だったかなと、堀川国広は思ったりしています。
ちなみに、山姥切国広の方は、彼を兄弟と呼びたい……でも呼べない……という期間をしばらくすごしていたので、あまり名前を呼べずに、おい、とかで呼びかけることの方が多かったようです。
山姥切国広は、呼び方こそ他の刀と差がなかったものの、心のどこかで堀川国広のバディは自分だという自負がありました。そのくらい一緒に出陣していました。二刀開眼もたくさんしました。(いまでもうちの本丸の累積二刀開眼回数はこのふたりがトップだと思います。)
そこへ、堀川国広と物語をともにする相棒、和泉守兼定がやってきました。はじめのうちは、嬉しそうな堀川国広を暖かく見守っていましたが、段々と自分が堀川国広のバディだという自負がぽろぽろ崩れ始めました。来歴も見た目も揃いの二振りを見ているうちに、堀川国広と自分は、ただ同じ刀工に打たれたとされるだけの、ただ偶然先に顕現しただけの他人だと思うようにすらなりました。そしてそれが寂しいという感情からくるものだと山姥切国広はまだ理解できませんでした。
ですが堀川国広は寂しいという感情が分かりました。顕現してからの日数は山姥切国広と全く同じですが、待っていた相手がいる彼には寂しいという気持ちが十分理解できました。だから寂しそうな背中で厨に消えていった山姥切国広を放っておけず、追いかけたのです。
堀川国広は山姥切国広が寂しいと思っていることが分かりました。そして山姥切国広が呼び方を変えたがっていることも分かりました。それは堀川国広が山姥切国広をよく見ているからであり、彼の兄弟だからであり、兄弟が大好きだからです。兄弟が困っていたら、手を差し伸べたくなってしまいます。大好きな兄弟なんですから、当然です。だから、寂しいという言葉も、兄弟という言葉も、堀川国広が先に口にしました。きっと彼にとっても勇気がいることだったでしょうが、兄弟のためならそれを乗り越えられる強さが彼にはあります。なんてったって、大好きな兄弟のためだから。
こうして、呼び方を変えて、ふたりの間にある“特別”を確認した兄弟たちの仲は一層深いものになりました。
ふたりとも、極になって、はじめの頃とは比べられないくらい強くなっていますが、今でも何かと理由をつけて時々部屋に泊まりに行っているんじゃないかと思います。
ちなみに、同室から堀川国広が別の部屋へ移るときに、ちゃんと洗濯するんだよ、と言い含められたので、山姥切国広は言いつけのとおり毎日洗濯をしていました。ひとりでもちゃんとできるぞ、というところを、もしかしたら見せたかったのかもしれません。しかし梅雨の季節が来ても同じペースで洗濯していたせいで、備蓄用の布まで使い果たしてしまって困っていたようです。