カミサマノヒトミ「ひゃ……っ」
夜中にふと目が覚めた。水でも飲もうかと洗面台の前へ立ち、鏡の中の自分を見て、驚愕した。左右の目の色が違っていた。
出てしまった声で寝ている恋人を起こすまいと、慌てて口を塞いだ。恋人が起きていないかを確認しに、寝室へと戻る。布団は俺が出ていった時と変わらず、捲れていた。俺の声には気付かず、裸のまま寝ていた恋人はさすがに寒そうだったので、捲れた布団を元に戻してやった。
再び洗面所へと行く。もしかしたら夢だったかも知れないと鏡を覗いたが、やはり目の色は違っていた。
俺の目は元々猫みたいな黄金色だ。もちろん両目とも。それが今は、左目だけが宝石のような黄色掛かった緑色をしている。この瞳の色は恋人の色だ。いつも見ている。間違いない。
前に一度同じように片目の色が変わってしまったことがある。驚きと不安で泣き叫ぶ俺に、恋人が「油断して目を移してしまった」と言っていた。
俺の恋人は、カミサマ、らしい。何の神だか、どんな能力があるのかは知らない。空を飛んでいるのをみたことがあるので、ウソではなさそうだ。
前は、俺に迷惑が掛かるからと早々に治してくれた。そのカミサマである恋人は、瞳を治すためなら声を掛ければすぐ起きてくれるだろうが、俺のせいで疲れて寝ているのだ。起こすのは忍びない。それに、俺はこの恋人の瞳が好きなのだ。正直、瞳の色が恋人と同じになって嬉しいとさえ思っている。少しくらいこのままでもいいだろう。俺にどんな迷惑が掛かるのかは知らないが。
俺はしばらく鏡の中の自分を見ていた。
「太宰……」
「きゃひっ!!?」
背後からの突然の呼び掛けに飛び上がる。
「志賀」
おそるおそる振り返ると、上半身裸のままの志賀は洗面所の入り口に寄り掛かり、あくびをしていた。目をしばたたかせて、腹を掻いている。寝起きだが顔はいいのだから、そんなダサいことをしないで欲しい。
「目……また油断して移しちまった……」
俺は反射的に左目を隠した。おそらく志賀の右目が俺の左目に移ったのだろうが、志賀の右目は乱れた髪で隠れて見えない。
「な、何で解るんだよ!? 完全に寝てただろ!?」
「俺の目だし……」
治すからと、志賀は左目を隠す俺の左腕を掴む。が、俺はその手を振り払った。志賀は眉間にしわを寄せる。
「こ、この目の力って何? 俺に力が移ってるときの志賀の目って、どうなってるの?」
手を振り払われたことと、寝起きなのも相まってか、志賀は不機嫌にため息をつく。
「遠くが見えるんだよ……」
「遠く……」
曖昧な答えだ。俺はためらいながら、志賀の乱れた前髪を耳に掛け、右目を見た。あの宝石のような、黄色掛かった緑色は抜けて、白目とほぼ同化し、瞳孔が黒く残っているだけ。
「今は、何が見えてるの?」
「それ言ったら、お前絶対怒るから」
「言わなくても怒るけど」
志賀は下を向いてしばらく思案し、頭をガシガシと掻きながら、顔を上げた。
「俺」
「は?」
「お前が見たものが見えてんだよ。だから、今は俺が見えてる。見えてるって言うか、お前の視覚情報が頭の中に流れてくるって言うか」
「はああ?」
夜中だと言うのに、本日一番の大きな声が出てしまった。と言うことは、さっき鏡の中の自分を眺め、指でなぞったり、愛おしく笑んでいたことが、視覚情報として志賀へ渡り、眠っていたアイツを起こしたと言うことだ。
「お前、本当俺の目好きだよな」
志賀はニヤリと白い歯を出した。
「違っ……!!」
違いはしないのだが。真っ赤になって振りかざした腕は、簡単に取られる。
「治すから、目つぶれよ」
「そっ、そもそも、何で油断なんかしてんだよっ」
腕を掴まれ、二人で両腕を上げたまま。志賀はジトッと目を細める。
「俺の部屋の俺の布団で俺と一緒に寝てたんだ、察しろ」
先程の行為を思い起こし、さらに赤くになって言葉に詰まる。志賀は大きく息を吐いて、俺の腕を掴んだまま、下ろした。
「俺が油断したときに、お前が俺の目が欲しいって見つめてきたから、力が移った」
口角がゆるゆると上がる。
「俺が志賀の目を奪ったってこと?」
「端的に言うなら」
今度は俺がニヤリと笑んだ。
「じゃあ、俺に神の素質があるってことだな」
「治すぞ、目閉じろ」
志賀が俺の言葉を無視する。聞こえなかったのだろう、仕方がない。少し気分が良かったので許してやることにした。
「何で目閉じるんだよ」
「自分が口づけしてるところなんか、どアップで見たくねぇだろ」
そう言って俺の左目を手で押さえ、視界を遮った瞬間、キスをした。左目をなぞるように、舌を這わせる。いつもの行為を思い出し、背中を泡立たさせ、声を漏らした。
志賀が俺から離れるのを感じ、二、三瞬きをしながら目を開いた。振り向いて、鏡で確認する。両目とも黄金色だった。俺の色。志賀の色ではなくなってしまったことに、少し淋しさを覚えたが、すぐ傍にそれはあるのだ。背中に重みを感じる。志賀も鏡で目を確認をしていたようだった。鏡の中で合った目は緑色に戻っていた。俺の好きな、宝石のような黄色掛かった緑色。
「もう奪うなよ?」
「志賀こそ油断するなよ?」
にやつく俺に、志賀は苦笑いをしていた。