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    ふすまこんぶ

    @Konbu_68
    ワンクッションイラスト/小説置き場

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    POIPOI 76

    ふすまこんぶ

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    旦那氏×将軍。
    旦那氏誘拐事件の続き。
    長官と副官の出番が多いです。

    PURPLE(2)「我々はE58、E59、およびF3地区を調査する! 探査球放出!」
    副官はきびきびとした声音で叫ぶ。その声に呼応するかのように、ピシアの特殊車両から探査球が空へと放たれた。
    副官は今、C連隊を率いてピリポリス郊外に拠点を張っていた。犯人の居場所を見つけ次第、すぐに制圧するためである。
    手元のデータパッドに目を通す。先程、本部にいる長官と警察とで会議を行い、誘拐事件についての情報を共有した。
    攫われたのはダンダという名前の老人。ピリポリス郊外に暮らしている。長官によれば、何と将軍の夫だとか。警察の方でもその裏付けは取れており、足取りもばっちり掴んでいたようだ。
    ダンダ氏が最後に目撃されたのは、家の近くの商店街だ。警察によれば、娘が経営する花屋と、ケーキ屋に寄った後、商店街を出ていくところが防犯カメラに映っていたらしい。そこから家に帰るまでの間に誘拐されたと考えられる。最後に防犯カメラに捉えられた時刻と、脅迫メールが送られた時刻を考えると、車で移動したとしても今はそう遠くない場所にいるはず。
    警察と捜索場所を分担し、ピシアはこの付近を探すことになった。副官はその統率を任されたのだ。
    てか将軍結婚してたんだ。子供いるんだ。
    副官はテント内の椅子に座りデータパッドを眺める。部下からの報告を待ちながら、あのメールのことを思い出していた。
    「オンナ」という言葉と共に添えられた例の写真。実際は将軍の方が「妻」「母」に相当し、オンナというなら将軍の方が適当である。長官が言うには、ひょっとしたら犯人は見た目で判断したのかもしれないとのことだった。確かに、年老いてなおガッシリとした体格の将軍と、細身で優しそうな顔立ちの夫君を見た時に、どちらが女性っぽいかと尋ねられれば自分も夫君の方を選ぶだろう。
    警察によれば、将軍の家の近くで不審な車、見慣れない人間を何度も見かけたと住民から情報が得られたらしい。つまり犯人は顔見知りではなく、全くの赤の他人であると推測される。
    将軍と長官が慌てるのも分かる。将軍の家族が狙われ、かつ身代金などの要求はないとなると、誘拐は報復目的の可能性が高い。であれば人質が無事である保証はない。
    ピシアは恨まれて当然のことをした。それ自体はクーデターを実行する前から分かっていたことだ。大統領の慈悲で牢屋行きを免れ、こうして復興任務に取り組むことで許しを乞う毎日だが、そんなものでは不十分だと不満を漏らす市民は少なくない。
    犯人の怒りの矛先が、将軍の家族に、あの捕えられた老人に向けられたら?
    人は、自分が正しいと思った時にこそ最も残酷になれる。かつてのピシアのように。
    たった1枚の写真で目にしただけの老人の無事を祈り、副官はパッドに送られて来た探索結果に目線をやった。

