明智さんと劍さんめーちゃ書きかけの未来の隆小夜です。
○序
こいつにだけはもう触れてはいけないと思っていたはずだった。
今は多少話す間柄で、隣人のマネージャーで、昔お互いに大きな失敗をした同士の、年下の女。
だけど、俺はそいつの長い髪についた埃をするっと取ってやる。
「……っ」
彼女は露骨に動揺して、でもそれを押し隠そうともして中途半端に身を引く。
広めとはいえエレベーターの中で、そこまで距離は取れていない。
「埃、ついてたから」
「あ……ありがとう、ございます」
「ああ」
会話は一往復と俺の相槌で途切れる。気まずい。
俺はもう一言だけ追加する。
「来ませんね」
「そうですね」
これも一往復で終わった。
俺・劍隆文は今、明智小夜と共に、故障したエレベーターに閉じ込められている。
○第一章 事務所マネージャー
俺たちが再会したのは、就職した彼女がマネージャーとして担当しているVtuberが俺の隣に引っ越して来たせいだった。
そのときは、部屋の前の廊下で鉢合わせたんだったか。
彼女はかつて、ネット配信者としての俺の元ストーカー……というと若干の語弊があるが、家を特定して訪ねて来る所謂リアル凸行為を二度もしたり、そのとき偶然知った誤情報を他所で口走ってしまったりした迷惑ファンだった。しかも家凸のうち最初の一回は実家で、余計面倒なことになったのだ。
そんな彼女は再会してすぐに、接近してしまったことを謝ってきた。長身の細い体を折るどころか丸めるような、土下座しかねない勢いだった。
彼女には、あの頃に付き纏いを防止するための誓約書を書かせているからだ。
しかし、彼女は「もう来ません」とは続けなかった。
「隣の部屋には通わせてください。なるべくその……来る回数は増えないようにしますし、見掛けたらタイミングをずらすとか、気づかなかったことにするとか、工夫はするので」
それは彼女がマネジメントを担当する十代のVtuberのためだった。
『あの子は極端な人見知りで、やっといい環境に移れたばかりで……』と。その説明で済ませるにしては、複雑そうな事情を滲ませて。
俺は結局、彼女が隣の部屋に通うことを容認した。
一人でネット配信者をやっているわけではないから、グループのCOSMICとして一緒にやってる二人にも共有して、相談した上での回答だ。勿論最初に共有したときには驚かれたが、リーダーの宇宙ももう一人の薫も、最終的には俺の判断を信じてくれた。
誓約書はまだ有効としておいた。何かあればそれを盾に立ち回る、そういうことにして。
隣のVtuberのことは、彼女が何くれと世話をしてやっているようだった。のちに『才能ある子だったお陰でギリギリ事務所が守ってやれている』と説明がなされるような家庭環境の少女は、精神的にも不安定で、引っ越しもマネージャーの変更ももうこれ以上はできない状態にあったらしい。
そんな内情を教えられたのは、隣の少女が引っ越してきて半年以上経ってから。
最初の頃は隣の少女とも彼女とも行き合うことは滅多になかったし、行き合ってもお互い上手く無視していた。
隣の部屋に通うことを容認するのだって、お互い仕事用に使っているメールだけを交換して伝達したのだ。向こうも礼以外に何も返して来なかった。
最初の接触以降まともに言葉を交わしたのは、共用廊下に落としたカフスボタンを探している彼女に遭遇したときだった。
「……どうしました?」
マンションの廊下、エレベーターと俺の部屋の間にある隣の少女の部屋の前でしゃがみこむ黒い影に、俺は声を掛けた。
挙動が不審だったのだ、無視もできなかった。本当にそれだけだ。多分。
俺の足音に気づくこともなく消化器の裏を覗いていた彼女は、器用にもしゃがんだまま踵で跳ねて(どうやったんだ?)はたと立ち上がる。
彼女はここで見掛けるときにいつも着ている黒っぽいパンツスーツの膝を払って俺に向き直る。見れば、袖口からびよんと長めに糸が飛び出していた。明らかにカフスボタンが足りていない。
「すみません。落とし物をしただけなので気にしないでください」
