お互いにイケナイコトを教え合ってしまう11BD乾が捧げ持って背後から着せ掛けてくれる純白のコートに武道は袖を通す。
着てみるとサイズがかなり大きくて袖が余っていた。
肩の位置も腰の位置も落ちていて、もともとロングコートなので裾も不自然に長く見える。
同じコートを着て並んで立っている乾と九井が、威圧感のあるスタイリッシュさを見せているのとは対照的だ。
父親のコートを着ている子供のように見える武道の姿に、乾と九井は顔を見合わせて相談し始めた。
「幹部の特服はLサイズしか作ってなかったんだよな。やっぱり、花垣のサイズで作り直すか?」
「総長なのに、幹部と同じ白なのがおかしくねぇか?花垣の好きな色にしよう」
「それもそうだな。何色が良いんだ?やっぱり黒か?」
「もっと目立つ色が良い」
「いやいやいや!ずっと着るわけじゃないんで!新しく作るなんてもったいないですから!」
これは、あくまでも臨時の対応なのだ。
解りやすい演出のために衣装は必要だと言われて納得したが、そのためだけに、わざわざ新しい特攻服を作り直すなんて金が勿体ない。
「……そんなにすぐには片付かねぇだろ」
すぐに終わると言う武道の発言に、乾が無表情のまま寂しそうな気配を漂わせるので、九井が慰めるようにフォローする。
「花垣は成長期だから、その内ぴったりになるかも知れねぇな」
気を持ち直した乾の明後日に前向きな発言には、武道も引き攣った笑みを返す他なかった。
このコートがぴったりになるまで続けているわけにはいかない。
武道は未来に戻らないといけないのだ。
それに大変に遺憾だが、いつまでたっても、ぴったりするほど成長することはないという結果を武道は既に知っていた。
「もともと、柴大寿のためのデザインだからな。花垣みてぇな童顔には似合わねぇんだよ…似合うようにアレンジするか?」
「ウエストをベルトで縛る方が良いかもな…でも、背中の黒龍が歪むな…」
「黒龍のサイズを少し小さくするか?」
「いや……だからぁ!このままで良いんですって!あるもので済ませましょうよ!」
放っておくと、すぐに無駄金を投入しようとする金銭感覚のぶっ壊れた二人を武道は慌てて止める。
どうせ、この白い特攻服が自分に似合うことはないと武道は思っている。
九井は、柴大寿のためのデザインだと言ったが、これはどう見ても乾のためのデザインだ。
潔い純白のスマートなコートは、乾の長身痩躯と色素の薄い端麗な美貌を引き立てるためだけに考えられているとしか思えない。
何なら九井自身にも似合っていない。
個性的なパーマを掛けた髪形が、カッチリとしたお仕着せの隊服とミスマッチで、若干のコスプレ感すらあった。
ペロっと舌を出して唇を舐める癖のせいで艶めかしく見えるのが、殺伐とした抗争の場面では場違いなほどに色っぽい。
「仕方ねぇな…肩から羽織るマイキースタイルでいくか?」
「そんなんで喧嘩できませんよね?!」
「お前はしなくて良いんだよ。弱いんだから…」
それは確かに事実かも知れないが、九井にあっさりと言い捨てられると総長としての存在意義を否定されたようで、武道はぐぬぬ…と唇を噛んだ。
「負けちゃ意味ねぇんだ。逆らう気が起きなくなるくらい圧倒的な力で捩じ伏せねぇとな。悪ぃことは言わねぇから、荒事はイヌピーに任せとけ」
九井自身、喧嘩は得意ではない。
自分には思い切りが足りないことがわかっている。
得物を持っていても人の頭に思い切りよく振り下ろせない。
他人を傷つけることには覚悟が必要だ。
もしくは何も考えないでいられる空っぽの頭か。
九井は、そのどちらも持っていなかった。
乾はそれが出来る側の人間で、実は武道もそうだ。
九井の仕事は一緒に暴れることよりも、終わりを見極めることの方だった。
