7話 戦いの傷跡はなおも城内に残っていた。
魔物たちの襲撃を退けたとはいえ、戦場となった廊下には崩れた柱や瓦礫が散乱し、壁には焦げた跡が残っている。負傷した兵士たちは治療を受け、亡くなった者たちの遺体は静かに運び出されていた。
墜落現場から戻ってきたレクサスは、そんな光景を見渡しながら、胸の奥に広がる痛みを噛み締めるように深く息を吐いた。剣を振るい続けた腕には未だに鈍い痛みが残っているが、休む気にはなれなかった。仲間たちが今も懸命に戦っているのに、自分だけが手を止めるわけにはいかない。
だが、心の奥底では別の焦燥が彼を駆り立てていた。
――ノアが、いなくなった。
何度確かめても、何度聞き直しても、結論は変わらなかった。彼女は墜落の混乱の中で姿を消し、手がかりと呼べそうなものは”白い竜”と”黒い翼の男”の目撃証言だけ。まるで絵空事のような話だが、それでも信じずにはいられなかった。
「殿下、陛下がお呼びです」
後方からイストが声をかける。彼もまた負傷していたが、いつも通り冷静な表情を崩さない。その言葉に頷き、レクサスは王の間へと足を向けた。
王の間に入ると、重厚な扉が静かに閉じられた。その奥で、父アリスト王は玉座に腰を下ろし、母シルビア王妃がその傍らに立っていた。室内には燭台の揺れる灯りが影を落とし、静謐な空気が漂っている。王の表情は疲労の色を隠せていない。それでも、その瞳には鋭い光が宿っている。
「よくぞ戻った、レクサス」
アリスト王の声には王としての威厳と、父としての安堵の両方が滲んでいた。
「今回の襲撃、お前がいなければもっと被害は大きかっただろう。よく戦ったな」
その言葉にレクサスは静かに頭を下げた。
「……ですが、すべてを防ぎきれたわけではありません」
「それでも、お前は最善を尽くした」
王はそう言い切ると、沈黙の後、深く息を吐き、重い口調で続けた。
「だが、これで終わりではない。竜を従えた少年、一体何者なのか、まだ掴めていない。これまでの記録に、あのような存在はなかった」
「はい。しかし、今回の戦いで一つだけ確かなことがあります」
レクサスは拳を握りしめ、口を開いた。
「彼らは“真竜”を求めていました。そして突然の撤退、飛行艇の墜落現場での目撃証言にあった“白い竜”……それが、ノアだった可能性が高いのです」
その言葉に、王と王妃の表情が僅かに動いた。
シルビア王妃が小さく息を呑む。その瞬間、王と王妃の視線が一瞬交差する。 驚きを装ってはいるが、レクサスには何かを知っているような違和感が伝わった。
――なぜ、動揺した?
違和感が胸の奥に広がる。だが、今はそれを問いただすべきではない。レクサスは奥歯を噛み締め、拳を固く握りしめた。
アリスト王は瞳を閉じ、しばしの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「つまり、ノアは彼らに連れ去られた可能性が高い、ということか」
「はい。生存者の証言によれば、白い竜が銀の鎧を纏った少女の姿へと戻り、その後、黒い翼を持つ男によって連れ去られたと……」
レクサスは一歩前へと進んだ。かすかに揺れる燭台の炎が彼の横顔を照らし、影を伸ばす。
彼の胸には焦燥が渦巻いていた。心臓が強く脈打ち、剣を握る手にわずかに力がこもる。戦場に立ち、剣を振るった感触が未だに指先に残る。それでも、あの時はまだよかった。そこには守るべきものがあった。だが今、ノアはどこにいるのかさえわからない。
喉の奥に押し込めていた言葉が、静寂の中で形を成した。
