『 千空ちゃん、好き好き大好き大愛してる!』
もはや挨拶レベルで彼に向けて口にしている言葉。何かお願いごとがある時なんかに、なるべく軽く聞こえるように。
……そうすれば、そのなかにほんの一欠片。
本当の気持ちが織り込まれていても、このペラッペラの大嘘吐きが言うことだ。
本気にするはずもない。
……でも、嘘で。
愛してる、とは言えないから、大袈裟なオブラートに包んでしまう。
自分の気持ちに気づいたのは、ほんの少し前。何か劇的な出来事があったわけではない。ほんとうに、ふいに。
……ああ、すきだ。
そう思ってしまった。深い深い、胸の奥底から湧き出す感情で。
彼への想いを自覚してしまった。
今の彼に、そんな余裕はないというのに。
込み上げる想いを自覚したら、どうしても伝えたくなる。
感情を抑えること。平静を保つこと。
それ自体は容易だけれど。
冗談のオブラートに包んででも、伝えたくて。我ながら、メンタリスト失格レベルのバグだと思った。
そしてもうひとつ。
そんな滑稽な形でも、想いを口にしなければならない切実な理由がある。
「 ……ッ」
胸の奥から込み上げる痛みに、息を呑んだ。
彼を想うたびに襲われる痛み。
胸を押さえ、口元を覆って咳き込むと、指の間からはらはらと、白い花弁がこぼれて落ちる。……普段愛用している、イヌホオズキの花だ。
……花吐き病、という奇病がある。
先天的なものではなく、特定の条件下でのみ発症するが、メカニズムはよくわかっていない。完治する方法が明確であるため、あまり熱心に取り沙汰されないのだろう。
この病の発症条件は、恋だ。
厳密には、片恋。
片想いの相手への想いが高まると、花を吐く。花の種類や形は個人によってさまざま。
相手への叶わぬ想いが花となって溢れ出す、と言えばロマンチックだが、そんな甘酸っぱいものでもない。
定期的に吐き出さなければ呼吸を圧迫されてしまう。
……その唯一の治療方法が、恋の成就。
恋が叶うと、嘘のように、体内で花の生成が止まるのだそうだ。
けれど、順当に叶う恋ばかりではない。
だからどんな形でも伝える。……伝えて、拒否されなければ多少なりとも症状が緩和されるため、そういう意味でも必要なルーチンなのだ。真っ向拒否されないのは、そういう意味ではありがたかった。
こんな厄介な病とは早々に縁を切りたいけれど、折り合いを付けていくしかない。
文明復興までは恋愛などという非合理的なトラブルの要因に関わっている暇はない。
そう公言している彼を、奇病から解放されたいからといって巻き込むわけにはいかないのだから。
だけど。
千空ちゃんの邪魔にならないために、この想いに気づいてほしくない俺と。
それでも千空ちゃんに受け入れてほしい俺。
……どちらが本当なんだろう。
思うと、また胸が苦しくなって。
白い花弁をはらはら溢しながら、花を吐き続けた。
『 千空ちゃん、好き好き大好き大愛してる!』
……最近、挨拶のように投げかけられる言葉に、千空は苦み走った表情を浮かべる。
まったく、まだ純情ドキドキ少年に戻るわけにはいかないというのに。
こちらの気も知らずにあっさり言ってくれるものだ。
「 ……本気にしたらどうすんだ、ばーか」
ぽつり溢した言葉に、自嘲ぎみの笑みを浮かべる。
『 恋愛脳は一番非合理的なトラブルの種』
そう嘯いていた自分が、このていたらくだ。
偉そうに他人に説教などするものではない。
だが。
自覚してしまったからには、自然消滅か、成就か、玉砕か。
いずれかの結果に到達しなければ、今後のパフォーマンスに関わる。
なにしろ初めてのことだ。
どう転んで、自分がどうなってしまうのか全く予想がつかない。
相手がゲンであれば、互いに恋愛脳で暴走することはまず考えられない。
そう言った感情面でのコントロールやサポートは、もともとあの男の管轄だ。
そういう意味では、成就が一番望ましい。
けれど、相手のあることだ。
合理的だからと言って、ゲンの意向を無視して決めていい話ではない。
……最近のゲンを見る限りでは、なんだか牽制されているようで、勝率はあまり高くはなさそうだが。
玉砕なら、それはそれで切り替えられる。
どちらにしても、早々に解決すべき問題だった。根回しなどは柄ではないし、そんな時間もないが、ひとまず誰かに相談すべきだろうか。こういった機微に聡そうな、誰か……。
そう考えていたところで、ふいに。
「 千空、ちょっといいかな?船の設備について、聞きたいことがあって…… 」
ちょうどいい人材が、ちょうどいいタイミングで現れた。
「 おう、いいとこに来た。……用が済んだら、ちぃっと話がある」
