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    しおさば

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    しおさば

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    sgdzの日(2023/12/2)

    鈍感×素直じゃない

    拝啓、大嫌いなあなたへ
     白樺の四人は、午後のティータイムを中庭で楽しんでいた。隣の机にはプロレタリアの三人。お茶請けを作り過ぎたと、今日のティータイムに誘われた。机の上には、お茶請けが山積みになっている。
     中庭は風はなく、晴れていて日光が心地よい。本日の紅茶は、キャロルにおすすめされたアッサムティー。ミルクを入れて、まろやかなミルクティーにした。お茶請けは、それに合わせてイギリス式のスコーン。ジャムやクリームをたっぷりつけて食べる。もちろん、志賀が作ったものだ。

    「なあ、ちょっとこれ見てほしいんだけど」
     志賀がおもむろに、机の上に長い紙を広げる。折りたためば、封筒にきちんと入るが、巻き物のようだ。今まさにスコーンを食べようと口を開けた武者小路は、顔をしかめて口を閉じた。有島と里見も、紅茶のカップを机に置いて、身を乗り出す。小林たちも、スコーンを頬張ったまま、その後ろから覗いた。
    「今朝届いた手紙なんだけど、差出人がなくて」
     武者小路たちはしばらく黙って、その手紙を読んだ。中身はいわゆるラブレターというもの。“わたし”から“あなた”への思いを綴った手紙。読み終わり、手紙から目を離す。みんな眉間にしわを寄せて、頭を抱えていた。
    「どう思う?」

    「どう思うって」
    「これは、僕たちが読んでいいものじゃないよね」
    「志賀兄、大丈夫?」
     志賀に注がれるのは、憐れみの目。小林たちは、黙って自分の席へと戻っていった。
    「差出人が判んねぇんだ。中にも書いてないし。俺に宛てた手紙なのか、俺に読んでもらいたい小説なのかも、判んねぇよ」

    「うそでしょ!?」
    「わ、判らないのか」
    「ダメだこりゃ」
     武者小路たちは、呆れてため息をついた。志賀は仲間たちの反応に、口を尖らす。
    「多喜二たちは?」
     志賀が、小林たちの席に手紙を置く。
    「おりゃあ、そーゆーの解らんばい……」
    「ぼ、僕には、何とも……」
     都合の悪いときだけ子どもになりきる徳永と、議論の得意な中野には珍しく、どもっていた。二人とも志賀の目を見ないようにと、スコーンを口へ運んだ。
    「多喜二」
     志賀に、捨てられた子犬のような目を向けられた小林は、冷や汗を流す。
    「な、直哉サンは鈍すぎます……」
     可愛い後輩の言葉に頭を殴られたようなショックを受け、志賀は空いていた椅子へよろよろと腰を落とした。小林もそれ以上は言うまいと、スコーンを口いっぱい入れた。
    「ねー、志賀鈍過ぎー。知ってたけどー」
    「ん……」
    「志賀兄にぶちん」
     志賀は、椅子を倒す勢いで立ち上がる。中野と徳永が、机の上のカップやスコーンを押さえた。
    「ぐっ、何だよお前ら、差出人知ってんなら教えろっ」
     武者小路は、クリームをたっぷりと載せたスコーンを一口かじった。サックリとした食感と、クリームの甘さが口に広がる。カップをそっと取って、ミルクティーで口を潤した。まさに絵にあらわしたような優雅なティータイムだ。
    「手紙に書いてあるけど、差出人は素直じゃないから、名乗れないんだよ。今までの自分の言動を顧みたら?」
     志賀は、武者小路を睨みつけたまま思い起こしてみたが、差出人が全く思い当たらなかった。首をかしげる志賀に、武者小路はため息をつくしかなかった。
    「もうっ。差出人が判るまで、志賀のティータイムはお預けねっ」
    「はあっ!?」
     有島と里見も、頷いていた。様子を見守っていた小林たちに志賀は振り返ったが、そっと目を逸らされた。志賀がぐうと唸った。
    「志賀が判らないんじゃ、勇気出して手紙を送った差出人が報われないよ」
     武者小路がふと中庭を見た。散歩や日光浴をしている文豪が数人いた。
    「ということで! 志賀! 頑張って差出人見つけてきな!」
     武者小路が笑顔で手を振り上げた。
    「いやっ、お前らが教えてくれればいいだろっ」
    「志賀君が見つけてあげなければ意味がないよ。弴」
     有島の呼びかけに「はあい」と、里見が志賀の後ろに回り込む。
    「ちょっ! 押すなよ、里見っ! い、行くからっ!」
     志賀は、大きく息をついて、諦めた。里見がニッコリと手を上げて、微笑んだ。
    「志賀兄、いってらっしゃーい!」
     振り向くと、小林と中野も控えめに手を振っていた。徳永は、特大の笑顔で送り出してくれた。志賀は苦笑いで、手を振り返した。