殺し合いではないし、人間は簡単には意識を失わないので、普通の喧嘩にはなかなか終わりがない。
長引けばグダグダになり、効果が薄れる。
黒龍の名前を使って暴れている不届き者は、必ず痛い目に合うと周知させることが重要なのだ。
マイキーが東卍の解散を宣言した後、皆で記念のタイムカプセルを埋めるなどという、正規ルートの人生には発生しなかった甘酸っぱい青春の思い出作りを行った武道は、未来に戻ることにした。
その前に、お世話になった人には挨拶しておきたいと考えて、以前に乾に連れて行かれたアジトを覗きに行った。
成り行きとは言え自分の部下になって、命を預けるとまで言ってくれた乾の顔を最後に見ておきたかったのだ。
中学生の自分が今後どんな風に乾と付き合って行くのかわからないし、もしかしたら、もう二度と会うことがない可能性もある。そう思うと、尚更、最後の挨拶はしておきたかった。
アジトに顔を出すと、予想通りに乾はいた。
床に座って救急箱で手の甲の傷の手当てをしている。
武道を振り向いた顔には、トレードマークの火傷痕以外にも殴られたような痣が残っていた。
「どうしたんですか?!」
「……元黒龍の奴等が悪さしてやがる。オレの責任だ。やめさせる」
「いや、それは……十一代目総長のオレの役目ですよね!」
乾の説明は端的で、結論に対して迷いがない。
それを聞いた武道の決断も早かった。
一瞬の躊躇もなく宣言して、いつかの再現のように乾に向かって手を差し出す。
「黒龍再結成ですね」
乾は差し出された手を瞠った目で見つめた後に、ガシッと強く握りしめた。
「解散はしてねぇんだけどな」
「そうなんですか?!」
「そうだ。……だから、オレは今でも、花垣の部下だ」
活動を始めようとすると、当たり前のように九井が参加して来た。
いつもの顔でペロッと唇を舐めながら「こんなことだろうと思った」と言われると、「ココにはお見通しか」と乾は苦笑し、「さすがココくん!」と武道は素直に感嘆する。
しかし、九井が事情を知っているのはアジトに仕掛けておいた盗聴器のせいだった。
道を分かつと言いつつも、乾のことが心配でストーカー的な行為を行っていたのである。
二人がそんなことにも気付かずに何の疑問も持たないことに、九井は危機感を覚える。
自分の行為を棚に上げるようだが、二人だけにしておくことには不安しか感じない。
悪さをしている奴等を全員殴るつもりでいる乾の脳筋っぷりにも頭痛がした。
あまりにも効率が悪過ぎる。
目立つ奴等を派手に叩きのめして、噂になるように仕向けようと九井は計画した。
そういうことは得意分野だ。金を集めることは情報を操ることと直結している。
黒龍の白い特攻服は目立つし威圧感があって象徴的なイメージを与えるのには都合がいい。
武道も解散した東卍のメンバーを巻き込みたくなかったので、黒龍の名前で動くことに異存はなかった。
「あー、それとこれ渡しとくわ。好きに使えよ」
九井は武道に一枚のキャッシュカードを手渡した。
刻印されている名義はちゃんと「ハナガキ タケミチ」になっている。
「なんすか、これ?」
「とりあえず、100万入ってるから」
ぺろっと上唇を舐めながら悪い顔で九井が笑うのを武道は呆然と見返した。
こんなものを渡されても困る。
いや、本当に困る。
だって使い道がない。
金なんて、未来に持って帰れないのだ。
中学生としての自分が買いたい物も特にない。
買ったとしても、それも未来に持って行けないし、家出同然に実家を飛び出す時に持っていた物はほとんど置いて来てしまった。
隠し場所にも困る。
親に見つかってしまうと面倒なことになる。
母親は勝手に武道の部屋を掃除するのだ。
見つかって追及されても、中学生の武道には記憶がないから説明できないだろう。
