家出息子たちの帰還.22───ダスカーでは魂は微細で軽いが実質を伴ったものである、と信じられている。巫者以外に姿を見ることができず、ほとんど重さを持たず枯葉の上を歩いても音を立てることはない。このような魂にとって一番恐ろしいのは悪霊や祖霊に捕らえられることだ。巫者はそのようにして行方不明となった魂を発見し、本来の身体に戻す。何年も見つからない場合もあり、ある巫者によると九年間かかった例もあるという───
ゴーティエ家にはスレン人の人質を預かっていた時期がある。シルヴァンは彼から憑き物が落ちたような、という言い回しを教えてもらった。
今のディミトリはまさに憑き物が落ちたような顔をしている。あの時ディミトリを庇ったロドリグは命を落とすつもりはなく、これまで通り狂気に囚われたディミトリを守り続けるつもりだったろう。だがシルヴァンはロドリグが死ななければディミトリは正気を取り戻せなかったような気がしている。フェリクスやイングリットのことを思うと絶対に口外出来ないが。
ダスカーの悲劇以降、ディミトリはずっと死者のために生きていた。ドゥドゥーと離れ離れになって拍車がかかったのだろう。仇討ちをせよ、と強請る死者の声に突き動かされて全てを決めていた。ロドリグも愛おしい死者の一員となったが、彼だけは一貫して王都奪還しか願っていない。ディミトリは妄想の世界に逃げ込めなくなったのだ。
自分が現実を蔑ろにしたせいでフェリクスは父親を失った件に打ちひしがれたディミトリはグロンダーズからガルグ=マクに一度兵を引き、フェルディアへ進軍するための準備をしている。主に動いているのはグロンダーズに出撃しなかった他国出身のものたちだ。シルヴァンはあの総力戦で選り好みをするベレトに内心では反発していたが、今となっては正しかったと認めている。組織にはいつでも必ず活力に満ちた人材が必要だ。誰かが倒れた時に補ってもらえる。
「ローレンツ、少し休憩するべきだ」
「心配をかけてすまないね、フェルディナントくん」
例外はアラドヴァルや天帝の覇剣を相手に大立ち回りを演じて命を落としかけたローレンツだった。メルセデスたちが必死に治療したおかげで一命は取り留めているがやはりまだ本調子ではない。
「よう、転向者ども!進捗を確かめに来たぜ」
フェルディナントとローレンツはシルヴァンの下手な冗談を聞いて笑った。
「気が済むまで検分するといい」
戦争は未だ終わる気配を見せないし問題は山積みだが、こうして三人で笑い合えるなら───今日はもしかして良い日なのではないだろうか。
ローレンツはごくわずかな期間だけフェルディアにいたことがある。あの時、すでに生じていた綻びは後にファーガス神聖王国を真っ二つに割った。ディミトリが王都奪還に成功すればそんな日々がようやく終わりを告げる。遺恨は残りいがみ合いはまだ続くとしても命を奪い合うような激しさは失せるはずだ。
これまでの経緯に戸惑っていた兵も将もどことなく安心している。確かに大司教レア奪還のため帝国に侵攻するより奪われた王都フェルディアを取り戻す方が納得しやすい。
軍が北上するのに合わせて民衆が蜂起するのも納得なほど国土は荒廃しきっていた。ファーガス西部が本拠地である公国派の貴族たちは王都近辺に思い入れがない。自領の民と同じようには扱わず、搾取した結果が大量の見たこともないほど大きな魔道兵器だ。維持費は途方もなく高いだろう。
「魔力の供給装置を破壊するように!」
ベレトの指示通り、ローレンツは手綱を取り街中を駆け回った。いつまで彼らと行動を共にするのかは不明だが、こういう地味な役割を果たすことによって信頼を勝ち取るしかない。街のあちこちで黒魔法の炸裂する音がして、誰かの血が石畳の目を染めながら下水道へ流れ込んでいく。ディミトリたちはグロンダーズでエーデルガルトの元へ向かった時のように敵将コルネリアの元へ直進している。敵兵といえどもディミトリたちにとっては同胞であることに変わりはない。争いが長引けば長引くほど命を落とす同胞が増えるのなら、敵の頭はなるべく早く潰すべきだ。
コルネリアはフェルディアの下水道を整備し、流行病を終息に導いたのでかつては聖女と讃えられていた、と聞く。ガルグ=マクでトマシュやモニカの身分や顔を盗んだものたちはきっと王家からの信頼目当てに彼女の身分や顔を盗んだのだ。おそらく、ねえやの恋人も同じ目に遭っている。
彼をきっかけとして連中はレスターに恐ろしい災いをもたらす予定だった。現にゴドフロア卿一家の件でグロスタール家はあらぬ疑いをかけられている。現れただけでその企みを阻止したのがクロードだった。
王都奪還に沸く人々をツィリルがどこか他人事のように眺めている。皆、口々に新王としてのディミトリと女神を讃えていた。教会に祝福されたという国の成り立ちを思い起こさせる。ツィリルはパルミラ人でレアを尊敬しているが敬虔なセイロス教徒というわけでもないので腑に落ちないようだった。
「フェルディアまで付き合うことはなかったと思うが」
「それを言ったらこっちに付き合ったグロンダーズこそ、王国の人たちには意味がなかったでしょ」
セイロス騎士団にも王国軍にも平等に遠慮がない物言いにドゥドゥーは苦笑した。確かに辛うじて勝利をおさめたが、あのままアンヴァルに向かっていたら今頃は敵地で孤立していただろう。セイロス騎士団はディミトリが正気でないことを利用した。だがドゥドゥーはツィリルがわかっているならそれで良い、とすら思ってしまう。
「ツィリル……俺に心を許しすぎではないだろうか」
王宮の一番大きな露台の中央にはディミトリがいる。片隅ではダスカー人のドゥドゥーとパルミラ人のツィリルがフォドラ語で話し合っていた。どんな悲劇に見舞われようと暮らしを積み重ねていけばそこには考えもしなかった出会いがある。
「今日は皆、ディミトリしか見てないでしょ」
ツィリルの言う通りだった。ディミトリに熱狂する大衆たちは事情を知らない。傍にいるべき人の代わりにギュスタヴとベレトが民の前へディミトリを引っ張り出していた。この歓声がディミトリの頭にこだまする亡霊たちの声をかき消してくれたら良い。また揺り戻しがあったらこの日のことを話そう、とドゥドゥーは思った。
「そうだな。ようやく相応しい場所にお戻りになった」
答え合わせをする時は当分先だろうがロドリグも同じ考えに違いない。彼は悪霊に囚われたディミトリの魂を解放してくれた。悪霊は感情を保留し続ける力に弱い。
ツィリルはレアがガルグ=マクに戻ることを望んでいるせいか、ドゥドゥーの言葉を聞いて少し羨ましそうな顔をした。彼はいつでもレアを第一に考えている。その気持ちがドゥドゥーには痛いほどよく理解できた。