「おい」
呼びかけに対してビクーッと飛び上がらせる細肩をロハンは冷ややかな眼差しで眺めた。
「何か言い残すことはあるか?」
「二言目で最終通告はちょっと早すぎませんか!?」
不穏な先触れに堪らず振り返った青年はロハンの顔を見て「うっ……」と言葉を詰まらせる。その反応でロハンは怒りの段階を一段下げてやった。
「なるほど。いつもは厚顔無恥なお前でも流石に今回はマズイと思ってるわけか」
「……あの、えっと、その。もしかして、ご迷惑おかけしました……か?」
恐る恐る尋ねてくる下っ端にも分かりやすいようにロハンは深く深い溜息を吐き捨てた。
「いつも迷惑かけてる自覚はねぇのか」
棘を生やした恨み言に我欲にまみれた問題発生源は返す言葉もないらしい。ただ生意気に回る口を噤んでいるところを見ると一応反省はしているようだ。
「やっぱり本部の司令システム勝手にいじくりやがったのはテメェか」
「一瞬!!ほんの一瞬ですよ!!てか、すぐにセキュリティに見つかったので慌てて逃げ帰りましたけど」
「入った時点でアウトだバカ!!」
痛みが走るこめかみを片手で押さえてロハンはカミナリを落とした。チラリと横目で見れば悄げきった顔で床に視線を落としている。心なしか頭に垂れ下がった犬の耳が見える気がしてロハンはこめかみに当てていた手を両瞼へと移動させ、一旦視界を遮断させるべく覆った。
事の発端は遂行中の任務で予期せぬ欠員が発生したことに始まる。ロハンの耳にシステム侵入の警報が入ってきたのはマヒアの臨時サポーターを探していた真っ只中のことだった。ハッカー被害自体は珍しくない。程なくしてセキュリティが正常に稼働したと知らせを受けたので気にせず作業を続行する。そんな中で司令システムから、とある戦闘部隊の名前がサポーター候補として急に挙がってきた。あまりのタイミングの良さに首を傾げつつも送られてきた人材の情報を確認したロハンは頭を抱え込む。幸いにも苦悶の理由を探ろうとする者は、その場に一人もいなかった。
「もうオチは見えてるから本当は聞きたくねぇんだが。なんでやった?」
「……バレンタインなので」
「こんな大事やらかしたんだからせめてもう少しマシな動機であってくれよ」
「だって!!チョコ!!ご用意しているようだったので!!」
「どうしても当日に渡す必要はねぇだろが」
「当日に!!渡してほしかったので!!!!」
「世界はテメェで回ってんかコラァァァ!!」
ついに本性を現した青年にロハンは激怒した。垂れ下がっていた幻覚の耳はいつの間にか元気よくピンと天を向いていた。
呆れを通り越すと人間は色々なことを諦めるらしい。対面する同僚と付き合う中でロハンが知り得た非常に無駄な知識だ。
感情の昂りを鎮めるため肺の中の二酸化炭素をゆっくりと全部押し出す。
「……あの。それで。何か……問題になったり、とか、したり、しました……か?」
一変してしおらしい態度をみせる青年をロハンは観察する。心配しているのは我が身というよりもロハンに容疑が向いているかどうかのようだ。
確かにサポーターを探していたのはロハンだが、逆を言えばシステムをイジって候補者を挙げるような奴が地道な作業で候補者を探しているはずがない。おかげで容疑者から一番遠い存在になった。
だが、犯人探しがなかったというわけではない。
「お前。俺に感謝しろよな」
疲れ切った声でそう言うと気怠げにズボンのポケットから煙草を取り出して咥えた。ライターで火を点すと嫌がらせとばかりに煙をシミ一つない顔面に吹きつける。
短く放たれた一言で紫煙を吹きつけられた方は此度の件が優秀な先輩の手腕によって有耶無耶にしてもらったことを悟った。
「感謝しかしてません。御礼は後ほど必ず」
「おう、期待してるからな」
「はい。そりゃもう、ロハン様の御心のままに」
冗談とも本気ともつかぬ軽口にロハンは拳で薄い胸を叩いた。
途端に若者の目線が僅かにブレた。反動というにはひどく傾いだ体が倒れる寸前でたたらを踏む。
「っとと、もうロハンさんってば力強いんですから」
「お前、いつ飯食った?」
誤魔化されるか、とロハンは追撃する。実は薄々勘付いていたのだ。判断力並びに思考力の低下、加えて身体のフラつき。そういえばここ何日か職務が立て込んでいて傍から見てもフル稼働していたように思う。
「えっ?えぇっとぉ」
素直に失態を曝け出すわけがないのでロハンは問答無用で先手を打つ。
「口開けろ」
怪訝そうにしつつ目の前で大きく口が開かれる。無防備に晒された柔らかい粘膜の急所を一瞥してロハンは思わず半眼になる。
「ちったぁ警戒心を持った方がいいぞ」
「ロハンさんにですか?なんでむぐっ」
こういう無体を働かれるからだ。ロハンは口で言うより体に教えてやった。無理矢理突っ込んだのは非常食として携帯している安価のチョコレートである。
「飯は適度に食え。低糖症になるぞ」
突然放り込まれた甘味に目を白黒させている若造の顔でロハンの溜飲はやっと下がる。
大きめのチョコレートで膨れる頬袋と困り眉の情けない面様が非常に滑稽で「ハハッ」とフィルターを噛んだ口から笑い声が漏れた。
【END】