ある、花魁の話「姐さん姐さん、あのお話して」
「またかい?怖い怖いって厠に行けなくなったの忘れたの?」
「わっちも聞きたい、姐さんお話して」
「……しょうのない子達だね」
吉原でも五本の指に入る美しい花魁の部屋から昔話が聞こえる、吉原に巣食った鬼の話だ。
花魁が禿だった頃、いつも彼女は怯えていた。後から鬼だと知った蕨姫花魁はいつも禿の彼女へキツく当たり、折檻をしては憂さ晴らしをしていた。
そんな彼女の毎日を金色の灯りが照らす。
彼女が「善子ちゃん、善子ちゃん」と慕った珍しいたんぽぽ色の髪をした女の子、その善子だけが唯一蕨姫花魁から彼女を身を呈して救ってくれたのだ。
しかしその善子が男で、鬼を斬った一人だと風の噂に聞いたのは善子がいなくなって随分後の事だ。数年前にそんな事があったとは思えないほど吉原遊廓は今日も美しくでも欲に塗れた怪しい光を放ち輝いている。
「姐さん、そのぜんこちゃん、てどんな子?」
「三味線が上手くて、とっても優しい人よ。姐さんに意地悪された私を助けてくれたの」
「わっちもぜんこちゃんに会いたいなあ」
「そうね、いつか会えるかしらね…さ、アンタ達もうおやすみ」
花魁の足元ですやすやと寝息を立て始めた禿達の寝顔にフッ、と口元を緩めてもうすっかり更けた遊郭の街の空に浮かぶ満月を見上げる、濃い月の色はどこか善子の髪の色を思い出させた。
それから数日後、花魁の上客の計らいで店の子達を連れて遊郭の外の街の祭りへと花魁はやって来る。滅多に出ることの無い外の世界はいつも新鮮で胸が騒ぐ、出店を見て回れば遊郭の中で見る煌びやかで人を惹きつける様な装飾品にはない平凡な幸せを象った小ぶりな装飾品ばかりが並んでいてそれがやたらと彼女の目を引いた。
その視線の先にまた、黄色が留まる。
あの頃よりずっと逞しくなったものの変わらない蒲公英色の髪が揺れる、彼女と善子の間にビュウ、と強い春の風が吹いてすぐ側の風車がカラカラといくつも激しく回って音を立てて同時に、彼女の胸がドキリと跳ねた。
「善子ちゃ、」
絞り出した声は震えて風があっさりとそれを攫う、彼女の真横を少し急ぎ足で過ぎる少しだけ日に焼けた肌で、毛先に赤みを帯びた長い髪を靡かせた誰かが善子の背中へ声を掛けて彼女は思わず口を噤む。
「善逸さん!もう、すぐいなくなっちゃうんだから」
「…禰豆子ちゃん!ごめんごめん、禰豆子ちゃんに似合うんじゃないかって思ったら気になっちゃって…」
「この前買ってくれたばかりよ?私は十分…」
「……実は、もう買っちゃって…」
「…もう、仕方ないお父さんね」
「ごめんねええぇ!!嫌いにならないでねえぇえ!!」
お父さん、その言葉が風と共に彼女へ届く、チラと盗み見た善子、ではなく善逸の妻の大きなお腹、そして優しく宥める手付きと笑顔に速まる鼓動が刺すように胸を突く。
彼女はその時初めて優しい善子ちゃん、否、鬼を斬った善逸さんに恋をしていたと気付く。
「ぜ、んいつ…さん」
届かない、名前を呼ぶ。
二人の、未来へと向かう足音が、聞こえる。
自分は、どこへ向かうのだろう。
「……姐さん、どうしたの?どっか痛い?」
「姐さん、大丈夫?」
「……大丈夫よ、目にゴミが入っただけ。さ、お菓子を買いに行こうね」
目元を拭いヒヤリとした真っ白な手で二人の禿の手を引き、若夫婦とは逆の道へと彼女は歩いていく。
胸の痛みはまだ、消えない。
出店で買った甘い甘い黄色の金平糖を彼女はゆっくりゆっくりと口の中で溶かす。
今日もまた、吉原の夜はあのころと変わりなく煌びやかで眩しい。
違うことと言えば、鬼が居ない。その事実だけだ。
それから暫くして、吉原一の花魁が誕生したと遊郭の外でも話題を攫う。その遊女はいつも、甘い甘い香りを漂わせていた。
そんな彼女の部屋にはいつも、たんぽぽの様な黄色の金平糖が鏡台の隅で月明かりに照らされ、輝いていた。