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    ぽっせアンソロジー「海風に踊らせて」に
    寄稿したものです。カプ要素はありません。

    三人がバラバラになった未来のお話です。

    限りなく透明に近いブルー■飴村乱数
    「すべ、ての、いの、ちは」
    「うみ、から、うま…れる」
    「せい、めいの、ゲンリュウ、とも、いわれ、ます」
    「よう、すいは、うみ、のせいぶん、とおなじ、と、いわれて、おり……」
    「にんげん、は、うみで、うまれ、はぐくまれ、そ、して、また、うみに、かえ、る…」
    自分の口が静かに紡ぐ言葉の、あまりのスローさに溜息しか出ない。
    ──まったく、どうなってんの、ぼくの頭。こんなにバカだったっけ?
    僕は頭を揺らし叩いてみたが、目の前の文字がスムーズに目と頭に入らずに、口に乗せるまでに矢鱈と時間がかかってしまう。
    溜息。
    普段人との会話に困ったことなんてないのに、こうした小難しい文章を読むには脳の処理速度が遅くなるのか、時々錆びついた歯車のように思考が鈍くなる。飴を多量に舐めてみればアドレナリン的なものでも出るのかと思ったのに、そんなこともない。白い飴の棒が僕の横に増えていくだけになった。幻太郎の言葉を借りると、「そんなに飴を食べたら糖尿になりますよ」ってやつくらい?糖尿ってのが僕にはよくわからないけど、幻太郎いわく「飴やら甘いものが食べられなくなりますよ」だって。それが本当に僕にもなるものなのかちょっぴり、ほんのちょっぴり興味はあったりする。だってね、人間の病気だよ?そんなものがこの僕の身体に起こり得るのか、ちょっと気になるよね。でもまあ数十本食べても相変わらず頭の奥は鈍い感じがそのまんまあるし、糖尿がどんな病気か知らないけど、飴を食べてもなんら変わりはないし、まあ、うん。僕にはあまり意味がなさそう。ってことは多分、僕が今この薄暗い部屋でこんな分厚くて小難しい本を読んでいることは、この体にとっては、意味がないのかもしれない。
     服のデザインを考えることや、今までのことを思い出すのには造作ないし、人との会話だってまったく不自由はないのに、この古びた本を眺めているだけでじわじわと眠気が沸いてくる。
     どうやら僕の頭も体も、生きてゆくこと以外の情報の蓄えに向くようには作られていないらしい。まあそりゃそうだ、といえばそりゃそうだ。だって僕はあの愚かな戦争の、えーと、厳密には誰も死んでないけど、あの異常な独裁国家の支配する世界の理念のもとに、ごとりと世の中に落とされた操り人形ってとこだし、どれだけこの体が精巧でも、必要ない部分は作り込まれたりしないだろうから?僕が、生命について知りたい、なんて思う日が来ることを、あの女どもも、零だって知る由もなかったに違いない。あいつらにとっての僕の命は軽く、僕は、──今はもういないけど、そう、僕たちは、命は軽いものだと思ってずっと過ごしてきたんだから。命は玩具のように扱いやすくて壊れやすい。培養液に漬けていれば次々と作られる。だからそれらが失われることに対して、なんの感情も持たなかった。僕たち、が一人づつ、或いはたくさん突然壊れて廃棄されても、まあそれは仕方ないんだって、命なんだから、また作ればいいんだってね。子供が飽きたおもちゃを平気で捨てるように、僕の命はそういったものと同価値。それを悲しいとか、虚しいとか、怖いとか、そういうことは仕方ないんだって、そういう。
    「はは、の、たいな、いで、にんげん、は、そのとき、からすでに、うみに、つつまれ、て、いきて、いるよう、なもの、である」
    「すべてのいの、ちは、びょうどうに、とうとく、しかし、びょうどうに、しんで、ゆく───」
    薄っぺらすぎるページを指先でめくり、僕は動きづらい口を動かして読み上げた。
     海、とはなんだろう。
     何度か、資料で見たことはあった。雑誌でも、今回選ぶ衣装は海をコンセプトに、と言われたことはある。こんな感じで写真を撮ろうかと、これは昨シーズンのものなんですって渡された資料には、水着姿の可愛いオネーサンたちがキラッキラの太陽の光を浴びて白い砂浜を闊歩していた。そしてその先には広がる限りなく透明に近いブルー、あの空と海の境界が混ざる果てまで続くうつくしいブルー、これが海なんだって。こんなにうつくしいものが海なんだって。
    (いつか、帝統や幻太郎たちと行ってみたいな)
     そのとき僕はそう考えたはずだった。だけどその後、僕が二人を誘って海に行くことはなかった。だってさ、この体に刻まれた無骨なナンバリングとバーコードを、僕には二人に晒す勇気なんてなかった。僕がつくられたものだと知っても、僕をひとつの命として扱ってくれたふたりに、001と生体管理のためにつけられたバーコードを見せたくなかった。だってそうじゃない?人間と同じように柔らかに作られた僕の肌なのに、ほんとうは僕の体には幻太郎や帝統と同じ心臓もなくて、血も流れていなくて、タトゥーのように見えるこのナンバリングこそが僕の心臓であり、命の要なんだって晒すような、そんな無様なこと、できるわけなかった。
    「海かあ───…」
