【承仗】憎しみを贖うもの(1)そんな瞬間は何度もあった。
きっかけはいつも、些細なことだ。
女の柔らかい衣服の端が肌をかすめる。
承太郎の男らしい匂いが女の鼻先をくすぐる。
その瞬間、二人の間に何かが芽生えて同時に気付く。
始まってしまったことを。
そんな時、承太郎は雄の本能のままに躊躇せずに手を伸ばした。
こんなことは何度もあった。
妻の時もそうだった。
彼女は植物のように物静かな女性だった。
美しいが慎ましやかで、野に咲く花のように可憐だった。
彼女は最初は承太郎の大きさや圧倒的に強い威圧感に慄き怯えて震えていたが、そんな二人の間でも、ふとした瞬間に始まってしまった。
それは恋と呼ぶには、あまりにも原始的で本能的な、男と女の間に昔から普遍に起こる共鳴だ。
承太郎は無口で愛を語る言葉を知らず、妻も物静かで自己主張を何もしない女だった。主張するほどの強い自我も無かったのだ。
彼女は自分を摘み取った男に従い、言われるままの場所で静かに咲いていることしか出来ない花のような女だった。
海で濡れた仗助を定宿にしているホテルの部屋に連れ帰った時、仗助は全く警戒してなかったし、承太郎の方も何も警戒していなかった。
シャワーを使うように言い、バスタブに湯を溜め始めながら、バスタオルを手渡す。
すぐにシャワーの水音が聞こえて来ると奇妙な胸騒ぎがあった。
この部屋で、こんな風に他人の流す水音を聞くのは初めてのことだった。
やがてシャワーの音は止み、部屋の中はエアコンの音が低く聞こえる静寂に包まれる。
ふと着替えを渡さなかったことに気付いて、バスローブを持って洗面所に入った。浴室の扉に向かって、ここに置くぞと声をかけても返事がない。
何気なくノブに手を掛けると鍵は掛かっていなかった。
扉を開いて浴室を覗く。
仗助は湯船に浸かってバスタブの縁に置いた腕に頭を乗せ、寛いでいたようだった。
その姿勢のまま顔を上げて、上目遣いに承太郎を見上げる。
濡れて落ちた長めの前髪の影から、鮮やかな海のような青い瞳が承太郎を見上げた。
その瞬間、思いがけないことに、二人の間に何かが芽ばえた。
同性であるだけでなく、仗助は承太郎にとっては、まだ全くの子供だった。
もし、仗助が女だったとしても、若過ぎて承太郎の射程範囲には入らない。
それなのに、透明の湯の中に揺れる少年の白い裸体と湯気に上気して染まった頬。赤い色が目を引く唇と、長く濃い睫毛に縁取られた鮮やかな瞳が、承太郎に訴えかけて来る。
好奇心が芽生えて、それを抑えられなかった。
仗助は若く経験もないせいで、自分達の間に一瞬にして生まれた性愛の気配にすぐに気付くことができずに、きょとんと目を丸くしていた。
濡れた髪を撫でる。
顎を掴んで顔を上げさせる。
身を屈めて唇を塞ぐ。
ぱちぱちと丸くした目を瞬いて承太郎を呆然と見上げた仗助を、そのままバスルームで力尽くで犯した。
仗助は初めは抵抗したが、最後には諦めたように承太郎の腕に縋った。
一度の行為で憎まれるかと思ったが、仗助は容易く承太郎を受け入れた。
殴られる覚悟をしていたのに肩透かしを食らわされたのは二度目だ。
この少年には、人を憎むという心がないのかも知れない。
それは常々、承太郎がうっすらと感じていた懸念だ。
仗助はいつも、アンジェロ岩の前を通る時に挨拶して行く。その時は呑気な笑顔だ。その様子からは、自分の大事な祖父を殺した相手に対する憎しみは感じられない。仗助はアンジェロをぶちのめして、逃れられない檻に閉じ込めたことで相手に対する憎しみを浄化させたのだろう。ぶちのめして許したのだ。
承太郎には、そういうサラッとした感性はない。非常にネチネチしている。
一度自分に害をなしたものを一生許すつもりはない。相手が本当に悔やんでいるのなら、考えてやらなくもないが、それでも許すには相応の時間が必要だろう。
アンジェロは二度と逃げられない牢獄に閉じ込められて充分に罰を受けていると言えなくはないが、特に反省はしていない。
失った命も戻っては来ない。
仗助がアンジェロへの憎しみを自分の中で浄化させて笑っている様は、時に苛立たしく、愛しかった。
一度許されてからは、箍が外れたように何度も仗助の若い身体を貪った。
妻と別居状態で長く禁欲生活の続いていた承太郎にとって、一度堰を切った性愛は止めようがなかった。
仗助の姿が視界の端に入るだけで引き寄せられるように手を伸ばしてしまう。
女達は小さく華奢で、承太郎が少しでも力を込めると骨まで砕けてしまいそうだったし、承太郎の体力にも付き合いきれない。
しかし、仗助は承太郎の激情を受け止められるほどに強く、時に承太郎よりもタフだった。
何時間攻め抜いても、翌朝にはケロリとした顔で腹が減ったと言い出す。
夜にどれほど退廃を極めて性に溺れても、朝起きると産まれたてのように美しい顔をしていた。