     志賀は、どうすればいいのか途方に暮れていた。

     この帝国図書館には、有数のミステリー作家がいる。彼らに差出人を訊いてみたが、「これはミステリーではない」と、一蹴された。差出人が判ったのなら、教えてくれと頼んだが、「トリックは自分で解くから面白いのですよ」と言われた。これが自分宛の手紙でなければ、楽しめたのだろうが。

     手紙からの情報は少ない。宛名には『帝国図書館 志賀直哉様』と書かれているだけ。裏には何も書かれていない。切手に押された消印は、この帝国図書館近くの郵便局のもの。これでは、図書館の人物が出したのか、外部の人が書いたのかすら判らない。中の手紙は、巻き物のように長い紙に縦書きで書き殴ってある。訂正されたり、付け足されたりして、正直読みづらい。“わたし”から“あなた”へのラブレター。これに志賀の名前が書いてあれば、自分宛の手紙だと判るのだが、手紙は終始“わたし”と“あなた”の人称代名詞。これでは、自分宛だと確信が持てない。出来上がった小説を、志賀に読んで欲しかったのかも知れないし、中身を入れ違えたのかも知れない。

     志賀は、そんなことを考えながら図書館の中を歩いていた。食堂の前を通ると、味噌のいい匂いが鼻をくすぐった。別にお腹がすいていたわけではなかったが、おやつを食べ損ねた志賀は、ふらりと食堂へと入っていった。
     食堂には、無頼派と中原と草野がいた。いわゆる、酒飲み友だちというやつだ。檀は厨房に入って、鍋を見ている。味噌汁だろうか。他のメンバーは、机に突っ伏している。
    「何やってんだ?」

    「志賀センセ」
    「昨日徹夜で飲んでて、今起きたんだよ」
    「だから、お腹すいちゃって。ダンくんに作ってもらってるんだよぉ」
     志賀は「ふうん」と、食堂を見回した。
    「太宰は?」
     いつもなら、志賀を見掛けたら一番最初に突っかかってくる太宰の姿が見えなかった。
    「モモノハナ野郎なら……」
     中原がチラリと入り口の方を見る。志賀もそちらの方を見たが、誰もいない。
    「……まだ、寝てるんじゃねーの?」
     志賀は「そう」と、向き直った。

