風のマント「ねぇ、本当に飛ぶの?それで?」
通称“ドラゴンの角”と呼ばれる双塔の南塔側最上階。吹き抜ける海風を全身に受けながらアレンが風のマントを装着していると、後ろからカインが不安げに問いかけてきた。
「そうだけど。」
アレンは首だけ軽く後ろに捻って「それが、何か?」と言わんばかりにさらりと答える。
「そうだけど。じゃなくてさ、アレンはそれで本当に向う岸まで行けると思う?それ、ただのマントだよ。」
ただのマントというよりは、ただのマントよりずっと薄くて軽い羽のようなマントをカインはしげしげと見つめている。
「ただのマントじゃなくて『風のマント』。これを使えば向う岸に飛んで行けるって、カインも聞いてただろ?」
アレンは身につけたマントをふわりと翻しながら後ろのカインに向き直った。眉尻を下げたカインは心なしか髪までしなしなと垂れ下がってみえる。
「もしその言い伝えが間違いだったら?僕たちぺっちゃんこだよ?その言い伝えが正しいって確証は?」
事ここに及んでカインは風のマントへの不信感を一気に捲し立てた。
(今更⁉︎)
そう思いながらもアレンはカインのペースに巻き込まれないよう一拍置いてから、
「ない。けれどこれに賭けるしかないじゃないか。」
肩をすくめて答える。
「そんな薄布に命を賭けたくないよぉ。」
いよいよ泣き言まで飛び出してきた。こうなるとなかなか面倒くさい。
「もしかして、カインは高いところが苦手?」
マリアが心配そうにカインの様子を伺いながら尋ねると、
「苦手なわけがあるかい。僕はサマルトリアの王子だよ。木登りばかりしてたから高いところは得意中の得意さ。だから余計にわかるんだ。高いところからの飛び降りを舐めてはいけない!」
先程までのしおしおとした態度はどこへやら、キリッと背筋を伸ばし自信満々にカインは答え、更に続ける。
「そもそもさ、そのマント一枚で三人飛べるのかな?重さに耐えられるのかな?普通一人一枚じゃないの?」
「それは……確かにそうだ。」
アレンは顎に手を当て、初めてカインの意見を検討に値するものとして受け取った。しかし、そうは言っても風のマントは一枚しかないのだ。どうしろというのか。
「それなら、とりあえず飛んでみて全然ダメそうだったらカインがルーラで衝突を避けるのはどう?」
ウンウン唸るアレンとカインを見かねてマリアが提案する。
「なるほど。それは悪くない。マリア、名案だよ。」
アレンとマリアはお互いに頷き合うと、気品溢れる王族スマイルをカインに向けて惜しみなく降り注いだ。
「君たち、簡単に言ってくれるね……でも、まぁ、それならなんとかなる、かな。……って、結局飛ぶのね。」
はぁ〜〜と盛大なため息を吐きながら、カインは大きく肩を落とした。
「じゃあ、俺が2人を抱えて飛ぶ、当初の予定通りそれで決まりだ。」
かつて双塔を繋いでいた吊り橋の跡地まで歩を進めると、海風がより一層強く吹き抜けていく。飛び立つ前に落下しないよう開口部から少し下がった場所で、風のマントを装着したアレンがカインとマリアを抱き寄せた。
アレンと比べればどちらも細身であるが、カインはそれでもやはりがっしりとしていて、意外と着痩せするタイプのようだ。しかし、問題はマリアだ。自分よりカインよりずっと細くて柔らかくて、こんな柔な身体で旅を続けているのかとアレンは驚いた。力加減を間違えたら壊れてしまいそうだ。それに、あまり長く抱えているのも失礼だ。抱えて飛べばいい、などと簡単に言ってしまった自分をアレンは少し恥じた。
「では、行くよ!」
そう声をかけて飛び立とうしたその時、
「待って!アレン!」
カインが止める。
「どうした⁉︎」
「こ、心の準備が……」
ピッタリ密着しているためカインの震えが直接伝わってくる。アレンの胸の辺りを力一杯抱きしめ、引けた腰で後ろへとグイグイ引っ張ってくる。
カインに引っ張られたぐらいでは微動だにしないアレンはその場で小さくため息をついた。
「心の準備はさっき散々しただろう?」
「いやだって、この高さを見たら……」
「高いところは苦手じゃないんでしょ?」
マリアも少し震えている。が、もう覚悟は決まっているようだ。
「でも、こんな高い木ないもん……」
もはや体面も何もなく、カインは幼子のようにアレンに縋りついていた。
折角三人で飛ぶことで合意したのに、これでは埒があかない。アレンは思案した。おそらくカインの“心の準備”はいつまでも終わらないだろう。緊張のせいか先程から手汗がいつもより滲んでくる。二人を抱える腕にも限界があるし、途中で落としてしまっては大変だ。それに……これ以上マリアを抱きかかえているのはなんだかすごくまずい気がする。
「カイン、悪いがもう待てない……行くぞ。」
腰の引けたカインをヒョイっと抱き上げ直し、アレンは強引に滑空体制に入る。
「あっ!ちょっ……!待って!アレン!待っ……!」
飛び立とうとした瞬間、またカインが騒ぎ出した。
「待てない。」
そうキッパリと言い切って、アレンは宙へと飛び出した。
※※※※※※
「だーかーらー!待ってって言ったのに!」
「……ごめん。」
結局、風のマントは三人分の重量などものともせず、海風を受けてゆっくりと滑空し、無事着地することができた。……塔の西の丘陵地帯に。
そう、目的地は北の対岸。ここは南側の塔と陸続きの西の丘。
「北に行きたいのに西から飛び出す奴がいるかい?」
僅かに草が生えた地面に腰を下ろしてしゅんとしているアレンにカインが詰め寄っている。
「ごめんって。飛び立てば勝手に対岸に連れて行ってくれると思ったんだ。」
珍しくカインがお説教をし、アレンが反省している。その様子がおかしくてかわいくてマリアは笑いを堪えることができなかった。
「ふふふ。まぁ、無事に飛べることがわかったのだからいいじゃない。あードキドキした!私まだ膝が震えているわ。」
太ももの辺りをさすりながらマリアが二人をとりなす。
「なーんだ、マリアも怖かったのかぁ。」
すっかり元の調子を取り戻したカインが軽口をたたくと、
「えっ⁉︎ええ……でも、女は度胸だから。」
なんとも頼もしい姫様は少し顔を赤らめ俯きがちに答えた。
「さ、さぁ、まだ再挑戦する時間はあるわ。もう一度塔に登りましょう。」
「今度はちゃんと北に飛んでよね。」
「わかった。」
三人は各々立ち上がり、服に着いた砂や草を払って先ほど降りてきたばかりの塔に向かって歩き出した。
「飛べるとわかればなかなか楽しい」などと調子の良いことをマリアに言うカインの声が前方から聞こえてくる。
アレンは一人立ち止まり、辺りを見回してポツリと呟いた。
「ところで、北ってどっちだ?」