……この春から、父が宇宙飛行士としてISSに旅立ったこともあり、大学の近所にあるアパートに従兄弟のクロムと住むことにした。
徒歩一分の立地はなかなかに便利で、概ね快適なキャンパスライフを過ごしている。
そんなある日のこと。
それは、一本の電話から始まった。
レポートに必要な資料を泊まり込んでいた研究棟に置き忘れたことに気づき、スマホを手に取る。そのまま、着信履歴から見慣れた番号をタップした。
軽やかな呼び出し音が数コール響いたあと、プツッと、ほんの少し不自然な音を立てて電話がつながる。
「 あ"〜、クロムか?……悪りぃ、帰りに研究室に寄って………… 」
『 ハーイ♬ “お助け女神事務所”だよ♪お電話ありがとうね♪ 』
突然聞こえてきた陽気な男の声に、ディスプレイを二度見する。……確かに表示されているのはクロムの番号だ。
どうなってやがる。さっきの妙な音で混線でもしたのか。
怪訝そうに眉を顰める千空に、電話の向こうの男はにこやかに言葉を継いだ。
『 ご希望はそっちで聞くね♬』
そっち?そっちってどっちだよ。
まさか逆探知でもしてやがるのか。だが、どうやって、何のために?
わけがわからずがしがしと乱暴に髪を掻き回すと、正面にあったテレビの液晶画面がぐにゃりと歪んで、あろうことか、そこからよいしょ、という声と共に男のほっそりとした上半身が抜け出してきた。左半分が白髪のストレートボブ、右半分が黒髪のベリーショートという、特徴的な外見の男だった。
「 こんばんは、石神千空ちゃん♬……君のお望みはなあに?」
にっこりと軽薄な笑みを浮かべながら、その白黒半々男は問いかけてきた。
あまりにも物理法則を無視した出現方法に、一瞬固まってしまう。
「 あっ、メンゴメンゴ!……自己紹介がまだだったね。俺は浅霧幻。お助け女神事務所から来た、……うーん、神様のお遣いってとこかな」
その非常識な言葉に、思わずツッコんだ。
「 女神だあ?……どこをどう見ても男じゃねぇか 」
特に重要なポイントではないが、女神を名乗って男が来るのはいかがなものかとは思う。
……そういえば、さっきの電話でもお助け女神何某と言っていた。
男……ゲンは苦笑しながらも底抜けに明るい声でいらえを返してくる。
「 だーよーね〜!そう来るよね♬
でも今日の当番は俺だったから諦めて♪
安心してよ、ちゃあ〜んとお仕事はするからね♬」
「 お仕事、だあ?」
明らかに不審者でしかない男に問い返すと、男は経緯を説明し始めた。
「 あっ!別に宗教勧誘とかじゃないからね、ジーマーで!……んーとね、ウチの事務所は困ってる人たちの救済……って言うとアヤしいよね、手助けを目的にしてて。
チャンネルの繋がったヒトのとこにこうやって来んのよ。……今回は、千空ちゃんの要求が電話って形を取って届いたの」
「 ……オイ、説明聞いても100億%怪しさしかねぇぞ。手助けってのは具体的に何だ?」
「 千空ちゃんの願いごとを、ひとつだけ叶えてあげる。……何でもね」
あ!そこでアタマおかしいヒト見るような顔しない!