    「なあ、この手紙……」
     例の封筒を掲げて志賀が言い終わる前に、檀が菜箸を握ったまま、厨房からすっ飛んできた。菜箸をこちらに向けていたので、志賀は真剣白刃取りの要領で、檀の腕ごとそれを受け止めた。
    「なっ、ちょっ! 菜箸を人に向けんじゃねぇっ!」
    「その手紙をっ! 見せびらか、じゃねぇ! 見せつけ、でもねぇ! 自分宛の手紙を他人に見せてんじゃねぇ!!」
     檀の言葉に、志賀は目を見開いた。
    「まあ、菜箸はあかんね、菜箸は。安吾」
     織田に呼ばれた坂口は「はいよ」と立ち上がり、檀が持っていた菜箸をそっと取り上げ、方向転換をさせて、檀を厨房へと戻した。
    「志賀センセ、そのお手紙、どないするおつもりでしたか?」
    「差出人の名前がなくてさ。判るかも知れないから、中見てもらおうかと思って」
     坂口が座っていた席の隣に座っている草野と目を合わせて、織田と草野は苦笑いをする。その隣の中原は興味がなさそうに一つあくびをした。
    「ダンくんの言うとおり、差出人が判らなくても、大事な手紙だろうから、あまり人には見せない方がいいと思うよ、おいらは」
     柔らかく微笑んで、草野は手に顎を載せた。
    「言うとおりだな。でもこれ、手紙だか小説だか判んねぇけど、ラブレターの体してるんだよ。もしこれが俺宛のラブレターだったら、きちんと差出人に応えてやりたいと思ってる」
     草野や織田のみならず、中原までもが、目を瞬かせていた。
    「……せやね。差出人まで判らんかも知れんけど、見ますよ」
    「うん!」
     志賀は、三人の前にその長い巻き物のような手紙を広げる。瞬間、檀と坂口が厨房から舞い戻ってきて、机にかじりつくように並んだ。
    「檀、お前。俺にあれだけ啖呵切ったのに、読むのかよ」
    「読めるなら、読みてーに決まってんだろ!!」
     志賀は「そうかよ」と、呆れて手紙を広げきった。


    ***


    前略
    神様みたいなあなたに憧れていました
    あなたの整然とした言葉が好きでした
    簡潔な中にも、溢れる描写が好きでした

    あなたに近づきたくて
    あなたに認められたくて
    あなたのようになりたかっただけなのに

    否定をされました

    ただただ悔しくて
    ただただかなしかった

    そして憎らしかった

    あなたに否定されたわたしは
    あなたを否定しました

    攻撃しました
    あなたを敬慕していたのにと

    しかしわたしはその応酬に少しの幸福を感じていたのです

    そのときばかりはあなたはわたしのことを見ていたのですから



    そのときのあなたとわたしには直接の面識はありませんでした

    ところが奇跡とは起こるもので
    わたしはあなたと出会ってしまったのです

    暗闇の中さまよっていたわたしを連れだしたのはあなただったのです

    最初はわたしもあなただとは気がつきませんでしたが話しているうちにあなただと判りました

    あなたとの出会いに衝撃を受けました

    そしてあなたへのかなしくて憎らしい気持ちを思い出しました
    その気持ちはうれしいという思いよりも上回ったのです

    わたしはあなたを拒否しました

    あなたを見れば罵詈雑言を浴びせ拒絶をし否定をしました

    そんなわたしにあなたはきちんと応対してくれました
    文句を言えば文句を返すし拒絶をすれば無理矢理侵入してくる

    やはりわたしはその応酬に幸福を感じたのです

    たまにわたしの言動に呆れて接してくれませんでしたけれど
    そのときは少しのさみしさを覚えたものです



    そんなあなたとわたしのやりとりを見ていた友人がある日わたしに言いました

    「好きなのではないか」と

    わたしはあなたのことを嫌悪していたのでその友人の言葉を笑い飛ばしました
    わたしを否定したあなたを好きになることなどないと

    しかし友人の言葉はずっとわたしの心に引っかかっていたのです
    寝ても覚めても頭の中から離れることはありませんでした

    そんな感情を引きずったまま不意にあなたと出くわしたのです

    あなたに声を掛けられたわたしは
    目が合わせられず
    その声に返事も出来ませんでした

    そして何故か顔が紅潮したのです

    それを見られたくなかったわたしはあなたから逃げ出しました

    あなたはいつもと違うわたしの行動を不思議に思ったでしょう
    もしかしたら不快に思ったかも知れません

    申し訳ありませんでした

    わたしもあなたに何も言わず去るなどいけないとは解っておりました

    ですがどうしても赤くなったこの顔を見られたくなかったのです

    あなたを見て頬を染めるなど
    まるで恋する少女のようではありませんか



    「好きなのではないか」

    友人の言葉が心の中で何度も響きました

    今までのようにはあなたの顔が見られず
    いつものようにあなたの言葉に返すことも出来ない

    火照る顔
    上がる体温
    高鳴る鼓動

    やっと気づきました
    私はあなたのことが好きだったのです

    確かにあなたに憧れを抱いてはいました
    しかしそれは恋心ではなく尊敬だったはずです

    いつからその尊敬が恋心に変わったのかは判りませんがわたしはあなたに恋をしているのです
    やっと自覚しました



    手紙でしか伝えられないことをお許しください
    わたしはあなたの前では素直にはなれないのです
    ずっとあなたに恨み言を言っていたのですから
    いまさらそれとは真逆のことは言えないでしょう
    それこそどうしたのかとあなたに不思議がられてしまいます

