[セルフノベライズ]降伏直後の長官と副官の話「総員ここで待機!以降は自由同盟に従うように!」
港にドラコルルの凛とした声が響いた。着岸したクジラ戦艦から隊員が全員降りたのを確認し、右手を上げて指示を出す。つい先刻まで悠々と宙を飛んでいた艦は、今や無数のヒビ割れや焦げに覆われ見る影もなく、隊員たちの背後で力なく波に揺られていた。
「長官!」
傍に控えている男の呼びかけに、ドラコルルは振り向いた。
「自分は──」
「君にはここの兵の統括を頼みたい」
焦ったような副官の声の途中に、ドラコルルは静かに答え、背を向けた。今副官の声を聞いたら、顔を見たら、堰を切って感情が漏れてしまいそうだった。これが最後であろうことは分かっている。しかし、軍人として、上官として、男として、大勢の部下たちの前で醜態を晒したくはないという、そのプライドが彼を押し留めていた。
「私は大統領の所へ行く」
「待ってください!」
ピリポリスへ一歩踏み出した瞬間、ドラコルルは強い力で腕を掴まれた。
「自分も行きます!」
副官の焦燥に駆られた声が背後から聞こえた。ドラコルルのそれよりも大きくて温かい、慣れ親しんだ副官の手を感じて、またプライドが揺れた。
「最後まで……お供させてください」
副官ならそう言うだろうことは、ドラコルルは分かっていた。上官への忠誠心が高く、ドラコルル個人への情も深い男だ。巨大な地球人に捕まったドラコルルのため、単身立ち向かう度胸だってある。そんな副官の、絞り出すような悲痛な声にも振り返らず、ドラコルルは言った。
「……君がいなくて誰が兵の統括をするのだ」
「自分がやります!」
少し離れた場所から聞こえた声に、ドラコルルと副官は顔を向けた。
「中隊長」
副官が呟いた。緑の軍服に身を包んだ集団の中、少しだけ背の高い男が得意げに笑っていた。
「自分が副官の代わりにこいつらをまとめますよ」
彼は親指を立てて後ろの隊員たちを指差した。長官、副官に次いで権限のある役職に就いている人間だ。何らかの理由で上官2人が抜けた場合、彼が最上位者となり兵の統括を行う。指揮権の移転としては普通のプロセスだ。
「だから後は任せてください」
中隊長は歯を見せて笑った。心配はいらない、と安心させるかのように。異議を唱えるものは誰もいなかった。むしろ笑みを浮かべて、上官2人を暖かく見守っているように見えた。最後に罵詈雑言や恨みのひとつやふたつくらいはぶつけられるかもしれない、と内心覚悟していたドラコルルは呆気に取られたが、すぐに背を向けた。
「……好きにしたまえ」
副官の手の力が緩まる。そのまま歩き出せば、「ありがとう中隊長!」と叫ぶ副官の声と、聞き慣れた足音が聞こえた。副官がドラコルルのすぐ後ろに追いつき、並び立つビルの向こうに揃って消えるまで、ピシアの隊員たちはずっと敬礼の体勢を保ち続けた。
ガシャン、と軽い金属音を立てて上官の手首に手錠が嵌められるのを、副官はじっと見つめていた。既に自分も手錠を嵌められた身ではあるが、彼は自分自身の身よりもドラコルルの方が心配だった。全面降伏を宣言してから、ドラコルルは不自然な程に副官を避けている。声をかけてもすぐにそっぽを向かれてしまい、実のところ内心ショックを受けていた。ピシアを勝利に導けなかった自分に呆れているのだろうか、嫌われてしまったのだろうか。しかし、こうして最後まで伴いを許されたのだから。
(俺たち、どうなるんだろうか)
ピリカの法はどうピシアを裁くのか。あの大統領のことだ、すぐに処刑、なんてことにはならないだろうが、将軍は終身刑は免れないだろう。長官はあくまで仕事としてピシアのリーダーを務めただけだが、その業務は多岐に渡っていた。自分よりもずっと沢山の罪に問われるに違いない。それでも、少しでも長官の罪が軽くなってくれればと、祈らずにはいられない。二度ともう、会えないとしても。
自由同盟地下組織のリーダーと会話するドラコルルを見ながら思いに耽る副官の、視界の端で何かが光った。反射的に光の方、近くの建物の屋上を見やる。そこで再び何かが瞬いた。
「ちょっ、長官!!」