中学生と言うのは本当に不自由な立場だ。
自分だけの秘密を長時間確保することすら難しい。
九井は、どうしてこんな大金を武道に渡すのだろう。
武道は未来から来た大人で、金を好きなように使う方法がないから、ただ困るだけだが、本当に中学生の自分が100万円をもらったら、どうなっていたかわからない。
多分、どうでも良いことに使ってしまっただろう。
中学生の武道にとっては、100万円は途方もない大金だった筈だ。
その後の金銭感覚が狂わされるような額だ。
大人の武道にとっても、100万円は大金だった。
これは、毒だ。
こんなものを、友達に渡してはいけない。
金のやり取りは友情を奪う。
友達との金のやり取りや貸し借りを、武道は子供の頃から親に厳しく禁止されていたのを思い出す。
今思うと、それがあったから武道は大きく金銭の失敗をすることがなく、細々とでも生計を立てて暮らしていくことができたのだ。
様々な底辺のバイトを転々として来た武道は、色んな人間に会った。
騙されたりギャンブルで借金を抱えた人間を何人も知っている。
知人から得をしようとしたり、楽して大金を儲けようとすると人は簡単に騙される。
それが身を持ち崩す原因になる。
そのことを九井に伝えたかったが、武道には金銭のやり取りを友人と行うことから発生する問題を上手く言語化できなかった。
恐ろしいことが起こるという不安だけが胸に立ち籠める。
大金をこんな風に簡単に人に与えてしまう使い方にも胸騒ぎがした。
泡銭だから、ドブに捨てるような使い方を平気でしてしまうのだろう。
一度自活したことがある者ならわかる。
生活には金がかかるのだ。
税金年金家賃光熱費食費。
ただ生きているだけでも金は消えていく。
「……わかりました!これは預かっておきますね!」
武道の言葉を、九井は使うつもりでいるのだろうと受け取った。
金の使い方は、その人間の人格が試される。
女か、服や装飾品か、ゲームにでも使うか。
何に使うかなんて野暮なことを聞くつもりはない。
九井の武道に対する評価は、良い奴だが小物という印象だった。
最初は本当に使うつもりはないかも知れないが、自由に使える大金が手に入れば誘惑に勝てずに、ちまちま使ってしまうだろうと予想する。
金を与えると、相手を操ることは容易くなる。
堕落させるのも簡単だ。
しかし、九井の予想に反して、武道は数日で100万円を使い切っていた。
どのくらい使ったのか通帳記入をしてみた九井は驚く。
二日間で50万円を二回引き出しているのだ。
それは、ATMで1日に引き出せる最大限度額である。
完全に詐欺師に騙されているヤツの引き出し方だった。
何に使うかは気にしないとは言っても、さすがに心配になる。
「イヌピー…花垣が、何買ってるか知ってるか?」
黒龍残党殲滅計画のために毎日会っているが、武道に変わった様子はない。
ブランド物を持つようになったとか、派手な服を着ているとか金を使っている様にも見えなかった。
不思議そうな顔で黙って首を振る乾に、九井は残高が0円になっている通帳を見せる。
「ややこしいことに巻き込まれてねぇといいけどな……」
武道はベッドの下から、綺麗な模様の菓子の缶を取り出す。
中に入っているのはガラクタばかりだとわかっていた。
子供の頃から宝物だと思うものを入れている缶だ。
実家を出る時に、当然置いて来たものだった。
蓋を開けて改めて中味を見ると、逆に全てが本当に大事な宝物だったように思える。
綺麗な王冠や、拾って来た気に入った石、トゲトゲした不思議な形の木の実、海で拾った貝、お菓子のオマケ、ガシャポンで出たフィギュア、好きだったキャラクターのキーホルダー。
中でも気に入っていたのは、家族旅行で買ってもらったお土産品のキーホルダーだ。
