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    oki_tennpa

    @oki_tennpa

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    oki_tennpa

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    ティカクロ

    2021年7月17日開催の西師弟Webオンリー「二人の旅の思い出に」にて展示させていただいたものです。
    モブがたくさん喋ったり、ラスティカの過去や花嫁さんを少し捏造しています。
    近親相姦を仄めかす描写があります。
    ご注意ください。

    星降らす君ソーサーにティーカップを置く透き通った音。

    それはびいどろの窓から差し込む一欠片の陽の光。

    向かいの席の白昼夢はいつかの貴方の微笑み。




    暗い森の石ころが落ちた小道をぬけた先は真っ青な海だった。
    それから、仕事に励む水夫たちのくるくる動き回る様がよく見えた。
    「おや……見てごらんクロエ、やっと辿り着いたようだ。知らない間に街の場所が変わってしまうなんて、驚いたな」
    「あんたが迷っただけだよ!?」
    「そうだったかな?」
    「もう!珍しく行きたい街があるって言うからどこかと思ったら…………でも、素敵なところだね。海って少し怖かったんだけど、遠くから見るだけならきらきらしてて綺麗かも。それに、貝殻みたいな香りがする!」
    タッセルの着いたローファーに泥が跳ねていることも忘れて駆け出してしまいそうなくらい、クロエはわくわくしていた。
    だって、今日はこの海辺の街でお祭りがあるというのだから!
    中途半端に開発が進んだ海岸は半分が消波堤、半分が白い砂に覆われていて二面性を感じさせる。
    ストロベリー・レッドが潮風に吹かれて、ラセットブラウンの襟がはたはたと揺れる。
    晴天の空からさんさんと降り注ぐ日差しが石畳に照り返して、遠くの方に陽炎が揺れていた。
    ラピス・ラズリを砕いたようなタイル張りの青い屋根が立ち並び、その窓には極彩色の花が家人の裁量によって飾られていた。
    「あんた達、旅の人かい?」
    レモネード屋の店主がそう尋ねる。
    「えぇ……初めまして、ご婦人。潮風と海鳥に誘われて、神酒の歓楽街の方から参りました。ここは僕のお気に入りの街なんです、いつ来ても活気に溢れていて金槌の鳴る音が心地好い」
    「神酒の歓楽街に比べりゃあここは田舎だが、良い時に来たねぇ。歓呼の祭りが始まればそこらじゅうは人だらけ、あの海も驚いちまうくらいの大騒ぎさ!」
    けらけら笑った店主は並べられた二杯のグラスにしゅわしゅわのレモネードを勢いよく注いで、それをずいと差し出す。
    細かく弾ける炭酸が、柑橘系の爽やかでほろ苦い夏の香りをぱっと広げる。
    「色男の両手ががら空きじゃあ格好つかないからねぇ、これでも持っておいき!」
    「あはは、あなたのお心遣いに感謝致します」
    色男と呼ばれる事には慣れているのかキャメルのスカーフを揺らして紳士的に、けれど冗談めかして笑う。
    ラスティカの後ろに隠れて海を眺めていたクロエの視線が、おずおずとこちらへ向いた。
    「クロエ、こっちはきみのだよ」
    彼から手渡されたグラスは遠浅の海のような淡い青と、さざ波のような模様の掘られていて陽の光を反射すると虹色に煌めいた。
    それを覗き込むと透明な泡がぱちぱち弾けていて、クロエの心まで弾けるような心地がした。
    「ほ、本当に貰っていいの……?」
    「あぁ!洒落たあんたにぴったりだろう?」
    「えへへ……そう言って貰えるなんて、嬉しいな。店主さん、ありがとう!」
    「良かったね、クロエ。…………おや?こんなに美味しいレモネードを作れるなんて、きみは僕の───」
    しまった、油断した。
    こんな人気のある町中で魔法を使おうものなら大変な騒ぎになることは、火を見るより明らかだった。
    今にも鳥籠を取り出そうとしている左手をぱっと掴んで、出来るだけの笑顔を店主へ向ける。
    「あ!!俺達、宿の予約してるんだった!ごめんね店主さん、もう行かないと!」
    「クロエ?宿なら反対に……」
    「ほら、行こうラスティカ!店主さん、レモネード美味しかったよ!!」
    「おや、そうなのかい?じゃあね、歓呼の街が良い思い出になりますように!」
    幸いにも怪しまれなかったようで、ひらひらと手を振る姿を振り返る暇も無く足早にその場を立ち去る。
    まだ昼間だというのに祭りの衣装を身につけた人々の間を縫うように歩いて、ラスティカの左手を離さないようにきゅっと握った。
    黒い手袋越しに少し高い体温を感じる。
    目に付いた路地へ駆け込もうとする刹那、ウチの評判、旅先で広げておくれよー!という茶目っ気のある声が聞こえた。
    「ごめんねクロエ。また間違えてしまったみたいだ。でも、今回は鳥籠に閉じ込めなかったから間違えそうになってしまった、かな?」
    形の良い眉を申し訳なさそうに下げてそう謝罪した。
    クロエは多少驚いているものの、そんなに怒っていないようでそれよりも当たりを見回すことに気を取られている。
    少し乾いた喉を清涼感のあるレモネードがさらさら滑る。
    「急に鳥籠を出そうとするから、びっくりしたよ。適当に歩いて来ちゃったけど、宿はどっちだろう?」
    「どっちでもいいんじゃないかな?きっと時間はあるから、もう少し街を歩いてみよう。さっき素敵な帽子屋を見つけたよ、店番がたくさんの林檎でバスケットに座っているんだ」
    「それ、果物屋さんじゃない……?でも、俺も素敵なお店見つけたんだ。貝殻がランプシェードになってるカフェ!」
    さっきまで早足で歩いて、慌ただしく魔道具を出したりしまったりしていたのに顔を見合わせた途端に笑い合う。
    貴方といると、なんだって楽しいから。
    人気のない路地に、雲の切れ間から差した光が真っ直ぐ横たわり手に持ったグラスがきらりと輝く。
    「あはは、クロエは楽しいものを見つけるのが上手だね」
    「ラスティカだって!ねぇ、どっちに行く?」
    「そんな素敵な店なら、両方行かないとね」
    「うん!俺も同じこと考えてた!」
    宿の予約は夕方、今は晴天の真昼で日暮れまでは時間がある。
    もう一度顔を見合わせて、悪戯っぽく笑った二人は若いお嬢さん方のようにはしゃぎながら街へ繰り出すのだった。