早口で言った彼女は、手ぶらのままでエレベーターに向かって歩き出す。
俺も構わず自分の部屋に向かおうとして、自分の靴裏の滑り具合に違和感を覚える。足を退かすと案の定カフスボタンを踏みつけていた。拾って、何も考えずに彼女を追いかける。
「おい、あんた。これ」
「え」
エレベーターを待っていた彼女は戸惑った様子で振り返って、俺の手のひらのカフスボタンを見てからちらりと俺の顔を見る。
その頬には薄い引っ掻き傷があり、よく見るとポニーテールの長い癖毛も、イカ耳状態の猫の耳みたいに跳ねているサイドヘアーも、ところどころほつれている。
「あ、ありがとうございます。これです」
彼女は俺の手のひらをジッと見据えたまま片手を伸ばして、つまみ取る前に止めて、両手で器を作る。
「……貰います」
明らかに、手に触れることを回避する振る舞いだ。これまでの経緯を考えれば自然なことだが、俺の方が避けられる側みたいで、なんか……あんまいい気分ではない。
俺はそっと彼女の手の中にカフスボタンを落とす。
ちょうど、彼女の背後でエレベーターの扉が開いた。
箱に乗り込んで深々と頭を下げる彼女を、俺は何故か間抜けに見送っていた。
その日以降、段々と彼女は俺にとって、ただのご近所さんのような関係に落ち着いていった。
俺から積極的に話し掛けたわけじゃないし、彼女が馴れ馴れしくなったわけじゃない。ただ、カフスボタンの件で礼を言われてから無視するのも違和感があるムードが発生してしまったし、単純に鉢合う機会が増えすぎたのだ。
一言、もしくは黙礼だけ。それでも積み重なれば少しずつ身近にもなる。
俺は、明らかに通う回数が増えていた彼女を「約束が違う」と責めることはできなかった。
彼女はまだまだ何も言わなかったが、そこはご近所というか、隣の少女がちょっと無防備すぎるというか……察する機会はあったからだ。隣の少女を取り巻く状況が以前よりも不安定になっていることを。
……いくらなんでも階下のエントランスでぐずるのは駄目だと思う。隣の少女は声が特徴的で聞き取りやすすぎるのだ。
そこからも根気強く日々は流れ、いつしか俺は、わざわざ彼女を避けることも止めていた。エレベーターで同じタイミングになれば『開』を押して待つ程度には。
『お先にどうぞ』という主張を諦めてそろりと同じ箱に踏み入る彼女は、まるで借りてきた猫のようだ。
妙な空気に気まずくなった俺は、階数の書かれた文字盤を見つめたまま口を開く。
「調子は?」
「良いみたいです。ご迷惑をお掛けしました。……あの、音は?」
言われて、一瞬何のことかわからなかった。しかし少し考えると思い当たる節がある。
「別に。結構しっかりした部屋なんで。こっちまで響いてきたのなんか本棚倒した一回きりです」
俺はそのとき直接近所に謝罪行脚をしようとしていた隣の少女を思い出す。一人で菓子折りを持って直接インターフォンを押してきた光景はあまりに危なげで、俺は管理会社を通せとかマネージャーに相談しろとかその場で言い聞かせる羽目になった。
関わりが薄いガキの危険を放置できなくなってきたあたり、俺も歳を取ったのだろう。
「……あんたは?」
俺が話を振ると、彼女は目を見開いたあとで、少し迷って、目を伏せる。
「大丈夫です。……あと、もう少しあの子が落ち着いたら、マネージャーを交代します。長々とお待たせして申し訳ございませんでした」
そして、また深々と頭を下げた。
「…………いいですよ」
俺は迷って、でも言ってしまったから、エレベーターから降りながら続きも口にする。
「いい、構いません。あんたが通うの。鉢会うのも。もう今更だし、あの子この間ゴミ出しに出てた俺をあんたと間違えて『マネちゃんおはよう!』っておぶさろうとしてから相手が男だって気づいてたぞ。まだ危ないだろ」
いくら上背があるという共通項があっても、男女の体格差に気づかないというのは迂闊すぎる。そもそも背だって189ある俺の方が大体10センチくらいでかいし。
彼女は共用廊下を歩きながら額を押さえて呆れて、でも、と続ける。