桃太郎と犬と雉…猿が見つからない。
誰かにお土産として渡したんだった気がする。
多分、幼馴染のタクヤだ。
改めて見ると、犬はたれ耳のビーグル犬で、桃太郎の犬としては珍しい犬種だった。普通は、柴犬などの耳の立った日本犬にするだろう。
全身は白くて垂れ下がった耳が薄茶色で、目元も薄茶色で囲まれていて、何だか物凄く乾に似ていた。
そういう気持ちで見ると雉の方は目張りのように黒いくっきりとしたラインに縁取られた吊り目が徒っぽくて九井に似ている気がする。
桃太郎はくりっとした目のマヌケな顔をしていて自分で似ているとは思えないが、一応、二人の上司ではあるので役割的には武道だろう。
偶然の一致が面白くて、このキーホルダーを二人に渡したくなった。
本当は九井に渡されたカードを隠すために缶を引っ張り出したのだが、中味を夢中で見ている内に本来の目的は忘れてしまう。
武道はキーホルダーをポケットに突っ込んで今日もアジトに出掛けて行った。
アジトで顔を合わせた乾に、武道はすぐに犬のキーホルダーを手渡した。
桃太郎と雉のキーホルダーも見せる。
「イヌピーくんは犬で、ココくんは雉です!似てませんか?」
「花垣は総長だから、桃太郎か……これを買ったのか?」
「え?いや、これは子供の頃に買ってもらったヤツですね」
「そうか……じゃあ、ココに渡された金は何に使ったんだ?」
「……ココ君にはナイショにしてくれますか?」
実は、乾は今まで、秘密というものを作ったことがない。
九井に隠し事をしたことも一度もなかった。
真っ直ぐに正直なのが乾の生き方だ。
秘密にしたいと思うほどの執着も持っていない。
「……花垣が言うなら、ナイショにする」
それは乾が初めて意図的に作る秘密だった。
そんなこととは知らない武道は、自慢げにポケットから取り出した新しい郵便局の通帳を見せる。
名義は「九井一」だ。
中を見ると十年満期の定期預金で50万円が二回振り込まれていた。
「十年後には凄くお金が増えてるんですよ!きっと、ココ君喜びますよ~!」
「……これが何で、ココにナイショなんだ?」
「いや~……ココ君って凄く金遣い荒いですよね!これは何かあった時のために置いておいてあげようと思って……そうだ!イヌピー君が預かってくださいよ!隠し場所に困ってたんですよ!!」
隠し場所もだが、十年後に確実に九井に手渡す手段にも困っていたのだ。
乾に預けておけば、九井の手に届けられるだろう。
郵便局の定期預金にしたのは、武道自身が親が勝手に入れてくれていたお年玉に助けられてことがあったからだ。
家出をした時に通帳は持って出たが印鑑を持って出なかったので、定期預金にされていた分は、すぐに引き出すことができなかった。
キャッシュカードでしか引き出せなかったので、定期預金を解約することもできなかったのだ。
十年の満期を迎えて普通預金に自動的に入金されて、ようやく使えるようになった。
武道が定期預金にしていた金額は100万円もはなかったが、それでも利率は現在よりも更に良く、利子は数万円になっていた。
それに、貯金はすぐに使い果たしてしまったが、手をつけることができなかった定期預金のお陰で、病気でバイトに行けなかった月の生活費を賄うことができたのだ。
そんな成功体験を得ているので、武道は九井にも定期預金をしておいてあげようと思った。
「わかった…これは、預かっておく……犬のキーホルダーも……大事にする」
乾は通帳とキーホルダーをぎゅっと握りしめた。
物を大事にするという感覚自体が、久しぶりのことで緊張する。
火事で一度全てを失ってしまった乾の人生観は壊れていた。
どうせ、全てはすぐになくなる。
ずっとなんて何も存在しない。
大切にしているものも、明日には消えるかも知れないし、大事な人もすぐに死ぬ。