    右手にはミルク、左手にはケーキ。
    伝統工芸品や紅茶葉まで買い込んですっかり夕方になった、大荷物の魔法使いが訪れたのは海辺のおんぼろ宿。
    「ラスティカ……本当にここで合ってる……?」
    「うん、ここで合ってるよ」
    一度嵐が訪れれば崩れてしまいそうな宿は、あちこちに継ぎ接ぎの跡が見える。
    その継ぎ接ぎは様々な木材を使用したらしく、ひとつひとつ違うその木目が古臭い愛嬌を持っていた。
    それでも営業中に見えるのは、洗いざらしのタオルが数枚風になびいているからだろうか。
    カウンターに人の姿はなく、代わりにハンドベルが置いてあった。
    ラスティカはそれを見ると、嬉しそうにふわりと笑い煤けたハンドベルをちりちりと鳴らした。
    「見てごらん、古いもののようだけど明るい良い音がする。僕のチェンバロと合わせたらもっと素敵かも。クロエ、演奏に合わせてこれを鳴らしてくれるかい?」
    「ここで演奏会をするの?宿の人に怒られない?」
    「おや、ヴァイオリンの気分だったかな?」
    「そうじゃなくて……」
    「心を込めて演奏すれば、きっと喜んでくれるよ。それに、ここは波の音が聞こえるから音楽好きの宿屋なのかもしれない」
    「そういうものかな……?」
    「じゃあ、軽やかで楽しい……そう、さっきのぱちぱちしたレモネードのようなイメージで」
    アモレスト・ヴィエッセ。
    彼がそう唱えると古ぼけた宿屋のエントランスに不似合いな、白いチェンバロがふわりと現れる。
    そして、その長い指で最初の音を奏でようとした刹那───。
    「これは珍しい。魔法使いのお客様だなんて……歓呼の祭りの季節だからかな。…………あぁ、どうぞ続けて下さい」
    カウンターの奥から拍手が聞こえたかと思えば、壮年の男性がゆっくりと現れる。
    恐らく支配人なのだろう、紳士的な笑みを浮かべてはいるがその瞳には西の国の人間らしく好奇心が見え隠れしていた。
    「それでは、お言葉に甘えて」
    「えぇ!?続けるの!?」
    ラスティカと店主は微笑みを交わした後、そのままチェンバロを弾き続けた。
    時たまクロエの鳴らすハンドベルが重なって、変拍子特有の蛙のようなリズムがきらきらとエントランスに響く。
    最初は困惑して、店主の様子を伺いながらベルを鳴らしていたクロエもいつの間にか楽しそうに小さくステップを踏んでいた。
    夕暮れの港町の、石畳の小道には夕食の香りと暖かな潮風、それから気まぐれなチェンバロの音がさらさら流れる。
    仕事帰りの水夫や、夕食の支度をする小間使いや、昼寝から目覚めた猫だって歌いだしたくなるような楽しい音色。
    「あぁ、良い演奏だったよ。ありがとう、魔法使いのお二人様」
    「こちらこそ楽しい時間を過ごせました。貴方は聞くのがお上手な方だ、泉のようにメロディが湧いてきて……」
    どうやら宿屋の店主は本当に音楽好きであったらしく、心から二人を歓迎しているようだった。
    ラスティカがくるりと指を回せば、ぽわん、とチェンバロが消えそのまま店主と音楽談義でも始めそうな雰囲気になる。
    「ところで、何故うちのエントランスで演奏会を開こうと?」
    「おや、どうしてでしょう……。クロエ、覚えてる?」
    「え?えーっと……あ、カウンターに誰もいなかったから!誰かに出てきて欲しくて、ベルを鳴らしたら良い音がしたからだよね?」
    いつの間にかすっかりと日が暮れてしまい、はめ殺しの窓からは静謐な夜闇が真四角に這い寄る。
    店主はランプに火を灯すと、カウンターに置いてあった書類をぱらぱらと捲り、そこから一枚を引き抜いた。
    その書類とカレンダーを何度か見比べた後、羽根ペンでさらさら何か書き込んでいるようだった。
    クロエが心配そうにラスティカを見ると、いつも通りに微笑んでいた。
    「お待たせ致しました、お客様。本日はお二人でのご宿泊、綺麗な窓と朝食付きのプラン──ディナーは直ぐにご用意致します。愉快な演奏会の、ほんのお礼にとびきりの果物を添えて」
    恭しくお辞儀をした店主はにっこりと笑うと、ルームキーを手渡した。
    三階の、一番端の部屋。
    シルバーの鍵が二人を歓迎しているようにきらりと光る。
    階段を一段上がる度にぎしぎしと不穏な音するのに、踊り場の所には風景画なんかが飾ってあるからなんだか面白くてクロエは一人微笑んだ。
    歪んだ廊下の一番奥の扉を開けると、ふわりと潮風が駆け抜け前髪が額を撫でた。
    「わぁ……!」
    目に飛び込んできた景色を見て、クロエは思わず歓声を上げる。
    「すごい……!」
    がらんとした部屋の、木目が剥き出しになった壁の真ん中に真四角な窓が一つついていて、薄いレースのカーテンが潮風を孕んでさらさら流れる。
    思わず駆け出して窓枠に両手をつき、身を乗り出すと興奮に火照った頬を夜半のどこか切ない空気がそっと冷ます。
    「きらきらしてて、すっごく綺麗……!」
    港に繋がれた無数の小さな船はそのひとつひとつにぴかぴか光るランプを付けていて、地平線いっぱいに広がる天鵞絨の黒い海の上で夢を見ながら眠っていた。
    海が深呼吸をして小さな波を立てる度、小船は揺れ宝石の欠片を振りまくみたいにしてランプの金具をかちかち言わせる。
    大きく見開いたクロエの瞳の中でやわらかな黒曜石の海と砕いた琥珀みたいな船の灯りがきらっきらと煌めいて、絶えず景色を変える様が幻燈のように映る。
    小さな魚がついついと泳ぐ鏡の水面に、金紅石の光がぽうっと滲み時折赤や青、それから緑の反射光がいくつか並んで波間に揺蕩う。
    肺の奥まで涼しい風に満たされて、身体の中身が清浄になった気さえした。
    「喜んでもらえて良かった、きみにこの景色を見せたかったんだ」
    「港にたくさんの船が集まって……。あ、見てラスティカ、あの船小鳥が描いてある!」
    「ふふ、楽しそうだねクロエ。喜んでいるきみを見ていると、僕まで嬉しくなってくるな」
    「うん、俺とっても嬉しい。この景色だけじゃないよ、ラスティカが俺にしてくれること全部が大切な思い出で宝物なんだ。……えへへ、ありがとう。ラスティカ」
    船の灯りが揺れる幻灯の水面を背にしてクロエは照れたように笑った。
    白い頬が林檎みたいに赤く染まって、彼のかわいらしい癖毛と似ている。
    「僕もだよ、クロエ。きみと過ごす時間はあっという間に過ぎてしまうけれど、そのひとつひとつを色鮮やかに思い出すことができるから……一度見た景色だって、前よりももっと素敵に見えるんだ。きみと出会えてよかった」
    ラスティカはそう言って微笑むとクロエの頭を撫でた。
    出会ったばかりの頃と変わらない、大きくて暖かくて柔らかな掌に撫でられると心地よくて、けれども小さい子供みたいで少し面映ゆい。
    心の奥底の、大切な柔らかい部分がとろりと溶けたかと思えばお茶会の日の野兎が跳ね回るように嬉しくもある。
    二人はそのまま窓の外の夜景を眺めていた。
    肌寒さを感じて手を重ねたのが、どちらからかはわからない。
    夜風に吹かれて蝋のよりも冷えた指先をそっと絡めると、そこから体温が滲んでいく心地良い。
    寄せては返す波の音が遠くに聞こえて、それから部屋の扉がノックされた。
    「お夕飯の準備が整いました。冷めないうちに、食堂へおいでくださいませ」
    えぇ、今行きます、と返事をしてから窓を閉める。
    硝子越しに見る港は本当に絵画のようで、味気の無い木の窓枠だって工匠が誂えた額縁のように見えた。
    「晩御飯、何が出るのかな?ラスティカは何だと思う?」
