「 ファーストキスはレモンの味って聞いたことあるけど、ホントかな?」
女の子って可愛いよな!
ふいにそんな話題を振られて、俺に訊くなという顔で振り返る。
「あ"ぁ?どういう科学的根拠だそりゃ。
つぅか、気になるなら試してみりゃいいじゃねぇか杠と」
どうせテメーのかわいい女の子はそこ一択だろうが。
そう切り返してやると、純朴という表現をまさに体現したかのような幼馴染みは真っ赤になった。
「そそそそんなこと出来るわけないだろう!俺と杠は!まだ!付き合ってないんだから!!」
あ"〜、そうだった。こいつらまだ付き合ってなかったんだった。付き合ってないと思ってんの本人たちだけだけどな。
律儀なこった、と心の中で独白する。
この分では真面目に、結婚式がファーストキスになりかねないのではないかと思う。
かと言って、他で試すとかいう発想は百億%、この男にはない。
おおかた、現代組の女子トークで耳に挟んだのだろうが、恋愛脳は非合理的と普段から断じている相手に振る話題としては些か不適切だ。
そんな状況であるので、もちろん話を振られた千空自身にも経験などあるわけもない。
ただ。
科学的根拠が皆無な話がまことしやかに囁かれていると、科学屋としてはどうにも据わりが悪い。
どうしたものかと思いながら、テキパキと手元を片した。
「 おう、ご要望の傷薬、出来たぜ」
差し出すと、それを受け取って大樹は清々しい笑顔を浮かべる。
「 あとこれオマケな」
ついでに差し出したのは、貝殻で作った小さな紅入れ。中には薄いピンクのリップバームが入っている。
首尾よくスマートにプレゼントなど出来るとは思っていないが、ささやかな応援のつもりではあった。
それを察したようで、杠もきっと喜ぶ、ありがとうと去って行った。
この分では馬鹿正直に千空が作ってくれたんだ!とか言いながら渡すに違いない。
目に見えるようだ。
まあ、杠は杠で大樹の馬鹿正直さを好ましく思っているのだろうから、問題はないだろう。
ラボにひとり残されて、先程の命題だけが手元に残った。……ファーストキスはレモンの味。
唾液には残念ながら酸味などは含まれていない。逆に酸味を感じるとしたら、味覚障害など別の問題が発生している可能性がある。
では、精神的な作用だろうか。
初恋、初めてのキス等、初めての感情や経験には甘酸っぱい、という形容が多用される。
その認識が精神や脳に働きかけて、レモン味という実際そこに存在しない味を感じさせるのかもしれない。
しかしこの推論に関しても、断定できる科学的根拠は皆無である。
検証には実践が手っ取り早いが、さて。
「 どしたの千空ちゃん?なんか困りごと?」
声に顔を上げると、黒白の魔術師がこちらを覗き込んでいた。……どうやら休憩を取らせようと、茶を運んできてくれたようだった。
「 俺で何か手伝える?……あんまり根詰めすぎちゃだめだよ」
「 あ"ぁ 」
ふと手元を覗き込んで、ゲンは器に残った薄いピンクの練り物に視線を向けた。
「 あれ?なんかいい匂いすると思ったらこれリップクリーム?千空ちゃんが作ったの?ゴイスー」
最近乾燥してるし、ちょっと試していい?
そう問いかけて、人差し指に軽く掬うと、くちびるのかたちをなぞるような塗り付けた。
なんだか少し落ち着かないような、そんな気持ちを隅に追いやって。
「 あ"〜、じゃあお言葉に甘えて、ちぃっと検証したいことがある」
手伝ってくれるというのなら、それにありがたく便乗させてもらおう。
「 うん?なになに?俺でできることならなんでも手伝うよ〜 」
手招きすると、全く無警戒に寄ってきた。……チョロすぎる。
手で示された通り、少し腰を屈めて、ゲンは小首を傾げる。
すかさず首の後ろをがっつり掴むと、そのままくちびるを重ねた。
……甘い。
甘いのはリップバームに使った蜂蜜か。それとも、この男がいつも纏っている花の香りか。それを確認するように、もう一度。
今度は先程より深くくちづけた。
腕の中の男は、何やら赤くなったり青くなったりあわただしくしている。
……ああ、やっぱり甘い。
何度目かの検証を終えて唇を離すと、ゲンはくったりと脱力してしまったようだった。
「 ……やっぱレモンの味とか微塵もしねーじゃねぇか」
言葉に、何か察したようで。
「 ドイヒー!千空ちゃんそんなの検証したくてこんなことしたの」
妙齢の女子の間で、時にそういう話題が流行るのは彼も知っている。
科学的根拠などは皆無だが、夢見がちなお年頃にありがちなふわふわした幻想のひとつだ。そこに検証とか科学的根拠を持ち込むなど無粋の極みだろう。
「 おう、ご協力おありがてぇ。……やっぱただの都市伝説か」
ムードやら浪漫やらとは無縁の言い回しにツッコミが追いつかない。
「 言い方!」
流石にこんなことを、誰にでも頼むわけではないだろうから、それについては苦情の心配はないが、千空の恋愛脳ならぬ科学脳にも困ったものだ。
「 へぇへぇ、ご馳走さん」
めんどくさそうに返されたところで、ふと。
千空の言うところの都市伝説について思いを馳せる。
えぇと、それはつまり。
── ……今のが、千空ちゃんの、ファーストキス。
その事実を認識すると、恥ずかしいやら混乱するやらでいたたまれなくなって。
逃げるようにラボを飛び出した。
それを見送ってから、千空はついっと自分の唇をなぞる。
「 ……甘ぇ…… 」
検証結果。
ファーストキスはレモンの味ではない。
人によって、それはきっと千差万別で。
彼にとっては────
ほんのり甘い花の香りと、はちみつ味。