ジョウヤス②「は? 泊まりに行く…?」
「そうなの、地域の集まりでね」
朝、弁当の支度をする時間。唐揚げを揚げながら言われた母ちゃんの言葉に油の中で鶏肉を突いていた箸を止めた。
なんでも地域の集まりで夕ご飯を食べた後に親睦会も兼ねて泊まりに行くらしい。地域の集まり自体は昔からあったが、母ちゃんが行くのは初めてかもしれない。今まであれこれ理由をつけて行っていなかった気がする。
「…珍しいな」
「やっちゃんにもお友達ができたしょ? 母ちゃんが行っても大丈夫かしらって思って」
「……あいつらは別に、そんなんじゃねぇし」
「そう?」
バンド仲間ではあるが、友達ではないと思う。本人達の前で仲間だとか友達だとか言ったこともないが。
ぶくぶくと油の中で気泡を出していた鶏肉が浮いてきたので慌てて油から出す。気付くのがもう少し遅れていたら焦げていたところだった。
「だからやっちゃんも誰かお友達を呼んでもいいのよ?」
「……、なんだよ、それ」
「やっちゃん一人でお留守番させるのはまだちょっと早いかなって思うし…誰か泊まりに来てくれるなら母ちゃん安心するわ」
「…んな奴、いねえよ」
誘うような奴も俺の家に泊まるような奴もいない。たまに俺の家に突撃する勢でくるハッチンや、唐揚げ弁当を買いにくる双循や、家の近くで倒れているジョウを家にあげたことはあるが。ただ泊まるような奴なんていないだろう。
そうは思うが、ジョウならもしかしたら来るかもしれない。最近、俺ん家の唐揚げの作り方を興味津々で聞いてきたくらいだ。泊まりに来るかと聞いてもいいかもしれないと思った。
考えながら黙々と唐揚げを揚げ続ける俺を見ながら母ちゃんが小さく笑っていたことに気づかないまま、俺はその日の弁当を詰めて学校に向かった。
学校がいつも通りに終わり、いつものスタジオで曲の練習をする。扉を開けてもうベースの調律をしているジョウに驚いて足を止める。ジョウが一番始めに来るなんて珍しい。もしかしたらいつもより体調がいいのかもしれない。
ジョウ本人が絶好調だと言っていても本当に大丈夫なのかは怪しい所はあるが、倒れずにここまで来たのなら大丈夫だろう。もしかしたら学校も無事に登校できていたのかもしれない。
「そんな所で立ってないで、入ったらどうだ?」
「ッ…、わかってる」
「珍しいな、ヤスはそんな所で立ち止まるなんて」
「…お前も一番なんて珍しいだろ」
「今日のオレは絶好調だからな!」
ジョウに言われて慌てて扉を閉めて中に入る。絶好調だというジョウの顔色は確かにいつもよりはいいかもしれない。いつもよりは、だが。
やけに自信満々に言うジョウがおかしくて小さく笑ってしまいながら俺もギターの準備をする。隣でジョウが今日は朝も早く起きれて、学校にもチャイムと同時に着いたしちゃんと下校時間に下校できたと嬉しいそうに話しているのを聞いているとまた小さく笑いそうになる。自信満々に言うことじゃないのに、やけにドヤ顔をして言うから。年上なのに、そういう所はあまり年上らしくないなと思って。
ジョウの話が一区切りついたところでふ、と思い出した。今なら双循もハッチンもいない。家に泊まりに来るかと誘うなら今しかないだろう。
「なぁ、ジョウ」
「ん?」
「今日、俺ん家泊まりに来ないか?」
「…ヤスん家に?」
「あぁ、母ちゃんがいなくて…」
俺一人にさせるのは不安だと言っていたからと言いそうになった。それをジョウに伝えるのはなんだか格好悪い気がして、言葉を口の中で飲み込みながら視線を逸らして、まぁ、そう言うことだから。と、誤魔化す。
ジョウは一瞬何かを考え込むように視線を逸らしたが、すぐに顔を上げる。
