引子ママに弱いっちゃんご飯食べにこない? とお母さんから連絡が来たのは三日前のことだ。もしかして寂しいのかもとかっちゃんに話したら、ならばと言って緑谷家に帰る計画を立ててくれた。かっちゃんは仕事が終わったらそのまま来ることになっていたので、ひと足先に帰った僕は絶賛お袋の味を叩き込まれ中だ。
「あ、出久! それまだ早い!」
「えっ、ごめん」
「それでも美味しいんだけど、もうちょっと炒めるとより甘くなるの」
お母さんに叩き込まれ中なのはミートソーススパゲッティだ。一般的なレシピ本には載ってないちょっとした工夫であの優しい味が完成されているのかと感心する。
ヘラでソースを混ぜていると、ピンポーン、とチャイムが鳴った。かっちゃんだ。確認していないのに直感でそうわかった僕は、笑顔で頷くお母さんにソースを任せて玄関まで駆けていく。すぐ開けようと逸る気持ちをなんとか抑えて、ドアスコープからそこにいる人を確認してから玄関を開ける。
「かっちゃんおかえり! お仕事お疲れ様」
開口一番労う僕にかっちゃんはポカーンとしている。何かおかしいことでもあっただろうかと思って自分を見下ろす。別に普通の格好にエプロンをしているだけだ。
「……わからんでもねえな」
「え? なにが?」
「ンでもねえ。コッチの話」
キャップを取りつつ後頭部を掻くかっちゃんに首を傾げる。そうしているうちにお母さんが僕を呼ぶので、かっちゃんは手洗いに、僕はキッチンに戻った。
「おかえりなさい勝己くん。疲れたでしょ? そこに座ってて」
「っス」
ダイニングテーブルに座ったかっちゃんへアイスコーヒーを出そうとしたお母さんは、点けたテレビに映る大・爆・殺・神ダイナマイトを見て「あ」と嬉しそうな声を出した。
「今日も大活躍だったね。口調はちょっと乱暴だったけど」
ちょっとどころではない、罵詈雑言の嵐だった。大分マイルドに言っているお母さんに苦笑しつつ茹でたパスタをザルにあげた。もわっとたちこめた湯気を手で払いつつ水気を切る。
「そうそう、それでね? わたし近所の人と息子の話になって」
なんでも、その近所の人は息子が皿を洗わないと愚痴を零していたそうだ。その息子というのは僕らより二歳上というのだから引き攣った笑みを浮かべるしかない。世間一般ではそういう人が多いのかもしれないけど、僕らは皿どころか料理も完璧な男性が身近にいるので、皿洗いをしてくれないってイメージつかないなぁ。これってかなり恵まれている感覚だというのはなんとなくわかっている。結論としては、やっぱりかっちゃんって才能マンなんだなあってことかな。
僕がかっちゃんの才能マンぶりを感心している間もお母さんはニコニコ嬉しそうにしたままなので、パスタを皿にわける僕もチラチラお母さんを見る。
「息子、あ、ちゃんとヒーローであることは伏せたから安心してね! の話になったの。ウチの息子は買い物に行くといつも荷物持ってくれるし、定期的に顔を見せに来てくれるし、何より、毎日元気な姿をテレビで見るから。母さんつい自慢しちゃった」
ニコニコしながら話すお母さんに褒められたかっちゃんは「いや」とか「まあ」とか途切れ途切れに返すくらいでろくに言葉を発せていない。顔は普通だけどいつもの威勢はどこにいったんだと思うほど声が小さい。
「かっちゃん照れてる」
「はっ、ァ 照れてねーし!」
「あらあら、ウチの子ってば謙虚ね。これも自慢しなきゃ」
「けっ、おばっ、カッ、さん!」
「ものすごい動揺してる」
「うるっせー! してねーわ!」
目を吊り上げてはいるものの、ギャンギャン必死に吠えるチワワみたいになっているので、全然怖くない。照れてないの一点張りは逆に照れていると言っているようなものなので、お母さんと顔を見合わせてはクスリと笑った。