    「大きな市場があったから、珍しいものが食べられるかもしれないよ」
    「わぁ、やったー!」
    そのまま階下の食堂へ降りると、窓際のテーブルに二人の名札と綺麗に折られたナフキンが置いてあり、淡い水色のキャンドルが揺れていた。
    白いエプロンをつけた給仕に案内されるまま席につくと、向かいの席に座るラスティカはいつも通りに頬笑みを浮かべていた。
    いつも落ち着いていて、誰よりも雅やかな雰囲
    気を纏っているのにちょっと抜けたところがあって優しい魔法使い。
    でも、そんな彼が一度だけ取り乱したことがあった。
    その時はクロエも混乱してショックを受けていたからあまり詳しい状況は思い出せないのだけれど、青ざめたラスティカの表情だけが生々しく脳裏に焼き付いていた。
    そのまま、風に溶けてどこかへ行ってしまいそうなくらい儚い横顔が鮮明に。
    「こちらが本日のお夕飯になります。名産品のレモンを使ったムニエルに、グリーンサラダ、スープには東の国の二股人参を使用しております。それから、パンは焼きたてのものを。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
    暖かい料理が運ばれてきて、香草とレモンの香りがふわりと広がる。
    ふっくらと焼かれた厶ニエルに鮮やかな黄色のレモンが添えられて、白磁の皿の上で澄まし顔をしていた。
    「わぁ、美味しそう……!」
    「頂こうか」
    彼は磨かれたカトラリーをそれは丁寧に扱って、一口ずつ味わいながら穏やかに食事をしている。
    あの時みたいに痛々しく追い詰められたラスティカの姿はもう見たくない、この優しい人が傷つくのは嫌だった。
    誰だって、自分の大好きな人が傷つく姿を見たくはないから。
    スープに浮かぶさいの目切りの人参をスプーンで掬って少し冷ましてから、零さないように口へ運ぶ。
    身体がほうっと暖まって、小さなため息をひとつ吐いた。
    「美味しいね」
    「二人で食べると心まで暖かくなるね。それに、クロエはカトラリーを使うのが上手になったよ」
    「本当!?ねぇ、大人っぽく見える?」
    「うん、見えるよ。クロエはそのままでも素敵だけれど、もっと素敵になった」
    「えへへ……ありがとう、ラスティカ」
    そうやって褒められると目の前の食事がもっと美味しそうに見えて、ご機嫌なフォークがす いすい進む。
    クロエがソースまで拭って、その数分後に珈琲を運んできたのは白いエプロンの給仕ではなく音楽好きの店主だった。
    彼がサーブした二杯のコーヒーはソーサーにビスキュイが添えられていて、テーブルの中央にはミルクと星空の細工が施されたシュガーポットを置く。
    「素敵なシュガーポットですね。僕は趣味で骨董品を集めているのですが、この模様は初めて見ました。……おや?」
    「何かお眼鏡にかなうところがありましたかな」
    ラスティカはしげしげとシュガーポットを眺めた後に、陶器の持ち手を少し摘んでくるくると回したかと思うと絵付けされた星空を指でつうとなぞる。
    そして愛おしげに笑った。
    「不思議ですね、このシュガーポットからは届かない者を想う多幸感とそれを励ますような……いえ、慰めでしょうか……?冴え冴えと描かれた星空とは対照的に、身を焦がすような恋情が込められているように感じます。失礼ですが、この品はどこで?」
    クロエが真っ黒なコーヒーにミルクを注いで、それをティースプーンでくるくると混ぜるとたちまち白い渦が広がりやがて優しい茶色へと変わる。
    本当は砂糖を入れたかったのだけれど、シュガーポットはラスティカが眺めているため今日はミルクだけで飲んでみる事にする。
    ちょっと大人っぽいかな、なんて格好つけて苦味さえも楽しむという風に。
    「これは驚いた。魔法使い様は昔話にも精通しておいでで?」
    「昔話ですか?いえ、僕は長い時を生きていますが忘れてしまうことも多くて」
    「それでは、明朝から始まる……歓呼の祭りの話をしましょうか。魔法科学が発達するよりも前のことで……この街に暮らしていた気立ての良い娘が一人、身分違いの恋をしてしまってね。その相手は商人上がりの豪商だ。だから報われるはずもなく、恋慕う男が船旅に出ると聞いて居てもたってもいられず娘は海に身を投げたのさ」
    店主は語り部のようにそのまま話し続けた。
    舌の上を這い回る苦いコーヒーに悪戦苦闘していたクロエも、カップをソーサーに置いて昔話に耳を傾ける。
    ラスティカは音楽を聴いている時のような、絵画を買い入れる時のような、どこかうっとりとした瞳でシュガーポットを眺めていた。
    「うら若き乙女は星に祈りを捧げた後、冷たい海の藻屑となっしまってね。きっと誰かがその男に娘のことを話したんだろうね、驚いた男は娘を哀れに思い彼女がせめて寂しくないようにと祭りを開くことにしたのさ」
    涼しい風が開け放ちの窓からふわりと忍び寄る。
    クロエは何故か怖くなって、ラスティカの顔を縋るような気持ちで見た。
    彼は悲しそうな面持ちでシュガーポットを見つめていたけれど、クロエの視線に気付くといつもと同じ微笑みを浮かべた。
    店主もそんなクロエの様子に気付いたのか、音も立てずに窓を閉めると先程よりも明るい声で話を続ける。
    「彼女が身投げしたのは星が美しい晩だったことから、今でも暦に習って祭りを開いているのでしょう。……最近は観光業としての意味合いも大きく、真昼からワインを楽しむ日になっているのですが」
    あはは、と彼は冗談めかして笑いそこで話を締める。
    「悲しいお話だね……。俺はまだ、恋とかよくわからないけどその娘さんが幸せになればいいなって思う」
    「クロエは優しい子だね。僕は…………僕が想いを寄せられていたのなら、彼女の報われなかった願いを音楽にして一年に一度演奏会を開きましょう。そうすれば、その曲を聴いたたくさんの人が彼女の悲しみと恋を覚えていてくれる気がするんです」
    差し出されたシュガーポットに入っていたきらきらの星屑糖を、ぬるくなったコーヒーに数個入れスプーンでかき混ぜる。
    付け合せのビスキュイはまださくさくとしていて、小麦の素朴な甘さがざらざらと舌に乗った。
    恋に敗れた少女の甘く切なる願いはきっと、硝子細工のようなアルペジオになって世界中の顔も知らない人々から愛されるだろう。
    想い焦がれた当人から向けられる感情は、きっと憐憫のままだろうけれど。
    柱時計が破鐘を叩くような音を響かせて、もう猫すら眠るほど夜遅い時間であることを知らせた。
    「これはいけない、すみません店主様。つい話し込んでしまいました」
    「いえ、お気になさらず。魔法使い様とお話することができて私も光栄です」
    「そんな風に言ってもらえると、少し安心するな。俺達、怖がられたりする方が多かったからさ」
    冷たい風に吹かれていたクロエの心を、店主の言葉がふわりと駆け抜けて少しだけ暖かくなった。
    甘いコーヒーばかりを飲んでいたクロエの瞳は少し眠そうで、よく冷えたロゼワインに似ている。
    「もう部屋に戻ろうか」
    「うん…………おやすみなさい、店主さん」
    「おやすみなさいませ」
    次に目が覚める時には愉快なお祭りの朝。
    いつもよりお洒落して、日が暮れるまで楽しまきゃ…………なんて空想もそこそこに、クロエは眠りにつく。
    透明な硝子窓の向こうの物音は全て聞こえず、たださざ波が一つ立ち上がる事に白銀の月光がちらっちらっと踊り濡れ羽色の海の中へ崩れていく。
    無限に繰り返される波と月明かりの演舞を眺めながら、ラスティカもまた瞼を閉じた。



