Present for you「お手伝い券……ですか?」
「あぁ」
危険を冒してまで他国の軍隊から入手したデータを今度は根こそぎ削除する工程を止めずにロハンが頷いた。
最終警告のポップアップにOKと許可を下せば極秘情報はあっという間にラップトップから消え去る。これでハッキングしようが本体を操作しようが盗んだ情報を所持していた証拠がなくなった。
有効利用して用済みになった資料は痕跡を辿られないように後始末するのが組織の規則である。
その真面目な仕事ぶりを見ていた人影が頃合いを見計らってまた話しかけてきた。
「お手伝い券って、あのお手伝い券ですか?隠語とかではなく?」
「俺が知ってるのは一つしかねぇな」
年若の同僚が仕事中のロハンに雑談を振ってくるのは日常茶飯事だ。だから対応する方も仕事の片手間、慣れたようにあしらっていく。
今回は毎年順繰りに巡ってくるお馴染みの議題であった。
「誕生日プレゼントに強請るものじゃない気がしますが」
「そうか?割と定番じゃねぇか」
「いや、まぁ。でも強請られて、というよりは贈る側が準備できなかった際の苦肉策って感じじゃないですか?」
そこで、はたと何かに思い至った青年はチラッと書類整理を始めたロハンを窺う。
「……もしかして、気を遣われてます?」
「なんで俺がお前の財布事情を気遣わなきゃなんねぇんだよ」
ロハンからの素っ気ない返答で優しさの可能性は見事に打ち消された。
青年はふと振り返る。思えば一昨年に金欠だとほのめかしていたにも関わらず問答無用で馬鹿みたいな値段のヴィンテージワインを頼んでくるような人であった、と。
仲間内で生まれた日を祝うのはチームの恒例行事となっている。こうしてみると、素晴らしくアットホームな職場に聞こえるだろう。
しかし、ここでは少々意味合いが異なる。
誕生日を迎えるということは言い換えれば一年間無事に生き抜いたと同義だ。現在働いている仕事場は極めて命の危機に直面しやすい。誰かが撃たれ、爆破に巻き込まれ、知らぬ間に命を落としてもおかしくない環境にある。
そのため誕生日は殊更大事にされていた。互いの生を讃える機会として。故に多少無茶な希望だったとしても叶えられるのがルールだった。
苦い過去に遠い目をしつつ気を取り直して調査を続ける。
「アイヴスさんから何を貰う予定なんです?」
「アイヴス?アイツは別チームだろ。そもそも俺の誕生日すら知らねぇんじゃねぇか?」
「なら伝えてきましょうか」
「やめろ。アイツのだって碌に祝った事もないのに物乞いみたいになるじゃねぇか」
「でもアイヴスさんからの贈り物欲しくないですか?」
「お前はそうだろうが俺は求めてねぇよ」
信じられないものを見るかのような青年をロハンはうんざりした目で見返していた。
「ではマヒアさんには何をお願いしたんですか?」
「高級葉巻」
「葉巻⁉︎」
「おう。一回ちゃんとしたの吸ってみたくてな」
質問者はポカンと呆気にとられる。葉巻とお手伝い券では金額的に雲泥の差があった。いや、マヒアとの差に限った話ではない。
青年が他の同僚達から聞き回った物品はどれも高価なものばかりだった。
「……やっぱり気を遣われてます?」
「よーし。来年は目玉飛び出るほどクソ高ぇもん言ってやるから覚悟しとけよ」
来年、という言葉に今年の分を変更する意思はないと示されている。イベントが始まって以来一番金も手間もかからない要求であった。
(念のため他にも何か買っておこうかな)
贈り甲斐が希薄なリクエストを受けた若年者は真意も分からず承諾した。
そうして訪れた誕生日当日。
「おめでとうございます」
「ありがとな」
青年は言われた通りのものを手渡した。
そのまま、というのはなんだか味気なくて美しい朝焼け色の封筒にバースデーカードを同封して。
てっきり帰宅してから開けるのかと思いきや、目の前で勢いよく封を切られてしまった。祝福するカードには目もくれず本命だけが抜き取られる。
ズルリと姿を現したのは折り目のついた一枚の長方形。十二枚綴りの特記する点がない、ありふれたお手伝い券である。
しげしげと眺めてからロハンは券を持った手で額を押さえた。
「……お気に召したようでなによりです」
青年はなるべく淡々と聞こえる喋り方を心掛ける。不貞腐れたら負けな気がしたからだ。
よくよく見れば今日の主役は小刻みに震えている。笑いだすのをどうにか堪えているようだ。全く堪えられてはいないが。
