通りすがりのパンケーキ「……お前は一体何をしようとしてるんだ?」
ロハンは思わず口を出していた。ただでさえ奇行に走る人物がいつもとは違う類いの奇行を働いていたからである。
「お腹が空いたのでパンケーキを作ろうとしています」
発言はとても理にかなっている。しかし行動が発した言葉に反していた。
「……目の錯覚じゃなきゃ、俺には皿に乗った異物を電子レンジで温めようとしてる様に見えるんだが」
「え……材料混ぜてレンジに入れたら出来るんじゃないんですか?」
技術が進歩した昨今。材料を入れただけで料理が出来上がる、なんて魔法じみた機能が内蔵された機種が売られている時代である。
けれど残念ながら作業場の片隅にある簡易キッチンに設置されているのは年季が入ったオンボロだ。温める以外の機能がない型落ちに魔法を望むのは些か荷が重過ぎる。
皿の上にある液体と固体の丁度中間地点みたいな物体。三大欲求のうちの食欲と睡眠欲が不足して明らかに知能低下を起こしている顔。その二つを交互に見てからロハンは盛大に溜息を吐いた。
「………お前ちょっとそこ座ってろ」
手にしてる皿を奪い取り、四人掛けテーブルの一片へと強引に座らせる。
話しかけてしまった手前、捨て置くのはどうにも気分が悪い。ロハンは不慮の遭遇を呪うほかなかった。
戸棚からボウルとフライパンと計量カップとキッチンスケールを取り出す。それから誰が持ち込んだか分からない小麦粉と牛乳と卵とバターを拝借した。恐らく椅子に座ってキョトンとしている奴も無断で使ったことだろう。
「これ、ちゃんと測って混ぜたか?」
「……いえ、目分量……です」
そうだろうなぁ、と分かりきっていた答えを聞いてロハンは呆れた顔をする。
「忠告しておいてやる。作り慣れてるならいいがケーキと名のつくものは手間でも計った方がいいぞ」
美味いもんが食いたきゃな、と付け加えて計量カップで計った牛乳と卵二個を入れたボウルに泡立て器を突っ込んで眠そうにしている相手の前に置いた。
「眠気覚ましだ。手でも動かしてろ」
急な展開についてこれないのか、眠気に負けているのか。ぼんやりした目をしながら文句も言わずに指示通りボウルの中身を混ぜ始めた。
カシャカシャという音を耳にしながらロハンはスケールに乗せたペーパーの上に小麦粉をザッと加えていく。記憶のレシピにある数字まで到達したので手を止め、両手でペーパーを掴み慎重にボウルまで運んだ。
「粉入れるから手ぇ避けろ」
開いた隙間からザッと半分ほど入れて再開の合図を出す。
「全部入れないんですか?」
「一気に入れるとダマが出来やすいんだよ」
へぇ…と分かったのかそうでないのかあやふやな吐息が漏れた。見るからに慣れていない手がグルグルと落書きみたいな円を描いていく。よく混ざった頃合いを見てロハンが残った粉を投入した。
「おぉ、手応えが重くなりました」
「中々の力仕事だろ。粉が見えなくなるまでしっかりやれ」
ボウルを任せたロハンは布巾を水でバシャバシャと濡らしていた。そうしてフライパンを熱するとタネの具合を横目で確認して「もういいか」と引き取った。
熱々のフライパンを濡れ布巾の上に下ろす。途端、ジューッと悲鳴のような音が派手に轟いた。突然のことに驚いて眠そうにしていた目がぱちくりと大きくなる。
「な、なんです?」
「綺麗に焼けるおまじないってやつだ」
怯えた顔が可笑しくてロハンは喉を震わせて笑いながら答えた。
レードルでタネを掬い、高い位置から流し込む。ロハンの手から流れ落ちたクリーム色は中央からじわじわと円形に形成されていった。
好奇心に駆られてか、椅子から身を乗り出して覗き込む気配を察する。まるで幼子のような行動にロハンはなんとか笑いを堪えた。
ならば、と期待に応えるようにロハンは柄を持つ手をクイッと返してフライパンを跳ね上げる。片面が焼けたパンケーキは反動で高く宙を舞い、曲芸の如く華麗な回転を見せて見事着地した。
背後からは「おぉーっ」という歓声と拍手が聞こえてロハンは堪えきれずに吹き出す。
「大袈裟だな」
「素直に凄いと思うので」
贈られる手放しの賛辞にロハンは失笑で返し、食器皿に出来立てのパンケーキを乗せた。更にほかほかと湯気が立ち上る小麦色の上にバターの塊を添える。ジュワリと熱で溶けたバターがパンケーキの表面を覆っていった。
「ほら、食っちまえ」
「え?ロハンさんは?」
フォークを渡せば頓知気なことを抜かしてきたのでロハンは脱力する。
「俺が食いたくて作ったわけじゃねぇよ。見てらんなかったから手ぇ出しただけだ」
「あの……すみません……」
だからと言って萎縮されるのは本意ではない。ロハンはポンポンと縮こまった肩を叩く。
「労働者にはパンをってな。いいから食え。腹減ってんだろ」
「……はい、ありがとうございます」
「どうせ言われるならそっちの方がいいな」
ぐしゃぐしゃと下げられた頭をかき回してロハンは再びフライパンの前に立った。
「一枚じゃ足んねぇだろ?」
タネを流し込んで片面を焼いている間にベーコンを切り分ける。これも冷蔵庫から発掘した持ち主不明のものだ。勝手に使った詫びとして後で買い足しておくことにする。
塩気のきいたベーコンの芳ばしい香りが部屋中に広がった。肉の焼ける音と匂いのせいだろう。パンケーキを美味そうに頬張っている腹から問いに対する返事のようにクゥ…っと空腹のサインが鳴る。
ロハンは「良い返事だ」と揶揄ってすぐさまもう一枚焼き上げた。
【END】