    なのでここで言わせてください



    あなたのことが好きです
    早々


    ***



     手紙を読み終えた檀は、目頭を押さえて、厨房へと戻っていった。
    「志賀センセ、ほんまに判りませんか?」
     織田の言葉に、志賀は首を横に振る。
    「オレですら差出人に同情するぜ」
    「ねぇ」
     中原は呆れて、草野は苦笑していた。
    「差出人、判ったんなら教えろよっ」
    「無頼派の面子にかけて、それは言えねぇな」
     坂口がサングラスの奥で笑う。志賀は手紙を読んだ他の面々を見回したが、誰も目を合わせてはくれなかった。

    「神様って書いてあるんだから、志賀君のことだよね」
    「まあ、そう呼ばれてたこともあったが、神様なんて呼ばれてたのは、俺だけじゃないだろ?」
    「利一のことですか? これは利一のことではありません。志賀さん、あなたのことです」
     背後からの質問に答えたものの、背後には誰もいなかったはずと、志賀は振り返った。
    「北村に、川端……いつの間に……」
    「えー、志賀君宛のラブレターが読めるって言うからー」
    「読めるものは、読みたいです」
     さっきから食堂にいたと言う北村と川端は、「ねー」と体を傾けた。
    「だから、この手紙は志賀君宛のラブレター」
    「自分宛だと思って、もう一度手紙を読んでみてはいかがでしょうか」
     机の上に広げられていた手紙を、北村にくるくると折りたたまれ、「はい」と手渡される。志賀は眉をひそめながらも、「ありがとう」と受け取った。
    「おまえらも、ありがとな」
     志賀は、苦笑いをしていた織田たちにも手を振って、食堂を後にした。




     志賀は一人、談話室で手紙を読み返した。自分へ宛てた手紙だと思いながら。
     自分のことが嫌いなんだろうなと思う人物は何人か思い当たる。が、ここまで嫌悪感をあらわにしている人物は一人しか思い浮かばない。手紙からするとその嫌悪感は、自分に構ってほしいことからくるものらしく。そんな最大級のかまってちゃんに当てはまる人物は、その人しかいない。ただその人物からは、自分は嫌われていると思っていたので、好意を持っていると言われても、いささか信じられない。確信が持てない。

    「志賀さん、そんな真剣な顔で何を読んでいるんですか?」
     頭上から降ってきた言葉に、志賀は顔を上げた。
    「龍、と菊池か」
     タバコを吸っていたのだろう、服から煙の香りがほのかにする。芥川と菊池は、志賀が座っている前のソファーに腰をかけた。
    「ああ、うん。差出人不明のラブレターをもらって。その差出人について考えてたところ」
     芥川は、「そうなんですね」と柔らかくほほえんだ。
    「志賀さん宛のラブレター、ちょっと興味あります……読んでみたいな?」
    「いやいやいや。龍、さすがに志賀さん宛の手紙、読むのは自重しろ……いいってさ」
     芥川を引き止めようとした菊池は、チラと志賀の背後を仰いで、なぜか引き止めるのをやめた。読んでもいいぞと、志賀が手紙を開く。芥川と菊池は身を乗り出した。

     手紙を読み終えて、二人は息をついた。
    「訂正変更が多いけど、それだけ切羽詰まってたんだろうね」
    「素直じゃないから、勢いで書いたんだろうな」
    「それが逆にいいよね。好きだっていう気持ちが伝わる……」
     芥川の言葉の後に、談話室の入口の方で、ゴンッと言う音がした。志賀が振り返ったが、何もない。
    「俺見てきますよ」
     不思議そうに目を合わせる志賀と芥川に、菊池が笑いながら談話室を出ていった。