     僕の手にはもうヒプノシスマイクはない。帝統や、幻太郎も持っていない。あの僕を作り出した忌々しき独裁国家は崩壊した。僕にはもう抗う相手も憎む相手もいなくなってしまったし、僕の命ももう軽く扱われることもなくなって、どうやらジジイが中心になって、お偉いさんたちと交渉しただかなんだか、人としてのソンゲン、とやらを取り戻され、またあいつのお節介から僕の飴は大量生産が可能になった。
     あの日々の終わりは、僕の命を繋ぎとめ、そして、僕をこの目的のない世の中に放り出した。
     ──僕は、空白に放り出されたんだ。何もわからずに。
     元々何か目的のあったらしい幻太郎は、国家が崩壊した最後の日、小生の目的はこれでほとんど果たされました、ありがとうございます、乱数、帝統。と言ったきり、ほとんど表舞台に出てこなくなっちゃった。でも、この間はシブヤのビジョンや雑誌に「夢野幻太郎、連載開始」なんて出回っていたから、きっとどこかで生きているんだと思うけど、前は毎日そこらの喫茶店や、駅前のベンチに座っているのを見つけられたりもしたのに、最近は見つけることができない。それまでは、まあ少なかったけど、「手巻き寿司でも作りませんか」と訳のわからないメッセージが飛んでくることもあったのに、あの日以降幻太郎からはぱったりと連絡が来なくなっちゃった。そして僕からも連絡してない。
    だってさ、メッセージを打とうとすると
     ──『フリングポッセ、志を共にする刹那の友』
    って、僕の頭に流れるから。ねえ、これ、なんの呪いなのかな、自分で言っておいて。僕たちには堅い絆が存在したって、僕のクローンたちと戦った日、ボロボロになったあのラップバトルの日、確かに感じたはずなのに、僕は自分の発した言葉の呪いに動けなくなっちゃってる。
     だってあの日々は本当に刹那の日々だった。目まぐるしく、激しく、激動の毎日だった。僕はその波に乗っかって、すごーく楽しかった。最初はあいつらに言われるがままに、途中からは幻太郎や帝統たちとあいつらに向かって、そりゃあのときはしんどかったけど、楽しいの方がぜんぜん上だった。だけど、僕たち、ポッセだとか言って、本当に強い絆で結ばれたとか言って、それは本当に?僕の指が前みたいに「1時間後に僕の事務所にしゅーごーね!」なんて打てなくなったのは、本当は?どうして?
     帝統は、「げんたろー、乱数ぁ、俺ちょっと行ってくんな」と言って、あの国家が崩壊したあの日、いつもの様子で、でも僕たちと足並みを揃えなかった。女どもが蠢くあの城へ、帝統は何事もなかったかのように飄々として入って行った。それから連絡はとってない。帝統は元々連絡もつかないし野良猫みたいなやつだったけど、二週間に一度くらいはシブヤのどこかで誰かにご飯奢ってもらってるとことか、賭場にいたよって報告を聞いたりとか、時には事務所に「腹減ったあ」ってきたり、幻太郎がほぼパンツだけの帝統を連れてきたりしてたから、なんの心配もしてなかった。だけど今はパンツ一枚の帝統を連れてくる幻太郎もいないし、「なんか食わせてくれー」って泣きそうな顔で僕の事務所にやってくる帝統もいない。そしてやっぱり、僕の指は、帝統にも、メッセージを打てない。そして、帝統からも、なーんの連絡も、ない。
     ヒプノシスマイクがあの頃の僕らを繋いでいた、じゃあ、いま、フリングポッセじゃなくなった僕らの、ううん、僕の、生き、方、って、なん、だ?
    「…ぼくなんて、からっぽで、還る場所もない」
     体の中で渦巻いていた感情が、ぽたりと言葉になった。
     そう、だからちょっとだけ、僕が人間についての「生」を知れれば、僕が「いのち」を知れれば、ちょっとだけ、このどうしようもない空白も、うまく動かない指もどうにかなるんじゃないかって、こんなに鈍い頭を動かして、僕は本を読みにきた。この誰も来ないような古びた図書館の、さらに奥の方の、棚と棚の隙間に座り込んで、僕はいのちを知ろうとしている。
     目を落とした先にある古びた本にある一文字。僕は、スマートフォンを取り出した。かた、かた、と指先が震える。でも、僕は、ちょっとだけ唾を飲み込んで、唇をちょっと噛んで、舌にじんわり血の味がした気がして、そして、ゆっくりと指をスライドさせた。
    「───ねえ、海に行きたい」


    ■有栖川帝統
     今はすんげー退屈だ。死にそうなくらい。まー、そりゃそうだ。だって前の俺は死ぬと思ってここを逃げ出したんだしな。
     黒とピンクに塗りつぶされた廊下を足を引きずりながら歩く。此処に来てから、もう随分経ったように思う。数えることすら忘れた。ただ、すれ違う女が「帝統様、おはようございます」だの「帝統様、お疲れ様です」だの俺に敬礼してゆくことに慣れねえまま、時間だけが過ぎていた。俺に頭を下げ続ける連中のつむじを見ていたら、なんとなく昔のことをよく思い出すようになった。ポッセでいた頃には思い出すことなんてなかった真っ黒に塗りつぶされた、ソレ。
     何日も同じ服を着るなんてあり得なかったあの頃の俺。一人でふらふら出歩くことなんざ絶対に許されなかった俺。あの頃の俺は、がちごちに塗り固められた「俺」に捕まってた。シミひとつなく真っ白で首元まできっちり留められたシャツに、皺一筋さえないピンとアイロンのかけられたスラックスに、無駄に煌めくバッジのついた制服に、毎朝自分の足で歩くことすら許されない街並に、東方天の名にビビってヘラヘラ笑って擦り寄ってくる連中に、何もできねえでただそこにいるだけのガキの俺。指折りゃ数え切れねえほどうんざりするものが山の様にあった。どれもこれもみんな、殺したいほど嫌いで煩わしかった。
