ココ武「苦手なもの」
なんの脈絡もなくぶっ込まれた質問をオウム返しする。
「ああ、そうだ」
アジトのソファに座るイヌピーがどこかソワついた仕草で指を組んでいるのを視界に収めながら、らしくねぇ質問をしてくるなと視線を手元の携帯に戻そうとした時に気づいた。
薄く開いた扉からチラリと見える靴先。
扉の向こうで落ち着きなく踏み変えられるスニーカーに察してしまう。
イヌピーがらしくない質問をした理由なんざひとつだ。
どんな魂胆があるのかオレたちとナカヨシごっこをしたがる花垣が戦犯だろう。
それで「苦手なもの」を聞くとかガキかよ。
ハッと鼻を鳴らしたくなったがイヌピーの強い視線を感じてため息に切り替えた。早く答えろと目力で急かす幼馴染に思考を巡らせる。
適当に答えても良かったが完全にウソだとイヌピーが勘付く。
嘘でもなく本当でもない「苦手なもの」が望ましい。そもそも「苦手なもの」は「好きなもの」より厄介だ。
人間は「好きなもの」が多くとも不信を抱かない。好きの幅ってのは案外広いもんだ。しかし「苦手なもの」となると話が変わってくる。
「苦手なもの」ってのはイコール弱味だ。好きなものよりよほど性質が悪い。
オレの弱味を握るつもりかと舌打ちを漏らしたくなる。
いいや、違うな。たぶん「そんなつもりはない」ってヤツだ。
しかし信用出来ない相手がよりにもよってイヌピーを使って弱味を握りに来たコトに苛立ちが増す。
「あー、苦手なモンな」
何気なさを装いながらソファから立ち上がった。
オレの足先が扉に向かうのをイヌピーは止めない。
て、コトはコイツは自分への好感度が高いイヌピーを使って盗み聞きしてんのか。
イライラ程度だった苛立ちがグラグラとした粘度の高い不快感へと変わった。
もともと信用するつもりは一切無かった。珍しくイヌピーが拘ったから花垣を黒龍11代目に祭り上げただけだ。
ストレートに言わせてもらうならオレにとっちゃカネにならないボスだ。
だが不良どもが好みそうな不屈の精神とやらをここぞって時に発揮するガキだ。
そのどれもがヘドが出そうなくらいに不快だった。
諦めの悪さは泥臭過ぎて鼻につく。
実力の伴わない根性論なんざこの世から根絶しねーかなと思う程度にはクソだ。
つまりオレにとって花垣武道は「苦手なもの」だ。
イヌピーの手前「苦手」で留めてやってんのを弁えろと思っていたが、どうやらオレの大人な対応を台無しにしたいみてぇだな。
スッと息を吸い込んで顔に笑顔を貼り付ける。
オレの作り笑いが見抜けるイヌピーは怪訝そうな顔をした。
付き合いが長ぇとそうなるよな。
オレとイヌピーはお互いにある程度は相手の顔色が見抜ける。
なのに今更「苦手なもの」だぜ
そんな質問を飛ばしてくる不自然さにオレが気付かないはずがねーだろ。
「ココ」
人の機微ってモンに頓着しないイヌピーですらオレの不穏さを感じ取ったのかソファから腰を上げる。
まあ、遅ぇ。
オレは片足を振り上げると目の前の扉をガンっと蹴りつける。
バンっとデカい音を立てて閉まった扉の向こう側で上がった花垣の声にイヌピーの視線がオレから逸れた。
なあ、花垣。
悪いコトしたらバレるんだぜ。
やるならもっと狡猾にやれよな。
蹴り閉じた扉のドアノブに手をかけイヌピーにもよく見えるよう開けてやれば、顔色を悪くした花垣がバカみたいに立ちすくんでた。
まるでヘッドライトに照られさた小動物みたいなツラしてやがんな。
そのツラに「自分は盗み聞きをしてました」ってバツの悪さを浮かべながらも、どこか被害者ぶってんのが気に食わなくてハッと鼻で笑ってやる。
「イヌピー使ってオレの弱味を握りにくんのは悪くない手だぜ」
むしろ感心したと本心からのセリフを吐く。
だが返ってきたのは「ちがっ、ココくん、オレ」って自己弁護だ。
いいぜ、自己弁護は大事だ。
それで相手を丸め込む技量を見せることが出来んならアピールポイントとして加算してもいい。
表面上はにこやかに「盗み聞きをするつもりはなかった。けど、そうなってしまった。ごめんなさい」と謝る花垣を見下ろす。
