幕間の楓恒㊴ 風が頬を撫で、髪を弄んでいくことも気にならない程に丹恒は屋敷の庭に生えている木をじっと見つめていた。丹楓の屋敷の中で一際大きなこの木がどうしても気になって、はらりはらりと舞い落ちていく紅色の葉さえも何故か目が離せずゆらゆらと尾を揺らしながら丹恒はその木を見つめていた。
「気になるのか」
奥の部屋から出て来た丹楓が丹恒の隣へと腰を下ろす。丹楓に声を掛けられた丹恒はぴくっと尾を跳ね上げた後に丹楓へと顔を向けてこくんと頷いた。
丹恒がこの屋敷に来てからずっとずっと気になっていた木だった。
屋敷の中で一番大きなことも、丹楓がたまに手入れをしていることも、全部が気になる理由だった。
「その木は楓の木だ」
「かえでのき…?」
「そうだ、このような字を書く」
丹楓は胸元から紙を取り出しさらさらと流麗な文字で『楓』を綴る。丹楓が文字を書いている様子をじっと見つめていた丹恒は、書かれた『楓』の文字を見てこてんと首を傾げた。
丹恒にとってこの文字は早く書けるようになりたい一番の文字で、いつも丹楓がいないところで練習をしていた文字だった。
「ふーにぃといっしょ…?」
「確かに、余の名前と同じ文字ではあるな」
「…ふーにぃのき…」
ぱちりぱちりと瞬きをした丹恒は、丹楓が差し出した『楓』の文字が書かれた紙を手に取ると文字と、木と、丹楓交互に見やる。
今までとても気になっていた木ではあったが、あれが丹楓と同じ文字の木なのだと知ると今までよりももっとずっと好きだと思えるようになった気がする。
ゆらゆらと尾を揺らしながら木を見つめる丹恒の見えない所で小さな笑みが零れたような声が聞こえて来た。
「あの木が気に入ったようだな」
「ん、…こー、ふーにぃのき、すき」
「…そうか」
普段よりも機嫌の良さそうな丹楓の声を聞きながら、丹恒はゆらゆらと尾を揺らしながら庭の木を眺める。
丹楓がそろそろ夕餉の時間だと声を掛ける迄ずっと。次の日も、また次の日も。
丹恒は丹楓が傍にいない時間の大半は部屋から楓の木を眺めていた。
そんなある日。丹恒がいつものように部屋から楓の木を眺めていると、ひらひらと紅色に染まった葉が木から舞い落ちて来た。
今までも落ちる所は見たことがあった丹恒だったが、その葉の色がいつも丹楓が着ている服のものと似ていて、つい庭へと降り立ち木の傍にしゃがみ込むとその葉を拾い上げた。
紅色のその葉はいつも見ていたどれよりも大きくて、丹恒は日に照らして見たりくるくると回して裏を眺めたりとじっとその葉のことを眺めていた。
「おや…紅葉狩りかい?」
「…っ!!」
丹楓以外の人に声を掛けられることが少ないからか、ぴゃっと尾を跳ね上げた丹恒は手の中の楓をぎゅっと握りしめると声の主の方へと視線を向ける。
朗らかな笑みを浮かべた景元がそこに居て、知らずに強張ってしまっていた体の力を抜いた。
きっと丹楓への用事を終えた後なのだろう。何処か柔らかな雰囲気を纏った景元に、丹恒はこてんと首を傾げた。
「もみじがり…?」
「紅葉を拾うことを紅葉狩りといってね」
どこから取り出したのか、紙にさらさらと文字を綴る景元の様子を丹恒はじっと眺めていた。丹楓以外が目の前で文字を書く様子を見る機会はあまりなく、何処か物珍しさを感じながら眺めていたのだが、書かれた文字に目をゆるゆると見開くと小さく震え始めてしまった。
「このような文字を書くのだが…丹恒殿?」
「…、こー、わるいこと…した…」
「どうしてだい?」
「かる…よくない……、ふーにぃ…」
「丹恒殿! 行ってしまったか」
拾い上げた葉を小さな手で握りしめながら丹恒は、丹楓の元へと足を進めた。
普段よりも速足になって、駆け足気味になってしまったのは自分が悪いことをしたのだと思っていたからだろう。
丹楓の居る部屋に辿りついた丹恒は恐る恐る部屋の中を覗き込み、部屋の中へ入ると丹楓の前へと向かう。
「ふ、ふーに……」
「…何かあったか」
「こー……わるいこと、した……」
「余がしてはいけないと言ったことをしたのか?」
丹楓の言葉に表情を曇らせながら俯いた丹恒はぷるぷると小さく震えながら、ぎゅっと握ってしまっていた葉を丹楓の目の前へと差し出した。
「こー、ふーにぃのき……かり…した…」
「……ほう」
「かり、わるいこと…」
「…丹恒」
名を呼ばれた丹恒はぴくっと肩を震わせると、俯いていた顔をあげ丹楓へとおずおずと視線を向ける。
だが、視線を向けた先の丹楓が怒っている様子もなくどちらかといえば普段と同じ表情をしていて丹恒はなぜ丹楓がそんな表情をしているのかわからずに首を傾げてしまった。
「紅葉狩りという名は今は触れないでおくが…、其方はなぜその葉を拾った?」
「…はっぱ、ふーにぃとおそろい…」
「なれば、今其方の手の内にある葉を見てどう思う?」
丹恒は丹楓に言われた通りに視線を葉へと向ける。
紅葉狩りだと景元から教わる迄の丹恒は、この葉をどういう気持ちで見ていただろうか。
きらきらと舞い、落ちていく姿を見てどう思っていたのか。
「…こーのてにあるの、うれしい」
「ならば、それで良いだろう。紅葉狩り等大層な名のことなど気にせず其方の好きなことをすれば良い…其れは悪いことなどではない」
ぱちりぱちりと手の中の葉から丹楓へと視線を向けた丹恒は、丹楓の言葉にこくんと頷き返した。
実際丹恒が丹楓の言ってることを全てわかっているのかと、小さな丹恒の尋ねた所で返ってくる言葉は「ふーにぃのはっぱ、ひろうの、すき」ということだろう。
丹楓もそれをわかっているからかそれ以上のことは言わず、ただ丹恒を眺め、葉を抱いている丹恒の小さな手にそっと触れるに留めていた。
いつか丹恒がもう少し大人になった時に、紅葉狩りを本当に理解する時までそれでいいと丹楓は思っていたからだ。
「ふーにぃ」
だからこそ、その日以降丹恒が一番綺麗だった舞い落ちた葉を拾い丹楓へと伝えに来ても丹楓は止めることをしない。
葉へと視線を向け、頷き返し、丹恒の頭へと触れる。
丹恒と丹楓が一緒に楓の木を見る時に習慣となったこの時間がいつまでも続けば良いと丹楓は丹恒の頭に触れながら思っていた。