    「で、龍。差出人誰だか判るか?」
     芥川は、首を横に振った。
    「そっか。龍が判らなくてちょっと安心した」
     志賀が苦笑する。
    「何人かに読んでもらってるんだが、皆判ってるみたいなんだよな」
    「教えてもらえばいいんじゃないですか?」
    「皆一様に、自分で考えろと言う」
     芥川が、口に手を当てて笑う。
    「そうですね。僕が差出人だったら、手紙を宛てた人に判ってほしいですね」
    「だよなぁ」
     志賀は、ソファーへともたれた。
    「志賀さん、差出人について考えてるって仰ってましたけど、心当たりがあるんですか?」
    「あー、俺があまりにも鈍いから、読んだやつらがヒントくれて。何となくは。ただ、確信が持てなくて」
     芥川は、「ふふふ」と可愛らしく笑った。
    「僕も判らないのに、笑ったら失礼ですよね。寛なら鋭いから判るかも知れませんよ」
    「菊池も教えてくれそうもねぇな。ま、いいや、自分で考えてみるよ」
     志賀は体を起こし、手紙をくるくると畳んで、立ち上がった。
    「ありがとな、龍」
     芥川は、「いいえ」と手を振る。志賀も手を振って、談話室を出ていった。

     談話室の先の廊下で、志賀は戻ってくる菊池と会った。
    「おう、菊池。さっきの音、何だったんだ?」
    「志賀さん。佐藤と井伏がいたんで、任せちまいました」
     意味が解らず首を捻る志賀に、菊池は笑う。
    「龍の言葉に、頭ぶつけただけなんで」
    「誰か頭ぶつけたのか? 大丈夫なのか?」
     菊池が、「大丈夫ですよ」と言った。
    「頭ぶつけたの、手紙の差出人だと思います。ずっと志賀さんの様子見てたみたいですね。談話室覗いていましたから」
     菊池が微笑むと、志賀も頬を緩めた。
    「やっぱり、菊池は判ったんだな、手紙の差出人。龍と、菊池なら判ってるんじゃないかって話してた」
     菊池は、呵々と笑った。
    「龍は天然だから、こういうのは判らないでしょうね。志賀さんも自分のことになると途端に鈍くなりますよね」
     志賀が頬をかく。
    「その手紙、差出人判明のために色んな人に見せてたでしょう? 差出人、怒ってましたよ。だから、怒られる覚悟はしていてくださいね。補修室にいますから」
    「ありがとな、菊池」
     菊池は手を上げて、談話室へと戻っていった。
    「補修室……」
     志賀は手紙を握りしめて、補修室へと向かった。




    「し、志賀さんっ!! そ、それは、太宰の手紙ですかっ!?」
     補修室への道すがら、反対側からやってきた佐藤が、志賀の手に持っている手紙を見たのだろう、そう言って後退りをし、廊下の端に寄った。一緒にいた井伏が、佐藤の声に慌てている。
    「え」「春夫先生っ!?」
     話を聞こうとした志賀の声は、補修室からの叫びにかき消されてしまった。
    「何でかい声で言ってくれちゃってんですかぁっ!?」
     佐藤の声を聞いて、補修室から素早く出て来た太宰は、額にガーゼが当てられている。
    「す、すまん。あの巻き物のような手紙に過剰反応した」
    「春夫さん……」
     太宰は真っ赤になって、佐藤をポカポカと叩いている。井伏が苦笑いをしていた。
    「太宰」
     志賀の呼びかけに、太宰はピャッと飛び上がって、佐藤の後ろへと回り込んだ。
    「太宰、この手紙、オマエが出したのか?」
    「ちっ、違っ……」
    「違わないだろう? 太宰、散々補修室で、志賀さんが手紙に気づいてくれないって、怒ってたじゃないか」
     佐藤は太宰に前へ出るよう促すが、太宰はかたくなに出てこようとしない。太宰は口を尖らせた。
    「太宰、出てこいよ。佐藤や井伏に聞かれたくない。二人で話したい」
    「やだ」
     太宰は、佐藤の腰にまとわりつく。佐藤や井伏が引きはがそうと試みるが、ガンとして動かない。
    「は、恥ずかしいんだよ」
    「フラれたら、こっちの方が恥ずかしいんだよっ」
    「フラねぇよっ!!」
     辺りが一瞬静まり返る。