イヌピーが渋いツラをしてるが黙っとけよ。
人の謝罪を遮るのは感じ悪いからな。
「ホントにごめん、ココくん。きみと仲良くなりたいからってイヌピーくんに聞いてもらうのはズルだよね」
自分が間違ってたと心の底から思ってそうなまっすぐな瞳だ。
まあ、オレらの周りにはいないタイプだな。
そいつは認めてもいい。
だからってその真っ直ぐさが相手の心に響くかどうかは別問題だ。
「オレとしては多少のズルさがあった方が加算ポイントだぜ」
黒龍の総長としてなと言葉を足せば、イヌピーに肩を捕まれ揺さぶられる。
ったく、力が強ぇんだよ。
オレ的には褒めて伸ばしてんだぜ
「花垣に頼まれてイイって言ったのはオレだ」
だから
同罪だって言いたいのかよ。
ジクリとしたモノがオレの腹を小突き回した。それがどっからきてるものなのか考えるのはひどく不快だ。
この自分が制御出来なくなる感じは苦手だ。
そしてソレは花垣が居ると高確率で起こる。
「あの、ココくん
今更なんスけど"苦手なもの"があんなら知りたいんスよ。やっぱ仲良くなるには相手の"苦手なもの"を知っといたほうがいいと思う───」
「カネと花垣」
「へ」
「苦手なもの知りたかったんだろ」
オレの弱味を握るつもりで「苦手なもの」を聞いたんじゃねぇのは、花垣のツラを見ればバカでもわかることだった。
だがオレの口から出たのは吐き捨てるような本音だ。
あー、クソッ、ガチで言うつもりはなかったのによォと舌打ちすれば、「そうなのか」って聞いてくるイヌピーのマジな声音にイラつきが増す。
そうだよ、マジだ。
だから聞いといてそんなツラすんじゃねぇよクソが。
「え、あ、なるほど」
「わかったなら退けよ花垣」
仲良しごっこのくだらねぇ質問タイムに付き合ってるヒマはねぇんだよと花垣を押しのける。
掴んだ花垣の肩はゾッとするほど薄っぺらかった。
14歳のガキならこんなもんかもしれないが、手のひらに残る感触にギョッとする。
ここまでペラい身体だとは触れるまで気付かなかった。それは大寿を相手に異様なタフネスさを発揮するトコを見せつけられからかもしれない。
あの夜。
花垣は何度も立ち上がった。
死んでも膝を屈しないその姿には気合や根性と呼ばれるクソみたいな精神論を超えた、薄ら寒い何かがあるのに正直オレは「気味が悪い」とすら思った。
その薄気味の悪さが頂点に達したのは大寿が膝を折った時だ。
満身創痍なんて形容じゃヌルすぎる怪我を負いながらステンドグラスを背にして立つ花垣は、ヒロイズムの権化みたいなツラをしてるクセに根っこがプラグマティズムなのに心底ゾッとした。
考えても見ろ。
たった14歳のガキがプラグマティズムの原意「行為、実行、実践」を圧倒的な暴力を前にしてやりきったんだぞ。
しかも傍目から見りゃヒロイックな行為でだ。
そんなヤツ、気味が悪くて当然だ。
イヌピーあたりは考えすぎだと言うだろう。
だがオレは花垣のヒロイズムでありながらプラグマティズムなトコが薄気味悪い。
故に、苦手だ。
確実に花垣武道はオレの手には余る未来しか見えなかった。
オレにとって信用と信頼を預ける人間はイヌピーだけだった。
信用と信頼。
たかが概念、されど概念だ。
案外、信用と信頼で周りの人間を分類する方法は便利だ。
信頼はできるが信用できない人間は能力が足りない。
信用はできるが信頼できない人間は言葉が信じられない。
故に、信用と信頼を兼ね備える人間は希になる。
袂を分かつ前だが「信用出来ない」と言った花垣への評価は変わらない。14歳の花垣はあの薄気味悪さを除外しても能力が足りず「信用」出来なかった。
かと言って花垣を信頼しているのかと聞かれれば肩をすくめるしかない。
ただ、あの時。花垣の言葉は柴家の三人を動かした。
オレが黒龍10代目総長の器だと「信用」していた柴大寿に暴力が全てではないと認めさせた。
それを評価しないほど狭量じゃあない。
だが「信頼」するには花垣のヒロイズムの裏側に見え隠れするプラグマティズムが邪魔をする。