    夢を見た。
    暖かくて優しい、けれども朧気な誰かの記憶を。
    気がつくと自分の目の前には二弾の鍵盤があって、しばらくしてからあぁ、これはチェンバロだと他人事のように思った。
    「───ラスティカ」
    朝日の中で小鳥が囀る歌声と共にいくつかの花が弾けるように咲いて、それがはらはらと散ると少年の横で人の輪郭を模した。
    「はい。──様」
    少年は美しい碧眼をぱちぱちとさせた後に、幸せそうに返事をした。
    また小鳥が囀る。
    不思議なことに、少年はその囀りの意味を理解しているようだった。
    真っ白な雛芥子の指が少年の手を取って、子供特有のやわらかな指に鍵盤の位置を一つ一つ指し示す。
    この指では半音、その隣の指では全音。
    それから、反対の手でもう一つ全音。
    それを三つ一緒に奏でると魔法みたいに綺麗な音が出ると、嫋やかな花の影がぐらりと揺れながら教えてくれる。
    グラジオラスの長い髪が不思議な暖かい風にふわりと揺れて、少年の林檎色の頬を悪戯っぽく撫でた。
    かわいらしい彼の小さな心臓はどきどきと高鳴って、それよりももっと綺麗な音を想像しながら指力を込めた。
    鍵盤は思いのほか軽く、三つの音で構成された和音が少年の心に明るく響く。
    ずっと眠っていたモノクロームの世界の端から端までばら色の風が口づけを落とし、小鳥は空と同じ青に染めあげ若葉には燐葉石と同じきらめきを。
    それと同時に銃声が聞こえて大きな窓が彼と花の令嬢の背後に幾枚も現れ、真昼のどぎつい日光が針のように降り注ぐから堪らず瞳を閉じた。
    「────」
    悲しいような、寂しいような、惜しむような小鳥の囀りが聞こえるのにどうしてかその意味までを理解することが出来ない。
    白く霞む視界の中で雛芥子の手が風に吹かれながらも少年──ラスティカの頭を撫でた。
    まって、なんて声をかける間もなくもう一筋つむじ風が舞って赤と青と、それから黄色の花びらを全て攫っていってしまう。
    貴方を失いたくないと強く願うのに、これは夢だからと割り切っている諦観の亡霊が少年の目を塞いだ。