    「ドラコルル長官、フリーアドレスからメールが届きました!」
    「中身を確認しろ」
    通信司令室でドラコルルは部下のすぐ隣に歩み寄った。
    「『処刑まであと1時間』……処刑だと!?」
    文面を読み上げたドラコルルの声に、ギルモアはがばりと椅子から立ち上がった。
    「おい、今処刑と言ったか!?」
    背高の2人で部下の手元のモニターを覗き込む。何度読んでも映し出された文字は変わらない。
    と、ドラコルルは突然胸ぐらを掴み上げられた。
    「早く犯人を見つけ出さんか!!」
    声を荒げたギルモアに睨みつけられる。
    「手は尽くしております!」
    ドラコルルは叫んだ。
    少し前に本部にやって来た、元自由同盟所属の技術者たちは、今はピシア隊員と共に犯人の位置特定に取り掛かっている。副官と警察は役割分担し、犯人のアジトがあると思われるエリアを探索している。
    「ならば何故見つからない!!」
    ギルモアは大声を上げた。ドラコルルの軍服を掴み上げる手は僅かに震えていた。
    何も言えないでいる部下を突き飛ばし、ギルモアは乱暴に椅子に腰掛ける。スクリーンテーブルに拳を叩きつけ、そのまま俯いた。
    無慈悲にも時は流れていく。ドラコルルは副官と警察に連絡を飛ばすが、返ってくるのは「成果なし」の文字だけ。
    あと30分で見つかるのか。ドラコルルの首筋に嫌な汗が伝ったその時。
    「映像通信です!」
    部下の声に我に返る。
    「繋げ!」
    首にかけていたヘッドフォンを頭に装着する。スクリーンいっぱいに映し出されたのは、アップで撮影される人質の顔だ。
    「ダンダ!」
    ギルモアは勢い良く立ち上がる。画面を見つめたままドラコルルに近寄った。
    人質の老人は明らかに怯えていた。写真と同じく口に黒いテープを貼り付けられたまま、地べたに座らされている。身を縮こまらせ、目線はカメラより上の方を泳いでいた。
    ボイスチェンジャーを通したような声が聞こえる。
    『あと30分は待とうかと思ったが……気が変わった。今からこいつを処刑する』
    「やめろ!」
    すかさずギルモアが叫んだ。犯人は愉快そうに笑い声を立てると、老人の口元のテープを乱暴に剥がした。
    「その人を処刑することで、お前に何のメリットがある!」
    ドラコルルの厳しい口調にも、犯人は何も答えない。
    『最後に言い残すことがあれば言え』
    「やめろ! そいつに手を出すな!」
    ギルモアはドラコルルが付けているヘッドフォンのすぐ側で叫んだ。映像の中で、老人の目がカメラを捉えた。向こうのスピーカーからギルモアの声が届いたのだろう。
    『ギルモアくん?』
    その声に、ギルモアはハッと画面を見つめた。
    『いるの?』
    ドラコルルはヘッドフォンを外すと、ギルモアに渡した。少し離れたところに座る部下の近くに寄り、その耳元で囁きを交わす。
    ギルモアは帽子を脱いで受け取ったヘッドフォンを付けた。
    「……ああ、いる」
    『早くしろ』
    犯人は苛立ちの色を滲ませて言った。老人はその声にびくりと体を震わせたが、真っ直ぐにカメラの方に目を向けた。
    『あのね、ギルモアくん』
    ギルモアは画面を食い入るように見つめる。
    『誕生日おめでとう』
    その言葉に、ギルモアの口がぽかんと開かれる。老人は微かに笑みを浮かべていた。
    『お花とケーキは駄目になっちゃったけど、プレゼントは僕の書斎に置いてあるから──』
    画面の外から猛スピードで人の腕が伸び、老人の胸ぐらを掴んだ。
    『こいつ!』
    『おい!』
    カメラの前に誰かが立ったようで何も見えない。ボイスチェンジャーを通された複数の声と、人が押し合う音が続く。犯人は撮影機器を地面に置いたのか、スクリーンに映されるのは無機質な床面のみだ。
    「ダンダ! ダンダ!」
    ギルモアは夫を呼んだ。だが聞こえてきたのは返事ではなく。
    『動くな! 警察だ!』
    男の声を皮切りに周囲は騒然とする。沢山の足音、人が激しく揉み合う音、大勢の声。
    と、撮影機器がゆっくりと持ち上げられる。視点が上昇し、画面には副官の顔が映った。
    『……あれ、もしかしてこれ繋がってる? 通信司令室、応答願います』
    「こちら通信司令室。副官、ダンダ氏は保護できたか?」
    いつの間にか、ドラコルルはギルモアのすぐ隣に立っていた。
    『はい! 保護しました!』
    カメラがくるりと方向を変える。少し離れたところで、地面に座り込んだ老人の側に警察とピシア隊員が数名しゃがみ込んで話しかけていた。老人は、少し戸惑っているようだが安堵の表情を浮かべていた。
    「では待機してくれ。私と将軍はそちらへ向かう」
    『了解しました』
    ブツリと通信が切られる。呆気に取られたままのギルモアに、ドラコルルは声をかけた。
    「行きましょう、将軍」

