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    なんでもあり 文章や絵

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    【風新】

    ホームランボール その日新堂は肩のコンディションが非常に良く、俺今日なら甲子園に行けるかもしんねえ、とまで豪語するほどだった。その言葉は決して大袈裟なものではなく、結果として、体育館の天井ギリギリ、肉眼ではそのクレセント錠が上下どちらを向いているのかさえ判別し難いほどの高さにある小さな高窓の中心を完璧なコントロールで打ち抜き、ストライクを取ることに成功した。
     そうして拍手と共に教師からいただいたありがたいお言葉により、新堂は今、体育館の倉庫でひたすらに野球ボールを磨いているのだった。
     新堂の前に置かれた巨大な鉄カゴの中で、大量の硬球たちがひしめきあって窮屈そうにしている。磨き始めて二十分ほど経ったが、ほとんどその姿を変えることなくたおやかに広がるボール・マウンテンを見て、新堂は大きくため息を吐いた。
    「キレられる方がマシだったぜ」
     まだ窓一枚の価値を知らない高校生であるから、この処遇には全く納得がいっていない。球一つ当たりだいたい舌打ち二回、溜め息一回のペースで磨き続けている。この調子でいくと、終わる頃には舌がすり減って短くなっているに違いなかった。

    「やってるねえ」
     新堂が八十四回目の舌打ちをした頃、西日で伸びた長い影を引き連れて男は現れた。
    「……何しにきた」
    「見学に」
     遠慮なく睨みつけられたにも関わらず、揚々とした笑みを崩さないままにそう言ってのけるこの男、風間望。新堂の中では今まさに自分の足を登ろうとしている蟻よりも序列が低く、有り体に言えば大嫌いな人間であった。
     日野という共通の友人がいなければ、おそらく関わり合う事ないまま卒業していただろう。
     近寄るなというオーラをダダ漏れにする新堂に一切物怖じせず、風間は遠慮なくその隣に腰掛けた。無駄に長い足先が鉄カゴを掠め、揺らされたボール・マウンテンの尖度が変化する。ちらりと横目で見ると、何が楽しいのか薄ら笑っている風間とばっちり目があってしまい、新堂はぎくりとして目を逸らした。
     新堂が風間のことを嫌う理由は様々だったが、あえて一言で表すとするならば、得体が知れなくて気持ち悪い、というのが全てだ。日野から紹介された日を境に事あるごとに自分に接触してくるが、名前以外の情報を知らない。あと知っていることと言えば、笑うと涙袋が膨らみ、絵に描いたような胡散臭い顔になることくらいだった。
     何も知らないということは、つまり何をしてもおかしくないということで。風間と会うたびに感じる底知れない不安定さは、いつも新堂の据わりを悪くした。
     風間の気配に気を取られていて気づかなかったが、いつの間にか先程の蟻が膝にまで到達しようとしていた。ひざの丸みに苦戦しながらも、懸命に六本の足を操っていた。それを見ながら、例えば風間がこいつを唐突に摘み上げ、ぱくんと食っちまうかも、──だなんて、ありえない事を考える。
     色素の薄い皮膚の内側、赤い舌の上で踊る蟻。太い眉を楽しげに上げ、その味を堪能する風間。考えたくもない気色の悪い光景だが、容易に想像できてしまうのが風間望という男のすごいところであり、嫌なところでもある。
    「あ」
     その時、手を止めて蟻を見ながら妄想に耽っていた新堂の横で、不意に風間がそう声をあげた。意識の奥で沈殿していた思考がそれにより急上昇する。頭の中の最悪な絵を薙ぎ払うために、新堂はぎゅっと強く瞬きをした。隣にいるだけでストレスだというのに、頭の中にまで呼ぶなんてどうかしている。
     目を開けて間も無く、その視界にやけに白くて大きな手が入り込んだ。ついその動きを目で追ってしまって行き着いた先、摘み上げたものを見て、新堂は思わず息をのむ。
     ──風間の指の間で、蟻が暴れていた。
    「おい!」
    「は?」
     新堂が大声を上げるのと、風間がその蟻をぽいと投げ捨てるのは、ほぼ同時だった。少し遠くの地面で、生かされた喜びを全身で表現するように蟻が大きなカーブを描いて大慌てで逃げ去っていく。
     風間は心底不思議そうな顔で目をぱちくりとさせて、投げた手をそのままに固まっていた。
     なんてことはない、ただ蟻を逃しただけ。なんなら新堂のためにした善意からくる行為であり、風間は決して蟻を踊り食いしてニタッと笑ってみせようとしたわけではない。
     一拍置いて全てを理解した新堂は、自分の顔にじわじわと熱が溜まっていくのを感じていた。あまりの気恥ずかしさに、叫ぶために大きく開けた口を閉じる挙動さえぎこちなくなるほどだった。
     自分の妄想と現実を混同させて騒ぎ立てるなんて、子供のすることだ。
    「え、なに、もしかしてペットだった?」
    「……んなわけあるか、なんでもねえよ。忘れろ」
     ありがたいことに、風間がおおよそ見当違いなことを言ってのけたので、少しだけ冷静を取り戻すことができた。あれだけ大声を出しておいて忘れろ、だなんて到底難しい要求ではあったが、風間は肩をすくめてみせながらもその点についてさらに追求してくる様子はない。
     新堂は気づかれない程度に深呼吸して、改めて手の中の硬球と向き合い始めた。