     廊下の窓から見える天気は快晴で、風もなく穏やか。遠くで、遊ぶ子どもの笑い声が聞こえる。

     佐藤と井伏が目を合わせた。
    「は?」
     太宰の低音が響く。志賀は頭を抱えた。
    「ああ、もうっ!  そういうことだよっ。最初から断るつもりなんてなかったっ」
     太宰は目を瞬かせた。目の前がキラキラと光る。
    「手紙嬉しかったっ。俺も太宰のことが好きだっ」
     志賀の赤くなった顔は、白い服によく映えて。差し出される手と、見つめる瞳は真っ直ぐ太宰へと向いていた。
    「ほら良かったな、太宰」
     佐藤が、太宰の頭をポンポンと撫でる。井伏が、佐藤から離して、太宰を志賀の前へと立たせた。志賀は太宰の手を取る。
    「太宰借りてくぞ」
     佐藤と井伏が、手を振って見送った。

    「オジサンの方が恥ずかしくなっちゃうよ」
     後ろから聞こえた。




    「そういや、頭大丈夫なのか?」
    「はあっ!? 正常ですけどぉっ!?」
     手を引かれる太宰は、憤る。志賀がため息をついて立ち止まり、太宰の額を指した。
    「ああ、うん、平気……ちょっとタンコブになってるけど……」
     太宰は、少し赤くなってそう答えた。
    「どこ、行くんだよ」
    「食堂。さっき食べ損ねたおやつ、武者たちが残してくれてると思うから」
     談話室の前を通ると、視線を感じた気がした。振り返ったが、誰もこちらを見てはいない。

     食堂には、北村だけがいた。一番奥の席で、ペンを走らせている。
     厨房へ入ると、案の定ラップをかけられたスコーンが二つ置いてあった。志賀は、片手鍋を取り出し、水を入れて火にかける。
    「スコーンに手紙ついてる」
    「何だって?」
    「志賀へ。太宰君と一緒に食べてくださいね。武者小路実篤」
     沸騰した鍋の火を止め、キャロルにおすすめされたアッサムの茶葉をティースプーン山盛り二杯入れ、ふたをして蒸らす。
    「ぐ、武者すら太宰だって判ってたのが、何となく腹立つ」
    「ねえ、志賀」
    「ん?」
     振り向いたが、太宰は志賀と目を合わせない。志賀は、牛乳を鍋に入れて、再び火にかけた。
    「さっきの本当? 俺のこと好きって……」
    「俺が二人の前でウソつくかっての」
    「春夫先生と井伏先生巻くためのウソかなって」
    「いやいや、そんなことしたら二人から説教くらうわ。そして無頼の連中にまで飛び火して、ぶん殴られる……」
     想像して、ぶるりと震えた。志賀は、鍋の火を止める。茶こしでこしながら、ミルクティーを二人分、カップへと注いだ。
    「俺の言葉信じられないのかよ」
    「だって俺、今まで志賀にいっぱい悪口言ってたから、俺のこと嫌いなのかと思ってて。だから、怖くて自分の名前書けなかった」
     志賀は、スコーンのラップを外し、トースターに入れた。
    「俺も嫌われてるのかと思ってたから、この手紙が太宰かと思っても確信が持てなかった」
    「だから、あんなに人に聞いてたの」
    「悪かったって」
     眉間にしわを寄せて見る太宰に、志賀は苦笑いをするしかなかった。
    「図書館の四分の一くらい、あの手紙見てるってことじゃん」
    「お前、どっから俺のこと見てた」
    「志賀のことなんか見てないもん。手紙追っかけてたんだもん」
    「つまり最初からってことね」
     トースターが焼き上がりの音を告げる。スコーンを取り出し、上下二つに割って、クリームとジャムをたっぷり塗った。そして、太宰へと手渡す。香ばしいスコーンの匂いが、食欲をそそった。太宰は、サクリとスコーンを食べる。じゅわりと広がるクリームと、甘酸っぱいジャムが口の中で解けた。志賀に差し出された、先ほど作ったミルクティーをこくりと飲み込むと、スコーンと溶け合って、喉へと流れ込んだ。
    「おいし……」
    「ふふ。口にクリームついてるぞ」
     頬張ったときにはみ出したクリームを、指ですくう。そして、志賀はそれを舐めた。子どもっぽいことをした恥ずかしさと、志賀があまりにも近かったせいで、太宰は顔を赤らめ、志賀から目を逸らした。