自分自身の命すら、偶然に助かってしまっただけだった。
そもそもが、自分は間違えて助けられてしまったのだ。
側にいてくれた九井も、自分じゃなくて本当は姉の赤音の側にいたかったんだと知っている。
ようやく新しい居場所をくれたと思った真一郎も、あっさりと死んでしまった。
信じられる明日なんて何もない。
大事にする価値のあるものなんて存在しない。
そう思っていた。
でも、失われないものが、あるのかも知れない。
武道なら、消えない未来をくれるだろうか。
そんな夢を見るのは良くないことのような気がする。
また、すぐに失ってしまうだけだと思う。
それでも良いと思えるのだ。
失われてしまったとしても、信じたかった。
今、信じられるということが大事なことなんだと思わせてくれる。
何の迷いもなく、武道はいつも乾のことを信じて受け入れてくれる。
いつも迷いのない目が、まっすぐに乾を見ていた。
武道と同じように、乾も信じたかった。
大事な秘密を暴露するのは、乾にとって暴力や犯罪よりも悪いことのように思える。
しかし、このまま十年間秘密にしておく方が良くないことのようにも思えた。
多分、武道は許してくれる気がする。
乾は生まれて初めて持った重大な秘密を、暴露することにした。
「これ」
「何だこれ……郵便局の通帳?あ、定期預金になってるじゃねぇか!」
「花垣から預かった。ココが困った時のためだって……」
「はぁ?100万なんて、オレにはハシタ金なんだけど?」
「十年後に物凄く金が増えるから、ココは喜ぶって言ってた」
「利率0.3%だぞ?!」
ちなみに、十年後に九井は、もっと大金を突っ込んでおけば良かったと思うことになる。
十年後の利率は十分の1以下に下がってしまうからだ。
100万円を十年預けていても、利子はたったの3万円にしかならないが、全くリスクがない投資なのだとすると悪い利率ではなかった。
カードを受け取った時には驚いた顔をしていた花垣が、すぐに満面の笑顔になったのを思い出す。
あの時には、もう、こうするつもりだっただろう。
いくら入金されても返せば良いのだし、すぐに出せない状態にしてあれば元に戻される可能性もなくなる。
思ったよりも強かな男だ。
金の使い道はわかっていないようだが、金に狂わされることもないタイプではあるらしい。
乾を任せる上での不安が一つなくなった。
最も、花道は本当に九井の金を増やしてやるつもりでいるのだった。別に、思惑があってやったことではない。
色々な要素が絡み合って、結果として定期預金として九井に返すことを選択したのだが、それを知らない九井にとっては、武道は非常に信頼の置ける人物という評価に変わってしまっていた。
全て誤解だったが、人が他人に抱く印象というのは、要するに勝手な思い込みやタイミングによって起こる錯覚でしかないのかも知れない。
喧嘩の後に、アジトに戻って怪我の手当てをしてもらった武道は、いつの間にかうたた寝していたらしい。
一組だけ置かれている布団で目を覚ますと、九井と乾がソファーの上で折り重なるようにして眠っているのを見つけた。
二人は狭いソファの上で重なり合うようにして、静かに息をして眠っている。
その様子を武道は宝物を眺めるように息をひそめて見つめた。
眠る二人をずっと眺めていたいと思う。
過去をさわった結果で未来は変わってしまう。
これは完全に思ってもいなかった流れで、武道が望んでいたわけでもなく、もともと二人は武道とは関係のない人達で、それなのに彼らの人生は武道の干渉によって変わってしまった。
マイキーやドラケンの未来は、少なくとも武道が変えるために過去に戻って、自らの意思で変えたのだ。
しかし、九井や乾のことを最初の未来では武道は知らなかったし、変わってしまった未来では彼らは常に一緒にいた筈だった。