     だから、あの頃、一度だけ「おまえ死ねよ」って世話係ってやつに言ったことがある。けどそんなのはもちろんマジなもんじゃなかった。たまたまその日はイライラしてたんだ。テストの点がよくなくて、昼食がクソ不味くて、いつも遊んでる連中が遊べなくて、なんつーか、よくあるけど、ツイてない日だった。だからまあいつも俺に小言ばっかり言ってくる世話係をたまには困らせてやろうと思って言ってみたんだった。その世話係のことは、鬱陶しいやつだけど嫌いじゃなかった、たまたまその時俺の目の前にいたから言ってみただけだ。ガキの言うことなんだから「そんなことを言ってはいけませんよ」と注意されて終わりだと思ってた。確かにそいつは「帝統様、…これから、決して、私以外にそんなことは言わないでくださいね」とだけ言って、就寝時間にいつもみたいに「それではおやすみなさい」と言った。俺はなんも気にせず寝た。翌日もいつも通りの朝が来るもんだと思って。
     そしたら翌朝そいつは屋敷の屋根から飛び降りて大怪我してて──幸い一命は取り留めた、らしいけど──たくさんのやつがぎゃあぎゃあ騒ぐ中、俺だけがぼーぜんとそこに立ってて、騒いでる奴の中には絶対に、俺が昨日「お前死ねよ」って言ってたのを聞いてたやつもいたはずなのに、そうゆうやつは何も言わなくて、俺の方すら見なくて、すんげー顔して俯いてた。それ見て俺は、あん時、あーなんだよ、つまんねえの、って思ったんだ。
     人が大怪我してんのに、つまんねーの、って。
     動物とか植物だったら、環境に合わなきゃ死んでいくのに、俺はこんなにここが嫌だって思ってても、逃げ出してえって思ってても、腹も減るし、寝るし、こうやって人にひでえ怪我させたのに、俺は何もなくて、あー、もう、なんかさ、つまんなくなったんだ、ほんとに。人が死んでもそいつは誰にも、手えひとつ合わせてもらえねえのに、俺の首や手には生暖かくて柔らかい手がいっぱい伸びてきて「大丈夫ですよ」「ご安心ください」「帝統様は私たちが命に変えてもお守りしますよ」とかナントカ。お守りしますよ?お前がそうやって優しく囁いてる俺は、目の前で必死に喘いでいるそいつを手にかけたよーなモンなのに?───お前らが守ろうとしてんのはなんなんだよ。
     その日、俺は自室に閉じこもって一歩も外に出なかった。
     それからの俺は、家を飛び出すチャンスがくるその日まで、極力部屋に閉じこもった。磨かれた髪の毛から足の爪先を血が滲むまで削って、ツルツルの肌をガサガサにして、髪の毛を掻きむしって、そんなことになんの意味もねえのに、ただひたすらにそれを続けた。
     そしてあの家を飛び出したあの日、握りしめたなけなしの金で服を買ったんだ。人生で初めて飛び込んだ古着屋。踏み入れたことのない場所に足はギュッと固まって心臓はぐっと詰まってた。嗅いだことのない古臭い匂いと、同じものもなく決してピカピカでもない服がぎゅうぎゅうと息苦しそうにぎっちり詰められた店内を、今でもすげえ鮮明に覚えてる。
     グリーンのモッズコートに、白いパンツに、黒いカットソーにステッチの入った黒い靴。俺は大量にある服の中からそれを選んで、今思えば馬鹿らしいけど、すげえ鼻息荒くしてレジに行って、こいつら着て帰るんで、今着てるやつ捨ててもらっていいっすか、って震える声で言った。
     それまでは、爪の先に泥が溜まることなんてなく、数日風呂に入らず髪の毛がベタつくことも、野犬のような匂いがすることもなく、栄養の足りない手足の皮膚がむけて紫色になったりすることなんかもなく、もちろん誰かに金や食い物を恵んでもらうために地面に膝をつけることなんてなかった。
     けどさ、俺はすげえ楽しくて、そんで、
    「おお、いいぜ?こんなちっぽけな命、いくらでも賭けてやらあ」
     俺がだだっ広い世間を知ったあの頃、あいつらとヒプノシスマイクと会ったんだ。
     特徴的な起動音に、魂ごと吸い取られるんじゃねえかって思うほどの高揚感を俺にくれるヒプノシスマイク、そんで、なんか今まで見たことねえ世界を見せてくれそうな、面白そうじゃんってノリで乱数に誘われて結成したFlingPosse。最初は、嗚呼すげえ、生きてるって感じする、手も足も脳も心臓も内臓も惜しくねえ、全部がぶっ壊れてもいいんじゃねえかっていうくらいの世界が何度も見れるなら最高じゃねえか、って、毎日ギャンブルと、大なり小なりラップバトルを繰り返した。勝っても満たされない飢えと、病みつきになる勝利と敗北の味。何度、心臓が止まるんじゃねえかってほどの興奮を経験しただろうな、ぎゅうって、体の血管がぎゅうって縮んで、目の前がマトモに見えなくなって白くチカチカ点滅してよー、それでも手だけは賽子を振ろうとしやがるしマイクを起動して姿形さえ見えねえ相手に向かおうとする。そー、この感じ、幻太郎が言ってたのは、「いのちを燃やす」ってやつ。あの頃は、毎日いのちを燃やしてヒリヒリする空気をいつも感じてた。
     そんでさ、  
    「また全額スったの〜?そんな悪い子にはお仕置きが必要だねっ」
    「まったく、ここまでくると宇宙よりも広い心を持つ小生をもってしても、いい加減愛想もつきると言うもの。今日は一晩頭を冷やしなさい」
