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    safe_4771

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    safe_4771

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    矢柄幹久とだれかのはなし

    カカオも豆には違いない二月十四日、月曜日、天気はすこぶる良いが、冬の風が身を突き刺してくる。
    「…………」
    表情にこそ出ないけれども、今朝の寒さは堪える。阿波多えくぼは真白く溜め息を吐いた。己の職場である警視庁は地下鉄の駅を降りて徒歩数分という、都の主要機関ならではの好立地ではあるけれども、その地表に上がり空っ風に吹かれる数分すら惜しい、というのはワガママだろうか。クローゼットで眠っていた一番厚手のチェスターコートですらも、気休めにしかなってくれない。いっそ雪でも降ってくれた方が地表に熱が籠ってくれたかもしれないが、哀しいくらいの晴天である。これから陽が高くなるにしたがって、気温も上がってくれればいいのだが。
    「…………さむ」
    凍てついて固まりそうな口角を僅かに動かして独り言を呟いたあと、阿波多えくぼは職場への道のりを足早に歩き始めた。

    警視庁刑事部一課、矢柄班オフィス。暖房を心地よく効かせたそこは、外に比べれば天国に思えた。冷えた指先を揉みながら、自分のデスクにつくと、
    「えくぼさん、おはよう。顔カチコチになっちゃってるぜ」
    対面の席に座る、上司の矢柄幹久がこちらを覗き込んできた。矢柄もジャケットを羽織っているし、この寒さには辟易したのだろう。しかし。えくぼは淡々と返事をする。
    「おはようございます、矢柄さん。確かに今日は冷えますが、私の表情に関してはいつもと変わらないかと」
    「変わってるって」
    ちょっと待ってろよ、そう笑いながら矢柄は席を立って、部屋の隅に備え付けてある電気ケトルと、紙コップを二つ持って戻ってきた。そしてデスクの共有部に雑に置かれているインスタントコーヒーの缶に手を伸ばし、蓋を開けて、慣れた手つきで粉をそれぞれのコップにいれて、お湯を注ぐ。
    「茶菓子は……特にないからこれでいいか」
    「豆ですね。節分の時の余りの」
    「飽きないし、いいだろ」
    はい、熱いから気を付けろよ。そう言い起きながら、矢柄はえくぼにコーヒーと、炒り大豆がいくつか詰められた小さなビニルの包みを手渡した。
    「矢柄さん」
    えくぼはちびちびとコーヒーを飲みつつ、言う。
    「今日って何の日か知ってましたか」
    矢柄は袋をざっと開け、豆をほおばりながら言う。
    「バレンタインデーだろ?」
    「知っててこれですか」
    えくぼの隙の無い応えに、矢柄はぐっと詰まったように言葉を絞り出す。
    「……正直、俺も良くないとは思った」
    なにかと器用でそつのない性格なのに、肝心な部分が惜しいのが、この矢柄幹久という男で、そしてえくぼの頼れる、いいや頼り頼られたいと思う上司なのである。
    悪くはありませんが。すっかり暖まった指先で、えくぼは大豆を摘まんで自分の口に放り込む。
    「あ、えくぼさん、だいぶあったかくなったみたい?良かった良かった」
    「どうして顔を見て言うんですか」
    「どうしてって……そこが一番分かりやすいから」
    他愛もない会話と、そして口に広がる素朴な感触と味を楽しみつつ、ふたりは始業の時間までを過ごすのであった。


    ーEND―
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