副官が迷わずドラコルルの方へ駆け出せば、地下組織のリーダーが傍の大統領を庇うように前に立ちはだかった。
「待て!動くな!」
リーダーが叫ぶ。誰かが「捕まえろ!」と声を張り上げるが、副官は一直線にドラコルルの方へ走る。軍人としての直感が彼を突き動かしていた。上半身でドラコルルに体当たりを仕掛ける。
「何を……ッ!!」
咄嗟に腕で受けようとしたドラコルルを、その巨体で押し切る。次の瞬間、パンと乾いた音が鳴り響いた。ドラコルルが立っていた場所に入れ替わるように副官が押し入ったその時、副官の腹から鮮血が迸った。周囲が一気に騒然となる。
「副官……?」
体当たりされた瞬間、目を瞑っていたドラコルルも、地に倒れ伏した副官を見て呟いた。先程聞こえた時代遅れの射撃音と、目の前で動かない副官、辺りに散らばった赤い液体。何が起こったのか理解した瞬間、すっと体の中心が凍えた。
「副官!」
ドラコルルはすぐさま立ち上がった。周りにいた市民たちはこの場から逃げたり、医者を呼んだり大慌てだが、周りの状況などドラコルルにはどうでも良い。
「副官!しっかりしろ!」
「今止血を!」
副官と向かい合うようにしゃがんだドラコルルが必死に呼びかける。その側で、パピがタオルで副官の腹部を縛った。この場でできる唯一の応急手当てだった。
「長官……お怪我は……?」
「動くな!傷が開く!」
痛みに耐える副官の言葉は弱々しく、触覚は力を失ってぐったりとぶら下がっていた。意識があることに安堵するも、ドラコルルは思わず叱り飛ばしてしまう。手錠で上手く動かせないことを呪いながら、少しでも血が止まればと撃たれた箇所を手で押さえつける。
(しかし……)
それでもパピが当てたタオルは真っ赤に染め上げられ、青い軍服もみるみるうちに赤黒く変色していく。
(血が止まらない、このままでは……)
冷静になろうと努めても、ドラコルルは最悪の事態を思い浮かべてしまう。どうすれば良い?どうすれば副官の血が止まる?戦艦まで戻れば衛生班がいるが、この距離ではおそらく間に合わない。市民が医者を探していたが、本当に来てくれるのか?ピシアのNo.2たる彼を治療してくれるのか?
「長官……」
パニックに陥りかけていたドラコルルは、副官の声でハッと我に帰った。
「副官!喋ると傷に──」
「自分は……」
口の端から血を垂らしながらも、副官は言葉を継いだ。
「貴方と共に働くことができて幸せでした。長官の隣に立つことは、自分にとって誇りでした」
力のない声だった。しかし、その一言一言に、どこか強い意志が感じられた。
「こんな、降伏させてしまって、自分の、力、が、及ばず……」
副官の口調は次第に辿々しくなり、勢いを失う。
「待て!副官、もう良い!」
最後まで聞かなくとも、ドラコルルには副官の言いたいことが分かっていた。
「良いんだ……」
ドラコルルは唇を噛んだ。副官がどれだけドラコルルを上官として敬愛し、1人の人間として愛を注いできたか、ドラコルルは知っている。きっと彼は、最期の言葉を伝えようとしているのだ。ならば自分も、それに向き合わなければ。
「少しでも、長官の、たすけに、なれて……」
「ああ、副官は立派に役目を果たしてくれた。上官として誇らしく思っている」
素直な思いを告げてから、ドラコルルは一瞬押し黙った。
「……私の方こそ、君の支えになれていただろうか」
「ちょお、かん……」
「いつも私の方が貰ってばかりで、私は……私は……ッ!!」
ドラコルルにとって副官は大きな精神的支柱だった。1人では賄いきれない膨大な事務処理を分け合い、作戦立案の際には必ず意見を求めた。ドラコルルが発した言葉を噛み砕き、具体的な指示として部下を指揮するその様に、言いようのない快感を覚えたこともある。孤高に生きてきた己が、打てば響く副官に入れ込むようになったのはいつからだろうか。仕事が終わった後の食事も、家に招いたのも、肌を重ねたのも、副官が初めてだった。仕事では徹底的に補佐に徹し、プライベートになった瞬間甘やかしてくるものだから、その心地よさに安心して身を委ねていられた。自分はずっと副官に甘えていたのだと、今になって思う。──では自分は?副官に何をしてやれた?心に浮かんだ疑問が、激しい後悔となってドラコルルの心臓を締め付けた。