    車の中で、ドラコルルはギルモアに説明した。あの通信の間に逆探知を行い、ようやく犯人の居場所を特定できたこと。やはり自由同盟が開発していた通信手法が用いられており、そのために発信源の場所を割り出すのに時間がかかったこと。副官と警察に犯人の場所を告げ、確保してもらったこと。さらに、犯人のアジトは過去に自由同盟が使っていたものであり、地下の入り組んだ場所にあったこと。
    が、当のギルモアは上の空であった。どうせ後で書面で報告するのだから良いか、と窓の外を見る。
    そう時間も経たないうちに拠点に到着。部下が車のドアを開ける前に、ギルモアは自分で車から飛び出し、外に駆け出した。
    高齢者とは思えぬ動きで一目散に走る。その行き先は勿論、毛布を羽織り椅子に座る老人だ。
    「ダンダ!」
    その声に、老人は勢い良く立ち上がった。はらりと毛布が落ちるが、お構いなしに走り出す。
    「ギルモアくん!」
    引き寄せられるように走る2人は、ぶつかる直前で足を止めた。
    2つの叫び声に、何だ何だとピシア隊員たちは顔を覗かせる。
    「大丈夫か? 怪我は……お前、頬が腫れているではないか! 誰にやられた!」
    「ちょっと犯人に殴られちゃって」
    「何!? 他は殴られとらんか!? 頭は打ってないだろうな!?」
    「大丈夫だよ、すぐに警察とピシアの人が来てくれたから」
    周囲の隊員たちはぽかんとした顔で2人を見ていた。
    あの将軍がめっちゃ慌ててる。人を心配してる。
    「本当に、他には何ともないのか?」
    「うん、でも……」
    夫は一歩前へ踏み出し、ギルモアの胴体にしがみついた。顔を妻の肩に埋め、小さな声で言う。
    「……怖かったから、ぎゅってして」
    ギルモアは一瞬目を見開く。そして、ゆっくりと夫の背中に手を回した。
    そうやってしっかりと互いを抱きしめる2人を見ていたのは、平のピシア隊員だけではない。
    「あの、我々はいつ出ていけば良いんでしょうかね」
    「……さあ、いつだろうな」
    副官のこそこそ声に、ドラコルルは肩をすくめた。2人を連れて帰らねばならないのだが一向に離れる様子はない。
    車を盾にドラコルルはそっと夫婦を覗いた。抱き合ったまま何か話しているようだが、その内容までは聞き取ることはできない。
    「ま、少しくらい待っても構わんだろう。副官、撤収の用意だ」
    「はっ!」
    元気よく答えた副官に、ドラコルルは小さく微笑みを浮かべた。



    「良いか? この部屋から出るな。トイレに行く時は誰かを付き添わせろ。怪しい奴がいたらすぐ連絡を入れろ。それから──」
    「分かってる分かってる。ほらほら、早くいかないと会食に遅れるんじゃないの?」
    ニコニコと笑う夫の言葉に、ギルモアはむうと口を尖らせた。
    「大丈夫だよ。ここより安全な場所はないって言ったの、ギルモアくんでしょ?」
    不服そうな妻の肩をポンポンと叩く。
    そう、ここは家ではなくピシア本部の将軍執務室。最新のセキュリティが備わった、ピリカで最も安全な場所のひとつだ。
    ギルモアはじとりとした目つきで、夫の背後にいる2人の部下、ドラコルルと副官を見た。
    「旦那様の護衛はお任せください」
    ドラコルルは胸に手を当てて答えた。
    ギルモアは不機嫌そうにため息をついたが、最後に夫の顔を見つめて言った。
    「……行ってくる」
    「いってらっしゃい」
    夫はひらひらと手を振った。ギルモアが部屋を出て行くと、くるりと後ろを振り返って苦笑いを浮かべる。
    「すみません、わざわざ僕のために」
    「いえ、仕事ですから」
    「とりあえず、お昼までは座って待ちましょうか」
    短く答えたドラコルルに、男はソファに座るよう促した。
    「我々は護衛ですのでお気になさらず」
    「まあまあ、そんなこと言わずに。それに……ここでの妻の話、聞かせてもらっても?」
    男は何か企みを思いついたとでも言わんばかりに、目を細めて笑っていた。
    ドラコルルは隣の副官と見つめ合う。3秒程経ってから、お互いに軽く笑みを浮かべて肩をすくめた。

