試用期間【オル相】 やたら食事に誘われるな、とは思っていた。別に嫌いだとかそういうことではなくただ単に忙しく時間が合わないだけだったが、大体が皆同じ理由で断られ続ければそこに何もなくとも勝手に察して離れて行くだろう。しかし何度忙しいと理由を述べて断っても、オールマイトという男は嫌味ったらしくなくしつこくもなく、俺が必要以上に負担に感じそうなタイミングを華麗に避けて「ねえ相澤くん、今夜はどう?ご飯行かない?」と声を掛けてくるのだ。
その夜はたまたま持ち帰りの仕事がなくて、夜警もなくて、マイクから飲みに誘われているわけでもない、俺のスケジュールの中では結構なレアな日だった。
だからまあ、たまにはいいか、と思った。
何度も誘われて断り続けるのは、それはそれで申し訳ない気持ちが生まれないわけでもない。今夜ならいいですよ、と返すと、オールマイトは目を丸くして飛び上がって喜んだ。
「え、え、本当?!」
「……はあ。場所はお任せしていいですか」
「勿論だとも!期待してくれ!肉?魚?何系が好き?」
同僚を飯に誘ってオーケーしたとは到底思えないオーバーなリアクションでひとしきり喜んだ後オールマイトはどこかへ電話をかけ始めた。
早まったかなという気がしないでもない。だけど、オールマイトがあまりにも喜色満面を隠さずに携帯を耳に当て今夜の席を予約しているのをぼんやりと眺めて、まあいいか、と思い直す。
あまり高くないところにしてくださいよと添えるのを忘れたが、流石に俺に払えない額の店には行かないだろう。
そして、俺は今夜景の綺麗な高層ビルの最上階に近いレストランの窓際の個室でオールマイトと向かい合いながら肉を食っている。
車に乗せられ連れて来られたビルの高さを見た時に場違いだなと思ったし、オールマイトの指がたくさんある回数ボタンの一番でかい数字を押した時に二度見したし、乗ったことがないくらい長い時間エレベーターに揺られて降りて、薄暗い店の中を案内されるままに歩きこちらでございますとドアを開けられた瞬間に目の前に広がった見事な夜景と昔のトレンディドラマでしか見たことのないような白い布の掛かったテーブルに燭台──勿論人工の光の揺れる蝋燭を模したライトだ──を見た瞬間俺が真っ先に思ったことは、いや待てよ相手俺だぞ?である。
まるで教科書通りに女を口説く、古めかしい手順を踏んでいるような扱いに困惑しながらも料理を味わった。運んで来られる料理は全部ナントカカントカのほにゃららふにゃふにゃで、俺の耳を通り過ぎて行く。よくわからないまま取り敢えず全部平らげておけば問題はないだろう。そして今俺の前に差し出された皿はむにゃむにゃ産なんちゃら牛のステーキ山わさびを添えて、というところだけが聞き取れた。塩で食べるらしい。美味い。
オールマイトは俺にワインを勧めながら、俺と同じ料理だけれどごく少量を盛られた皿をゆっくりと食べていた。俺に話し掛けてこっちを見ていることが多いので全然飯が進んでない。
「オールマイトさん、話してないでさっさと食べたらどうですか」
最後の肉にフォークを突き刺して口に放り込む。オールマイトは我慢できないようにくすくすと笑い始めた。
「ごめんごめん。君があまりにも食べっぷりが良くて見ていてとても気持ちがいいんだ。お肉気に入った?おかわりもらおうか?」
「……じゃあ」
オールマイトが店員を呼ぶ。肉のおかわりをお願いすると、嫌な顔ひとつせずかしこまりましたと頭を下げて部屋を出て行った。
ぱたん、とドアが閉じて室内には俺達二人だけになる。唇についたソースを舐め取って、はみ出た汚れをナプキンで拭いた。
「で?こんなところに連れ込んで何か話でもあるんですか」
腹がある程度満ちたので、空腹で棚上げしていた疑問をぶつけてみた。一体オールマイトは俺と飯を食って何を切り出したかったのだろうか。
「……やっぱり、そう思うかい」
「はあ。俺とあんたが飯に行く理由なんかありませんからね」
「そうかな?」
「そんなに仲がいいとお思いで?」
オールマイトは俺の切り返しにむ、と僅かに唇を波打たせた。
「……私は君と仲良くなりたいと思っているんだけど」
「はあ。悪いより良いに越したことはありませんがね。別に良くもないでしょう。飯は美味いですが俺はこういう堅苦しい場所はあまり好きじゃありません。次に誘ってくれるなら牛丼にしましょう。早くて美味い。すぐ済みます」
「そ、そうかあ……」
オールマイトは俺がダメ出しをしたことに軽くショックを受けているようだった。
「どこでも良いと最初に言ったのは俺ですからここが悪いともあんたの店のチョイスが駄目とも言いませんよ。でも、次を考えるなら俺の好みは覚えておいてください」
オールマイトは外を眺めて呟く。
「君、任務の時いつも高いビルから街を見下ろしてるだろ。きっと夜景が好きなんだなって思ってここにしたんだけど……」
店の選定理由を聞かされて二の句を失ったのは俺の方だった。
「お気遣い、ありがとうございます」
なんとかそれだけを口にする。
古臭い口説き方みたいだと内心揶揄していたことを少し反省する。俺が夜景を好きなのだろうと推察してここに連れて来てくれたのならば話は別だ。
「すみません。なんか女口説くみたいだって思ってました」
「えっ」
「昔のノウハウ本に書いてあるみたいな感じだったんで」
「……ふ、古臭いかな?」
「飯は美味いですし夜景も綺麗ですから、接待や食事には良いんじゃないですか」
「そうじゃなくて。ええと。あのね」
何か迷っていたらしいオールマイトは、きっと正面の俺を見据えた。
「君に、お付き合いを申し込みたい、と思っていて」
オールマイトは言葉尻の尻下がりと共にテーブルの上に視線を落とす。俺は今自分の耳に届いた言葉の意味を正確に読み取ることができずに聞き返した。
「お付き合いって言いました?」
「…………うん」
俺の口調とは裏腹にオールマイトのそれは今にも消えてしまいそうな程に小さい。
「その。私と君が仲良くなることは、クラスにとって利点だと思うんだ」
「そりゃまあ、そうですね」
「だからその。あっあっ君に交際相手がいないってのはマイクくんに聞いた。君が誰にも隠している恋人がいるのならこの話は聞かなかったことにして欲しいんだけどでももし私にもチャンスがあるならこんなおいぼれだけど黙って見ているのだけは嫌だと思って」
早口で言い訳めいたことをぼろぼろと口からこぼれさすオールマイトのパニックぶりを眺める。人の恋愛事情をさらっと漏らしてる山田は後で締めるとして今までのことをおさらいすると、オールマイトは俺を口説くつもりで俺が好きであろう夜景の綺麗な肉の美味いレストランに連れて来た、ということで合っているか?状況把握に間違いないか?