「せっかく招待してくれるんなら、行ってもいいか?」
「招待って言っても何もねぇけど」
「ヤスん家泊まれるだけで、特別だろ」
「はッ…なんだそれ」
ジョウの言葉に声を出して笑う。まぁ今まで俺ん家に泊まった奴なんていないから特別と言われればそうかもしれないが、別に普通の家と変わらないと思うのに。
ジョウも嬉しいのかニコニコと笑っていて、まぁいいかと思ってしまった。
それから双循とハッチンがスタジオに来て練習を始めた。明日は休みだからといつもより少し遅くまで練習をする。ハッチンと双循が言い争いを始めるまで練習をして、喧嘩になりそうになった所で今日の練習は終わった。
ハッチンも双循もくだらないことで言い合っていたのか、スタジオから出た頃にはケロッとしていてもう少し練習をしていてもいいかとも思ったが借りていた時間もギリギリに迫っていたし、もういいかと息を吐き出す。
「ファーイ! 今日も飯食いに行こうぜ!」
「パス」
「ヤスがパスすらならオレもパスだな」
「ファ?」
「今日はヤスん家に行くんだよ」
「ファー!! ずりぃ! オレも行きてぇ!」
「うぜえ! お前は来んな!」
「ファー!?」
スタジオを出てすぐ声をかけてきたハッチンにそう言い返しながら、ジョウの腕を掴んで早足でスタジオから離れる。
ハッチンが来たら絶対にうるさい。休めるものも休めなくなるかもしれない。
何も言わずに俺に腕を引かれるままついてきたジョウのことが気になって視線を向けると、何故かいつもより耳の端が赤い気がする。
「ジョウ?」
「あー、いや…気にすんな」
「は?」
「それより最近は夜出歩いてないのか?」
どうして赤くなっているのか気になったが、それ以上聞けるような感じではなかったので口を閉じる。
もうハッチンも双循の姿も見えなくなったのでジョウの腕を離した。
「…配達の時くらいしか出かけてねぇよ」
「そうか」
ぽん、と頭に手が乗せられた感触がしてビクッと尾羽が跳ねる。いきなり触られるのは驚くからやめてほしい。
ぽんぽん、と規則的に動くジョウの動きに、煮え切らないような気持ちになる。
「…んだよ、子供扱いすんなし」
「ん? あぁ、悪い、そういうつもりじゃなかったんだけどな」
「…まぁ、別にいいけど…」
急に触るなとは言えないまま、ジョウと二人で自分の家まで帰るのはなんだか不思議な気持ちだった。なんでもないことなのに、帰りたくないようなそんな気持ちになる。
「ただいま」
「おかえり」
「お前が言うなよ」
「ははッ…こういうの好きなんだよ」
「こういうのって、どういうのだよ…」
母ちゃんがいないから返事なんて返ってこないとわかってはいたがつい癖でただいまと言ってしまった。隣から返事がきたことには面食らったが、なぜかジョウはすごく楽しそうだ。
灯りの点いていない家なんて初めてかもしれない。家の電気をつけていくといないはずの母ちゃんの姿が見えるような気がして、違和感に顔を顰める。
「あー、飯…買ってくればよかったな」
冷蔵庫の中を開けて、弁当がないことに気づいた。朝、どうなるか分からないから準備しておかなくていいと俺が母ちゃんに言ったんだった。
ハッチンの誘いに乗るのは癪だったが、一緒に食べに行くべきだったか。
「ならオレと一緒に作るか?」
「…ジョウと?」
「これでもそういう場所でバイトしてるしな」
「その割に唐揚げの肉は一気に入れてた気がするけど」
「…和食と洋食じゃ、勝手が違うんだよなぁ…」
そういう話じゃない気がするが、ジョウがやけに乗り気なのでそれでもいいかと冷蔵庫から野菜と肉を出す。
「何作るんだ?」
「カレーとかでいいんじゃね? 材料あるし」