「これ以上あなたと接触する環境を放置するわけにはいきません。あの子にはよく言い聞かせますし、次の担当者にもよく引き継ぎますから」
俺は自分が悪者になったような感覚で不快になる。そして、言う。
「……人は変わります」
「え?」
いつか自分自身が放った言葉に虚をつかれた彼女に、俺は意識して胸を張る。
いつの間にか俺たちは部屋の前についていて、自然と立ち話をしていた。
「あんただって、変わったんだろう。あの頃とは違う……だろう?」
彼女はぽかんと俺を見上げる。
その瞳は、金色を幻視するほどに明るい色をしている。普段は鋭い目つきの中で半月のように露出しているそれが、満月のように丸々と俺に向けられていた。
この目にこんなにもまっすぐに見つめられるのは、二度目に家凸されて警察を呼んだ日以来のことだった。再会して以降は、素早く逸らされるか伏せられるかしていたから。
……というところまで思って、あの日のことを思い出す。人が警察の対応だの野次馬の対処だのに追われている中、こいつは密かに、俺のカーディガンのポケットに私物のUSBを忍ばせていた。俺たちの配信チャンネルの危機を知らせるものだったとはいえ、だ。当時は腹立たしかったし、今も僅かにモヤつく。
だいたい、実家凸のときだってお節介だったのだ。確かに当時の俺はリアル凸者のような刺激的な話題をどこか求めていたが、それだって、
「変わってない、かも、しれません」
俺の思考の逸れが深刻になってきた頃になって、彼女はやっと言葉を発した。
「は?」
聞き捨てならない発言内容に俺が反射的に凄みながらビビりも発揮して後ずさりすると、彼女は微かに笑ったような息を吐いて、眼前の煙を払うように手を振る。
「変わったつもりはありました。……でもよく考えたら、今の私も、あの子や……うちの事務所の子たちのためなら、なんでもしてしまいそう」
「おいおい」
間違っても笑うことはできない俺は、でも、思う。
その資質が、邪険にされずに済むところに置かれていて、よかった。
○第二章 顔出しネット配信者
「あ」
撮影に出かけた水曜日の真昼間、俺はマンション以外の場所で彼女を見つけた。
大きな公園の中、一本の街路樹を中心にぐるりと設置された木のベンチに座っている。
「ギンガ、何か見つけた?」
画角を考えていた薫が、突然声を上げた俺に話しかける。ギンガというのは配信者としての俺の名前だ。普段は本名で呼ばれているが、今は一応撮影中だから。
「いや、知り合いというか。…………例の隣室のマネージャーがいて」
俺はいちいち報告すべきかの逡巡を挟んで、最終的に一応伝える。
「え、どこ?」
ほぼ好奇心で辺りを見渡す薫をよそに、オフショット用にスマホの録画を回していた宇宙がそれを止めて俺の隣まで来る。
「大丈夫そうなの?」
「ああ、心配はいらない。最近割と普通に話すけど割と普通だし……でも、様子が、なんか……」
俺の言葉の途中で宇宙が「え」と言った気がして斜め下にある顔を覗いてみるが、肝心の本人は首を振る。
「ううん、話すってのが……いいのかなって」
確かに懸念はあるかもしれない。でもそれより今は彼女の様子の方が気になって、俺はそちらに視線を戻す。
度入りのサングラス越しに目を凝らす俺の元に、後ろ歩きの薫も戻ってきた。
「あのベンチの娘?」
「うん」
俺が頷くと、宇宙が少し考えて言う。
「一応、いるのアレなら場所変える?」
「いや、いいだろ。あっちだって……ほら、どっか行きそうだ」
少し離れたところの彼女は立ち上がって、通りがかった女に手元の物を見せて少し話すと、軽く頭を下げてスタスタ歩いて行く。
「すまん、切り替えよう」
俺が宣言すると、薫と宇宙は一度目を見合わせて、まあいいかとゆるく切り替え直す。
俺たち配信者にとって大事なのは、動画撮影だ。
……というところで話はおしまいのはずだった。
いい歳の男たちが三人寄って懐かしの遊びをするだけの箸休めのような動画は、順調に撮影できていた。
しかし、休憩となったときにふとあのベンチを見ると、見るからに項垂れた彼女が戻ってきていたのだ。
