ノンカフェインふわりと部屋に広がったカモミールの香りに、思わず目を細めた。カップを満たす薄い茶色の液体は、飲む前からその香りで心を解してくれるようだった。
「神琳」
お盆に乗せて、テーブルへ向かう。名前を呼べば神琳は読んでいた教本を閉じて私へ向き直った。
「お茶、入ったよ」
「えぇ、ありがとうございます」
教本を棚に戻した神琳がまた椅子に腰掛けたから、カップを置いてその正面に座る。
ゆったりとカップを傾ける所作の優雅さを視界に入れながら、私も一口含む。鼻へ抜けるその香りの良さに、ほぅと息を漏らした。
この間、購買で見かけて買ったカモミールティーは、消灯時間前に二人で飲む用として普段は戸棚の奥の方に置いている。別に隠すわけでもないけれど、二人だけの秘密ができたようで、何となくそれに心地よさを感じていた。
「雨嘉さんはお茶を淹れるのがお上手ね」
「えっ、そうかな……その、あんまり自信ないんだけど…神琳にそう言ってもらえると、嬉しいな」
神琳に褒められるだなんて。思ってもいないことに、声がうわずってしまった。
もちろん、彼女がお世辞を言う人ではないことは分かっている。その言葉が何の偽りもないものだと知っているからこそ、余計に背中が熱くなってしまう。
そんな私のことなんて知らない神琳は、謙遜なさらないで、と言って目を伏せる。香りを気に入っているのか、口元はカップで分からないけれど微笑んでいるように見えた。
カップの底がすっかり見えるようになってもまだ、その香りは部屋を満たしているような気がする。
どこか緩んだ空気。時間の流れすら遅くなったのではないかと錯覚してしまいそう。
そんな空気の中、神琳が立ち上がる。
「そろそろ、消灯時間だわ」
「うん」
「片付けますわね」
「…ありがとう…」
お盆にカップを乗せて片付けに向かう背中を、横目で見送る。下ろされた髪が歩くのに合わせて、ふわふわ揺れている。
「……神琳、明日の予定は?」
「明日は、特に何もありませんわよ。雨嘉さんは?」
「私も…」
お互いの予定なんて、だいたい分かっている。分かっている予定は前もって言うことがほとんどなのだから。多分、明日は何もないだろうなって思いながら聞いた。
「ねぇ、神琳。今日は…その、一緒にいても……」
こんなに分かっていても、私の言葉は弱々しい。羞恥もある。不安もほんのちょっと。
手早く片付けを終えた神琳が、またこちらへ戻ってくる。さっき洗い物をしたから少し冷えた指先が、私の手を包んだ。
「…えぇ、もちろん。灯りを消しましょう? もう時間だわ」
2段ベッドにしてはおそらく広いのだろう。二人で寝ても、そのスペースには若干の余裕が残っている。
灯りを消してしまえば、もうカーテンの隙間から覗くほんの少しの月明かり以外に光源はない。
二人で枕を並べて、時折思い出したかのように何でもない話をして、吐息が触れるほどに身体をくっつけ合う。まるで幼い子どもがするようなこと。
今日あったことも、昨日あったことも。神琳はこういう話を聞くことは好きじゃないのかもしれないけれど、それでも私の話すことに耳を傾けてくれるし、神琳の話を聞くことが私は好きだった。
「それで、鶴紗さんと梅様が、猫にエサをあげてて…ん…ふぁ……」
今日、二人が猫に猫缶をあげていた話をしていたら、小さくあくびが出た。
「眠いですか?」
「ん……うん…」
もう少しこうして話していたい気持ちもあるけれど、強い眠気に抗えそうになくて、そうしているうちに目蓋は少しずつ重くなっていく。
昼の訓練もあるけれど、二人分の熱を柔らかく抱え込んだベッドに、さっき飲んだカモミールティー。私の意識を蕩かすには十分だった。
「わたくしも、少し眠気が…」
同じように神琳の声もどこかとろみがある。あぁ、今日のお話はここまでみたい。
「おやすみ、しぇんりん…」
舌足らずな自分の声。届いているか分からないけれど、隣の神琳の熱が心地よくて、そのまま。
明日も隣に神琳がいてくれたらいいな。