     俺のことをそんな風に笑いながら突き放すくせに、それでもマジでやばい時はどこからか現れて俺のギリギリの綱渡りを一緒に渡ってくれるあいつらがもうすげえ昔のことみたいだ。乱数も幻太郎も、何も言わずに俺を「有栖川帝統」って呼んで、受け入れたんだよな。昔俺を取り巻いてた連中なんかよりもあいつらはずっと俺のことを知ってて、いや、俺すらも知らなかった自分をどんどん見つけてくれてよ、俺に死にたいくらいの退屈なんて、欠片も思い出させなかったんだよな。
     とにかく、ほんとに、すげー楽しかったんだ。
     けど。そんなあいつらに、「俺、ちょっと行ってくんな」って言ったんだ、俺は。
     もう俺は有栖川帝統のはずなのに、俺を有栖川帝統にした全部をいったん置いて来たんだ。
    「帝統様」
    「………あ?」
    「お呼びです」
    「あー……」
     退屈な日はすぐに戻ってきた。本当はすぐあいつらのところに戻るつもりだったのに。国家転覆が起こったあの日も、遥か上から俺たちを無表情で見るあいつの目が気に入らなくて、俺の足はあいつのところに向かってた。乱数と幻太郎を置いてまで何してんだ、と言う気持ちと、あの女に何かひとつでも言ってやりたかった。けど、国家がひっくり返ろうと、あの女の地位が落ちようと、そうそう俺が簡単に面会することはできなかった。で、ようやくあの女に会えたのが今日だ。数えてみりゃあの日からだーいぶ経ってんだぜ。信じられねえよ。この間何やってたんだって、自分でも思い出せねえ。
    「帝統」
     今日、俺を部屋に呼んだ女──オフクロは、変わらず冷たくてムカつくくらい堂々としてやがった。もうヒプノシスマイクなんてもんに縛られなくてもよくなったはずの俺が目の前にいても、ちょっとも動じてなかった。俺が突然殴りかかってもおかしくねえのに、いつも隣に侍らせてる派手な女も下がらせて、俺の前に静かに座っていた。
    「最近はおとなしくしているようですね」
    「………」
     オフクロは淡々と言った。まだケツも青いガキの動向を確認するような口ぶりで。昔と何ひとつ変わりゃしねえ。いつもどこか遠くから俺を眺めて、目の動きひとつ変わらねえその能面みてえな顔で、ムカつくことだけをさらっと言う。
    「……俺は東方天じゃねえし、反逆者でもねえし、やることなんざねえよ」
     オフクロは何も言わない。そうだ、この女はいつも、俺が何を言っても何も言わなかった。その癖、その目で──それから、一振りすりゃ大量の人間を動かせるその手で、俺を静かに支配している。きっと、俺が此処に来る前から、いや、生まれてから今までずっと、本当の意味で俺の手がこの女から離れたことは一度もなかったんだろうな。今ですらきっと俺は手を離されてやしねえんだ。なんでかって?今俺はオフクロの前に立ってて、本当は言ってやりたいことが山程あったはずなのに、その言葉がうまく考えられねえから。昔からそうだ。「何か言いたいことがあるなら言いなさい」と言われて、なにか言ってやろうと思うのに、なにひとつ言葉にならない。それはきっとこの女のせいなんだ。あの、無機質な目にじっと見られると、言ってやりたい言葉全部が、崩されたパズルみたいにバラバラになって、俺から言葉を奪う。そう、奪われんだ。何もかもが全部。
    ──“俺“のことすら。
    「なんですか」
    「あ?」
    「私に言いたいことでもあるのではないですか」
    「……なんでだよ」
    「そんな顔をしていますから」
     っち、と反射的に舌打ちが出る。ああもう言葉にならないなら今までの分も含めて一発殴るか、なんて物騒なことが頭をよぎった時に、尻ポケットに入れたスマートフォンが震えた。オフクロを前に、無造作にスマートフォンに浮かんだ名前を見る。
    「───乱数?」


    ■夢野幻太郎
     ぼんやりと目が覚めて、ガリガリと頭を掻くとぱらぱらと零れ落ちるものが目の端に見えます。ああ、もう何日風呂に入っていないだろうか──帝統でもあるまいし。しかし無気力なこの体は腕も足も鉛がついたかの様にのろのろ動く他なく、ベッドから出ることすらできない。
     サイドテーブルに乗せた酒瓶はとうに空。そもそもあまり酒など飲めないくせに、半ば自棄になって煽ってしまったものだから既に空になって二日程経っていると言うのに体内からアルコールが抜けた気配はまったくない。そもそもこんなにアルコールに弱かったか、と思う。乱数や帝統に付き合って酒を煽っていた頃もあの二人に比べればとんと弱かったが、それでもこんなに動けなくなったことなどなかったはずだ。
    「二日酔いにはしじみの味噌汁がいいんだってよー」