珍しく言葉を濁す千空に、部屋を訪ねてきた羽京はゆったりと頷いた。
「 ……てことなんだが、どう思う、羽京?」
相談の内容に、羽京はどんな表情を浮かべればいいのか困惑していた。
千空からの相談内容が恋愛相談というだけで十分驚きだが、まさか、ゲンからの秋波に気づいていないばかりか、脈がないのではないかと思っているとは。
あんなにわかりやすく思慕を向けられているのに……ああ、そうか。
千空は基本的にフラットな感覚の持ち主だ。
だから、特別に好意を向けられていること自体はわかっても、それがどんな種類のものかという機微がわからない。
非恋愛脳というやつなのだろう。
「 ……そんなに心配しなくても、いつもの調子で直球に伝えたので問題ないと思うよ。確かに最近少し様子がおかしいから、夜にでも訪ねてみたらどうだい?」
千空は羽京の言葉を咀嚼して、頷いた。
「 あ"ぁ。……んじゃ、夜に話してみるわ」
「 うん、それがいいね。……健闘を祈ってるよ」
「 そりゃおありがてぇこった。……時間取らせて悪かったな」
いいよ、と笑って、羽京はラボをあとにした。……付き合ってない、なんて思ってるのは当人同士だけだろうに。
でも、あの千空にも、年相応にそう言う悩みがあるのだと知って、なんだか微笑ましかった。
「 ……青春だなあ」
また、童顔にそぐわず親父臭いとか言われそうな言葉を口にして、帰路につく。
妙なところで往生際の悪いメンタリストと、変に拗れなければいいけれど。
両想いなのはわかり切っているので、懸念と言えばそこだけだった。
だからといって、これだけは当人たちでないとどうにもできない問題だ。
……とりあえず、今晩は耳栓を外して眠ることにしよう。
来た道を振り返りながら、羽京はそうひとりごちた。
羽京が帰ったあと、千空は一通り手元の用事を片付けながら夜を待った。
夕食を終えて、その足でラボに向かうと、人目を避けるように森に向かう姿が見えた。
……アイツ、あんなとこで何してんだ。
そう思って、そっと跡を尾ける。
ゲンは森の奥でふと足を止めると、激しく咳き込み始めた。
慌てて、茂みから飛び出して。
ゲンの肩を支えて、背を撫でてやる。
現状の確認を取ろうとしたところ、口を覆ったゲンの手の間から、ちいさな白い花が溢れ出した。……仕込みに使っているものとは違う。この花に毒性があることをゲンは知っている。だから、わざわざ口にするはずもない。……と言うことは、これはゲンの体の中で生成されたものなのだろう。
……花吐き病。
名前は知っていたが、これがそうか。
意中の相手と結ばれるまで、定期的に花を吐き続ける病。……ならば。
その意中の相手とは、まさか。
「 ……ゲン」
メンタリスト、ではなく。
敢えて名で呼ぶと、ゲンが顔を上げた。
くちびるの端に、白い花弁が貼り付いていて。……月明かりの下で、なんとなくなまめいて見えた。
その花弁をくちびるで拭うようにして、そのままくちびるを重ねる。
わずかに抵抗を見せる身体を、包むように抱きしめて、もう一度キスをした。
……キス、と言っても初めてだったから。
きっととても不恰好なものだったのだろうが、ふれたくちびるはしっとりとやわらかくて。……あまいにおいがした。
しばらく、そうしてくちづけを交わして。
背を撫でながら、そっとくちびるを離す。
「 ……せ、せせせせんくう、ちゃん……!?」
混乱した様子のゲンの肩を掴んで。
少しだけ上にある、夜空の色の瞳を覗き込んだ。
「 好きだ」
短く告げた言葉に、赤くなったり、青くなったり。ゲンは目まぐるしく表情を変える。
「 ……えっと、これ、夢かな?」
混乱した挙句、普段では考えられないような言葉を口にするメンタリストの頬を、軽くつねった。
「 いたたた!千空ちゃん、ドイヒー!」
「 おう、痛ぇなら夢じゃねぇな。……それに」
いつもの皮肉げな笑顔を向けたあと、一度言葉を区切って。
「 ……治まったろ、吐き気?」
そう言って、ニッとわらう。
胸を締め付ける痛みや、わだかまる異物感がすっかり消えていることに気づき、ゲンはきょとんとした。
「 えっと……じゃあ、つまり、その…… 」
口籠るゲンに、少し人の悪い笑みを投げる。
「 花吐き病の治癒条件は、何だった?」
言葉を咀嚼して。
今度こそ、ゲンは耳まで真っ赤になった。
……花吐き病の唯一の治癒条件は、『恋の成就』。
「 つぅことで、今日からテメーは村長夫人だ。……これからも頼むぜ、メンタリスト」
そう言って、相好を崩したあと。
……もう一度、ゲンを抱き寄せて。
触れ合うだけの、やさしいキスをした。