    この家から出ていけ。
    近親で交わり、あまつさえ国王の怒りを買う者などこの家を継ぐものとして不相応。
    紫煙を纏った厳格な声が書斎に響く。
    断頭台の刃よりも鋭いその言葉は青年の首筋に真っ直ぐ落ちて、輝かしい彼の未来を全て断ち切ってしまった。
    その横顔は絶望に染まり綺麗な碧眼を痛々しいほどに見開いて、ただ呆然と口を開け分厚い絨毯の毛足を眺めていた。
    あの可哀想な人は誰だろうか。
    亜麻色の髪も、伽藍堂の眼も見慣れたものなのに自分だと思うことはできずただ他人の空似のような気がする。
    それなのに、ラスティカの胸はずきずきと痛みここから逃げ出したいと脚が震える。
    哀れな青年は力なく立ち上がると広すぎる城の中を彷徨い、やがて一つの部屋へと辿り着く。
    扉を開ける青年の手は震えていたが、その顔には安堵が浮かんでいた。
    薬物中毒に陥った患者がひどい幻覚に苛まれて、もう一度薬瓶を開ける時によく似た渇望と呵責の表情。
    その感覚を、部屋の空気を、シャンデリアの輝きを、活けられた花の美しさを思い出すことは出来るのに肝心な何かを忘れている。
    よく陽の当たる、暖かい部屋だった。
    ティーテーブルにはポットや焼き菓子が並べられていて二対の椅子の一つには花を纏った女性───否、花そのものが腰掛けている。
    「────」
    髪飾りをつけたアカシアの花が微笑み、小鳥の囀る声が聞こえる。
    「もうここにはいられないんだ……出ていけと、お父様からそう言われてしまった」
    堰を切ったように青年は金盞花の膝へ崩れ落ち、顔を覆って涙を零す。
    春を告げる女神のような優しい雛芥子の腕の腕に抱かれると冷えきった氷の身体が溶けていくようで、喪失への恐れが一段と高まる。
    「ごめんなさい…………」
    ようやく捻り出した言葉も嗚咽混じりで、他にも伝えたいことがあるのに上手くまとめることが出来ない。
    「────」
    素敵な悪戯を思いついた時にこっそり耳打ちをするようにも、子守唄を歌うようにも聞こえる囀り。
    瞬きをしたその刹那、真っ青なネモフィラの髪が、肩が、脚が、小鳥の姿へと変わってしまう。
    青い小鳥を呆然と眺める青年に何か声をかけたかった。
    声をあげようとすればするほど喉がきしきしと痛み呼吸すら難しくなっていくのに、暖かな部屋にいる青年は幸せそうにその小鳥を眺めていた。
    やめて、どうか逃げないでと頭のどこかで警鐘が鳴っていて目の前に広がる光景には何も干渉できず焦燥感だけが募る。
    やがてはもう過ぎたことだから、諦めなさいと言うように視界に靄がかかり抵抗する間もなく見えなくなってしまう。
    泡のように消えるいつかの記憶の中で、青年──かつてのラスティカは幸福そうに微笑んでいた。

    広い海の上で貴公子といった風体の青年が一羽の小鳥を連れて箒に乗っていた。
    その小鳥はちちち、と囀るわりに身体は花で作られていて羽ばたく事に花弁がぽろぽろ落ちてゆっくりと空を舞い波間に吸い込まれていく。
    またひとつアイビーの花がはらりと散って、オレンジと水色の入り交じった水彩画の広い空でふわりふわりと遊んでから音もなく水面へ落ちる。
    結実した蕾が淡く輝いて少し膨らみ豆が弾けるように咲いたかと思えば、その瑞々しく薄い花弁はひとひらひとひら風に流されてしまうので、小鳥の体は絶えず不定形だった。
    時折流れる潮風には饒舌なものがいて、フェルチのお家が滅んだよ、王様を怒らせたんだ!と囁いては猫を追いかける子供のようにきゃらきゃら笑いながら駆けていく。
    王様はどうして怒ったの?お嫁さんを取られたのさ!取られたって、誰に?魔法使い!魔法使いとお嫁さんは逃げたよ!どうして?姉弟だからさ!
    真白いキャンパスよりも広く果てのない空の中心で、一人の潮風が青年に囚われてしまった。
    青年の長い指にしっかり捕まってしまった潮風はどうしても逃げ出したいらしく、ぴゅうぴゅうと鳴きながら小さな竜巻のように渦をまく。
    風が出てきたから、きみも鳥籠へお入り。
    潮風を空に返して、そう言おうとした時のこと。
    ぐらり、と身体が傾くのを感じ次いで内蔵が飛び出しそうな不快感に襲われ咄嗟に口元を抑える。
    夢のように美しく続いていた風景は泡のように弾けて消え、端の方から宵闇の終幕が引かれる。
    「ラスティカ」
    警告音のように響く耳鳴りの中でひとつだけはっきりと聞き取れた、誰かが青年を呼ぶ声。
    風にさらわれ崩れかけた無数の花が彼女の爪先を、嫋やかな手を形作るのに、絶えず蕾が綻び瞬きをする間に朽ち果てるその面影はひどく曖昧だった。
    憧憬と追悼に彩られた白波のドレスを纏う在りし日の花嫁。
    何か、何か大切なことを伝えたいのに言葉は胸に支えてただ苦しいばかり。
    そうしている合間にも雛芥子の身体が音もなく崩れもう指先なんかは鱗粉のようにぱあっと舞って、底のない明るい空間へと螺旋を描きくるくると落ちていく。
    とめどなく流れる水晶の涙がぽろぽろと零れ、真白い肌に虹色の影を落とす。
    「ア────」
    どうしてか、呪文が出てこない。
    自分の呪文は、あの大切な言葉は、なんだっただろう。
    「……私を、迎えに来て」
    「いかないで」
    「ねえ、約束しましょうよ。きっとまた会えるわ。貴方は──」
    魔法使いなんだから。
    風が強くて、二人のお別れを彩る赤や青、それから黄色の花がコンフェッティのように降り注ぎ彼女の輪郭を隠してしまう。
    どうしても離したくなくて、ここでお別れするのは嫌で必死で腕を伸ばして抗うほどに花嵐が吹き荒れついには全身が飲み込まれた。
    網膜に靄が広がり次第に身体の感覚が曖昧になっていく。
    魂だけが肉体を乖離して暖かいお湯に使っている時のような、不思議な安堵感に苛まれて彼は意識を手放した。


