バレンタインは恋人の味方「来年の僕の誕生日プレゼントは僕のブランドのモデルして欲しいな」
ハロウィンが終わってクリスマスまでまだ日にちがあるというのに、来年のバレンタインデーの話とは気が早い。
乱数からのリクエストに一郎は小さく笑いながらも快い返事が出来ずに唸った。
乱数の事務所の荷物整理の依頼をされて、それが終わってお茶を飲みながら一息ついているところだった。
「いいって言いたいけど、モデルか……」
ランウェイに立つなんて無理だし、萬屋以外の看板を背負うつもりはない。
「心配しなくて大丈夫。業界向けのカタログに使う写真、ちょっと撮るだけだから。一般には出ないカタログだし、撮影なんて一日で終わるよ」
受け渋る一郎に乱数はたたみかけるように話す。
「一郎は僕の素敵なお洋服着て、ただ立ってるだけでいいよ。カメラマンさんがカッコよく撮ってくれるし、それに主役は僕の服だから一郎が気負う事はこれっぽっちもないよ」
乱数はそれから一郎にやって欲しいというモデルが着る予定の服について語り始めた。
新作のラインのコンセプトを熱く語る乱数の熱意に次第に一郎の心は打たれた。
「わかった。引き受けるぜ!」
一郎は笑顔で応えた。
■
それから萬屋の繁忙期になってしまい、撮影は一月も半ばになって行われる事になった。
件のカタログには他のモデルも載るのだが、他の撮影は終わっているとの事で今回の現場のモデルは一郎一人だ。
スタジオで乱数とスタッフ数名に囲まれて撮影が始まる。
撮影が始まってみると、立っていればいいと乱数が言っていたのに、カメラマンよりも乱数からポージングの指示が飛ぶ。より良いものにしようと乱数には余念がない。
乱数の真剣な様子に一郎も背筋が伸びる。良い意味で緊張感を保って撮影に臨む事が出来た。
撮れた写真の確認が終わると、乱数が勢いよく一郎に抱きついてきた。
「一郎! もう最高! お前に頼んで良かったよー」
乱数は抱きついたまま一郎の髪をくしゃくしゃにしながら頭を撫で回す。乱数の満足した様子に嬉しくなり、一郎は抱きつく乱数に止めろと口では言いながらもその体を支えて引き剥がしはしなかった。
「喜んでもらえて良かったぜ」
「うん。最高の誕生日プレゼントありがと」
セットしてあった髪型を見る影もなくぐちゃぐちゃにした乱数は落ち着いたのか一郎から離れる。
「あのさ、乱数……」
モデルをしながら、そのうちの一着を身につけた一郎は一つの考えでいっぱいになっていた。一郎は気恥ずかしさをこらえながら乱数に声をかける。
「なあに?」
にこにこ笑う乱数に一郎は先程まで着ていたハンガーにかかっている服を指差した。
「あの服買い取らせてくれないか?」
「ん〜? どうしようかな~。理由教えてくれたらいいよ」
一郎の様子に乱数の笑い顔がにこにこからにやにやとしたものに変わる。
「気にいったんだよ! カッコいいから!」
乱数のブランドには珍しいジャケットのセットアップで、セミフォーマルでも通用しながらも遊び心のあるデザインだった。
「それだけ?」
そう訊く乱数はわかってるに違いない。からかわれるのがわかっているから言いづらかったのだ。
「……バレンタインに左馬刻とディナーに行くんだ。そのレストランってドレスコードがあんだよ。それに着ていきたいなって思ってよ。撮影であのスーツ着た時、左馬刻の顔が思い浮かんで……。左馬刻ってそういう時、キメてくるんだよな。……あれ着たらキメてきた左馬刻の隣に立っても自信持てるなって思ったんだよ」
一郎の言葉に乱数の顔が輝く。
一郎の格好いい基準はいつだって左馬刻で、その左馬刻と並ぶのに着たいというのは一郎からの最高の褒め言葉だ。
けれど乱数は目まぐるしく表情を変える。
「えー! バレンタインデー? 一郎は当日僕の事祝ってくれないの? しくしく」
泣き真似だとはわかっているが一郎は慌てた。
「誕生日パーティーに俺も呼んでくれるつもりだったのか? すまねぇ」
慌てる一郎を乱数は笑い飛ばす。
「あっははは。嘘、嘘。ごめんね。誕生日当日はこの新作ラインのプレス発表してバースデーイベントするから、皆とパーティって余裕はないんだよね。一郎は左馬刻とバレンタインデート楽しんできて」
乱数はハンガーにかかった服をテキパキと袋にしまうと一郎に差し出した。
「じゃ、これプレゼント」
「いやいや、買うよ」
「今日の出来映え最高だったから、いいの! あげる」
乱数はいつにもましてご機嫌だ。一郎は乱数の言葉に甘える事にした。
「そっか。じゃあありがたく貰うな!」
■
迎えたバレンタインデー。一郎は乱数のブランドのスーツに身を包み、駅前で左馬刻を待っていた。
「カッコいい〜」
「なんかの撮影?」
「え、あれBBじゃない?」
道行く人が自分に向かって噂する声が聞えてくる。
このスーツは確かに格好いい。スタジオで着た時は気にならなかったが、街中で立っているのにはいささか目立つ。そもそも着る人間を選ぶ派手なデザインで、それを着こなしていてもそれだけ服に負けない容姿が必須なのだから目立つものだ。目立つ容姿の人間が目立つ服を着ていて、それがかってのディビジョンバトルで名前の売れている一郎なら尚更衆目を集めた。