     己では絶対に作らぬくせに、二日酔いで臥せっている小生にそう言っていた声を思い出す。あの頃、酒盛りは大概何故か小生の家で行われていて、夜通しどんちゃん騒ぎしながら酔い潰れることなどしょっちゅうだった。朝陽が襖を通して燦々と降り注ぐ頃、青い髪をもさもささせて雑魚寝していた畳から起き上がるなりしじみの味噌汁について語り出す男に、「しじみなんて事前準備も大変なんですよ」と小生は酒で焼けたガラガラの声で返していた。そうして「へー、そうなんだな」と呑気に相槌を打つ帝統の隣にいたはずのピンク髪の男の姿はその頃には既にないのが当然だった。酒への耐性が異常なあの男は、小生と帝統が酔い潰れて寝たあとにこっそり夜のシブヤへ抜け出たに違いなかった。思い返せば、そんな朝を何度も繰り返した。然し乍ら、酒で焼けた喉も、怠さで動かぬ体も、浮腫んで不格好な顔も手足も、朝起きて、熱湯を注いで作った味噌汁(勿論、しじみ無しです)と前日の晩から残って硬くなった白飯も、冷蔵庫にいつも鎮座している漬物と梅干しも、それらをばくばく遠慮なく飯を食う帝統も、「さあさあそろそろ小生は仕事なので出ていってください」と笑いながら追い出すことも、小生は存外気に入っていた。そしてそんなやりとりをしていると、まるでそれまでのことを見たかのように「やっほー起きた?」という乱数の軽快な電話が飛んできていた。「あなたのバケモノ並みの体力はどこから来るんですか」とやや嫌味を飛ばしても、「やだなー僕がお酒で体調崩すわけないじゃん⭐︎」という答えが返ってきて小生や帝統は苦笑いをして顔を見合わせたものだ。
     小生にとって、酒との付き合いとはそんなものだった。極々些細な日常の、それでいて騒がしく微笑ましい日常のごく一部だったのだ。
     しかし今はなんという体たらく。ちっぽけな瓶一つに収まる程度の酒に酩酊し、動く気力を失い、飯はおろか風呂さえまともに入れない。顎に触れれば、ざり、という感触が指先を擽る。そういえば髭を最後に剃ったのもいつでしょうか。
    「流石にそろそろ…」
     気怠い身体をゆっくり動かし、手足をぐぐと伸ばす。のそりと頭を持ち上げれば、ふと酒瓶に映った己の顔が見え、あまりの酷い顔に寧ろ笑えさえしてくる。目の下に色濃くつくられた深い隈に、無造作に生えた髭。ややべたつき始めた髪にパラパラと溢れる頭垢に…、そこには汚れ疲れ切った男の顔が一つあるのみで、かつては雪解けの滴のごとき御尊顔、などと称された顔の面影など微塵もない。
     ──皆が見ていた夢野幻太郎など、何処にもない。
     乱数や帝統と会わなくなって暫く、最初こそ少しはホッとした。ああこれでもう、小生の役割は終わったのだと、目的は果たされたのだと、もうこれ以上嘘を重ねなくても良いのだと、ほっと胸を撫で下ろすような気持ちで。あの時、ずぅっと抱えていた鉛のようなそれを一気にぱっと手放せた開放感から、小生の目的はこれでほとんど果たされました、ありがとうございます、乱数、帝統。などと宣って、二人の側をそっと離れてきた。なんといっても小生たちは、FlingPosseですから──、そんな理屈を無理やり心に貼り付けて。
     画面が真っ暗に落ちたままのスマートフォンはもうぴくりとも動かない?元々これを煩く鳴らしていたのは約二名のみだったのだからもう使い道などほとんどないのです。そう、意味はないのだけれども、なんなのだろう、この虚無感は。全て役割は終えたというのに、この無価値で無意味な時間に酒を煽り、身の回りも整えられぬほどに堕落した小生は、いまこの現状は、本当に望んだものなのか?
    乱数や帝統の姿も、現在のシブヤでは殆ど見かけることはない。時折人目を避けるように外出しても、以前はあちこちにあったFLingPosse応援中!の看板が消え、「乱数ちゃーん!」と黄色い声が飛び交う中心にいた乱数の姿は消え、公園のベンチで新聞一枚引っ掛けて眠る帝統の姿も見当たらない。あの日、帝統は「ちょっと行ってくらあ」と言ってから姿を消しましたが、今までのことを考えればあらかた想像は難くなく──乱数はどこに行ったのだろう。でも、あの、シンジュクの医者が乱数の延命のために奔走したと風の噂で聞いた。小生たちでは成し得なかったことを、彼はやり遂げてくれた。そのおかげで、その姿を見ることはなくとも、乱数のブランドが新作を出しているのを見れば彼が元気で過ごしているのだろう、と想像するに足るだけの情報にはなった。
    ──乱数と、帝統が、かたちはかわったとしても、このシブヤの、いや、この世界のどこかで生きているのなら。
    手放してしまった小生に、それ以上を知り求める権利などあるものか。
    「ああ…充電しなければ」
    真っ黒な画面を維持したスマートフォンを手に取る。どれだけ自堕落していても、息をして目を開く限り腹は減り、金は必要になる。このひどく冷たく無機質な物体も、生きてゆく上では欠かせない。充電ケーブルを差して暫く、ヴーッヴーッ、とそれが震えた。
    「…はい、夢野です」
    「っあー!夢野先生?!やっと繋がった!死んだかと思いました!あと一日繋がらなかったら捜索願いを出すところでしたよ!」
    「大袈裟な。…ちょっと充電を忘れていたもので」
    「いやいやいや…大袈裟にもなりますよ!だって、勝手にお引越しもされましたよね?!」
    「ああ…そういえばお知らせしていませんでしたね、それは申し訳ありませんでした」
     話しながら部屋をくるりと見渡す。部屋の隅に数個だけ積まれた段ボール。殆どの荷物は以前住んでいた一軒家に置いてきてしまった。調理器具も、執筆道具も、家具も、衣服も、ほぼすべて。
    「なんで引っ越しちゃったんですか?すごくいい家でしたのに」
    「…特に意味はありません。もうあちこち古くなっていましたし、あの家は一人では広すぎて維持も大変でしたので」
    「そうなんですか…でしたらあとで新住所を教えてくださいね!ああ、それであと連載の原稿の件なのですが」