    「へえ、そんなことが」
    正面ソファに座ったドラコルルの話に、男は始終驚きっぱなしであった。
    気難しく、冷徹で不信と猜疑の目を周りに向ける上司。ドラコルルから見れば、ギルモアというのはそういう男だ。
    やはり家族から見ると違うのだろうか。なるべく明るい話を選んだつもりだが、男は興味深そうにふんふんと頷くばかりだった。
    「ダンダさんといる時の将軍って、どんな感じなんですか?」
    副官の問いに、男はうーんと考え込んだ。
    「どんな感じ……うーん、心配性、ですかね」
    「あー、確かに……」
    副官は先程の夫婦2人の会話を思い出したのか、同意の言葉を口にした。
    「僕は生まれつき体が弱くて。それで余計に心配されるんです」
    「何かご病気でも?」
    ドラコルルは尋ねた。
    「いえ、病気ではなくて、体調が天候に左右されやすいんです。とはいっても時々寝込んじゃうだけで、そういう時は妻が世話を焼いてくれるんですけど……」
    ドラコルルは、男の穏やかな顔を見つめた。
    「ここまでするなんて正直思ってもみませんでしたよ」
    男はけらけらと笑った。
    彼が将軍執務室にいるのは、妻たるギルモアがそれを望んだからであった。誘拐事件を受け、家の周りを警察が巡回するという話は出ていたが、ギルモアは「警察は信用できん!」と突っぱね、ピシアの保護下に置くという名目で将軍執務室に連れて来ているのだ。
    「妻は半年ぐらいここにいろって言ってたんですけど、僕にだって仕事はありますし、2ヶ月にしてもらいました」
    「えっ、半年ぃ!?」
    副官は驚きの声を上げた。
    「それはまた……」
    ドラコルルが呟く。
    男は微笑んでいたが、やがて真面目な顔をして、ソファの前のテーブルに目を向けた。
    「でも、妻の気持ちも分かるんです。僕も、クーデターの時はとても心配しましたから……」
    ドラコルルと副官はじっと男を見つめた。クーデターの計画は誰にも明かさぬようと緘口令が敷かれていた。ドラコルルも副官も、友人や家族に計画のことは秘密にしていた。全てが終わってからは、怒られたり泣かれたりと色々あったが、ギルモア将軍と目の前の夫も、そんなやり取りがあったのだろうか。
    と、コンコンと扉がノックされる。
    「父さーん、お昼持ってき──」
    緊張感のない声と共に現れたのは、ピシアの隊員だった。制服の色を見るに事務員のようだが、何故か料理の乗ったトレーを持っている。執務室の中に足を踏み入れ3人の方を見たところでぴたりと固まってしまった。
    「……お、お疲れさまです!」
    トレーで両手が塞がっているため、その場で姿勢を正す事務員。
    「父さァん!?」
    副官の叫びに老人は小さく笑った。
    「ウチの長男です。あれ、長官さんと副官さんの分は?」
    「いや、母さんから何も聞いてないけど……」
    困惑した様子の事務員は、そう言いながら老人の前にトレーを置いた。
    「我々は購買で買って来ます」
    ドラコルルは腰を上げた。
    「すみません、妻が僕の分しか手配していなかったみたいで」
    「申し訳ありません、まさかお2人がいらっしゃるとは知らず」
    申し訳なさそうな老人と、頭を下げた事務員に、ドラコルルは微笑んで手を振った。