そう言って、ゲンはまた苦笑した。
随分とまあ現代ナイズされた御使もいたものだ。それともそう言う部分も時代に合わせて最適化されているのだろうか。
「 ……ほーん、んで、願いごとっつーのはなんでも叶えてくれんのかよ?」
「 もちろん♬
俺はペラッペラな軽薄男だけど、神様との契約で嘘はつけないことになってんの。
望むなら、ハーレムでも世界征服でも不老不死でも、千空ちゃんの思いのままに。
……あ、願いごとを増やすってのはナシね」
言葉に、チッと舌打ちをする。
望みならいくらでもある。……この世の全てを知りたい。あらゆる謎を解きたい。
けれど、それは魔法で叶えてもらうようなものではない。一歩一歩、自分で手に入れていかなければ意味がない。
あえて言うなら不老不死だろうが、これも今ひとつ唆らない。
……ああ、そうだ。
あるじゃねぇか。
その言葉が真実だとすれば、とびきり唆る謎が、目の前に。
「 願いごと、決まった?」
こちらの心を読んだように、ゲンはそう言って微笑みかけてきた。
それに、ニヤリとニヒルな笑みを返して。
「 俺のそばに残って、テメーのその力を研究させろ」
そう囁くと、そこで初めてゲンの夜空の色の瞳に戸惑いが浮かぶ。
……直後、カッと空から強い光が降り注いで、部屋の中に乱気流……いやむしろ、小さな嵐と言うべきか……が駆け巡った。
なんだこりゃあ。……ひょっとしてさっきの願いごとのせいか。だとしたら。
「 ますます、唆るじゃねぇか」
興奮と知的好奇心を抑えきれず、そうつぶやいて口元に笑みを刷く。
嵐が収まると同時に、その中心に佇んでいたゲンの肢体からかくんと力が抜けた。
くずおれるゲンを抱きとめて、ひとまずベッドに寝かせてやる。
「 ……う……ん…… 」
長い睫毛が細かくふるえて。
二、三度瞼をしばたたかせると、ゆっくりとゲンは目を開けた。
星屑を散りばめた、夜空の色の瞳が千空の姿を捉える。
「 えっ、待っ、ちょ待っ!……ちょっと電話貸して!」
ガバッと起き上がったゲンにスマホを差し出すと、慌てて出鱈目に番号をタップし始めた。
「 もしもし!俺!ゲンだけど!……いや、さっきのは……え?アレもアリなの!?ジーマーで!!!???」
「 そんな、神ちゃん、……えええ……ドイヒー…… 」
誰だかわからないが、おそらくゲンの雇い主なのだろう。通話のあと、がっくりと肩を落としてゲンはこちらを振り返った。
「 なんだ、どうした?」
「 さっきの願いごとは受理されちゃって、もう変更出来ないって」
「 あ"〜、別に変更する気ねぇし。100億%問題ねぇじゃねぇか」
「 ジーマーで言っちゃってんの!?」
どこまでも飄々とした千空に、当初の余裕はどこへやら。
ゲンは頭を抱えてため息をついた。
「 いったん受理された願いの強制力は絶大よ。誰も反抗できない。……俺自身はただのアンテナだけど、アンテナとしての役割は解除されちゃったから…… 」
「 んじゃ、ここにいるにはなんの問題もねぇな。……おありがてぇこった」
どうやら元いた場所に帰れなくなったらしいゲンに、千空は悪びれもせず。
むしろ人の悪い笑みを向ける。
「 しょーがないなあ……、でもね、言った通り、願いごとの強制力は絶大だから。
これで君は、俺と下手したら一生離れられなくなっちゃったんだからね?」
「 お〜、一ミリも問題ねぇわ」
問題があるとすれば、同居人のクロムだ。
あとは……一応ここは二人部屋ということになっているから、家賃か。
そう思っていたところで、バタバタと慌ただしい足音と共にドアが開いた。
「 ヤベェェェェ〜〜〜〜!!!」
もはや通過儀礼のような奇声とともに帰宅した従兄弟に視線を向ける。
「 何だ?どーした、クロム?」
「 聞いてくれよ千空!……ルリ、知ってんだろ従姉妹の!なんか親父が急に祝言挙げるから帰って来いとか言い出してよ!!!」
「 あ"ぁ?」
まったくもって状況が読めない。
ルリはもちろん知っている。クロムと同じ、母方の従姉妹だ。
今は地方に住んでいて、どうもそちらから連絡があったらしい。
それにしても祝言とは。
クロムとは相愛だったから、相手がクロムならばめでたい話ではあるが随分と急な話だ。
「 とりま落ち着いて話せ。……なんだって?」
「 おう!とりあえず俺、一回田舎帰るわ!家賃は払っといたから、戻るまでここは千空が好きに使ってくれ!」
話にならない。
クロムは大急ぎでディバッグに荷物を詰め込むと、そのまま突風のように部屋を出て行った。流石にぽかんとする千空を覗き込んで、ゲンは困ったようにわらう。
「 ……わかったでしょ?これが強制力。何がなんでも千空ちゃんと俺を一緒に居させようと働く、カミサマの力」
なるほど。これはなかなかに強烈だ。だが、それだけに興味深い。
大好物を前に目を輝かせるこどものような表情に、ゲンはまたわらった。
「 てことで、今日からよろしくね。
ダーリン♪」