     *

     作業開始から二時間ほどかけて、ボール・マウンテンの土地開発作業はようやく終わりを迎えようとしていた。
     もはや名残惜しさすら感じる重みを手のひらに受けながら、最後のひとつとなった硬球の縫い目を磨き込む。これまで磨かれてきたものたちは、もうひとつ用意されていた鉄カゴの中で色味を変えて、ニュー・ボール・マウンテンを築き上げていた。いつだって時代の移り変わりは当人たちを差し置いて唐突に訪れるものだ。
     風間は今に至るまでの間ずっと、喋ったり、喋らなかったりしつつ、新堂の横に座っていた。そのほとんどを新堂が無視したためそれらは紛れもない独り言に成り果ててしまっていたが、この男はそれでも満足なようだった。ありがたいことだ。新堂には、嫌いな人間のためにしてやれる相槌のボキャブラリーなどない。
    「それで終わり?」
    「……おう」
     風間から受けた質問に生返事をしつつ、新堂は磨き終えた硬球を手の中で転がした。見違えるほど、とまでは言わないが、よごれはそれなりに落ち、窓から入り込む夕陽を反射して革が鈍く艶めいている。よく見ると、比較的真新しい傷がついている。擦れなどではなく、長くて細い、切り傷のようなものだ。
     作業が終わった解放感に身をまかせ、腕を振り上げる。硬球はまっすぐに上昇し、次いで重力に従い落下した。ぱし、と小気味いい音が鳴り、余韻で倉庫内に立ち込める空気が揺らぐ。手のひらのくぼみに球のカーブがはまると同時にそこを中心に弾ける埃が、陽の色を受けて火花のように見えた。
    「それ、僕にくれよ」
     風間はその様子を眩しそうにみながらふとそう言ったが、新堂は返事をしなかった。どうせまた適当なこと言ってんだろ、と、新堂の見解はこうである。そんでもって従順に差し出すのは面白くねえということで、新堂は風間の要求とは裏腹に、ニュー・ボール・マウンテンの頂上目掛けて硬球を放り投げることにした。
    「あ、ちょっと」
     しかし風間は予想に反し、本気で慌てた様子でそれを拾い上げた。勢いよく立ち上がって硬球を追ったため、鉄カゴを蹴ってしまい大きな音が鳴ったほどだった。
     正直、新堂はかなり驚いていた。風間がこのようにあからさまに人間らしい動きをするのを見たのは初めてだったのだ。風間は基本的にいつも、作り物みたいな薄皮を一枚まとって生きているように見えていたから。
    「僕は今日、これをもらいにきたんだ」
     すっかり訝しんでいる様子の新堂のことなど気にも止めず、風間はふふん、と鼻を鳴らして手に入れた硬球をポケットにしまい込んだ。不格好に膨らんだスラックスの右ポケットは滑稽に見えたが、カッコマンを自称しているくせにそれは気にならないようだった。そんなことより、使い古された硬球ひとつが大切なのだという。
    「意味わかんね」
     少しばかり人間らしいところが見れたような気がしたけれど、やっぱりその行動原理は理解しがたい。窓ガラス一枚程度ならその後のリスクなど考えず割って見せる程度の感性しか持ち得ない新堂には、その球体一つに込められた意味など皆目見当つかなかった。
    「……わかんないだろうね」
     まるで無知な子供を受け入れるかのような、そんな声色。
     その言葉を最後に、風間は何のためらいもなく倉庫から出て行ってしまった。本当にあんなもの一つを手に入れるためだけに二時間ここにいたらしい。新堂からしたら正気の沙汰ではない。
     まもなく後を追うようになるのは避けたくて、滞在時間を延ばす言い訳にとタバコを一本咥えた。いつもよりかさついたフィルムの感触で、自分の唇がえらく乾燥していることに気が付く。
     わかんないだろうね。
     風間の言葉を頭の中で反芻した。バカにされたのかと思ったが、その表情は人をからかうときのそれとは違うように見えた。いずれにせよ、初めて見る表情だったのでその思惑は見て取れなかったけれど。
    「きもちわる」
     煙と一緒に吐き出した言葉は、倉庫内に霧散して消えていった。
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