武道が関わったから、二人の未来が分かれてしまったのだとしたら、それが良いことだったのかわからない。
武道は、あまりそういったことを深く考える性質ではなかったが、この二人が武道にとって特別な存在になったから、こんなことを考えてしまうのだろう。
今、刹那に結成された仮初の十一代目黒龍が解散して、武道が未来に戻ったら、この二人は別々の道を歩いて、もう二度と武道と関わることもなくなるのかも知れない。
例えそうだったとしても、この時間の記憶は武道の中では消えないし、二人に対する慕わしさは未来まで持っていく。
彼らにとっては十年以上前の古い記憶に過ぎなかったとしても、武道は覚えている。はっきりと。
それが不思議で、悲しい。
直人と握手をしてから、気が付くと、見知らぬ扉の前に立っていた。
未来に戻って来たのだ。
手には鍵穴に刺さった鍵を握っている。
その鍵には汚いキーホルダーがついていた。
ボロボロに塗装が剥がれていて、もとが何だったのかわからないくらいだが、ほんの数日前に見た桃太郎のキーホルダーだとわかった。こんなにボロボロになるまで持っていたのだ。
このキーホルダーが付けられているということは、この鍵は間違いなく武道自身の鍵だった。
目の前にあるのは高級感のある大きな黒い鉄の扉だ。
そろりと辺りを見渡すと長い廊下が続いていて、等間隔に同じ扉が並んでいた。
武道が立っているのは一番奥の扉の前だった。
表札のようなものは見当たらないし、屋内の廊下は高級なホテルのようだ。
しかし、ホテルの鍵に自分のキーホルダーは付けないだろうから、恐らく住居で武道はここに住んでいるか、合鍵を持つような相手が住んでいるということになるのだろう。
見るからに高級そうなマンションのようで、嫌な予感しか覚えなかった。
経験からして、未来の自分はいつものボロアパートに住んでいるのが基本だし、高級なマンションに住んでいたのは反社会組織に属していた一番碌でもない未来だった時だけなのだ。
覚悟を決めて鍵を捻り扉を開く。
広い玄関の土間には、乱雑に靴が並んでいた。
スニーカーや高級そうな革靴やヒールの高い派手なブーツ等、趣味がバラバラだ。
自分の姿を見下ろすと、いつもと変わり映えのしないパーカーとデニムを着ていて、履き古したスニーカーを履いている。
とりあえず靴を脱いで、ライトが付きっ放しの玄関から続く廊下をびくつきながら歩いて行く。
廊下の両側にも扉があったが、突き当りにある扉は木枠に擦りガラスが嵌っていて明かりが付いているのがわかったので、そのまま真っ直ぐに進んで恐る恐る扉を開いた。
扉の先は広いリビングで、中央にあるソファの上に折り重なるように世にも美しい生き物達が眠っていた。
まるで、夢のようだった。
数日前に見たのと寸分変わらない姿勢で乾と九井が眠っている。
二人とも髪が長い。
そのせいで細面な二人の寝顔は少女のように見えた。
滑らかな肌と整った顔立ちが人形のように美しい。
同世代の男とは思えない、作り物のように綺麗な寝顔だった。
思わず息を潜めて、じっと見つめる。
仰向けになった九井の上に俯せに覆い被さって寝ている乾の姿勢は、記憶の中の二人と寸分変わらずに重なる。
習慣的に同じ姿勢で寝ているのだろう。
長い時間を一緒に過ごして、互いが楽に眠れる姿勢がわかっているのだ。
息も潜めていたのに、気配に気付いた乾が目を覚ました。
色の淡い長い睫毛がふるえて、ゆっくりと持ち上がり、白い瞼の下からキラキラ光るガラス玉のような瞳が現れた。
その瞳は睫毛が落とすけぶるような薄紫の影の下で不思議な色に煌めいていた。
「武道、おかえり」
囁く声が甘く優しい。
こんな優しい声をしていただろうか。