「……ミシン目が……付いてる……」
「切りやすいようにっていう配慮です」
「全部……手書きって……」
「お手伝い券は手作りが基本でしょう?」
「……無駄に……良い紙使ってやがるし……」
「唯一お金がかけられるのがそこだったからですよ」
何が笑いのツボに入ったのかちっとも分からない。だが、哄笑せぬよう食いしばる歯の合間からこぼれ落ちる掠れた感想一言一言に相槌を打った。
やはり茶化すためのアイテムだったのか、と青年は自身の推測に納得する。
(別のプレゼントを用意しておいて正解だったな)
青年はバックポケットに入れておいた正方形の黒い箱を出した。金色のリボンが控えめに添えられている包装はどこからどう見ても贈呈用である。
中身はブランド物の革で作られたキーケースだ。ロハンが今使っているケースは傷んできていて、そろそろ新調する時期に見えた。
「ん?なんだそれ?」
「見てわかりませんか?正真正銘のプレゼントですよ」
「あ?もう貰ったが?」
ロハンはヒラリと封筒を振る。演技や揶揄などではなく心底不可解だという表情を目にして青年は驚いた。
「本気でお手伝い券をご所望だったんですか?」
「当たり前だろ。冗談だと思ったのか?」
大いに思っていた贈り主はコクンと首を縦に動かす。ロハンは心外だとばかりに小さく肩をすくめた。対する若人は年長者の心内が測りきれずに困惑の音を上げる。
「えー……。まぁ、ロハンさんがいいなら構わないですけど。折角なのでこっちも貰ってやって下さい」
「チッ、なんだよ。来年は宣言通り腰抜かすほど高価なモンを言ってやろうとしたのに」
命拾いしたな、と悪役めいた台詞と共にロハンは箱を受け取った。どうやら余分な捧げ物は来年分に換算されたらしい。再来年まで貯金の猶予ができて青年は安堵した。
「おっ、キーケースか。お前、本当にこういうのよく気づくよな」
パカリと蓋を開けたロハンが感心したように言った。様子からして気に入ってもらえたようだ。青年はひとまず胸を撫で下ろす。
渡す物も渡したところで持ち場に戻ろうとする青年の腕を引き止める手があった。持ち主なんて一人しかいない。
「なぁ、今日って暇か?」
「え?はい。特に急ぎの用件はないですよ」
締切のある業務は全て終えてしまい、時間を持て余している。素直に青年が答えるとロハンは手の中にあった券を一枚ピッと切り離して渡してきた。
「じゃあ俺の仕事手伝え」
「もう使うんですか⁉︎」
まさか渡した直後に使用されるとは思いもしなかった青年は目を丸くする。
「これはもう俺のもんだ。いつ使おうが俺の勝手だろう?」
ペラペラとお手製のチケットを揺すって所有を主張するロハンに「そうですけど」と戸惑いながらも同意する。
「安心しろ。めいいっぱいコキ使ってやるから」
「安心要素が皆無ですね」
たくましい背中に付いていく最中、青年は頭の中で考えた。自分が渡したのは、もしやお手伝い券ではなく己の人権だったのではないかと。
一枚目はジープの整備
二枚目は任務内容の伝達
三枚目は作業場の掃除
四枚目はランチの荷物持ち
五枚目は書類のシュレッダー
六枚目は缶コーヒーの使い走り
七枚目は次なる目標人物の経歴調査
八枚目はマッサージ
九枚目は通信機の最終チェック
十枚目は電話注文した夜食の受け取り
十一枚目は。
「今日中に使い切る気ですか?」
一日中駆けずり回ってクタクタになった忠実な奴隷は流石に文句を言わずにはいられなかった。温厚と評される人間でも疲労が重なれば心に余裕もなくなる。
夜食が入った紙袋を半ばやけくそ気味に厚い胸板へ押しつけた。そんな無礼な所作をしても御主人様は怒らず"good boy"と上機嫌に称賛してくる。
「ご苦労さん。休憩しようぜ」
設置されてソファに双方座った瞬間、ロハンはガサガサと茶色の袋をあさりだす。良い匂いを放つベーグルサンドを掴むと青年に差し出してきた。
お使いはしたが支払いは預かった紙幣でおこなっている。自身は硬貨すら払っていない。無償の施しを前に躊躇が生じた。
「どうした?早く取れよ」
「ロハンさんの分ですよね?」
「お前の分も注文しといたんだよ」
「でも、ランチの時も結局ご馳走になったのに」
荷物持ちと称した昼食の同伴も二人分のトレイで手が塞がっている隙に決済は完了していた。青年の心情としては何度も厚意に甘えるのはいくらなんでも気が引ける。