     志賀が、太宰の頬にそっと手を添えた。肩を跳ねさせた太宰は、志賀を見やる。志賀に真っ直ぐに見つめられて、太宰は目を閉じた。




     瞬間、視線を感じ、二人はその視線の元へ振り向く。厨房越しのカウンターで立ったまま、北村がものすごい勢いでペンを走らせていた。
    「ぎゃあ!!」
     二人は抱き合って、後ずさる。
    「ゴメン、気にしないで。詩作が、泉のごとく、湧き出てるだけだから。続けて」
    「続けられるか!!」
     志賀は、つい北村に突っ込んだ。恋バナ大好き北村が「ええ」と、口を尖らせていた。

    「良かったね、志賀君。手紙の差出人判って」
    「おう……」
     北村の言葉に、志賀は顔を赤くして眉間にしわを寄せながら、スコーンをほおばった。
    「志賀! やっと太宰君にたどり着いたんだね!」
    「むはっ!?」
     カウンターの向こうから、武者小路が現れる。志賀は驚いて、口の中に入れたスコーンをのどに詰まらせた。太宰が慌ててミルクティーのカップを渡す。一気にミルクティーを飲み干し、肩で息をしながら食堂を一瞥すると、武者小路を筆頭に、食堂へわらわらと人が集まってきていた。よく見たら、志賀が太宰からの手紙を見せた人たちだ。次々と「おめでとう」だの「良かったね」だのと、声を掛けられた。志賀はミルクティーでぬれる口を拭う。武者小路が笑っていた。
    「何で……」
    「何で、僕たちがみんな食堂に来たのかって? そんなの決まってるでしょ。みんな鈍すぎる志賀のこと心配してたんだよ。太宰君と叫び声がハモってたから、ああ、やっと会えたんだなって」
     志賀は武者小路に何も言うことが出来ず、「ぐぅ」と喉から声を出した。
    「太宰君、ごめんね。志賀鈍くて」
     武者小路が、カウンターから身を乗り出して、太宰を見た。太宰は「本当だよ」とでも言いたげな、渋い顔をしている。
    「いやいや、武者小路センセ。素直じゃない太宰クンが名前書かへんかったから、こないなことになったんです。お互い様ですわ」
     織田が武者小路の隣りに立って、笑った。武者小路が「そうだね」と、悪気がなさそうに笑った。太宰が、唸っていた。