こんなに穏やかな笑い方をする人だっただろうか。
「…あ、……」
乾が身体を起こして立ち上がると下敷きになって寝ていた九井も目を覚ました。
指でストレートの長い髪をかき上げながら欠伸をする。
「おかえり~」
しなやかな動作で身軽に立ち上がると武道の手首を掴み強引に引っ張った。
「…いっ?!」
不意を突かれて手を引かれるままにドサリッとソファーの上に放り投げられる。
「…ううぅ」
ソファーに仰向けに倒れた武道の上に九井は遠慮なく乗り上げた。
ずしりと重い人間の重みと温かさが身体の上に圧し掛かる。
初めての感覚に驚く武道の胸に掌を重ね合わせ、その上に尖った顎を乗せた九井がニヤニヤ楽しそうに笑いながら見下ろして来た。
くつろいだ猫のような表情だ。
え、可愛い。
反射的に思ってしまう。
何このイケメン、可愛い。
イケメンの破壊力、やべえ。
ヤバ過ぎるから、助けて欲しい。
そんな気持ちで助けを求めるように視線を彷徨わせると、目が合った乾が呆れ顔で冷ややかに告げた。
「武道が甘やかすからだぞ」
「…ええっ?!」
「そうそう。武道がオレに甘えることを教えたんだろ」
それが本当だとすると、ヤバいことを教えてしまった気がする。
武道の知っている九井は、しっかり者で抜け目がない他人に隙を見せない男だった。
特別に親しい乾に対しても、面倒を見ているのは九井の方で、こんな風に甘える姿は想像できない。
言い捨てた乾は背を向けて、リビングの端にあるアイランドキッチンで、テキパキと食事の準備を始めた。
12年前の二人なら、九井の方が乾の世話を焼いていた。
温めた鍋からトマトとニンニクの食欲を誘う匂いが漂ってくる。
鍋から大きなロールキャベツを白い皿に盛り付ける様子は手慣れていて、12年の年月を感じさせられた。
食事の用意が整う。
「ココ、武道は後にしろ。腹が減った。夕飯が先だ」
乾に促されて九井はようやく立ち上がると、武道に手を貸して立たせる。その手を握ったままテーブルに向かって、椅子を引いて座らせてくれた。
ロールキャベツとバケットにナイフとフォークが添えられているレストランのような食卓に武道は思わず歓声を上げた。
「…お、おおー…!」
この部屋に来てから母音しか発していない。
家でナイフとフォークで食事をするなんて武道には考えられなかったが、箸で食べたいと言い出せずに、ぎこちない所作でロールキャベツにナイフを入れた。
断面を見て驚く。
キャベツに包まれているのは、肉団子ではなく大きな肉の塊だった。
恐る恐る口に入れてみると舌で潰せるほど柔らかく煮込まれた豚肉だ。
余りにも美味しいので、空腹だったせいもあって無言でガツガツと貪り食ってしまう。
大きな一個を食べ終わって、ようやく落ち着いて顔を上げると、二人がじっと武道を見ていた。
「ココの作るロールキャベツ、美味いよな」
優しい笑顔で乾が囁く。
料理を作ったのは、やはり九井だったらしい。
思ったほど関係性が変わっているわけではないのかも知れない。
自分がどんな関係でここにいるのかわからないが、二人は仲良く楽しそうに笑っている。
そんな二人を、ずっと見ていたいと武道は思った。
本当は、眠る二人を、あのアジトに閉じ込めて、ずっと永遠に眺めていたかった。
武道がそんなことを考えていたから、こんな未来になってしまったのだろうか。
閉じ込めて、眠る姿を眺めていたいなんて、気持ちの悪い欲求だと自覚がある。
だけど、そんなことを考えるようになったのは、彼ら二人と出会ってしまったからだ。
もし、こんな未来を生み出したのが武道の異様な願望のせいだったのだとしても、そんな欲望を武道に教えたのは乾と九井の二人だった。
だから、こうなったのは仕方がないことだと思う。
出会ってしまったのだから、どうしようもなかった。