    「えっ、5人ですか!?」
    購買で買った弁当を食べながら、副官は素っ頓狂な声を上げた。
    「ええ、先程会った長男と、息子がもう1人、それから娘が3人です」
    老人はにこやかな笑みを浮かべ、家族構成を簡単に説明した。
    「大家族ですねえ。賑やかでしょう?」
    「ええ。孫たちも来ると楽しいですよ」
    副官と老人が会話する横で、ドラコルルは3という数字に覚えがあった。誘拐事件の初期、ギルモアは3人の若い女性に電話をかけて安否を確認していた。
    もしかして、あの3人は愛人などではなく娘御だったのでは?
    口に出さなくて良かった。その場で叩き斬られても文句は言えない。
    と、内心肝を冷やすドラコルルだったが、老人と副官は楽しそうに子供の話を続けていた。
    「将軍って、お子さんからは何と呼ばれているんですか?」
    「息子たちは母さん、娘たちはママ、と呼んでます」
    「ママ、ママかあ……普段からは想像できないですねえ」
    副官は肩をすくめて笑った。
    「そういえば、ダンダさんは将軍のことを君付けで呼んでましたよね?」
    「ええ。初めて会った時からそう呼んでいたので」
    「どういう経緯でお会いに?」
    ドラコルルの質問に、老人は魚の煮物を食べながら少し弾んだ声で答えた。
    「お見合いです」
    「へえー! 珍しいですね」
    副官は感嘆の声を上げた。
    「妻の方のお家が、誰でも良いから結婚させたいと僕の家に縁談を持ってきたんです。僕の家もOKだということで、初めて会ったのは……もう40年前になりますね」
    その口ぶりから、随分と堅い家の育ちなのだろうとドラコルルは察した。見合いは本人たちの意思ではなく親が決めたとなれば、それも有名な家門の出身なのでは。
    「で、僕の方が3つ上なので、ギルモアくんと呼んでいたんです」
    「お見合いってどんな感じなんですか?」
    副官は興味津々に尋ねた。
    「妻のお家から指定があって、5回食事会をしてから交際するか決めるという段取りでしたね。僕は妻が最初で最後の相手だったので、一般的にはどうかわかりませんが」
    ドラコルルは話を変えるべきか迷った。
    見合いの経緯から察するに、ギルモアも夫君も名家の生まれだ。そういった家は、親が結婚相手を見繕って決めてしまうなんてことも珍しい話ではない。今現在の夫婦仲は良さそうに見えるが、最初は冷えた関係だったとしたら。
    「でも、妻の方から5回の食事会の後に婚約証明書を送ってきたのは、多分普通じゃないと思いますね」
    老人は朗らかに笑っていた。
    「婚約証明書?」
    副官は首を傾げた。
    「ちゃんと書類で婚約を証明するんです。いきなり届いたものですから僕びっくりしちゃって、すぐ妻に電話したんですよ。そしたら、とっととサインして返送しろって」
    すでに昼食を食べ終えたドラコルルと副官は、はにかむ老人を見つめていた。
    「僕、嬉しかったんです。小さい頃から部屋に篭りきりで、これからもずっと1人で生きていくんだろうなって思っていましたから……」
    老人は最後のデザート、赤い果物を口にし、咀嚼し飲み込んだ後で言葉を続けた。
    「ギルモアくんと出会ってから、僕の人生はやっと動き出したんです」
    色素の薄い目を細めて、老人は少年のように微笑んだ。



