散歩 昼間の一番日差しが強い時間が過ぎて、日差しが傾き始めていた。今日は夏日なんて天気予報は言ってたけど、風が強くて、窓を開けて室内にいる分には丁度良いくらい。そよそよと、くせっ毛に風を感じながらまどろむ。
「キース!起きろ!」
寝ているか寝ていないか、そんな意識を透き通るような心地良い低音が呼び起こす。
「何だよ…ブラッド…」
瞼を開ければ、ソファに寝ているオレを見下ろすブラッドと目が合う。その目には、数時間の前の情事の様子は窺えない。結構がっついたと思ったけど、それもこれも全部サブスタンスのおかげか?さっきまでベッドで寝ていたのに、もうすっかり元気そうだ。腰だるくねえのかな。
「散歩に行くぞ」
今何て言いました?散歩?外暑くね?暑さでやられたのか?もしかして、がっつきすぎたせいか?
「は?」
「聞こえなかったのか、貴様…」
いや、聞こえてましたけど
「散歩だ、散歩に行くぞキース」
顔色1つ変えずにブラッドは言う。
「…外まだ暑くねえ?」
「いや、日が傾き始めているからそこまでではない」
「…腰は…大丈夫なのかよ…」
「大丈夫だ、むしろ少しぐらい体を動かしたいと思ってな」
暴君様に、オレは振り回されてばっかりだ。別に何もしないオフでもよくね?めんどくさい、なんて言えばこいつは引き下がりそうだけど、
「そーかよ、んじゃその辺までな」
結局、おれはこいつに甘い。ちょっとお願いするような目線を投げられればオレは両手をあげてあっさり降参してしまう。腹筋の力だけで起き上がる。
「じゃあ、すぐに出るぞ、さっさと支度しろ」
「はいはい」
準備、なんて言ってもそんな大層なことはしない。ちょっとズボンを履き替えて、ポケットにスマホと、一応スマホを入れる。ブラッドはすでに準備を終えていたらしく、玄関の所で待っていた。ガチャリとドアを開けて外に出る。外は思っていたよりも暑くないぐらいで、正直暑い。
「どこまで行くんだよ」
「ミリオンパークまで行こうかと」
思っていたよりも歩くことになりそうだな…、と心の中で悪態をつく。まあ、お前と過ごせるんだから悪くない時間だ。
「ただ歩くだけじゃつまんねから、何か話そうぜ」
これぐらいのわがままは許されるだろ。
「…明日は、15時より会議があることを忘れていないか?」
非常にブラッドらしい話題だけど、そうじゃないだろ…
「こんな時まで仕事の話するのかよ」
正直会議のことは忘れてた。明日のオレ、良かったな今思い出せて。
「…晩ご飯はどうするんだ?」
そうそうそういう感じの話題。
「そうだな~、今日暑かったし、そうめんとか?」
家にあるものを思い出しながら、ブラッドが喜びそうなものを選ぶ。
「!そうめんなんてお前の家にあったんだな」
その声は嬉しそうで、
「まあな、この前ディノが買ったやつだよ」
ほんとは、この前店で見かけて今度作ってやろうと思って買ったことは恥ずかしくて言えない。
「今度ディノに礼を言わないとな」
「そうだな、ディノも喜ぶと思うぞ」
今度、ディノに口裏を合わせてもらうことを頼まねえと…。
「そういえば、この前ジェイと飲んでたんだけど、今度みんなで集まって飲みたいって言ってたぞ」
「わかった、今度予定を立てよう」
嬉しそうな楽しそうな表情をする。いつも眉間にしわが寄った顔より、そっちの顔の方がずっと良い。
それからもずっと、ルーキーの話とか、行きたい場所の話とか、とりとめのない話をしながら歩く。流れる時間はゆっくりなようで、あっという間にも感じられる。景色は建物が建ち並ぶ賑やかな町並みがどんどん変わっていって、次第に木が増えていく。気がつけばミリオンパークに着いていた。ミリオンパークにいる人はまばらで、親子がキャッチボールをしていたり、学生ぐらいの子が走り込みをしていたり、散歩を楽しんでいる老夫婦がいたり、いろんな人がそれぞれの時間を楽しんでいる。
「すっかり葉の色が緑に染まってしまったな」
「そうだな~、この前まで桜が咲いてた気もすっけど、時間がたつのもあっという間だな」
「桜が満開に咲いていたときの景色もよかったが、こうして少しずつ夏が近づいているような景色も趣があって良い」
目が緩み、口もほころんでいる。ブラッドが楽しそうで何より。景色を楽しむブラッドは、絵になる。
瞬間、ざあっと、後ろから強い風が吹き抜けていく。セットされていないブラッドの髪が、風が吹くままに乱れる。一瞬髪に横顔が隠される。ブラッドは前に流された髪を耳にかける。隠された横顔が、もう一度表れる。こちらを向いていないマゼンタには、どんな景色が映ってるんだろう。ブラッドは乱された髪を手で軽く直して、こちらに視線を投げる。
「ふっ、キース、髪の毛が面白いことになっているぞ」
クスクスとこらえられないみたいに、ブラッドは声を小さくもらしながら笑う。
「笑うなよ」
手を髪の所に持って行って、雑に直す。
「まったく、ここが跳ねているぞ」
ブラッドが手を伸ばしてきて、髪に触れる。その手つきは優しくて、こちらを見る目はうぬぼれてしまいそうなほどに、愛おしさが漏れている。
「これでよし、しっかり男前だぞ」
満足そうな表情をして、愛おしそうに髪から頬を触れるから、オレは自分の唇をそのまま、ブラッドの唇に近づけて、触れる。一瞬なのに、時間の流れが変わったかのように、すごく長く、長く感じた。離れて、ブラッドを見れば、ぽかんとした表情をしている。それから、ばっと口元を隠す。
「貴様…!」
文句を言いたいのに、突然の出来事に頭が処理しきれないようで、言葉が出ないみたいだ。
「い~だろって、オレたちのことなんて誰も見てないって」
きっと、オレは今いじわるに笑っているんだろう。ブラッドは目だけで抗議をしてくる。オレはそれを意に介せず、口元を隠す手を取る。
「何をする!」
「ほら、さっさと帰ってアイスでも食おうぜ」
言いながら、ブラッドのブラッドの手を引っ張る。
「おい、引っ張るな!」
ブラッドはオレに引っ張られるままに、歩き出す。その目から抗議の色は消えている。再び、風が、さっきの強い風とは違う優しい風が吹く。まるでオレたちの背中を押すように。
「いいだろって、たまには手でも繋いで帰ろうぜ」
「誰かに見られるだろ…!離せ…!」
「誰もオレたちのことなんて誰も見ねえって」
離そうとする手を強く握れば、強く握り替えされる。それはもう肯定ってことでいいよな?
「…少しだけだぞ」
恥ずかしそうに、その頬が微かに赤くなっていることを見逃していない。
「ああ、ありがとな」
誰も見てないって言ったくせに、恥ずかしい、なんて今さら思う。だから繋いだ手を周りから見えないように、隠すようにする。
「帰ったらアイス何食う?」
「…選べるほどのアイスはなかいだろう?」
「だったら、途中でどっかによって買って帰ろうぜ」
「そうだな」
さっきまで恥ずかしがっていたくせに、お互いに手を離さないようにしっかり握る。夏が近づいた証拠に空が暗くなる様子はまだない。時間はまだまだあるから、どこかに寄り道でもしながらゆっくり帰ろう。