俺は少し考えてから、宇宙と薫に一声掛ける。
「悪い、ちょっと離れる」
「うん。うん? どうした?」
生返事の後に少し不思議そうに尋ねてきた宇宙に、同じような目をした薫に、俺は軽く手を挙げて応える。
「ちょっと行ってくる」
俺は歩いて街路樹を囲うベンチに近づいて行く。俺の低い視力にも、彼女の姿がはっきり見えてきた。
彼女はもう項垂れるというか膝に上半身を預けていて、まとめた長い髪が地面に付いている。俺がすぐ側まで来ても一切反応しない。
「あの、おい」
話し掛けても反応しない。肩を揺する……のは、やりすぎだろう。
俺は、こいつにだけは触れてはいけないのだ。
迷って、迷って……俺は、彼女と再会してすぐに渡された名刺を思い出す。
「……明智さん」
ぼそりと呟いた言葉に返事はない。無視されたんじゃないだろうな。俺はちょっと意地になって、咳払いをすると今度はしっかり声を掛ける。
「明智さん、隣の劍です。……明智さん」
再三自分の名前を呼ばれて、明智さんはやっと顔を上げた。
よく見れば、手にはバリバリに割れたスマホと、何か書かれた白い紙がある。
「あ……あっ……え? すみません、あの…………ギ……劍さん、どうして?」
彼女は、見るからに動揺している。呼び方まで混線していた。やはり無視ではなく気づいていなかったようだ。
「撮影。で、何時間も前にもあんたを見掛けたから、流石に何かと思っただけ」
自分から話し掛けておいて、俺は突き放すような言い方をする。ここでこっちから馴れ馴れしくしたらすべてがおじゃんだ。なら話し掛けなければいいと言われるかもしれないが……最近話す仲の知人として見かねたのだ。それくらい仕方がないだろう。
「大丈夫です。大したことじゃないので」
ベンチに座り込んだままの彼女が、明らかな嘘をつく。
「ふぅん」
俺は踏み込むべきではなさそうだが引っ込みもつかない状況にたたらを踏んで、半端な相槌を打ちながらもその場に留まる。
そんな態度を何と捉えたのか、ややあって、彼女は口を割る。
「訪ねなければならない家があるんですが、スマホが壊れて。たまたま紙の地図ももらっていたので行けるかと思ったんですが……その…………地図が、読めなくて」
耳のような跳ね方のサイドヘアーまで心なしか項垂れた明智さんは、その弱点を晒した。
つまり、二十代も半ばに差し掛かっている人間が、本気で迷子になっている。
「なんだそりゃ!」
ぶははと吹き出して俺が言うと、明智さんはうらめしそうな顔で俺を見上げる。
そしてしばらくこちらを睨んで、でも段々と俯きがちになって、目に涙が溜まっていく。
「努力はしましたっ。もう、放っておいていいですから」
情けない顔だ。最低限こちらから突き放さなければいけないというのに、その気が失せてきそうなくらいには。
地図を見て道を指すくらいは俺がやってもいいかもしれない。いや、それでも迷うだろうか。なら目的地か交番、どちらか近い方までなら俺が送って行っても、いいのかもしれない。
そんな血迷ったことを思う俺より早く、横から声が掛けられる。
「大丈夫?」
さっきまで向こうにいた薫だった。大方戻らない俺を心配して追ってきて、かといって泣いてるように見える女を放っておくことも出来なかったと見える。
薫は以前女好きが過ぎるという問題を抱えていたが、それ以上に人懐こい振る舞いが板についているのだ。今だって俺と違ってしっかりしゃがんで明智さんと目線を合わせている。
「なんでもないです」
「えぇ〜、この人にいじめられてない? 言ってやっていいよ」
手のひらを見せて答える明智さん相手に、薫は俺を親指で指した。
「おい」
思わず軽いドスをきかせる俺の袖を、いつの間にか合流していた宇宙が小さく引く。
「隆文」
そして、囁くような小さな声で、でもきっぱりと、名前だけを呼んだ。
俺はリーダーの顔をした宇宙を見下ろして、それから息を吐いた。
手綱を引かれるように二歩引いて、俺は口が過ぎる癖が出たときにそうするように、意識して黙る。
宇宙は名前を呼んだ意図が伝わっているかを確かめるように言う。