「父上、どうか私にこの件を任せてください。ノアは私にとって、何よりも大切な存在であり……今回の襲撃を見過ごすわけにはいきません。真実を突き止め、必ずノアを取り戻します」
声は落ち着いていたが、その奥には決して揺るがぬ熱があった。この想いは、単なる義務ではない。ノアがいない世界など、考えたくなかった。
王は静かに目を開き、レクサスを真っ直ぐに見据えた。
「……お前に、この件を任せる」
その言葉は重く、玉座の間に沈むように響いた。それは単なる命令ではなく、一国の王としての決断であり、父としての覚悟でもあった。国の未来を左右するほどの重大な責務を、若き王子に託すということ。その重圧を理解した上で、なおも託すしかないという現実。
アリスト王の眼差しには、父としての情と王としての厳しさが交錯していた。
その声音には王としての重みが宿っていた。国を揺るがす事態の責任を、ただの命令としてではなく、息子に託すという覚悟が感じられる。
その言葉に、レクサスは息を呑んだ。
「ノアの捜索、そして今回の襲撃の真相を探るために、お前に全権を委ねる。お前の判断で動いて構わない。すでにエテルナからも協力者が向かっている。彼らの力も活用し、必ず真実を突き止めよ」
王の言葉には、一切の迷いがなかった。それが、レクサスにとってどれほどの意味を持つかを理解していたからこそ、あえて言葉を選ばなかったのだろう。
「……ありがとうございます」
レクサスは跪き、深く頭を下げた。
王子としての使命。そして、個人の願い。
――ノアを取り戻す。
「準備が整い次第、出発します」
レクサスの言葉に、アリスト王は静かに頷いた。
「行け。お前の信じる道を」
レクサスは立ち上がり、王の間を後にした。
すぐにイストをはじめとする近衛騎士団の主だった者たちを招集し、会議を開いた。
「まずは墜落現場周辺の徹底的な調査だ。魔物の活動範囲に近いため、少数精鋭で迅速に行動する。イスト、適任の者を選んでくれ」
「承知しました、殿下」
イストは即座に候補者を挙げ、各隊の配置と役割を定めていく。レクサスは彼の手際の良さに改めて感謝しながら、さらに続けた。
「ノアを連れ去った“黒い翼の男”についても調査が必要だ。彼の正体、目的、どこへ向かったのか……どんな些細な情報でもいい。王都の情報網を総動員し、何かわかり次第、即座に報告を頼む」
「かしこまりました」
指示を終えたレクサスは、会議室を後にし、静かに廊下を歩いた。ふと、その先に人影が見えた。ユーノス・ライトエースとローザだった。
ユーノスは壁にもたれ、腕を組んでいたが、レクサスの姿を認めると静かに前へ出た。
「……殿下」
その声音はいつになく低く、抑えられた感情が滲んでいた。
「ノアのことを、頼みます」
短い言葉だった。しかし、その一言に込められた想いの深さが、痛いほど伝わってくる。
レクサスは真摯に頷いた。
「必ず、連れ戻します」
すると、ローザがそっと一歩前へ進み、胸元で震える手を握りしめた。
「どうか……あの子を……」
小さな声で紡がれた言葉に、レクサスは優しく微笑んだ。
「僕にとっても、ノアはかけがえのない大切な存在です。だから、どんなことがあっても、必ず迎えに行きます」
ローザは目を潤ませながらも、深く頷いた。
ユーノスは静かにレクサスの肩に手を置くと、それ以上言葉を交わさずに去っていった。
レクサスは彼らの背中を見送り、改めて決意を固めるように深く息を吸った。重厚な扉を抜けると、中庭には夜の静寂が広がっていた。星々が瞬き、冷たい空気が肌を包む。
――ノア、君は今、どこにいる?
