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    ltochiri

    二次創作いろいろ

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    ltochiri

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    2020.10.02 フォロワーの誕生日祝い・1
    小説のテスト投稿を兼ねています

    ##小説
    ##斑あん

    酸いも甘いも噛み分けて 扉を開けるとクラシックなベルが来店を告げた。カウンターの向こうに年老いた主人が座っている。彼は「お好きな席へどうぞ」と、広げていた新聞から顔を覗かせ、人の良さそうな柔和な笑みを浮かべた。店内は常連客らしい男性たちがちらほら座っているだけだった。
    「ブレンド、ふたつ」
     四人がけの席に二人で向かい合って座る。向かいに座った子がケーキのメニューを眺めているがこれはおそらく市場調査の一環。俺が主人に以上で、と笑いかけるとこれまた優しく頷いて微笑み、戻っていった。
     コトン、とメニューを置いて、あんずさんはテーブルの上で腕を組む。
    「これからどこに行きましょうか」
     穏やかな色彩の中で、空色の瞳を細めながら問うてくる。茶色い壁と、暖色の照明。窓からの明かりが目に痛いほど眩しい。
    「そうだなあ……雑誌で気になったところとか」
     本棚からこの土地の情報誌を借りてきた。表紙はめくれあがり、色あせてしまっていて、最新のものとはいえなさそうだ。だからといって、文明の利器を使うのは躊躇われる。それを開いてしまったら最後、あのビルを意識せざるを得ない。それはたぶん、目の前の子が望んでいることではない。俺に、して欲しいことではない。
    「身体を動かす方がいいですか?」
     あんずさんが目を止めたのはアスレチックのある公園の紹介ページだった。彼女からの誘いとはいえ、じつのところ、今日は出歩くのにあまり乗り気ではない。
     ほんの数時間前。あんずさんが事務所で一息ついているタイミングに出会した。
     グレープフルーツジュースの飲み比べにハマっているのだと聞いて、一口もらうことにした。
    「甘くて美味しいなあ」
     感想を伝えながら、そういえば同じ果物なのに杏のジュースはあまり聞いたことがない。お酒の種類にはあるけれど。でもそれはグレープフルーツでもあったような気がする。
     同じ名前のものを食べる時はどんな気分なのだろう。
     しかし、あんずさんも味に凝ることがあるんだなあ。
     そう能天気に考えていた自分は、きっと側から見てもどうかしていただろう。
    「甘い、ですか」
    「ああ!ゴクゴク飲めて美味いぞお」
     おかわりのコップを受け取ったあんずさんは言った。
    「この産地のジュース、私でも苦いと思うんですけど」
    「うん?」
    「少し、出かけましょう」
     あんずさんの笑顔が最近、こわいと思う。
     グレープフルーツジュースというものは、普通の状態の時は苦く、身体が疲れている時は甘く感じるらしい。それを教えられたのは、道中お昼ごはんを食べている時だった。バロメーターがわりにしているのだとも言っていた。いやはや合理的というか、効率的に生活しようとする姿勢に、思わず苦笑が漏れる。
     心配してくれているのだ。申し訳ないことに。だから、こうして外へ出て気晴らしをさせてくれる。二人で日帰りで出かけることがしばしばあった。
     いつからか彼女を、あんずさんを、このまま連れ去ってしまいたいと考えることがなくなっていた。
     完全になくなったわけではない。
     変わりゆく現状を受け止めることができたからなのか、はたまた受け入れるしかなくなってしまったからなのか、定かではないけれど。
     たとえばこの喫茶店に連れてきたら喜ぶんじゃないかとか、そういう、言い換えができるようになったといえばいいだろうか。
     ゆるやかに変化しているのは、あんずさんに気にかけてもらっているからだ。心配させてしまっていることは情けないが。
     引く手数多の『プロデューサー』と呼ばれる女の子。そんな彼女に、普通の女の子のするようなことも経験してほしいと思う。否、思っていた。けれど彼女は、あんずさんは、望んでいないようだった。それは少し、いや、随分と寂しいことだと思う。
     でもだからこそ、身の振り方を決めきれない俺の面倒を見てくれるのだ。やっぱり申し訳なく感じる。と同時に、特別を与えられている気がして、むず痒かった。一年前の俺が今の俺を見たら、叱咤してくるだろう。
     二人で雑誌と睨めっこしていたら、主人がコーヒーを運んでくる。カップとミルクピッチャーを並べて「ごゆっくりおくつろぎください」と言うので、ああ、とひらめいた。
     天井のファンがゆっくりと空気を撫ぜる。観葉植物の緑色。常連客が本をめくる音。商店街の活気は遠くに聞こえた。まるで扉を境界にして内側と外側を切り離したかのように。
     そうさせてもらうのがいい、と俺はあんずさんに笑顔を向けた。
    「次の行き先が見つかるまで、ゆっくり味わおう」
     するとあんずさんも、にっこりとした笑顔を見せてくれる。
    「はい、そうさせてもらいましょう」
     ここには二人だけだと錯覚するほどの眩い世界だった。仕事も日常も、疲れの原因も、放り出して向き合って。美味しいコーヒーを美味しいと囁き合う。刹那の世界とわかっていても、手を離すのが惜しいと思ってしまうくらい。
     もう少し浸ってからでも遅くないと、頭の片隅でどこかにいる俺を説得していた。
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