     担当の声を聞きながら、ええ、もう連絡はつくようにしておきますから、とええ、わかりました、今度こそ、ええ…と何度か相槌と愛想笑いを返し、通話終了の赤いボタンを押した。
    ──夢野幻太郎。
    ──誕生日、四月一日。
    ──職業、作家。
    ──一人称、小生(他、多岐にわたる)
    ──書生服を好む。
     この現代に、こんな素っ頓狂な男がまともな精神でいると思われるものだろうか。とはいえ、ヒプノシスマイクなどと、まるで魔法で麻薬のようなものが一世を風靡した世の中であるからこそこんな男でも世に溶け込めたのかもしれない。
     それに、そんな男だからこそ舞台に立ち、人目を一身に浴びることができたのだ。FlingPosseに誘われたのは慮外であったものの、それもまあ結果としてはとても良かった。こんなキャラを演じるのであれば、それ相応の見返りがなければ意味がない。目立つ服装をして、目立つ言葉遣いをして、奇人変人を装い、目立つ連中と目立つことをする──。
     すべては、彼のために。
     だがそれも、もう終わってしまった。呆気ないほど呆気なく。国家が転覆したあの日に、乱数と帝統に首を垂れたあの日に、皮を被った夢野幻太郎はそこで幕を閉じた。はずだ。
     然しだ。いま小生はこんなにも小汚い格好で酒を飲み、過去に思いを馳せ、あの家から逃げ出し、こんなところで管を巻いている。夢野幻太郎という名を捨てきれず、染み付いた習性も手放せず、いったい、いったい、
    「……おれは、これから、どこで生きればいい…?」
     まったくもって、情け無い。
     スマートフォンを握りしめた手がぶるぶると震え、胸の奥から熱がぐぐぐと迫り上がる。その熱は首から上を侵略し、双眸からぼたぼたと涙を滴らせる。口から漏れ出るのはかろうじて喉から絞った掠れた声のみだ。
     夢野幻太郎を喪い、FlingPosseを手放し、残ったのは残火のような小さな自我と、唯一夢野幻太郎としての繋がりのあるこのスマートフォンだけだ。
    「おしえて………おれの…」
     ぎゅうと握りしめて誰に聞かせるでもなく声を漏らす。この感情を、身体の内側に閉じ込めることなどできそうになかった。こんなことなら、酒で朦朧としていた頭のままの方が良かった。
     暫し、子供のようにしくしくと嗚咽を漏らしながらひとしきり泣いたあと、ふとスマートフォンの画面が点滅していることに気がついた。そして視界を掠めたその文字に、思わずがばと起き上がり、両手でキツく握りしめていた。
    「ら、らむだ?」

     
    ■Fling Posse
    「な─────んも、ないね!」
    「……海ですからね。一体海に何を求めてきたんですか、貴方は」
    「お───、すげえ、でっけえ!」
     シブヤから車で125分。
     乱数が「近場のキタナイ海より、ちょっと綺麗な海がいいよねっ」と言い出したが故に、乱数、帝統、幻太郎の三人は、幻太郎の借りてきた小さめの黄色い車に体をぎゅむと押し込んで125分間、他愛のない話や菓子やジュースやトランプを飛び交わせて道中を進んだ。変化した髪色に、今まで頑なに隠していた肌をすっかり露出して特徴的な数字が見え隠れしている乱数であるとか、髪を短くして、いつも色褪せていた服が新品のように綺麗になってしまった帝統であるとか、重そうな書生服をすっかり脱いでラフな姿になってしまった幻太郎であるとか、互いに見えた変化を、三人は全く気にも留めぬ様子で過ごした。「着きましたよ」と幻太郎が疲れの滲む声で助手席と後部座席に声をかけた頃には、帝統はすっかり眠っており、乱数は窓越しに見える海を、まるで幼い子供がはじめて何かを見るかのような真っ直ぐな目でじいっと眺めていた。
    「駐車場からやや歩きますが」
     幻太郎に促されて三人が車から降りた頃には、空はやや青みがかっている頃だった。それもそうだ。乱数が指定してきた時間は昼過ぎで、そこから二時間弱もかけて車でやってきたのだから。駐車場から続くアスファルトがやがて柔らかな砂に変わる頃、空は灰色と群青が混ざり合ったような色としんとした静寂を生み出していた。三人が乗ってきた車の鮮やかな黄色が、静寂の色に静かに浮かんでいる。
    「……静かだね」
    「いいんじゃね?俺らしかいねえし」
    「ええ」
     さらりとした砂が三人の足元に絡んでは流れてゆく。さくさく、とあてもなく歩く。誰一人口を開かず、ただ視線を海に流し続けた。黒ずんでゆく海は、昼間の青が広がる美しい海とは違った不気味な美しさがあった。乱数の、白く染められた髪が儚い灯りのようにゆらりと消える。
     やがて乱数は、静寂をゆっくりと破った。 
    「…ねえ、だいす、げんたろ」
    「おう」
    「はい」
     乱数の口が開くのを待っていたかのように、幻太郎と帝統が、短く、それでもはっきりと相槌を打つ。ひんやりとした海風が乱数の服の袖を攫い、乱数は俯いて腕を突き上げた。その首にはくっきりと001と刻まれたナンバーが現れる。へへ、と二人を振り向きながら乱数が笑う。
    「これ、さ──、初めて見るよね?二人とも」
     帝統と幻太郎は小さな乱数の笑にも何も応えない。波が寄せて返す音が、三人の間を通り抜ける。乱数は静かに続けた。