なによりも本日奢られるべきは付き添い人ではなくロハンの方だ。
青年の意図を汲み取ったロハンは今日何度もお目見えするチケットを親指と人差し指で挟み、二枚まで減ったうちの一枚を千切る。そして切れ端をベーグルサンドの上に乗せた。
「これならいいか?」
「なんのお手伝いですか?」
「多めに買ったベーグルサンドを消費する手伝い」
屁理屈をこねられて青年はほとほと困ってしまう。破れば散り散りになるこの小さな紙には強制力も拘束力もない。あるのはお遊びみたいな契約だけだ。拒否しようとすればいくらでもできる。
けれど、お手伝い券というのは不思議なもので何故か余程のことがない限り命令に従ってしまう力を持つのだ。
青年もその力に抗えず、しばらく悩んだ後「いただきます」と包み紙を剥がしていく。従順な態度を満足げに見つめた購入者も包みを開いていった。
同時に齧りついてムシャムシャと咀嚼してから先に飲み込んだ方が口を開いた。
「ちょっといいですか?」
「なんだ?」
アイスティーを飲んでいるロハンが目線を向ける。
「……別にコレ、必要ないですよね?」
先程本体から離されて効力を失った紙片をペラッと波打たせて青年は指摘する。対面する男はストローを噛みながら悪戯がバレた子どもの笑みを浮かべた。
「こんなのがなくたってロハンさんが頼んだら請け負うような事ばっかりじゃないですか」
ジープの整備も任務内容の伝達も作業場の掃除もランチの荷物持ちも書類のシュレッダーも缶コーヒーの使い走りも次なる目標人物の経歴調査もマッサージも通信機の最終チェックも電話注文した夜食の受け取りも一緒にベーグルサンドを食べることも。
青年が言うように、どれもこれも行使してまでやらせる仕事ではない。日頃から二つ返事で了承するようなものばかりだ。
「どういう趣旨なんですか?」
徹頭徹尾、考えが読めず青年は遂に白旗を振った。問題が難解で答えを自力で導き出せないのなら答えを知っている人間に聞くしかない。
参ったと両手を上げる青年を見て、眼鏡の奥にある目が楽しげに細くなった。
「別にどういうも何もねぇよ。欲しいと思ったもん言っただけだ」
「いつも通りですよ?」
「いつも通りの何が悪い。俺からすれば何もない日常ってやつが一番嬉しいね」
そこで青年はパチクリと目をまたたく。言った本人もらしくないと感じたのか視線を合わせずベーグルからはみ出ているスモークサーモンに目を落とした。
「そりゃ、貰えるなら価値がある物や希少な物の方が良いけどな。こんな年になってくると、なんの変哲もないってやつも結構ありがたかったりするもんだ」
青年は咄嗟に唇を開いたがすぐに噤む。若輩者がどんな言葉を並べても実感のこもった言葉の前では陳腐にしかならないからだ。
もし青年に言えることがあるとするなら、それを贈る役目に選ばれて光栄だということぐらいである。
なので別の事柄を話題にした。
「ところで、あと一枚ありますが何に使いますか?」
ロハンは最後のチケットをつまみ上げた。じっくりと眺めてから青年に顔を向ける。
「期限付きか?」
「何言ってるんですか。お手伝い券は無期限だと相場で決まってます」
青年が言い切るとロハンは胸ポケットから黒革の手帳を手にして開く。そして見失いそうなほど小さくなった一部を挟んで閉じだ。
「使える札は最後まで残しておく質だ」
手帳を元の場所に収めて所在を強調するように胸ポケットをポンポンと叩く。青年は大袈裟に肩を落としてみせた。
「あーあ。恐ろしいものを贈ってしまったみたいですね」
「言われるままにホイホイ渡したお前が悪い。良い勉強になっただろ」
茶番じみたやりとりが済んでロハンはお喋りから食事へと口を動かす。青年も後にならおうとしてあることを思い出し、動きを止めた。
「あっ、忘れてました」
時計を目視してまだ十二時を過ぎていないことを確認する。ロハンは怪訝な顔をした。
「誕生日といえばこれでしょう」
青年はベーグルサンドを置き、夜食のお使いで外出したついでに衝動買いしたモノを死角から登場させる。テーブルに乗ったのは白い箱だった。
勿体ぶる時間も惜しいと青年はテキパキと箱を開けて中身を見せる。途端にロハンが声高に笑い声を上げた。
「ベタだな」
「これも言うなれば"何の変哲もない"ってやつでしょう?」
そこには可愛らしいミニサイズのホールケーキが鎮座していた。『Happy Birthday』のチョコプレートが添えられて。
【END】