    ガラス製品のぶつかる音がして、朧気な意識に少しばかり光が差す。
    それから、見知らぬ大人が恋の話をしていた。
    「今日は良い収穫があったよ、シャイロック」
    「落ちていたものを拾ってくるのはおやめになって」
    「見て、記憶を失っているようだ。自分の名前も思い出せないらしい」
    「珍しい、まだ記憶を覗いていないんですか?いつもの貴方なら、名前を聞くよりも先にその魔道具でも盗み見るでしょう」
    「あはは、人聞きが悪いな。君と一緒に見ようと思ったんだよ」
    「呆れた。悪趣味な人」
    アルコールと煙草の香りが脳にゆっくりと染みる。
    抱えていた鳥籠ががしゃんと音を立て、濡れた髪が妙に冷たかった。




    大通りに溢れかえった人、人、人。
    華やかな衣装の踊り子がくるりと回ればチュロス売りの親父さんが拍手を送り、レモネードを持った子供がその横をぱたぱたと駆ける。
    「わあ……!見て、あのお店かわいい!あ、あっちも……!」
    「楽しそうだね、クロエ」
    「うん!見たことないものが沢山あって目移りしちゃう。ねぇあの帽子、ラスティカに似合うかな?」
    屋台に飾ってあった麦わら帽子を指さして、クロエは楽しそうに笑う。
    昨夜に見た悪夢のことはもうすっかり忘れてしまって、かわいらしい弟子との旅を楽しむ彼は幸せそうに見えた。
    起きがけは少し身体が重く、嫌な汗を書いていたけれどモーニングティーを飲むうちに穏やかな時間を思い出すことができたから。
    「あれは麦で編まれているんだね。素晴らしい、お腹が空いた時に齧ればパンの味がするかもしれない」
    「齧るの……?麦わら帽子を齧るラスティカはあんまり見たくないかな……」
    楽しい時間はすぐに過ぎてしまうから街の端から端まで巡り知らない人を鳥かごに閉じ込め、
    偶にカフェで休憩をしているうちにすっかり日が暮れて夜になる。
    歓呼の祭りは夜通し続くらしく、走り回っていた子供達と入れ替わるように若者や娘達が様々な酒瓶を手にあちこちで踊り狂う。
    マンドリンのため息にカスタネットがはしゃぐ声。
    狭い料理屋には人がぎゅうぎゅう詰めにされ、世間話と恋愛話が路地に零れるのも気にせず厚切りのベーコンをぐっさりとフォークで刺す。
    軒先に下げられた星のランプを眺めながら空いた店を探すうちに、いつの間にか海岸に出てしまった。
    「おや、ここは…………?」
    ラスティカは砂の感触を靴裏に感じて、はたと足を止める。
    くるりと振り返ると家々の白い壁が見えて、目の前には星明かりだけがきらきら光る海が広がっていた。
    「クロエ、クロエ。…………困ったな、はぐれてしまったみたいだ。前みたいに泣いているかもしれないから、早く迎えにいかないと」
    当のクロエは転んだ老婦人を見過ごすことができずに路地裏でこそこそと手当をしている。
    優しい彼のことだから家まで送り届けるのかもしれないし、祝福の魔法だけかけて師匠を探しに行くのかもしれない。
    どこではぐれたのか思い出そうと考え込むラスティカの頭には数年前に言われた言葉がぼんやりと浮かぶ。
    『もし俺とはぐれたら、その場を絶対に動かないでね。俺が迎えに行くから、ラスティカはじっとしてて』
    あの時のクロエは怒っているよりも心配しているように見えたし、やっぱり怒っているようにも見えた。
    服の裾をぎゅっと握って、声が震えていたから暖かい紅茶を飲んで一緒に眠ったような気がする。
    今よりも少し背が低くて、まだ箒で飛ぶとよろよろしていた頃の事である。
    「そうだ、クロエが見つけやすいように木を光らせておこう。失礼、少し魔法をかけますね。アモレスト・ヴィエッセ」
    手近な木に魔法をかけると緑色の葉がきらきらとした精巧な金細工に変わり、星の明かりを跳ね返して砂浜にはラスティカの影ができる。
    それから、海の方に視線を滑らせると優雅に微笑む。
    「さぁ出ておいで、恥ずかしがり屋のお嬢さん」
    ぐにゃりと空間が歪むと誰かが浅瀬でステップを踏んでいるかのような水しぶきがたち、長いスカートの裾がぼんやりと浮かぶ。
    徐々に形作られる少女の姿は腕なんかが病人のように細く顔はまるで血の気がない。
    コットンの裾から覗く足は所々透けていて、足首から先は海と混ざっていた。
    昔話で聞いたよりも幾分かあどけない少女の幽霊はラスティカを一目見ると、とうめいな手で顔をぱっと隠す。
    「初めまして」
    「あ……どうして……」
    「あはは、僕は隠れんぼに自信があるからシュガーポットの中に隠れることだってできるよ。それから、透明で風に吹かれたら飛んでいってしまいそうなきみを見つけることだって」
    目線を合わせるためにしゃがみ、冷たい手をそっと取ると紳士的で風雅な微笑を浮かべる。
    何が少女の幽霊をこちら側につなぎ止めているのか、ラスティカには検討をつけることができても解決することはできない。
    彼女が求めた恋人はラスティカではないし、ラスティカには美しい日々を過ごしたいつかの花嫁がいるから。
    少し戯れることしか出来ないけれど、きっと楽しい時間になるはずだから。
    「きみの名前を教えて」
    「ごめんなさい、思い出せないの……」
    「無理に思い出さなくていいよ。ねぇ、僕と踊ってくれませんか、お嬢さん」
    「ダンスなんて、踊ったことないわ……」
    「素晴らしい!」
    「どうして」
    「まだ誰も知らないきみだけのダンスをきみは自由に、何にも縛られずに踊ることができるんだ。さぁ、手を取って!春風のようにくるくる回って、かわいらしい栗鼠のステップを踏もう」
    「……えぇ!」
    星を閉じ込めた白金の瞳の少女のどこかぎこちないカーテシーに、青い鳥の瞳の貴公子は洗練されたボウアンドスクレープを返す。
    街の方から潮風が運んでくる軽快なダンス・ミュージックに合わせてつま先をとんとんと砂に打ち付け今一度視線をかち合わせた。
    少女が海に囚われていた足を一歩踏み出すと夢のように波がざあっと円を描いて跳ねる水滴の一つ一つが金や銀、それから虹色を呈して泡のように弾ける。
    さっきは右足を踏み出したから次は左脚をもう少し遠くまで、跳ねるみたいに。
    美しい水滴のスパンコールがコットンの長い裾に幾つもついて、宝石よりも明るく星空を写したドレスがきらっきらっと瞬く。
    「ほら、きみの足はもう自由だよ」
    「えぇ、とても楽しいの」
    透き通る蝋燭の顔をしていた少女の頬は薔薇色に色付き、流れる視界の中で赤い癖毛が夜空に舞う。
    落ちてきそうな程に大きな月が煌々と輝き、夜空の中心で微睡んでいた。
    右手をぱっと離して腰に当て、繋いだままの左手の先でくるくるくると回れば重さを知らないコットンの裾が海月のようにふわりと広がる。
    ラスティカが少女の身体を引き戻し、再び両手を合わせるとそのまま天へ腕を伸ばして滑るようなステップを踏む。
    顔を見合わせて微笑んだ後にもう一度背中合わせでくるりと回るとキャメルのスカーフが揺れ、街の明かりが溶けたみたいに尾を引いて光のリボンを作る。
    雲の切れ間から月が顔を出し、幽霊の赤い髪をぎらりと照らした。
    もうすぐ〈大いなる厄災〉が来襲する季節だと、クロエが言っていた気がする。
    それで今日の月はこんなに大きいんだろうかと思案したその刹那。
    冷たい華奢な指がラスティカの首をしっかりと捉え、足を海に繋がれたプリマドンナが一種の狂気とも取れる笑みを浮かべた。
    「うふ、うふ、うふふふ、捕まえ、た…………私の……!」
    「あ────」
    指にぐっと力を込められ喉が嫌な音を立てる。
    そのまま冷たい海へ引きずり込まれることは直感でわかるのに、喉をつかまれているから呪文が上手く出てこない。
    物理攻撃が不得手というよりは彼の性格上、多少無理やりにでも魔法を使おうとしたその時。
    「スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク!」
    大きな布が幽霊の頭上に現れ、そのまま覆い被さるとぴったりくっつき離れなくなった。
    驚いた少女は藻掻く過程で敢え無くその手を離してしまい、喉が自由になったラスティカは鳥籠を取り出すとその口元に微笑みを浮かべて呪文を唱える。
    「アモレスト・ヴィエッセ」
    獣のように動き回っていた布の塊が途端に静まり返り、ぺろりと捲った中には一匹の白い栗鼠が眠っていた。
    後ろから弟子の走ってくる足音が聞こえ、振り返る前に背中から勢いよく抱きつかれる。
    ふわりとした紅茶とお日様の香りを久しぶりに感じる。
    「ラスティカ!」
    「クロエ?」
    肩のあたりが暖かく湿って、それでいて重い。
    時折ぐすぐすと音が聞こえてラスティカの綺麗な手に重ねられた働きものの手が小さく震えていた。
    「あんたが海に連れてかれちゃうかと思った」
    「ごめんね、迷子のお嬢さんと踊っているはずだったんだけどいつの間にか捕まってしまったみたいだ」
    「もう…………迷子はあんたでしょ」
    「おや、そうだったかな?さっきのクロエはかっこよかったよ、よく頑張ったね」
    極度の緊張状態から突然開放された身体が鉛のように重く、その場にへたり込んでしまおうかと思ったのにかっこいいなんて言われたら、最後までかっこよくいたい。
    本当に、どこか別の世界に連れていかれてしまうような気がしたのだ。
    絶対に離すまいと肩に回された腕をとんとんと突くと、クロエが慌てたように解放してくれて正面に向き直る。
    ここまで走ってきたせいなのかストロベリー・レッドの髪がところどころ跳ねていて、子犬みたいだった。
    掌の中で白い小さな栗鼠がきぃきぃ鳴く。
    「その子は?」
    「魔法を解いてあげようか」
    小さな栗毛の頭をちょん、と撫でれば栗鼠がさらさら溶けて海に囚われた偏愛と寂寥の幽霊が再びその形を露わにする。
    仮死にする魔法は間に合うかな、なんて考えていたのに、目の前に現れたのは透明な腕で顔を隠してさめざめと泣く痛ましい少女の姿だった。
    もっと大きな化け物を想像していたから拍子抜けして冷たい海水の滴るその赤い髪をとかして三つ編みにしたいな、と見当はずれな事を考えた。
    「ごめんなさい……ごめんなさい……優しくしてくれた貴方に酷いことをしてしまったわ……」
    「月に魅入られてしまったんだね。僕の弟子が助けてくれたから、きみが謝るようなことは何も起きなかったよ。少し驚いてしまったけれど。そうだ、きみの足をみてごらん」
    きっとまた海に溶けたまま不安定で冷たく、走り出すことも出来なければ踊ることすら出来ない足があるのだと思い悲しくなる。
    ところが、とめどなく溢れる涙の合間に見える足はどうしてか生きた人間みたいに砂に汚れ波が引いても海へ引きずりこまれなかった。
    そのまま一歩踏み出せば、砂を踏みしめる感覚がある。
    「どうして足があるの」
    「きみの綺麗な足は元からあったけれど、きっと余りにも長い間海を漂っていたから忘れてしまったんだね。さぁ涙を拭って。きみはもう、大切な人のところへ行けるから」
    「あぁ…………そうだ。私、あの人を探していたの……」
    少女はふわりと微笑み、憑き物が晴れた時の涼やかな声をしてそう言うと白金の瞳をゆっくり閉じた。
    頭のてっぺんや濡れた赤毛からさらさらとした光の粉に変り、それが潮風に吹かれて高い空へ舞う。
    虹色の波飛沫のビーズがぱちぱち弾けて、美しい林檎色の赤毛が炎のように揺れているからクロエがぽろりと言葉を零した。
    「わぁ、綺麗……」
    「…………ありがとう……」
    幽霊の少女はくるりと振り返りラスティカを見つめた後にはにかんで、星空へと返った。
    祭りの喧騒が遠くに聞こえて、夜の海は優しい波音を奏でる。
    「さようなら、迷子のお嬢さん」
    そう呟いた横顔は誰かに恋をしているような、誰かと一緒に夢を見ている時のような幸福が薔薇色の頬に滲んでいた。
    窓辺でティーカップを傾けている時に、よく似た微笑ともメランコリーとも付かない表情を見たことがある。
    今日は何処か遠くの、クロエが知らない昔を写す遠い瞳をしていた。
    なんとなく、ラスティカと賑やかで明るい所へ行きたくなって彼の手を取った。
    いつも暖かい手が今日は氷みたいに冷たくて、ずっと潮風に吹かれていたのかと思うと胸がちくちくと痛む。
    「あんたを探す途中で、スープのお店を見つけたんだ」
    「そういえば、夜御飯を食べ損ねていたかも」
    「かも、じゃなくて本当に食べ損ねちゃうよ。お店が閉まる前に買いに行こう?」
    「心配しなくても、この街の人達は夜に起きて朝眠るから大丈夫だよ」
    さくさくと砂を踏んで、美しい星空にお別れをする。
    街の中はきっと、眩しいくらいにランプが輝いて星の明かりは届かないかもしれないから。
    普段は陽だまりで歌っているのに時折薄氷の上で踊るように不安定でどこか脆い彼をもう離さないように、ぎゅっと手を握りクロエは歩き出した。