    「僕の心臓」
    「別にそんなの今更──って感じかもだけど、二人にはずっと見せられなくて、ごめんね」
    「今までは、…ヒプノシスマイクがある頃は、それなりにやることも目的もあったのに、ぜーんぶなくなって、ポッセも何もかも無くなって、そしたら僕はなんだろー、ってさ───」
    「人間のふりだけして生きてきて、最初はあいつらに、最後は帝統や幻太郎に此処までくる理由をつくってもらって、…でもぜーんぶなくなったら、俺ってどう生きていったらいいんだろーって」
    「馬鹿みたい」
    「二人がいなくなったら、わかんなくなっちゃった」
    「…………本にね、海はすべての命のゲンリュウなんだって、書いてあってさ」
    「正直難しいしよくわかんないな、って思ったんだけど、生きてかなきゃいけないし…?」
    「生きる、とか、いのちとか、そうゆうの、二人と探しにきたかったんだ」
     辿々しく、ポツポツと。
     ゆっくり時間をかけて、乱数は言葉を吐き出した。幻太郎と帝統は、乱数がポツポツと話している間、乱数の華奢で白い肌に刻まれたナンバリングをじっと眺めていた。確かに乱数が肌を露出することは珍しい。確かに二人が覚えている乱数というのは夏でも袖の長い服を着ていたが、そんな理由があるとは驚きであった。とはいえ驚いたのみだ。たとえその無骨に刻まれた番号が乱数の心臓だとして、一体なんの違いがあるというのだろう。血液を循環させ、体を躍動させる役目のものが、心臓という名で、心臓と呼ばれるものの形でなければいけない理由など何処にもない。
    「でも、な───んにも。ないね。海。本にはあんなに難しいこと、たくさん書いてあったのに。此処にきたら、命って何かわかるかと思ったのに」
     乱数は息を吐く。海に来たらうまく話すつもりであった。と、いうよりも、うまく話せるであろうと踏んでいた。本では見つかりきらなかった答えも、来ればインスピレーションのように何かを理解して答えが降って湧いてくるのではないかと漠然と考えていた。昼間は美しく輝く海、夜は昏く世界を覆わんとする海、その広大さと奥深さに。
     しかし。
    「……そんなもんだよ」
     乱数の言葉に被せるように呟いたのは幻太郎だった。低く、抑揚の無い声に乱数が目を見開き、帝統も、ん、とも言いたげに顔を上げる。しかし、幻太郎の、いつもとは見慣れぬ姿と話し方に二人が戸惑いを見せたのは一瞬だった。幻太郎は二人の方を見ないまま、二人よりやや足早に前に出た。それから、ぽつぽつと零し始めた。さらり、と流れる砂をスニーカーで掬い上げては蹴りながら、幻太郎が低く小さい声で続ける。
     「そんなもんだよ、乱数。……この世界では、物事の意味合いすべてに人間が大仰な理由をつけがちだが、正解も、答えも、何処にも用意されてやしないんだ」
    「生きるってのは美化されがちだが、そんな大層なことじゃない。……俺たちが、勝手に大層な理由をつけて苦しんでるだけだ。人間のエゴだよ」
    「………だから、乱数」
     幻太郎がそこまで言ったところで「待った!」と声を荒げたのは帝統だった。短く切られた青髪が風に靡き、サイコロがチリ、と音を立てる。
    「帝統」
    「乱数の言ってることはよくわかんねえし、幻太郎の言ってることも難しくてわかんねえけどさ───」
     帝統がにやにやと笑う。その笑みは何かを確信したような顔で、とても『よくわかんねえ』という顔ではない。同じ体躯の幻太郎の肩に手を置き、その横に肩を並べると、へへへと笑ってみせる。じゃあ、続きは帝統に任せようかな、と幻太郎が目を伏せがちなままに口元に笑みを浮かべると、おうよ、と言ってから、幻太郎、お前そんな喋り方するやつだっけ?と付け加えた。今更なんだ、と幻太郎が返す。
    「それはいーとしてよー、乱数、おまえ」
    「そんなに俺たちに会いたかったか」
    「……っえ」
     帝統から放たれた言葉に、乱数がきょとん、と立ち尽くす。足を止めた乱数の顔を、帝統と幻太郎が覗き込んだ。乱数が顔を上げると、口端を上げて笑う帝統と、口元に優しげな笑みを浮かべる幻太郎と目線が静かに重なった。
    「生きてりゃ誰かに会いたくなるなんてフツーだし、そんなんに理由はいらねえんだって」
    「そう、会うことひとつにすら、命だなんて──大袈裟な理由がないと会えないなんて、乱数はすっかり人間臭くなったもんだ」
     空と海の色が重なって深い群青色になった視界の中で、躑躅色の目と、鮮やかな緑色の目が交互に乱数を覗き込んでいる。ざ、と波の音が耳を打ち、乱数はぎゅ、と拳を握った。
    「……僕、二人に会いたかったの?」
    「だろ?」
    「そうだよ」
     乱数は、握った拳を小さく震わせた。そして、ようく見れば、己を覗き込んでいるうちの一つの目が、僅かに揺れていることに気がついた。
    「…幻太郎?泣いてる?」
    「泣いてる?…はは、そうかもしれない。偉そうなことを言ったけど、俺もただ単に二人に会いたかった。ぐだぐだと大層な理由をつけて考えて…だから、乱数、声をかけてくれて感謝してるんだ。本当に。──本当に」
     はは、と乾いた笑いとともに幻太郎の目が揺れる。気がつけば、乱数より大きいその体躯を折り曲げて、幻太郎が乱数の肩を抱いていた。それにつられるように屈んだ帝統も、へへ、と言った。