    「ダンダ、戻ったぞ」
    「おかえり!」
    将軍執務室の扉が再び開かれたのは、夜の18時を回った頃であった。
    「異常ありませんでした」
    「うむ」
    老人の左右に立つドラコルルと副官は敬礼をし、簡潔に報告した。ギルモアは短く返事をすると、夫に話しかけた。
    「帰るぞ」
    「うん」
    老人はコート掛けから自分の上着を取った。ボタンを閉めていると、声をかけられる。
    「……随分と機嫌が良いな?」
    「あは、分かった?」
    老人はにっこりと笑みを浮かべた。
    「長官さんと副官さんから、ギルモアくんの話を聞いたんだ」
    「何?」
    ギルモアは眉間に皺を寄せた。
    「あ、そうだ! ギルモアくん僕の分しかお弁当手配してなかったでしょ! 今度からちゃんと護衛の人の分も用意してよね!」
    夫に詰め寄られ、ギルモアは気まずそうに目を泳がせた。
    「ほら、返事は?」
    「……わ、分かった……」
    あの将軍が気圧されている。
    ドラコルルと副官は驚きの眼差しで2人を見つめた。
    「本当今日はごめんなさいね……お話できて楽しかったです」
    部屋を出る直前、老人はくるりと後ろを振り向いた。
    「いえ、お気になさらず。こちらこそお話できて光栄でした」
    「また機会があればお話聞かせてください!」
    ドラコルル、副官が順に挨拶を述べる。ギルモアは「ご苦労」と最後に一瞥をやり、手を振る夫と共に部屋を出て行った。
    ガチャリ、と扉が閉められる。
    「旦那さん、良い人でしたね」
    「そうだな」
    ドラコルルは側近の言葉に同意を示した。
    「さて、我々も戻るか」
    「残業します?」
    「少しだけな。警察から送られてきた資料だけ読んでから帰る」
    「あれ何ページあると思ってるんですか。読んでたら夜中になっちゃいますよ」
    「あらかた頭に入れてある。あとは細かい部分を読むだけだ」
    ギルモア将軍の夫誘拐事件についての結果報告が警察から届いている。犯人は元自由同盟のメンバーが2人、残りは自由同盟側の政治家の子息たちだったと。
    ドラコルルの見立て通り、彼らの目的はギルモアへの復讐であった。クーデター中酷い目にあった恨みを募らせていた彼らは、たまたま街中でギルモアと夫君を見かけたことで怒りを燃え上がらせ、今回の犯行に至ったというのが警察の調べだ。犯人たちは2人が夫婦だというのまでは調べたらしいが、か弱そうな夫君の方が妻だと思い込み、「オンナを預かった」というメールを送信したのだという。
    背後に政治団体がいる、というわけでもなく、ただ単に恨みを持った個人が集まったグループの犯行、ということでこれ以上ピシアが出る幕はない。今回は自由同盟、すなわち政府が機材を放置したことが事件を複雑化させた。あちらが責任を持って機器を回収するだろう。
    2人も執務室を出る。定時を過ぎたため、自動で扉にロックがかかった。
    「あんまり遅くまで無理しちゃ駄目ですよ」
    「分かっているさ」
    2人が談笑する一方、あるエレベーターの中では。
    「……何を聞いた?」
    ギルモアは隣に立つ夫に問いかけた。
    「ん?」
    「あいつらから、ワシの話を聞いたんだろう?」
    扉の上部に表示される、階を示す数字が一つずつ小さくなっていく。
    老人は妻の方を振り向いた。その横顔は硬い。
    「色々聞いたよ」
    ギルモアの口がきゅっと横に結ばれる。
    「……自分の頭の上に老眼鏡乗ってるのに、他の人がどっかにやったって疑いまくってたんでしょ?」
    横一文字の口が小さく開かれた。ギルモアはハッと夫の方に視線を向けた。
    「あと、後ろから人が近づいたのにびっくりして咄嗟に背負い投げしちゃったっていうのも聞いた」
    目を白黒させる妻に、老人はニッコリと笑ってみせた。
    「あんまり部下の人たち振り回しちゃ可哀想だよ」
    肘でつんつんと小突く。ギルモアは呻き声のように「あ、ああ」と言った。
    と、エレベーターが目的の階、1階に到着する。通りすがる沢山の部下たちに敬礼を向けられるが、ギルモアは真っ直ぐに玄関口を目指した。その横で夫は軽く頭を下げる。
    出入り口の自動ドアが開かれた途端、ワッと市街の喧騒に包まれた。
    「もう暗いねえ」
    ほとんど日は沈み、ピリポリスは夜の姿へ移り変わろうとしていた。闇に覆われようとしている空を見上げる夫の手に、あたたかいものが触れる。
    「行くぞ」
    ギルモアの手は、夫よりも少し大きい。男らしく無骨な手が、優しく夫の手を引いた。
    「うん」
    老人は頷いて歩き出した。
    以前までは、手を繋いで外を歩いたことはなかった。2人の世代では男同士の婚姻は珍しく、周りの人間から奇異の目で見られることをギルモアが嫌がっていたからだ。
    そんなの子供たちと歩けばすぐバレるのに、と夫は言ったが、ギルモアは首を縦に降らなかった。彼なりのプライドがあったのだろう。
    そんなギルモアも、最近はこうして外で手を繋いでくれる。だがそれは本人の気が変わったのではないことくらい、夫は気づいていた。
    もう離れ離れにならないように。誰かに連れ去られてしまわないように。
    大丈夫だよギルモアくん。僕はここにいるよ。
    きゅう、と握る手に力を入れると、同じ力で握り返された。
    ふと妻の顔を見ると、その触覚がわずかに赤らんでいるのが分かった。
    「……ギルモアくんの手、あったかいね」
    「お前が冷え性なだけだ」
    夫がひっそりと微笑みを浮かべる。
    紫色の空の彼方で、一番星がきらりと瞬いた。(終)
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