情欲に溺れるというのを、承太郎は初めて経験した。
若く何も知らない仗助の身体を開かせ、初めて経験する男との性行為を探究する。
研究する時と同じように没頭していた。
妻がいることは言わなかった。
仗助にとっては、ひと夏の思い出程度のものだったのだろう。
港で船を見送る彼の笑顔は晴れやかで、いつも通り可愛かった。
若い仗助を縛り付けるつもりはなかった。そんな権利もなかった。
それなら手を出すべきではなかったのだが、承太郎はそもそも欲しいものを我慢するようなストイックな男ではない。
仗助は、まだ本当に若く、これから色んな未来の可能性に満ち溢れている。
美しく健康で強く、優しさに満ちていて、光り輝くように笑っていた。
彼の未来にはきっと、暗い影など何もなく、この豊かで美しい海辺の街で、母親と仲間達と幸せに楽しく暮らして行くだろう。
承太郎にとっても、ここは楽園のような街だった。
きっと、これから何度も思い出す。
仗助の輝く宝石のような瞳と、海と、空の青さを、何度も。
キスをされた時、好きなんだと気づいた。
だからキスしてくれたのかなと思った。
仗助にとって恋愛とは、必ずしも相手と一緒にいられるものではない。
人は一番身近にある恋愛関係をモデルに恋愛観を形作る。
仗助にとって恋愛とは、母が語る運命の恋だ。
もしも、母が不幸そうだったなら、自分はそうはならないように気を付けただろうが、母は常に幸せそうだった。
たった一度の恋に人生の全てを捧げて、二度と会えなくても後悔しない。
自分もそうなるのではないかと、うっすら感じていた。
だから、多分、承太郎とは二度と会うことがないだろう。
二度と会わなくても、ずっと永遠に好きだ。
それで、構わない。
これが一生分の恋でいい。
承太郎のような男に出会って、これから先、彼よりも愛せる人間に出会えるとは思えなかった。
康一が承太郎に頼まれ事をされたと聞いた時も、そういうものなのだと納得した。
承太郎にとっては、自分は思い出すまでもない存在だったのだ。
でも、それは仕方がないことだった。
仗助の気持ちは仗助だけのものだ。
承太郎がどんなに迷惑に思ったとしても、気持ちだけは仗助が好きにして良いはずだった。
心は誰にも支配させない。
母がそうしたように、仗助は自由に承太郎のことを愛した。
承太郎に出会うまでは、恋をしないように気を付けていた
一度恋におちたら、その恋に命を捧げなくてはいけないのだから、簡単にうっかり恋に落ちるわけにはいかない。
そう思っていたのに、気付いたときには深い深い海の底のような場所にいた。
上の方に光が見えるが登っていけない。
苦しくて苦しくて仕方がない。
塩っ辛い水に満たされた場所で濡れていた。
母親の気持ちがわかる。
これは逃げ場がない。
自分ではどうしようもない。
苦しい。
それでも、出会えたことを後悔することは出来ない。
失ってしまったからと言って、最初からなければ良かったとは思えなかった。
どこか旅行にでも行って来たら?
海が見える所とか…日本なんてどうかしら?
承太郎にそう薦めて来たのは祖母のスージーQだった。
長い間、別居中だった妻とは離婚して
独り身に戻った承太郎は、以前にも増してDIOの残党狩りにのめり込むようになっている。
そうなっても本業の仕事を疎かにするような男ではなく、休む間もなく働き続けている状態がもう何年も続いていた。
孫の様子を何かと気にかけていたスージーQが、ついにたまりかねたように持てる権力の限りを行使して、強制的に長期休暇をとるように取り計らい仕事を取り上げてしまったので、承太郎は研究室のスタッフ達に快い笑顔で送り出された。
日本人のワーカーホリックさは海外でも有名だが、空条教授の研究室の過酷さは大学内部で問題になっているほどで、職員達はボスがようやく長期休暇を取る気になったことを素直に喜んでいた。
ぽっかりと空いた時間に特にしたいことも思い付かなかったので、祖母の提案を聞き入れて日本に向かうことにする。
途端に、思い出した。
あの夏の少年の笑顔。
オモチャのような鮮やかな色の家が建ち並ぶ海辺の美しい街。
その道で、彼はいつも明るく眩しい太陽のようだった。
その姿をおもいうかべると同時に、仄かに痛むような、苦しいような、切ない感情が沸き起こる。
まだ高校生の弾けるように美しい肉体を暴いた。
充分に強靭な闘うことを知っている身体は、それでもまだ十代の無垢さをそなえていて頼りなく承太郎の下に横たわっていた。
恐ろしい力も、凄惨な経験も、異常な敵も、彼の輝くダイヤモンドのような魂には傷一つ曇り一つ付くことがなかった。
最後までキラキラと眩いような笑顔で承太郎を魅了した年下の叔父。
思い出した途端に、あまりにも鮮やかに脳裏に甦るので自分でも驚いた。
会いたい。
あの笑顔を見たい。
強烈に思う。
ずっと忘れていた、欲望を感じた。