サマーライト・レモネード「ほら、フロイド。はやくこちらへ」
木陰の下でアズールが呼んでいる。フロイドははやく陽の光の元へと飛び出していきたくて、わざと聞こえないふりをした。だって、とっくに他のメンバーは楽しげな催しに駆けて行ってしまったし、目の前の海にはイルカが泳いでいる。服だって新しくて気に入ったデザインのものを着ているし、はやく、はやく、と気が急いた。フロイドの視線の先は海と、陽気な音楽と、鮮やかで美味しそうな果物達を映している。アズールはこういう雰囲気はあまり好まないのか、なんとなく一番最後まで荷物置き場に残っているタイプだった。もちろん、商売や利害関係が絡んでいない時に限るけれど。
「フロイド」
もう一度、今度は低い声で名前を呼ばれた。しかも、片腕はがっちりと掴まれている。逃がさない、と空色の双眸がフロイドを捕える。アズールがいるところは、一段と暗い。くっきりと落ちる木の影が温度を下げてくれて、風が吹くととても涼しい。暗い影の中でも、アズールの銀髪はわずかな木漏れ日を弾いて、揺れるたびに柔らかく光った。
日焼け止めは持っていますか、と問われて、ようやくフロイドは口を開いた。
「あるよ。ジェイドが持ってけってうるさいからさぁ」
「当然です。この国は緯度が高い分、紫外線が強いんです。しっかり対策をしないと火傷をしますよ」
緯度が高い。つまり、北の深海よりもずっと、太陽が低いところにある土地なのだ。
「アズール、オレ、日焼け止めよりサンオイル塗りたい」
フロイドは唇をつきだして、不満げな声を出した。アズールは黙って、フロイドの荷物から日焼け止めを勝手に探し出すとフロイドの腕に塗りたくりはじめた。惚れ惚れしてしまうほど綺麗な無視だった。
「もう、この肌の色飽きた。日焼けした人魚ってかっこよくね?」
フロイドが同意を求めても答えはなく、もう片方の腕にも念入りに日焼け止めのジェルが乗せられて、満遍なく皮膚の上に伸ばされていく。
「人魚は日焼けしないしさぁ。せっかく人間になったんだから、一度くらい真っ黒に焼いてみたい」
子供の夢物語を聞き流すように、アズールは相槌すらうたずに、手のひらの上に日焼け止めジェルを溜めると、フロイドの首筋に手を伸ばした。ひんやりとした冷感が、フロイドのうなじを冷やす。
「ねーってば。聞いてる〜?」
冷たい感触が心地いいのか、フロイドがぴくっと耳を震わせた。そのまま、アズールはフロイドの胸元に手を滑らせる。シャツの隙間から、詰まった筋肉が存分に存在を主張している。寮服を着ているときには、ここまで目立たないその胸元は、開放的な服装になったときにいかんなくその魅力を発揮していた。最近、特に肉感的になった気がする。アズールはここ最近のフロイドの変化を思い浮かべたが、番関係が成立したことくらいしか特筆すべきことはなかった。このボタンの開き具合からして、フロイドが屈むとアズールが絶対に他人に見せたくない部分まで見えてしまうだろうな、とアズールは冷静に洋服を観察した。そして黙ったまま、服の中に手のひらを差し込む。フロイドの筋肉は柔らかくアズールの手を受け入れた。フロイドはされるがままだ。あらかた胸元への塗布作業を終えると、止まるべきボタンが止まっていないせいで、空間にだいぶゆとりがあるアロハシャツの裾から腹筋にも手のひらを這わせた。冷たいジェルと、アズールの手が気持ちよくて、フロイドは裾をぎゅっと掴むとアズールが塗りやすいように胸元まで布地を引き上げて、大人しく体に日焼け止めを塗られる。アズールが絶対に他人に見せたくない部分が、見えそうになっている。フロイドは、あまり露出について頓着していないらしい。彼のそんな無防備な仕草がかわいらしくて、アズールの口元が、ふ、と笑みの形に柔らかくほどける。
「アズール……。なんでやだって言ってるのに、日焼け止め塗んの……」
フロイドがぽそりとつぶやいた。この後に及んで、まだそんなことを言っているとは、よほど構ってほしいらしい。アズールはフロイドの口を塞いだ。ちゅ、う、と軽く吸われて、ゆっくりと唇が離れていく。
「塗らなかったら、火傷しますよ」
アズールはフロイドを大切にしている。フロイドもそれを分かっている。べつに火傷してもいーし。ねえ、サンオイル、塗ってよぉ。アズールが塗ってくれないなら、他の人に頼んじゃおっかなあ。自分の番であるアズールが、けしてそんなことは許さないと分かっていて、フロイドはわざと語尾を伸ばした。アズールはどう出るだろう。どんな言葉をくれるだろう。いつだって、フロイドはアズールの動向が楽しみで、ワクワクする。だから、いつまでも駄々をこねてみたりして、アズールの反応をにやにやしながら待ってしまう。アズールはフロイドが雑に扱ったシャツの皺を伸ばし、はだけまくっているシャツのボタンを一つだけ丁寧に止めるとフロイドをじぃっと見上げた。ここは太陽に近い場所。海も空に近い。スカイブルーが、とても近い。
「火傷をすると……、夜に響くでしょう?」
アズールが美しい微笑みでそんなことを言うので、フロイドはあっという間に目を閉じられなくなってしまった。遠くの方から、同級生や後輩達の賑やかな声が聞こえる。ひょっとしたら二人を呼んだり、探す声も混じっているのかもしれない。でも、それらは全部ものすごく遠くにあるような気がした。二人きりの木陰の中は涼しくて暗くて、あちらとこちらをくっきりと分けてしまう。フロイドの瞳が金色にチカチカと光る。アズールは目を細める。普段は蜂蜜を溶かして固めたのではと思うほどに甘ったるい色をしているのに、今日は薄く色が抜けて白金色をしていた。ここは太陽の力が強い土地だから、きっと彼は太陽に蜂蜜色の光を吸われたに違いない。陽の光の下に彼を放ちたくなくて、これ以上光を取られたくなくて、アズールは再び、フロイドの少し色のついた頬に手を伸ばすのだった。
「あついですね」
「……ぜんぶアズールのせいだかんね」
「それはそれは。冷たいレモネードでもご馳走しますよ」
だから、もう少しここで一緒に。影の中に。僕の隣にいて。