卵焼きを出し巻きにすればよかったなと、思った.
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「ねぇ司くん。えっち、したいんだけど」
大変よく晴れた青空の下、冬には珍しい温かい太陽光を浴びながら、オレの隣で目をきゅるんと丸く、うるうるさせているのは恋人の神代類という者。そいつの突如すぎる一言で、オレはランチのおかずである唐揚げで、思いっきり喉を詰まらせてしまう所だった。
何とか、ごく普通な平日の今日が命日になってしまわないよう、かじった唐揚げを頑張って飲み下し、ジュースをゴクゴク通し、喉をすっきりさせてようやく、返事ができるようになった。
「ケホッ……おまえ……お前はまたいきなり何を言い出すんだ! ランチタイムに言うことではなくないか!?」
「僕はもう食べてしまったからねぇ」
「ああそうだな! オレの三つしかない唐揚げのうち二個をサンドイッチの食パンに挟んでな! にこにこと嬉しそうに食べたのを見届けたから知っているぞ!!」
「美味しかったよ、ご馳走様」
「それはどうも……ってそうではなくてだな」
はあ、と溜息をついて、二度とさっきのような緊急事態にならないよう、とりあえずオレはランチボックスと箸を置いた。目線を類に合わせば、ガラス玉のように透き通る瞳に吸いつけられてしまいそうになるが、じぃと見つめても、オレに見えるのはせいぜい瞳孔の裏にある月色の虹彩ぐらいで、更に奥に潜まれたものも、さっきのセリフの真意もわからない。これでもオレたちは付き合って二ヶ月は経つのだが。
しかしわからないなりに、どうにか推測する術はある。経験則だ。サプライズと刺激を求める性格なのか、毎度違うタイミングで先手を打たれてしまいこうして動揺してしまうが、いざ冷静になって分析すればどうってことない。
「お前もしや……オレが断るのをわかって、本当にやりたいことを後出ししようと考えているな。また」
「おや、学習されてしまったかい」
「流石にな。言え、本当は何がしたいんだ」
「キス」
「あ?」
「キス、したいな。今、ここで」
ドラマチックに風がざあ、と吹いたが、その真剣そうなイントネーションや、蜜でも滴るような甘い表情にドキドキした、というよりも、その手口を熟知していても尚、それなら、と許してしまいそうな自分が悔しくてぐぬ、と少し気が立ってきた。
「……ランチの後じゃだめなのか? 今口の中唐揚げの味しかないぞ」
「それは僕も似たようなものだから、別に構わないよ」
「……理由ぐらい聞いてもいいか?」
「? それは、キスをしたい理由かい?」
再びその動詞が、猫のような悪戯っぽい口からこぼれて、それからふむ、と類が指を唇に当てたのを眺めていたら、思わず喉を鳴らした。その一連の仕草が一体計算の結果なのか、自然に出たものなのか……どちらにしても、見ていると心臓に悪いものがあるからできればやめてほしい。
「司くんにキスしたくなるのに、特に理由はいらないと思わないかい?」
は? なんだそれ、と、オレが口を開いて反論しようとしたら、OKも出していないのに、出かかった言葉は我慢の一つもできない悪戯猫にあっさりと食われてしまった。
「んぅ……っ」
さっきまで唐揚げの味に包まれていた舌なのに、どうしたものか、類に執拗に舐められていたら、じわじわと口の中は甘くなっていく。オレが見ていない間にラムネでも食べたのか?
「ふ、んっ……」
口を閉じれず、余分な唾液を飲み込む余裕もなく、オレの口からこぼれそうな液体を、ぢゅる、少しはしたない音を立てながら、類が吸い取っていく。はあ、と一息だけ吸えて、これで満足かと離れようとしたが、それに気付いた類の大きな手に後頭部を押さえられ、口と共に逃げ道も塞がれてしまった。
「んんぅっ!」
オレの息継ぎが下手なのか、いや、きっとこいつがわざと隙を与えてくれないからだ。類のペースに飲まれないよう追いつくのが精一杯なオレは、目を薄く開けてみても、前がぼんやりとよく見えなくなってきた。少し骨ばった指でうなじをすぅ、と撫でられたら、そこから肩の力が抜けてしまった。
「ふっ、はぅっ、」
意識までぼんやりしてきた頃、生きるための本能がようやく働いたオレが、この獣を残存の力で押し退けようとしたのと同時に、そのギリギリを見計らったかのように、類はオレを解放した。
「は、はあ、はぁっ、はあぁ、っ、んくっ、はあ、」
「ふふ、ご馳走様」
「はぁ、は、ば、っ、ばかるい……!」
へなへなのパンチを見舞ってやったが、何ともないように口元をぺろっと舐めながら類はまたにこにことしていて、実に腹が立つ。……のに、力が入らないオレが倒れてしまわないよう、引き続き支えてくれている腕を、オレは優しいと思ってしまったのだから、多分一生こいつの思うがままだろう。
……それでもせめて、食べかけのランチが、この後どう食べても甘口に感じてしまった責任ぐらいは取ってもらおうか。今夜にでも。