「…激辛の?」
「普通の辛さな!」
「そうか…」
心なし尾羽がいつもより下がった気がするし、眉も下がったように見えるが。俺の食えないものを作られても困る。俺だって腹が減ってるんだし。
野菜を洗うことと切ることをジョウに頼んで肉を炒めたり煮込んだりを俺がする。そういうところでバイトをしていると言っていた通り手際は確かに悪くないと思う。これなら、俺ん家でまたバイトをお願いしてもいいかもしれない。
二人分にしては作りすぎたカレーを翌日用に少し残して、他を二人で食べる。激辛にしようとするジョウを止めるのは大変だったが味は悪くない。
「風呂、先に入っていいから」
「家主より先に入るのは…」
「俺はジョウの布団の準備とかあるんだよ」
「あー、じゃ、お言葉に甘えるかな」
半ば押し込めるようにジョウを風呂場に突っ込む。ジョウの着替えをそう言えば持ってきていないと思ったが、風呂場の中からいつ血まみれになってもいいように一着は持ち歩いていると言われて準備がいいのか、理由が理由なだけに何も言えなくなった。
客用の布団を俺の部屋に敷くために軽く掃除をして、綺麗になっただろう床にジョウの布団を敷いた。俺にとっては大きい布団だがジョウからしたらちょうどいいサイズかもしれない。
ジョウが風呂から上がった後入れ違いで俺も入って、濡れた髪をタオルで拭きながら戻ってくるとジョウが変な顔をして布団を睨んでいた。別に、布団に変なものは入っていないはずだけど。
「…ヤス」
「あ?」
「同じ部屋で寝るのか…?」
「母ちゃんの部屋でなんて寝させられねぇだろ」
「そ、れは…そうだが」
「なんか問題でもあんのかよ」
「あー…はぁ」
ジョウが何か言いたげにしていたが、結局なんでもないと言って布団へ潜っていったので俺も布団に入る。帰ってからご飯を作ったから、それなりに遅い時間になっていたしバンドの練習も長い時間していたから今日はもう眠れそうだ。
「…ヤス」
灯りの消えた部屋の中で名前を呼ばれて瞼を開く。何か問題でもあったのか。
「ジョ……ッ」
ジョウの方へ体を向けようとしたのに、いつの間に布団から出ていたのかジョウが俺のベッドのすぐそばにいることに気付いて息を飲んだ。
呼ぼうとした名前も中途半端なまま、唇を閉じる。
俺もジョウも言葉を発さないまま、時計の針の音だけが部屋に響く。こっちを見つめている気がするせいか心臓の音がうるさい。
そんなに近くにいるわけじゃないジョウにこの心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思う。
「ヤス」
もう一度名前を呼ばれて、今度は何も言葉にできないままこくん、と唾を飲み込んだ。ジョウの手が視界に入る。
何をされるんだろうか。どこに触れられるのかも分からなくて、ただバクバクとうるさくなった心臓を静めるためにぎゅ、と目を閉じた。
「…おやすみ」
伸びてきたジョウの手は俺の前髪をさらりと撫でるとすぐに離れて、ジョウもまた布団の中へ戻っていったようだ。
俺は、もうジョウの方へ体を向けることができず。かといってこのままの体勢でいるのも嫌でごろんと体を転がした。
まだ心臓がバクバクとうるさい。けどそれだけじゃなくて、のびてきたジョウの手を払おうと思えば払えたのに払えなかった自分のことが信じられなかった。
これがハッチンだったら確実に殴り飛ばしていた自信があるし、双循でも拳を向けていただろう。なのに、どうしてかジョウにそれができなくて。
「まじ…うぜぇ…」
まだうるさくなっている心臓を押さえながら、赤くなっているだろう頬をどうすればいいか分からなくて、枕に顔を押し付けた。