    「味噌のいい匂いがする……」
    「多喜二」
     小林が、鼻を鳴らしながら厨房へと入ってくる。首を傾けて、志賀をジッと見た。
    「いや、俺は今日、味噌使って料理してないぞ」
     あからさまにしょげる小林に、みんな笑った。
    「お味噌の匂いなら、檀クンのおみそ汁やない? 昨日の太宰クンがお手紙出せた記念の飲み会から、さっき起きたワシらに作ってくれたヤツ」
    「え、何その記念……」
     太宰が顔をしかめた。
    「せーっかく、志賀センセへの思い気づかせてあげたのに、太宰クンヘタレ過ぎて、ちーっとも行動起こさへんのやもん。ほーんまヤキモキさせられたわ。だから、ヤキモキ解消記念」
     志賀は、何故か太宰に睨まれる。そして、「ふんっ」と思い切り顔を逸らされた。
    「そのやーっと出せたお手紙が、気になって気になって、食事も喉を通らなかった太宰クンのために、檀クンが残しておいてくれたんやけど、食べてもええんやない? 太宰クン何か食べてたんやろ?」
     織田は、太宰たちの手元にあった空のカップと皿を指差す。
    「僕が小林君たちから死守したスコーン」
     口に吸い込まれるように無くなっていく午後のティータイムのスコーンを、小林たちから助けたのだと、武者小路が言った。小林が否定しようとしたのか両手を上げたが、顔を赤くして、汗をかくだけだった。
    「太宰クンの分残してくれたら、食ってええて」
     織田が振り向く先に、頭上に腕で大きな丸をかかげる檀がいた。小林は、嬉々として鍋のふたを開ける。香ばしい味噌のかおりが厨房に充満した。鍋からはまだ湯気が立ち上っている。
    「多喜二、まだ食うのかよ」
    「いえ、アレはおやつです。コレはデザート」
     違いが解らず首をかしげる志賀をよそに、小林はいそいそとおわんに檀が作った味噌汁をよそった。先に檀に許可を得ていたのであろうか、中野と徳永が、小林に続いていた。太宰の分を考えても、味噌汁はまだ十分ありそうだった。

    「良かったです、志賀さん。差出人と会えて」
     カウンター越しに、菊池が志賀に微笑みかけた。
    「まあ、あそこまで言われたら、さすがに……」
     志賀が苦笑する。
    「あの手紙の差出人、太宰君だったんだ……」
     菊池の隣にいた芥川が目を瞬かせて、太宰を見た。そのやりとりを見て苦笑している織田と武者小路に、菊池が肩をすくめる。太宰は、隠れるように志賀の後ろに移動した。
    「太宰君。素敵だったよ、あの手紙」
     芥川に極上の笑みを向けられ、太宰は恥ずかしかったのだろう真っ赤になって、志賀の肩に顔をうずめた。
    「あー。さっきのは、龍に褒められて、頭ぶつけたのか」
     太宰の額に貼られたガーゼを見る。志賀は頭をかいた。
    「なーんか、妬ける」
     不敵に笑む志賀に、芥川は慌てて両手を振った。

     突然のパシャリという閃光に、驚いて志賀は腕で顔を覆った。太宰も驚いたのか、志賀の肩越しにカウンターの向こうを見やる。
    「志賀、写真撮らせてくれ!」
     そこにいたのは、図書館の新聞を書いている、国木田と島崎と田山。と、徳田。
    「いや、今撮ったよな」
     先ほどの閃光は、国木田の構えるカメラか。
    「もう一枚! もう一枚、笑顔でくれ!」
    「やだよ」
     志賀は呆れて拒否をした。島崎が「太宰君、今どんな気持ち?」と訊く。「サイアク」と、太宰は顔をしかめた。国木田が笑いながら写真を撮っていた。
    「何で国木田たちがここにいるんだよ。お前には手紙見せてないだろ」
    「透谷がスクープがあるって言うから」
     田山が言うと、みんな一斉にカウンターのそばの机で執筆活動を続けていた北村に振り向く。
    「だってぇ。身近な二人が、告白に成功して付き合うだなんて。スクープじゃない! 特ダネじゃない! 一面じゃない!」
    「新聞に載せようとすな」
     舌をペロリと出して北村が笑う。徳田が「僕は止めた。僕は止めたよ」と呟いていた。




     こうして志賀と太宰は付き合うことになった。

     結局、図書館の新聞に二人の見出しが躍り出ることはなかった。太宰の凄まじい拒絶と、徳田の頑張りによるもののようだった。(志賀としては、どちらでも良かった)ただ、北村の懇願と、太宰のかなりの譲歩により、名前を載せないという約束で、北村と皆の記憶で作られたあの手紙は、新聞の片隅に載っていた。本当の手紙の内容は、志賀だけが知っている、ということだ。

     二人の口喧嘩は今まで以上に絶えない。会えばきゃんきゃん喚いているのを見かける。が、なんだかんだで二人一緒にいることが多くなった。それが二人の付き合い方なのだと、皆生温かく見守っているのだった……
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