「ちょお、か……」
副官のサングラスの奥、苦しげに細められた目が確かにドラコルルを捉えた。
「キス、してください」
小さな震える声で告げられて、ドラコルルは目を見開いた。副官から何かをねだられるようなことは無かったと記憶している。親密な触れ合いの前にもその都度こちらの許可を取るような律儀な男だったのだ。それも、誰もいない2人きりの世界になってようやく、という徹底ぶりであった。
「ああ」
ドラコルルは副官の傷口から手を離した。
愛しい人の、最初で最期の可愛らしいお願いだ。
拘束された両腕を副官の頭にくぐらせる。副官を抱きしめるように、ゆっくりと頭を持ち上げた。もう体に力の入らない副官に顔を寄せる。唇と唇を触れ合わせるだけの軽いキス。しかし味わうように、慈しむように、ドラコルルは柔らかな唇を押し当てた。
ようやく口を離した時には、副官の口端から垂れていた血がドラコルルの口元にも付着していたが、それにも構うことなくドラコルルは声をかけた。
「……副官」
返事はなかった。
「副官?」
ドラコルルはもう一度副官を呼んだ。副官の顔は、色こそ血の気のない真っ白なものだが、安心しきったような、穏やかな笑みを浮かべていた。サングラスの奥に見える目は閉じられていて、ぴくりとも動かなかった。まるで、幸せな夢を見ているかのようだった。副官の頬に、雨粒のように透明な雫がぽとりと落とされた。
「早く!!こちらです!!」
やっと到着した救急隊を誘導すべくパピは声を腕を振り上げた。救急車の赤いサイレンに照らされる中、青い制服に身を包んだ救急隊員たちが続々と駆けて来る。
「あそこの──!!」
怪我人を指し示すべく、振り返ったパピは目を見張った。ドラコルルが血塗れの副官を抱きしめている。こちらに背を向けているため、その表情までは窺い知ることはできない。地下組織リーダーともう1人の市民が、ドラコルルに何か話しかけているが、彼には届いていないようだった。地面に座り込んで、副官に顔を埋めるその肩は、小さく震えていた。
「パピ様、本当に良いんですか?」
官邸の中、赤い絨毯の上を歩く二足の犬は、訝しげに傍の主人を見上げた。
「特別に直接面会を許可し、その上手錠も見張も無しなんて!あのピシアのツートップですよ!何をしでかすか分かったもんじゃありません!」
ぷりぷりと怒る犬の主人──パピは困ったように笑った。愛犬の気持ちはよく分かる。分かるけれども、どうしても叶えてあげたいことがあったのだ。
病院に入院している、とある患者からの、刑務所に収容されている人物への面会希望。その話がパピの元へ上がってきた時、すぐに許可を出した。勿論法律的に問題がないことは確認済みである。日付は本日の昼過ぎ、ちょうど今頃行われているはずだ。
「良いんだよロコロコ」
あの日、悪魔のような男の頬に残った涙の痕を見て、パピは憐憫の情を抱いた。堂々とした立ち姿で、人の心を見透かしたような不敵な笑みを浮かべる男が、まるで魂の半分を失ったように呆然と立ち尽くしていたのだ。身柄を拘束した後も、受け答えはできるもののどこか上の空であった。2人がどんな関係だったか、パピには詳しいことは分からない。しかし、周囲の人間の証言やあの日の目撃者の話を聞く限りは、ただの仕事仲間ではなかったのだろうと思う。自分と姉のように、きっとかけがえのない存在だったのだ。
さて、面会を許可したとはいえ、パピは当の本人には何も知らせないよう手配した。撃たれた彼が一命をとりとめたことも、目覚めてすぐに面会希望を出したことも告げなかった。看守には、いつもの尋問の時と同じ手筈で誘導するよう命じている。これくらいの意趣返しは許してほしいものだ。面会の後に嫌味を言われるかもしれないが、それでこそ彼だ。
「今は──2人だけにしてあげよう」
きっと強く抱きしめ合っているであろう2人の姿を思い浮かべて、パピは微笑んだ。(終)