空を仰ぎ、彼は静かに自室へと戻った。
部屋の隅には、丸くなって休んでいたモコの姿があった。戦いの傷はまだ完全には癒えていないが、それでも彼を出迎えるように小さく鳴いた。
「……無理はしなくていいよ。少しでも辛かったら、ちゃんと言うんだよ」
モコは力強く翼を広げ、静かに羽を震わせた。
「ありがとう、モコ。君にはいつも助けられてばかりだ」
レクサスはモコの頭をそっと撫でた。柔らかな毛並みの温かさが、冷えた指先に染み渡る。
「本当は、君にはもう少しゆっくり休んでいてほしいのだけれど……それでも、僕と一緒に来てくれるのか?」
モコは目を細めくるる、と喉を鳴らす、まるで当然だと言わんばかりにレクサスを見上げる。その瞳には、いつかの幼き日に見た忠誠と信頼が宿っていた。
「行こう、モコ。ノアを迎えに」
冷たい夜風の中、レクサスは静かに決意を固めた。
翌朝、王城の一室でレクサスが準備を進めていると、侍従が報告に来た。
「エテルナの協力者が到着しました」
やがて扉が開き、二人の姿が現れる。レクサスは静かに立ち上がり、一歩前へ出ると、落ち着いた表情で彼らを迎えた。
「初めまして、王子殿下。ネイキッド・シーマです。……へぇ、あんたがあのノアが言ってた王子か。なんだか思ってたより気さくそうで安心したよ。
レクサスは穏やかに微笑み、静かに頷いた。
「レクサス・アルファードです。遠方よりご足労いただき、ありがとうございます。ノアのために力を貸してくれること、心から感謝します。」
ノアからの手紙に、エテルナでできた仲間のことが少しだけ書かれていた。ネイキッドという名前と共に、共に剣を交えた友がいると綴られていたのを思い出す。
「よろしく頼むぜ!俺は神官長の護衛ってことで来たけど……正直、ノアのことも気になっててさ。じっとしてられなかったんだよ」
純白の軽鎧を纏った青年――ネイキッドは親しげに肩をすくめ、軽く笑みを浮かべた。その飾らない態度に、レクサスの胸の奥がわずかに和らぐ。
「やあ、レクサス殿下。久しぶりだね。こんな形で再会するとは思わなかったけど、まぁ、こういうのも縁ってやつかな」
落ち着いた笑みを湛えた長身の女性が軽く片手を上げる。だが、その金色の瞳はレクサスを見据え、何かを測るような鋭さを持っていた。
「エテルナから協力者が来ると伺っていましたが……まさか神官長自らが来てくださるとは。お久しぶりです。ご助力に感謝いたします」
レクサスは彼らの姿を改めて確認し、驚きと安堵の入り混じった感情を抱えながら、丁寧に礼を述べた。
「定期航路での事件だ。今回の襲撃を受けて、定期便の運航も一時停止している。エテルナとしてもこのまま放置するわけにはいかないからね。それに……ノアのことも、個人的に気にかけているんだ」
イスズは意味ありげに微笑む。
「ともかく、詳しい話は中でしよう。殿下の考えがききたい」
レクサスは頷き、二人を城内へと案内した。
広間へと通し、席についたところで、レクサスは静かに口を開いた。
「まず、ノアが乗っていた飛行艇の墜落についてですが、現場を調査した結果、生存者の証言から、墜落の際に白い竜の姿が目撃されています。そして、その後の証言から竜がノアであった可能性が高いと考えられます」
ネイキッドが驚いたように身を乗り出した。
「ノアが……竜に? それ、冗談じゃないよな?」
「確かなことは分かっていませんが、墜落の衝撃でノアは意識を失っていたようです。そして、その後、黒い翼を持つ何者かに連れ去られたという証言があります」
イスズが静かに息をついた。
「ふむ……つまり、ノアはまだ生きている可能性が高いが、どこかに捕らえられている、というわけか。だとしたら、向こうの狙いも気になるね」
「ええ。そして、その黒い翼の男がどこへ向かったのかを突き止めることが、今の最優先事項です」
レクサスの言葉に、二人は真剣な表情で頷いた。
「なんかどんどん話がでかくなってる気がするけど……。まあ、やるしかねぇな」
ネイキッドが苦笑しながら肩をすくめる。
「となると、まずはその黒い翼の男の正体を探るのが先決ってわけだ」
「ええ。それに加えて、ノアがどこへ連れて行かれたのか、そして何のために囚われているのかも、必ず突き止めなければなりません」
沈黙が広がる中、イスズが小さく笑った。
「なるほどね。これは大仕事になりそうだ。でも、ノアの方も黙って捕まっては居ないだろうさ、このアタシも認めた聖騎士だ。あいつの根性も甘く見ないでもらおう」
「ま、俺もいるしな!」
ネイキッドは自信ありげに親指を立てた。
レクサスもまた、小さく微笑んだ。
「ご協力、感謝します。必ずノアを見つけ出しましょう」