左馬刻は待ち合わせ時間の前に来ている事が多い。だから駅に着いたらさっさと左馬刻の運転する車に乗る予定だった。それが今日に限って左馬刻が遅れている。
かれこれ二十分は人目にさらされている。周囲の視線なんて気にしない一郎だが居心地は悪い。
前の道路に見慣れた車が見えた。
一郎は車に向かって走り出す。
中に乗っているの人物が左馬刻である事を確認すると一郎は助手席に体を滑り込ませた。
「左馬刻、遅ぇよ……」
思わず第一声が愚痴になってしまった。
「あ? 何言ってやがる。約束の時間の五分前だろうが」
「いやいや、俺結構待ったぜ?」
「はああ? 今日仕事でお前が連絡する暇もないからって代わりに乱数から待ち合わせ三十分遅らせてくれっていう伝言聞いたぞ?」
それを聞いた一郎はグローブボックスに肘をついて頭を抱えた。
「……やられた」
「何がだよ?」
「この服、乱数のブランドの新作……」
乱数からの伝言であった事と一郎の今の台詞で左馬刻も得心したようだ。
タダより高い物はない。宣伝に使われたのだ。
今日はこの新作のプレスリリースの日。人の集まる駅前で一郎を立たせるように計らったのだ。一郎は目くじらを立てるまでもないと咎めもせずに見逃したが道行く人から何枚か写真も撮られた。きっとその写真はSNSに上げられているだろう。乱数からいいように広告に使われてしまった。まあ、スーツは貰ってしまったし相手はお誕生日様なので許すしかない。
「ってかよお一郎くん。お前は彼氏様とのデートに他の男から貰った服きてきたんか? 俺様から貰った服着てくんのがマナーじゃねぇの?」
「え?」
左馬刻の前で格好つけたかっただけだった。スタジオで着た時、スタッフも乱数も格好いいと褒めてくれたし、自分でも合っていると思った。着せられているような大人っぽさはなく、ちょっと背伸びしたくらいに大人っぽくて、これなら左馬刻の隣に堂々と並べるなと思ったのだ。左馬刻からの贈り物ではないが、左馬刻の事を考えて着てきた服だ。
「そこまで考えてなかったんだろうな」
左馬刻はふっと笑うと改めて一郎の頭から足先まで見て「似合ってる」と言った。
「俺がやった服じゃないのは気にいらないが、今日のお前、最高にカッコいいぜ?」
褒められたかった本人から面と向かって言ってもらって一郎は頬を染めた。ディナーの前なのに胸がいっぱいだった。
■
ディナーは夜景の見える個室だった。
左馬刻は当たり前のようについでにホテルの部屋も予約していたので、帰りの運転も気にせずシャンパンで乾杯する。
メインディッシュが終わった頃、店員から「山田様、向こうでご用意がありますのでお受け取りください」とそっと耳打ちされて個室の外に誘導された。
そして渡されたのは薔薇の花束だった。
左馬刻からのサプライズかと思ったが、だったら本人が渡してくるはずだ。
「こちらは飴村様からの伝言でございます」
急に出てきた乱数の名前。一郎はメッセージカードを受け取った。
『一郎へ スーツでばっちりキめたあとは、この薔薇の花束をプレゼントして左馬刻を惚れなおさせちゃって♡』
ここで食事する事は左馬刻から聞き出したのだろう。この気遣いは一郎を広告塔にした事への礼か、お節介か。どちらにせよ色男からのアドバイスは有り難く受け取ろう。スーツでキメたって薔薇の花束を渡すというキザな発想は一郎にはなかった。チョコレートは一応自分で用意しているが今日はとことんキメて乱数の言う通り左馬刻を惚れなおさせてやる。
薔薇の花束を抱えて部屋に戻ると左馬刻の驚いた顔が目に入った。
「左馬刻、ハッピーバレンタイン」
椅子に座る左馬刻の前に片膝をついて花束を差し出す。
「はっ、……生意気」
花束を受け取った左馬刻が目を細めて笑う。ニヒルな笑顔が左馬刻にはよく似合う。
今日の左馬刻は前髪とサイドを上げたハーフアップにしていた。スーツのジャケットは光沢のあるシルバーでシャツは黒。一郎に劣らず派手な格好だが左馬刻らしくて格好いい。
ただでさえ格好いい男が真紅の薔薇の花束を抱えている。これ以上ないくらい絵になっている。
自分の恋人が最高に格好いいと見惚れていると、左馬刻が一郎に顔を寄せる。
「ありがとな」
耳元で低音が囁く。
どんなに格好つけたって、この男には及ばないと一郎は思った。
「一郎、プレゼント用意してんのはお前だけじゃないんだぜ?」
おもむろに左馬刻がテーブルの上に花束を置く。
左馬刻はジャケットをめくるとベルトのバックルを外し始めた。こんなところで何をと慌てる一郎をよそに、左馬刻はボトムの前をくつろげた。
「……っ」
くつろげたボトムからちらりと見えたのは赤いレース。
すました格好の下にこの男はこんなハレンチな下着を着けていたらしい。
「そそるだろ?」
一郎は俯いて頷いた。
「大人のプレゼントしてくれた一郎くんは大人のお礼も期待しとけよ」
左馬刻の手が一郎の背中に回る。その手は下におりていき、不埒にもぎゅっと尻を掴んだ。
この恋人に敵う気がしない。