「よくないよ。わかってるだろ」
それは、他人への振る舞いとしての道徳を問う言葉でもあるし、以前のことを踏まえて距離感を咎める言葉でもある。
「ああ」
俺が素直に頷くと、宇宙は表情をやわらげた。
結婚してから数年、ますます強い人間になっていく宇宙に、俺は頭が上がらなくなって行くのを感じた。
と、話を聞き終えたのか薫が明るく声を上げる。
「やーねこの三十路過ぎは。人の失敗笑ってさ」
今回のやりとりに関して、明智さんの味方につくことにしたようだ。
同じノリで悪口を言うことまではできないのか言葉に詰まる明智さんに、薫は続ける。
「丁度俺たち休憩だし、俺がスマホ見ながら送るよ」
「え、そんな、いいです。その、私……」
明智さんがちらりと困ったような上目遣いで俺を見る。
「誓約書も」
小さくこぼれ落ちたその単語に、俺は一人ギクリとする。承知していたもののはずなのに、改めて口に出されると、なんだか急に後ろめたい。
だけど薫も明智さんも、隣にいる宇宙すらも俺の内心には気づかない。態度に出さずに済んだようだ。
薫は笑って自分を指す。
「スバル君は君にそんなの書いてもらってないよ。平気平気。ねっ」
普段から俺たちのファンにそうするように、薫は簡単に明智さんの手を取った。
そういえばついぞ握手は出来なかったのだった、なんてことが、何故か頭に浮かんだ。
俺と明智小夜の接触は、凡そ健全なものではなかった。
いや、本来なら、健全な接触だけできるはずだったのだ。昔あった大型イベントで、ただのファンの一人だった明智小夜とただの動画配信者だった俺は会うはずだった。握手会という、健全で短いチャンスを得て。
だけど、そのイベントの途中、宇宙がファンに切り付けられた。宇宙は未だに右手に傷を残しているし、俺たちも色々な意味でボロボロになったし、彼女を含むファンやリスナーたちにも会えなかった。
事件の余波でガタついた体制や目減りしていく数字に焦れた俺はリスナーたちの前で病みを晒し、お節介でストーキング気質のあった明智小夜が介入してきた。
俺は動画の素材として明智小夜という一人のリスナーを消費し、協力と呼んだそれの対価として抱き寄せて耳元で名前を呼んだ。しかも、本人には『名前を呼んでほしい』としか言われてないのに、わざわざ。
それらが、俺の犯した過ち。
この後も一度彼女を止めるために腕を掴んだこともあったが、どちらにせよ、手と手で触れることはついぞしなかった。
したくもなかった。嬉しい日にできたはずだったことを、ぐちゃぐちゃに壊れたあとにやって汚すのは嫌だったから。
「そーいえば、普通の娘だったね、明智ちゃん」
COSMICの編集部屋、ラップトップで動画チェックをしていた薫が、なんてことない風に言った。
ラップトップの画面を横から見ていた俺は、丁度水を口に入れていたのもあって発言に出遅れる。
「そんなもんじゃないか?」
薫の向かいに座って寛いでいた宇宙が返して、薫が更に返す。
「んでも、二度も家凸って感じでもなかったから」
すると、宇宙が懐かしそうな目をする。
「時間も経つしね。ほら、昔に俺の後つけて来ちゃった女子高生、いたろ。あの子だってだいぶ落ち着いたよ。今もすごいパワフルではあるみたいだけど」
笑う宇宙に、俺は思わず口を挟む。
「やけに様子に詳しいな、宇宙」
薫も俺に同調するようにうんうん頷いた。
宇宙ははたと気づいて、薬指に指輪をした手をぱたぱたしながら少し早口になる。
「違うよ、俺が個人的に関わってるとかじゃない。不思議な縁だけどあの子琴乃の親友と仲良くてさ、たまに三人で会うこともあるらしくて、会ってくると楽しそうに愚痴ってくんの。もうキッズでもないのにいつまでも元気すぎるって」
琴乃さんというのは、宇宙の嫁さんの名前だ。宇宙は家庭の話を俺たちの間に持ち込むのを好まないから、相談があるとき以外でこうして話題に上がるのは珍しい。
「へぇー、数奇だねえ。今もファンやってくれてるのかな」
薫の相槌に、宇宙はちょっと考えながら言う。
「どうかなー。何年か前のホラ、第一回のファンミには来てたよ」