    昔話は尾鰭と背鰭と四本足が着いて勝手に一人歩きしてしまうこともある。
    この街に伝わる悲恋の昔話と、海に気に入られた幽霊の少女もきっと似たようなものだろう。
    その日に買ったスープには星型の二股人参が浮いていた。
    そして、頑張り屋の仕立て屋さんがデザインノートにさらさら筆を走らせ時折何か考え込む様子を眺めながら眠りについた。
    本人曰く、どうしても今完成させたい服があるのだと。
    ペン先が踊るように動いている日もあれば、何回も同じところを行ったり来たりしている日もあって彼の表情もころころ変わる。
    今日は明るい未来への希望と少しの自信、それから凛々しさが見え隠れしていた。
    クロエと出会ってから何年か旅をしていたけれど、初めて見る顔だった。
    おやすみ、と声を掛けたらおやすみ!と返してくれるのはいつもと同じだったけれど。
    でも、おはようにはいつも違う答えが帰ってきた。
    「おはよう、クロエ」
    「え、もう起きたの……?ええと、おはよう?」
    鳩時計が五回鳴いて、ぱたんと扉が閉まる。
    糸の端っこを処理していたクロエが振り返ると、ベッドで微睡んでいたラスティカが眠そうな瞳でこちらを見ていた。
    「もしかして俺、起こしちゃった?いつもお昼まで寝てるのに……」
    「おや……?焼きたてのパンが歌っていたけれど、夢だったみたいだ。クロエは聞いた?」
    「あはは、それで寝ながら歌ってたの?」
    「良いソプラノだったから、今度クロエにも聞かせてあげたいな」
    開け放ちの窓から流れてきた涼しい風が、ラスティカの火照った頬をそっと撫でて心地よい。
    半分ほど朝に浸った空はもう端の方が真っ青に染まっていて、水晶のような朝日がそこから零れ落ちていた。
    クロエの赤い髪が青い空にぴょんと跳ねて、寝ぼけ眼に鮮烈なコントラストを呈している。
    どこかそわそわした様子の彼は、デスクの上に置いていた縫いかけの白いコートを一度広げてまじまじと眺めた。
    「ねぇ、ラスティカ……服、完成したからちょっと着て見せてほしな。細かいところの調整も必要だろ?」
    思った通り、採寸はほぼ完璧で布の色味と素材も調和している。
    最初はなんとなく浮かんだデザインだったのに、いつの間にかラスティカに着て欲しくなって華やかな装飾を幾つか足した。
    例えばそれは首周りのファーだったり、レザーの襟だったり。
    それらを縫い付けているうちに、もうこのコートを着るのはラスティカしかいないとクロエの頭の中では決まっていた。
    彼が着てくれる姿を空想しながら縫うのは楽しかったけれど、上手くいかなかったらどうしようと本当は少し不安だったのだ。
    でも、今日はそんな迷いにお別れすることが出来たから。
    椅子から立ち上がり裁縫箱を開けて、そこから大切に集めた金色のボタンをぎゅっと握る。
    ベッドに座るお師匠様は、少しだけ眠そうな微笑を浮かべて何か覚悟を決めた顔の弟子を見守っていた。
    「よーし、いくよ!スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク!」
    クロエが呪文を唱えてからボタンをぱっと投げると、そのひとつひとつが透明な朝日をきらきら跳ね返して燦然と輝くから星にみたい見える。
    息をするのも忘れて見惚れていると、亜麻色の髪が花の香りを纏う海風に揺れて彼の碧眼には金色のボタンと楽しそうに微笑む弟子の姿だけが映る。
    以前はずっと涙に濡れていたのに、今は瑞々しい自信に満ちて広い世界を知ろうとするすみれ色の瞳が切なくなるほどに眩しい。
    そしてさらさらと降る星の金ボタンは真っ白なコートのエポレットに落ちるとぱちん、と弾けてそこに留まり袖口に落ちたものはきらきら砕けてカフスボタンになる。
    最後のボタンは幾つかの星屑に弾けて、その弾けた欠片が一枚一枚煌びやかな花のブローチに姿を変えると左側の襟にしっかりと留まる。
    「ねぇラスティカ、あんたに似合う服をずっと作りたかったんだ!でも、俺にはできないって思ってた…………」
    ベッドに腰かけていたラスティカの手を取って、クロエが目線を合わせるようにしゃがむ。
    子供特有のふくふくした手は、いつの間にかしっかりとした働き者の手になっていた。
    今は座っているからよくわからないけれど、すぐいなくなるラスティカを同じ歩幅で追いかけてくるくらいには背も伸びている。
    「魔法使いだからって家に閉じ込められてた俺に、魔法使いなら何にでもなれるよって教えてくれたのはラスティカだよ。昨日もあんたを助けられるか不安だったけど……夢中でやってみたら、上手くできた!」
    胸に手を当てて昨日の晩のことや、初めて外の世界に出た日のことを思い出す。
    自分の踏み出す一歩は誰からも歓迎されなくて、拒まれて転ぶばかりだと思っていたのにいつからか傍で励ましてくれる人がいた。
    その人は不思議な明かりでクロエの行く道をそっと照らしたかと思えば、いきなり横道に花を咲かせたり歌を歌ったりする。
    でも、その優しい人は誰も知らないところで真っ白のやわらかな靄の中を空の鳥籠だけ持ってずっと彷徨っていることに最近気付いたのだ。
    それなら、その人の手を取って一緒に歩く方がずっと素敵だ。
    「できることが増えると、世界がどんどん広がって行く気がするんだ。今は世界のことをもっと知りたいし、次は何をやろうかなって考えるだけで毎日とっても楽しい!」
    クロエがすっと立ち上がったから、それにつられてラスティカも立ち上がる。
    あぁ、やっぱり背が伸びたんだ。
    もう視線の高さがほとんど変わらないから、こうやって向き合うとお互いの瞳の奥まで覗くことができる。
    追憶の恋と白昼夢に囚われている危うい天色と、穏やかな愛が揺蕩うアイスグーンの碧眼が真っ直ぐにクロエを見つめていた。
    あの頃と何も変わらない、優しい祝福の笑顔を浮かべている。
    そのままふわりと抱き締められて、頭を優しく撫でられる。
    「おめでとう、クロエ。今日はきみが世界の素敵な部分を見つけて、そこを歩こうと決めた記念日になるね。僕達は魔法使いだから真っ直ぐに進まなくても迷わないし、きっと迷うのも楽しい。歌いながら歩いたらもっと素敵だね。さぁ、きみの世界──この先には希望が溢れているよ」
    「ありがとう、ラスティカ。ねぇ、俺にもっと魔法を教えて。あんたがいつか花嫁さんに会えた時に……俺がラスティカの一番の弟子ですって、胸を張って言いたいから」
    「勿論。真っ先にきみを紹介しよう」
    狭い部屋の中を抱き合ったままくるくる回り、回り疲れた頃にベッドへ倒れ込み顔を見合わせて二人で笑う。
    思いつく限りの歌を歌い、ヴァイオリンだって取り出し開け放ちの窓からリリカルな音楽を潮風に乗せ朝の港町に届ける。
    昨日と同じ太陽が浮かんでいるはずなのに、ずっと明るく感じて遠浅の海が硝子よりも透明に美しく煌めく。
    やがて家々の窓が開き、狭い路地には白い洗濯物がはためきその間を海鳥がきゃあきゃあ鳴きながら縫うように飛ぶ。
    その影を追いかけるように子供たちが走りまわり、寝坊をしたパン屋がやっと商売を始めた。
    どこかから少女の歌声が聞こえ、檸檬の香りと潮風が軽やかに二人の髪を揺らす。