    「俺も、お前らじゃねえと生きてる、って感じがしねえから、乱数、またお前が呼んでくれてすげー嬉しかったぜ」
     そう言ってふにゃりと笑う帝統に、なーに、幻太郎ってそんなにかっこよかった?それに、何それ、かわいいね帝統、と乱数は声を詰まらせる。
    「……あ、りがと、ふたりとも……」
     それ以上は誰も言葉にしなかった。

    黄色い車が、海と空と地面が溶け合う中にぼんやりと浮かんでいる。かつて三人を象徴したグループの、かつて一世を風靡したグループのその色。FlingPosse。──志を共にする刹那の友。かつては、そう名付けたグループに在籍していた。グループの仲間だと大手を振って歩いていた。
     しかしそれは今日からはゆっくりと形を変えて、道が外れてゆく。そして、形を変える。海が常に変化するように、凪のように穏やかに揺れて命を育み包み込む日や、荒くれ者となって命を飲み込むこともあるように、三人もまた、形を変えるのだ。
     この道の先に。
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    JLqgn8

    PASTぽっせアンソロジー「海風に踊らせて」に
    寄稿したものです。カプ要素はありません。

    三人がバラバラになった未来のお話です。
    限りなく透明に近いブルー■飴村乱数
    「すべ、ての、いの、ちは」
    「うみ、から、うま…れる」
    「せい、めいの、ゲンリュウ、とも、いわれ、ます」
    「よう、すいは、うみ、のせいぶん、とおなじ、と、いわれて、おり……」
    「にんげん、は、うみで、うまれ、はぐくまれ、そ、して、また、うみに、かえ、る…」
    自分の口が静かに紡ぐ言葉の、あまりのスローさに溜息しか出ない。
    ──まったく、どうなってんの、ぼくの頭。こんなにバカだったっけ?
    僕は頭を揺らし叩いてみたが、目の前の文字がスムーズに目と頭に入らずに、口に乗せるまでに矢鱈と時間がかかってしまう。
    溜息。
    普段人との会話に困ったことなんてないのに、こうした小難しい文章を読むには脳の処理速度が遅くなるのか、時々錆びついた歯車のように思考が鈍くなる。飴を多量に舐めてみればアドレナリン的なものでも出るのかと思ったのに、そんなこともない。白い飴の棒が僕の横に増えていくだけになった。幻太郎の言葉を借りると、「そんなに飴を食べたら糖尿になりますよ」ってやつくらい?糖尿ってのが僕にはよくわからないけど、幻太郎いわく「飴やら甘いものが食べられなくなりますよ」だって。それが本当に僕にもなるものなのかちょっぴり、ほんのちょっぴり興味はあったりする。だってね、人間の病気だよ?そんなものがこの僕の身体に起こり得るのか、ちょっと気になるよね。でもまあ数十本食べても相変わらず頭の奥は鈍い感じがそのまんまあるし、糖尿がどんな病気か知らないけど、飴を食べてもなんら変わりはないし、まあ、うん。僕にはあまり意味がなさそう。ってことは多分、僕が今この薄暗い部屋でこんな分厚くて小難しい本を読んでいることは、この体にとっては、意味がないのかもしれない。
    15601

    JLqgn8

    DONEシリーズになる予定です。
    ぽっせの3人が出会うまでの過去の其々。
    捏造過多です。1年ほど前から構想しているので
    本編とずれています。

    こにらは夢野幻太郎のお話です。
    直接描写はありませんが、モブ幻があります。
    ご注意ください。
    夢野幻太郎の話 あの頃、学校で独りでいることは然程苦痛ではなくて、寧ろ教室の片隅で呆然と彼の事を考えながら次はどんな嘘で楽しませようかと考えている方がずっと楽だった。たとえば、休み時間にボールのように飛び出していくクラスメイトを見ながら、あいつはどんな風に家を過ごすのかを考える。育ちのいい母親はちょっと世間知らずで箱入り娘、我が子にも呆れられるほどのお嬢様ぶり。父親はそんな母親にベタ惚れで子供はそんな両親を疎ましいと思いつつもいつかは密かに思いを寄せるあの少女と両親のような夫婦になれたらと思っている……。
     そんな風に、僕にとって所謂孤独と呼ばれている時間は、無限にある自由時間に過ぎなかった。ひとつ僕を悩ませるものといえば、高齢である両親のことくらい。彼らは僕が学校で独りでいることをずっと気にかけていたので、僕はふたりに学校生活のことをほとんど話さなかった。掃除用具入れに突っ込まれて鍵をかけられたとか、給食に虫を混ぜられたなどと言ったら、恐らくは卒倒してしまうであろう姿が容易に想像できたものだから、僕はじっと黙っていた。プライドが許さないとかそう言うことではなく、僕はしわくちゃの顔をもっとくちゃくちゃにしてさめざめと泣くだろうあの顔を見たくなかったのだ。だから、僕は笑っていればいいのではないかと思い始めた。それからなんとなく何をされても笑うようにし始めたら、水をかけられた時タオルを貸してくれる女子や、教科書を破かれて途方に暮れていたら隣り合った机の境界線から少しはみ出すようにして教科書を差し出してくれる奴が出始めた。
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