ピシア幹部の温泉旅行「こちら、御三方に差し上げます」
緑色の目をした少年大統領は、目の前に立つ3人の男──ギルモア将軍、ドラコルル長官、そして副官に小さな紙切れを手渡した。
「何だこれは?」
ギルモアが訝しげに眉間にシワを寄せる。
「温泉旅行のチケットです。日々の疲れを癒してもらえたらと」
ドラコルルは色の濃いサングラスの下で目を細めた。革命、もといクーデターを起こすも自由同盟に敗北し早1年。ピリカの復興に任務として従事することで監獄行きを免れたものの、大統領に散々にこき使われる毎日だ。しかし唐突に旅行券のプレゼントとは、一体。
「もうピリカの復興も一区切りつきましたし、補佐官やゲンブ大臣にもリフレッシュとして休暇を取るよう勧めているんです」
「それで、我々も休暇を取るべきだと?」
ドラコルルの言葉に大統領は頷いた。
「はい、こちらの都合で日付は指定することになりましたが」
日付指定? ドラコルルはチケットを裏返した。右端に有効日が記載されている。その日付を見たドラコルルは、再び少年に目線を戻した。
「温泉と、美味しい食事で有名なところです。1泊2日、ゆっくりしていってくださいね」
大統領はにこりと微笑みを浮かべた。
「わーっ! 貸し切りじゃないですか!」
水色の髪の大柄な男、副官は喜びに声を上げた。ウッド調のレトロな壁と天井に、石造りの湯船。もくもくと湯気が充満する空間に、副官の声が響き渡った。
「そうだな」
ドラコルルは、その隣でくっくと笑っていた。大統領に手渡された旅行券は、3枚とも同じ旅館の、同じ日付で宿泊するよう設定されたものだった。
「何だか昔を思い出します」
「そうだな」
ドラコルルと副官は隣に並んで体を洗った。昔、2人は同じ部隊に所属していたことがあった。食事も風呂も睡眠も一緒にとっていたから、お互いの裸なんてもう見慣れたものだ。
シャワーを浴び、室内の湯船に浸かって壇上を楽しんでから、2人は露天風呂へ向かった。
外はもう真っ暗で、頭上では数多の星が瞬いていた。チチチ、と虫の鳴き声が聞こえる。岩で縁作られた湯船の端に、先客がぽつりと佇んでいた。
「ギルモア将軍、失礼します」
ドラコルルが声をかけると、湯面を見ていた老人は顔を上げた。
「他に客がいないのは幸いでしたね〜」
湯に浸かりながらそう副官が言うと、ギルモアは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……あの小僧が仕組んだやもしれんぞ」
「奴なりの『配慮』はあるでしょう、おそらく」
「配慮?」
副官は上官の言葉を反芻した。
「今日は自由記念日だからな」
そうドラコルルが言うと、副官は何かに気づいたように眼を見開いた。
今日は自由同盟が内戦で勝利した日、つまりピシアが敗北した日でもある。この旅行は、そのような日に都会の喧騒を離れさせ、市民からネガティブな感情や言葉を向けられることのないようにと、大統領なりの気遣いの結果なのだろうとドラコルルは推測していた。
自らの敗北を祝われるのは決して愉快な気持ちではないが、負けた以上は仕方のないことだと諦めていた。が、こうしてわざわざ、ゆっくり身も心も癒す機会を与えてくれた大統領には感謝しているのだ……決して本人には言ってやらないが。
「そういえばそうでしたね、俺すっかり忘れてました」
たははと笑う副官に、ドラコルルも笑みを浮かべて肩をすくめた。
「まあでも、ご飯は美味しいしお風呂は最高だし、大統領からチケット貰って良かったです!」
副官はご機嫌そうに湯の中で足を伸ばした。ドラコルルも、あぐらを崩して膝を伸ばし、湯の温もりに浸る。
ザバザバと音がした方を向くと、ギルモアが肩まで湯に浸かり、ドラコルルの近くまで寄ってきた音だった。
裸の付き合い、という言葉があるが、確かに3人並んで湯に浸かっているだけで、不思議と心の距離が縮まる気がする。元々親しい副官も、いつもよりくだけた態度になっているように思えるのは気のせいではないはずだ。大統領は、これも見越して我々にチケットを渡したのだろうか。
「良い湯ですねえ」
「ああ」
副官の言葉に同意を示す。ギルモアの方からふーっとため息が聞こえ、ドラコルルは頬を緩めて微笑んだ。(終)