    袖口には真っ白なフリルを縫い付けて、左の胸元には真紅のリボンと金色の羽飾り。
    それから緑色の宝石みたいなボタンを付けたら仕上げに小さな薔薇のラペルピンを刺して、素敵な上着の完成!
    一度ぎゅっと抱きしめてどきどきしながら袖を通して、魔法で出した鏡の前に立ってみた。
    でも、こんなに装飾のついた、華やかでかわいい服を着るのは初めてだから見るのが少し怖くて固く目を閉じる。
    そうしていたら瞼の上に誰かの手が重なって、次いで紅茶と香水の甘い香りがした。
    「ほら、目を開けてみて」
    そう言われてそっと目を開けると、先ず黒い手袋の縫い目が見えて指の隙間から光が差し込んでいた。
    クロエが疑問の声を上げる前にぱっと手が避けられて、鏡に映し出されたストロベリー・レッドの青年が驚いた仕草をする。
    「わぁ…………」
    なんだか、思っていたよりもずっと素敵な気がして歓声をあげる。
    自分には明るすぎると思っていた赤いチェックの走る生地も、アクセントに付けたエメラルドのボタンもお気に入りの羽飾りも不思議と調和が取れてずっと前から着ていたみたいに馴染んでいる。
    中に着ているいつものシャツも、この上着と合わせるために作ったのかな、なんて思うくらいには色のバランスが良い。
    「これ、もしかして似合ってるのかな……?」
    「もしかしてじゃなくて、とても似合うよ」
    「えへへ……嬉しいな。俺、こういう服は似合わないと思ってた」
    「どうして?クロエはこんなに素敵なのに。その服もきみが心をこめて縫ったからきらきらしてて、遠く離れてても見つけられそうだ」
    そう言ってクロエの着た上着の袖を撫でたり、羽飾りをつついている青年もまた良く似合う純白のコートを着ていた。
    所々に金の飾りボタンがついたそのコートは、紳士的な振る舞いを見せる色男の高貴な雰囲気をより強調している。
    これを仕立てた人はきっと、余程彼のことを理解しているのだろう。
    「この上着に合わせるならこっちのブーツの方がいいかな?それならサスペンダーも変えないと!あ、ラスティカまた髪が跳ねてるよ。直すから座って」
    その日も二人は野宿をしていて、林檎の木の下に天幕を張ってその横で鏡を出したり椅子を出したりしてファッションショーをしていた。
    クロエは小さな櫛でラスティカの跳ねた髪を丁寧になでつけると、嬉しそうに微笑んだ。
    それから、ちょっとした疑問が浮ぶ。
    「ねぇ、ラスティカはずっと一人で旅をしていたの?」
    「僕のことが好きだと言って、着いてきた人は何人かいたけれどみんな泣いたり怒ったりしてどこかへ行ってしまったな……気まぐれなんだね」
    僕は花嫁を探しているんです、と伝えても勝手に着いてきて一方的に恋人を名乗る酔狂な人間は何人かいた。
    しかしラスティカの刹那的で享楽的な旅に三日と耐えられる者はいなかった。
    そして彼に惚れた人間は決まって花嫁よりも自分を優先してほしくなって、泣いたり怒ったりして魔法使いに誑かされたと言いながら元の生活に戻る。
    結局は皆、自分だけを一番に愛してくれる人間と添い遂げたいのだ。
    「そ、そうなんだ……。だからあの時も寝癖が着いてたんだね」
    「あの時?」
    「俺を見つけてくれた時。とっても紳士的で洗練されててかっこよかったのに、寝癖がついてたから不思議だったんだ」
    「クロエは僕の寝癖が好き?それならもっとたくさんあった方がいい?」
    「突然どうしたの?うーん…………髪は整えてた方がかっこいいけど……でもラスティカっぽくて安心するな。たくさんはいらないけどね」
    終わったよ、と声をかければラスティカは半分手袋に包まれた手で自分の髪をさらさら撫でてふわりと微笑む。
    クロエが整えた髪に彼の仕立てた白いコート、それから椅子まで。
    自分の周りのものはクロエが用意したものや、店先で一目惚れして買い上げた骨董品ばかりで重ねた時間の象徴みたいだった。
    色々な偶然が重なった果てに運命的な出会いをした二人は、お互いを愛することができた。
    いつかは冷たい石になってしまうとしても、共に過ごした暖かくて優しい日々は決してまやかしではない。
    「そうだ、クロエが椅子を出してくれたからお茶会にしようか。良い香りのハーブティーがあったからそれを使おう、きっと素敵な夢が見られる」
    「わぁ、今からお茶会?パーティーみたいで楽しい!」
    お湯を沸かしてお皿を並べて、バターの香りのショートブレッドを上品に添えて。
    真っ白なテーブルクロスの端っこをぎざぎざの変わりレースに変えて、ついでに淡いルージュベリー色に染め上げてしまうとあら素敵。
    暖かいハーブティーには大きな月が浮かべて、その上にミルクを垂らしてくるくる混ぜれば不思議なミルクティーの出来上がり。
    空にぽっかり浮かんだ〈大いなる厄災〉も顔を出したくなりそうなお茶会はつつがなく進んでお喋りに花を咲かせる。
    「〈大いなる厄災〉ってどんな感じなのかな?すごい大きな嵐みたいな感じ?」
    「僕も詳しく聞いたことは無いけれど、そうじゃないかな」
    「どうやって追い返すんだろう?皆で一斉に攻撃するのかな?」
    「それなら合図を出すための大きな音のする楽器が必要だね。トランペットなんてどうだろう?もしかしたら月も僕達と同じで、音楽が好きかもしれないよ」
    「明日聞いたら答えてくれるかな?」
    あはは、と笑い声を上げてショートブレッドをさくさくつまむ。
    少し風が強く、たわわに実った林檎がざわざわと音を立てて揺れ所々に咲いた可憐な薄紅の花がいくつか落ちる。
    そのうちの一つがクロエのティーカップに落ちるから、二人は顔を見合わせて笑いあった。
    「素敵だね」
    「うん!」
    真夜中のお茶会はまだ花盛り、まだ話したいことも沢山あるし次に行く街も決めないといけないのだから。
    林檎の香りが甘い風に乗ってふわりと広がり、夜更かし猫の鼻を悪戯にくすぐるから彼らは驚いてにゃあにゃあと騒ぐ。
    穏やかでおかしくて幸せな日々が終わることを知らないように、西の魔法使いのお茶会は何時までだって続く。
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