「君が魅力的な人だということは私が言うまでもないんだけど君のことを知れば知るほど私の中で君に対する想いが募って仕方なくて、君ともっと仲良くなりたい私が抑えきれないんだ」
「……言いたいことはわかりました」
ノックの音と共にドアが開く。お代わりのステーキが空の皿の代わりに俺の前に置かれた。店員が再び去るまでオールマイトは何も切り出さない。
「温かいうちにお食べよ」
「頂きます」
肉にフォークを突き刺す。小山に盛られた名も知らない岩塩にちょんと付け口に運ぶ。肉の脂と塩気が絶妙で、これはやはり冷める前に食べてしまいたい。口を動かす俺を、オールマイトは嬉しそうに眺めている。
その眼差しに混じる感情を俺は初めて意識した。
「ご馳走様です」
「もう一皿行く?」
「流石にもう良いです」
「ならデザート貰おうか」
これまでの人生、誰かに好きだと言われたことがないわけじゃない。でもどのタイミングだって恋愛より優先すべきことがあって全部断って来た。俺なんかのどこがいいのか全くわからないし、世の中は俺より良い男で溢れている。今だって、いや今が人生で一番恋愛している暇なんかない。
「俺と交際してもあんたにメリットなんかありませんよ」
目の前に置かれた、ガラスの器と黒い物体。コーヒーゼリーにクリームが添えられている。スプーンで少しずつ混ぜながら食べる。ビターな味わいが丁度良かった。
「恋って、そういうものじゃないだろ。勿論打算や損得を持ち込む人もいるだろうけど」
「あんたも、クラスのためってさっき言ってませんでした?」
「それは交際に発展してもしなくても私と君の仲が良くなることはプラス要素しかないって話だよ」
「そうですかね」
「私のこと嫌い?!」
「どっちでもないです」
「それは、可能性があるってこと?」
オールマイトが不安そうに首を傾げる。
「忙しいで切り捨てるには、メリットの可能性が捨て難いかなと」
「えっ。詳しく聞かせて」
前のめりになるオールマイトの現金さに俺は軽く笑って視線を落としいたずらにコーヒーゼリーを掻き回した。
「俺とあんたが仲良くなる、それがクラスに良い影響をもたらす。それは間違い無いと思います。仲が良いってのは相互理解を深めるってことでしょう?理解を深めた上でウマが合わないって結論になりそうな気はしてますが」
「結論ありきで話すの良くないよ。チャレンジしてこうよ」
「食い気味ですね」
「必死なの!」
俺との交際に?という疑念は常に頭の中にある。
「相互理解を深めるための期間を設けてみるってのは良いんじゃないですかね」
「それは……つまり?」
「試しに付き合ってみますか?」
バッ、とオールマイトは昔の少女漫画の乙女宜しく腕を体に引き寄せ悲鳴でも漏れ出そうに開けた口を両手で覆った。星とか謎の線とか飛びそうな描画が見える。
「えっ、ええ……?いいの?」
そっちが交際を申し込んでおいてどういう反応だ、とは思ったが、俺は頭を掻いた。
「俺、男相手が大丈夫なのかすら考えたことなかったんで考えてみるくらいならアリかなと。お試しなんで肉体接触は無しで、一週間くらいそれっぽくしてみますか?」
「お、お願いします!」
オールマイトは椅子をけたたましく鳴らして立ち上がり、俺に向かってにじり寄ると右手を差し出し勢い良く頭を下げた。
いにしえのテレビで見たことがあるような風景だ。
「……んじゃ、まあ。宜しくお願いします」
何と言うのが正解なのか俺は知らない。
だから、礼には礼を、求められた手には握手を。
初めてまともに触れたオールマイトの手のひらはひんやりと、しかしすべすべしていた。
「えへへ。嬉しいな。ありがとうね」
安堵の笑みを浮かべながら俺に礼を言って席に戻るオールマイトは、これもお食べよと俺の前に手付かずのコーヒーゼリーを差し出す。
「餌付けしときゃ良いと思ってます?」
「君が美味しそうに食べるの、好きだから」
「そうですか」
こうして、何故か俺とオールマイトの一週間限定の恋人試用期間が幕を開けることとなった。