大人たちに見守られるっちゃん「頼みがある」
ホームルームが終わって早々そう声をかけてきたのは、受け持つクラスの中でも群を抜いた問題児だった。実習中に負った怪我を脅威のスピードで治した奴が言うのは本免についてだとは予想していたが、弱点を克服したいという相談だったので内心驚いた。
「催眠か、精神操作系の訓練がしてェ」
これは結論を急いだなと察し、溜息混じりに詳細を聞いた。
爆豪曰く、過去のある出来事に酷いトラウマがあるそうだ。それを呼び起こしてどうこうする個性と対峙したら太刀打ちできないとまで言っていた。あの自信とプライドというぶ厚い装甲を持っている奴が、だ。
ちょうどマイクの知り合いに合致する個性持ちのヒーローがいたので、訓練に付き合ってもらえないか依頼した。マイクの知り合いなら悪い奴ではないと予想していた通り、未来ある学生のためならと快諾してくれた。
「じゃあ、やっていきますね。ちなみにどこらへんの記憶か教えてもらえるかな?」
「……中二」
「中二ね。今は高校三年生ってことだったから、四、五年前ってことだね。わかった」
そう言って始まった訓練を一応くらいの体で見ていたのだが、爆豪の様子がおかしいことに気づき壁に寄りかかっていた体をもちあげた。顔面蒼白の爆豪の息遣いがおかしい。
「おい、爆豪。……爆豪?」
片手をあげて暗示を止めさせて爆豪の顔を覗きこむ。もう暗示は解かれているのに息は荒く、声をかける俺と目が合っていない。
「おい! 爆豪! しっかりしろ!」
肩を叩くが焦点が合わない。予想していた通り過呼吸になっているようで、息がヒューヒュー鳴っている。
「不味いな、とにかく息を」
俺が肩から手を離した瞬間、爆豪は吐いた。
その一件以来、俺は精神操作系の個性持ちのヒーローに話を聞いたり、心理学の書籍を読み漁った。あの爆豪が吐いて気絶するほどというとんでもない弱点が判明したんだ、本免を受けるまでに克服させなければプロヒーローにはなれない。誰よりも勝利に固執してプロヒーローになりたがっていた教え子が、とんでもないトラウマを持っているせいでプロ入りを果たせなかった。そんなことにはしたくなかった。
意外にもトラウマが足を引っ張っているのは本人が一番自覚していた。解決法は何かも自分なりに答えを出していたので、克服まで時間はかからないんじゃないかとも思った。
「……爆豪、今日はそれくらいにしておけ。根を詰めすぎても逆効果だ」
あれ以来準備するようになったバケツに向かって吐く爆豪に言う。バケツの縁を握る手に力を入れつつも「っス」と言った爆豪はそのまま吐瀉物を捨てに行った。初回のように気絶しなくなったのは進歩したと言えるが、嘔吐するほど追いこまれるのは相変わらずだ。事態は良くなっているとは言い難く、この場の空気も自然にどんよりと重くなる。
「彼、対人トラブルだと思います。それも被害者じゃなくて加害者の」
「……あの様子からそこまでわかるもんなのか」
「はい。これでもプロなんで」
確かにあれだけ苛烈な性格をしていれば加害者になるのもわからなくはない。だが教え子として爆豪の為人を知った身からすれば、本当にそうなのだろうか、という疑念が浮かぶ。意外にも冷静に周りを見る目に長けていて司令塔も卒なくこなせて、状況分析も早く判断も即決できる奴だ。
「意外と多いんですよ。やられた側よりやった側のほうが重く受けとめるケースって」
俺の憶測よりよっぽど信憑性のある話に相槌を打つ。
「そうだ、今後同じような状態になったら彼に声をかけてあげる方法を試してみませんか?」
「声かけ?」
「はい。精神状態を安定させる方法の中に、安心感を与えるサポートと、現実世界へ意識を向けるグラウンディングっていうのがあるんです」
「なるほどな。だがそれだと自己解決できないんじゃないか?」
「そうです。なので最初は第三者から言われたことで正気に戻していき、それを徐々に自己暗示でできるようにしていくんです」
さすが暗示の個性持ちだ。このまま爆豪が無理やり慣れるまで吐き続けるよりよっぽど効率的だ。そうと決まればと早速爆豪にも共有すると、爆豪は眉間に皺を寄せながら腕を組み考えだした。
「じゃあ、あいつは合格したからあとは俺が本免取るだけだ、で」
「……わかった」
本人から声かけの内容を指定されるのは合理的なので了承した。ただ具体的な誰かをイメージした言葉だったので探りたくなったが、その気持ちは飲み込んだ。
それからというもの、爆豪の状態はあっという間に改善されていった。いつも用意されていたバケツが不要になって久しい。
「うん、大分良くなっているね。じゃあそのまま軽く組み手をしようか」
息は上がっているものの意識がはっきりしている爆豪が「っス」と答えて組み手を始める。その様子も問題ないので、爆豪が提示した言葉にますます興味が湧いてきた。
「興味本位の質問なんだが」
振り返った爆豪は眉間に皺を寄せている。まあいつも通りだ。いつも通りじゃないのは無駄な質問をしようとしている俺か。
「そんなに大事な約束なのか?」
爆豪は苦虫を嚙みつぶしたような顔になった。即座に拒否する返答が来るかと思ったので意外だ。そういえば義理堅いところがある奴だったかと思い出し、訓練の場を整えた俺だから拒否できないのかと察した。
「……じゃなきゃ声かけに指定しねェわ」
なんとか出したような低い声で言った爆豪にそれもそうかと思い直す。じゃあその相手は誰なのか気になりだしたが、それはさすがに踏み込みすぎだろう。なんにせよ爆豪にとってそれくらい影響力のある人物であることには変わらない。そういう相手を見つけられるのは良いことだ。
「その約束の相手、大事にしろよ」
人生の先輩としての助言のつもりだったが、さっきの数倍嫌そうな顔になったので眉を潜める。そんなに変なことを言っただろうか。
「それ病院でジーパンにも言われた」
心底嫌そうな顔の爆豪を見てようやく察した。てっきりクラスメイトの誰かだと思っていたんだが、違った。爆豪が約束をした相手は、ベストジーニストからも聞いていた、爆豪が目覚めるまでつきっきりだった人物のことだったようだ。
実習中敵の強襲で負傷した爆豪が一時行方不明になっていた。それを見つけたのは無個性の女子高校生だった。切島を介したファットガムの指示通り適切な応急処置を施し、爆豪を夜風から守るように抱きついていたと聞いている。体をはって爆豪を守るくらいだから知人だろうとは思っていたが、まさかそこまで親密な関係だったとは。
「どいつもこいつも、余計なお世話だわ。大事にするに決まってんだろ」
ぶつくさ文句を言う姿は年相応の男子高校生で、いつも傲慢な姿を見ているからか新鮮だ。
「年寄りはみんな同じことを言うもんなんだよ」
俺のほうを横目で見た爆豪は「ケッ」とギリギリ舌打ちにならなかったような声を出してスタスタ帰っていった。その後ろ姿も不貞腐れているように見えて、微笑ましかった。