東の夜空に誓いをひとつ ゴクゴク、とウーロン茶を飲む横顔すら美しくて、見とれていた。
花火大会の観覧席。その中の一等地である旅亭の個室に、英智とあんずは仕事と称してふたりで来ていた。とはいえ経費で落とすつもりはなく、実のところ、プライベートのじかんである。それでも建前上、仕事として来ているのだと言い訳できるように工作をしなければいけなかった。英智とあんずがふたりきりになることは難しくないけれど、それにはそれなりの理由が必要だった。
すでに花火大会は始まっていて、暗がりの空に明るい花火がパッと咲いては流れて消えていく。
座椅子に座って室内から花火を眺めるなんて、身に余る贅沢だとあんずは思う。社交界で育ってきた英智から見れば、これでもカジュアルな方だとは言うけれど。
断続的に上がる花火の鑑賞と同時に、あんずは英智がウーロン茶の入ったグラスに唇を当てる姿を盗み見ていた。
部屋に到着した当初は、外の暑さからくる汗をハンカチで拭いていたけれど、それも今は落ち着いていて、英智は涼しげな表情を浮かべている。喉を鳴らして飲んでいるのが、意外なくらいである。
飲料系の広告のオファーが来たらいいのに。その考えは同時に、この人を独占することは一生できないのだとあんずが思い知る瞬間でもあった。
いつからだろう、とあんずは考える。仕事の考えとプライベートの考えが自分の中でぶつかりあって、胸が苦しいと感じるようになった。それなのに隣にいる人から目を離せなくて、じ、っと見つめ続けている。そうすることで答えが見つかるわけでもないのに、見つめていたくてしかたなかった。
不意にグラスを空にした英智が口を開いた。
「何か、考え事かい?」
そう言いながらグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと視線を動かした。透明感のある淡い水色の瞳があんずを捉える。その視線に釘付けになりながら、あんずは何かを試されているんじゃないかという気分になって、ぐ、と顎を引き言いよどんだ。本当のことを正直に言うのは、違うと思ったのだ。
しかし嘘を言うつもりもないので、本心から思ったことを訊ねた。
「たくさん飲んでますけど、大丈夫ですか?」
冷たい飲み物は英智の身体にとっては毒ではないだろうか。すると、英智は口元に笑みを浮かべて答えた。
「今日は身体の調子が良いんだ……♪ グランドフィナーレまでいられそうだよ」
あんずの心配をよそに、立ち上がって冷蔵庫からサイダーのビンと新しいグラスを二つ取り出して戻ってきた。
「だからといって、はしゃぎすぎないようにしてくださいね」
グラスに注がれたサイダーが、シュワシュワと踊っている。
「もちろんだよ。あんずちゃんとふたりきりでいられる時間を、大事にしたいしね。倒れてしまっては本末転倒だ。でも、感動はしっかり味わいたいな」
グラスを持って、乾杯をした。炭酸の刺激に思わず目をつむる英智にあんずは苦笑したが、同じように刺激に目を瞬かせてしまった。
花火の上がるペースが勢いを増してきていた。眼下の観覧客がひとつの生き物のようにうごめいて見える。みんなが同じ方角を見上げているのでなおさらそう思えるのかもしれない。
一瞬の静寂の後、ひときわ大きな花火が上がった。
「ここから、よく見えますね」
「うん」
穏やかに笑う英智はしかし外の景色ではなくあんずの顔を見ていた。浴衣を着ているわけでもなく、お互い見慣れたスーツに身を包んでいて、風情のない格好である。何か顔についているのなら教えてほしい。
「どこ見てるんですか。花火見てください、花火」
「照れているのかい? 可愛いなぁ」
持っていたグラスをテーブルに置いた瞬間、再びシュワ、と音がした。
「わたしを見てもなんの感動もないと思いますけど」
「それは君が決めることじゃないよ」
「え」
そっと頭を撫でられたかと思うと、額を寄せて突き合わせる格好になった。まるで幼子の熱を測るみたいに。突然のことにあんずは驚いて目を見開いた。英智のさらさらとした明るい金色の髪があんずの頬をくすぐる。こそばゆさに瞬きをした隙に、唇同士が軽く触れ合った。
「花火が終わったら、帰らなくちゃね」
寂しげに笑う英智に、あんずは声をかけられなかった。「そうですね」も、「いやです」も、言いたくなかった。代わりに英智の隣に寄り添って、肩に頭を預けた。
まるで、仕事というガラスの靴がなければ会えない王子とシンデレラだ。時間が来たら、魔法は解けてしまうけれど。
どれくらいそうしていただろう。すっかり炭酸は抜けて、グラスが汗をかいていた。
閃光と見紛うほどのグランドフィナーレの演出を見届けて、どちらからともなく帰り支度を始めた頃。
「英智さん、好きです」
あんずの告白に面食らった様子の英智。それはきっとあんず以外の人間に見せることのない表情だ。
「どうしたんだい、藪から棒に。君の気持ちは、きちんと知っているよ」
「すみません……なんとなく、言っておこうかな、という気持ちになったので」
「そう……。うん、ありがとう。嬉しいよ。僕も、あんずちゃんが好きだよ。そうだ、また来年も来よう。今から予約してくるよ」
「えっ?」
「ジョークじゃないよ。それくらい、本当に嬉しいんだ。この命が続く限り、約束しよう。また一緒に花火を見るって」
あんずが抱えている不安を拭い切れるわけではないけれど、英智が行動で示そうとすることが、その言葉が、とても嬉しかった。
「はい、また一緒に、この場所で花火を見ましょう」
今度来た時には、きっと今日とは違う景色が見えるだろう。そんな希望を胸に、ふたりは花火大会の会場を後にした。