一生懸命作ったのに前日に喧嘩して渡せないチョコ「司くん、明日は何時からチョコ作ろうか」
月が高く登った時間、小さなアパートの一室の中、類の腕の中に収まりながら二人でソファに沈んでると、ふと頭の上からそう問いかけられた。
今年は、というのは、こうして一緒に住むようになってから、毎年バレンタインの日に一緒にチョコを作っては一緒に食べていたからだ。
一緒に作るのは楽しい。オレは元より料理やお菓子作りは得意なほうだし、類も、上手とまではいかないながらも、面白いアイデアを提供してくれる。行事になりつつあるが、飽きることはなく、この恒例行事をやめようとも思わない。
だが、今年の類は2月初頭から、舞台装置に関する大きな仕事に追われていた。バレンタイン前日となった今日も、遅くまで部屋に引き篭っていたぐらいだ。オレがもう寝ようと思った頃にようやく、足を引きずるように部屋から出てきては、「癒して」と問答無用にオレを抱き枕のように抱えてはリビングのソファに腰を掛け、今の状態に至った。
もぞもぞと体勢を調整し、類の顔を見る。元から血色が人より少ない肌に、目の下の隈を加えると、不健康で今にも倒れそうだ。(実際、過去にも何回か倒れていた。)類のことだから、明日は仕事は休みと想定してスケジュールを組んであるだろう。なら、たっぷり休んでもらおうと、チョコは数日前に、類のいないところを狙って、一人で作っておいた。あとは、明日サプライズとして類に渡して、食べてもらうだけ。
「……今年は、一緒には作らないぞ」
「え」
ばっ、と離されて、真っ直ぐ合うようになった類の目には驚きに満ちていた。無理もない。オレも事前に相談するかと考えたが、なかなかに話し合う時間もないほど、類の仕事も、オレの仕事も忙しかった。
「明日は休みにしてあるだろう? 一日ゆっくり寝ててくれ」
「なんで」
「何でも何も……お前、自分のこの隈を見てみろ。体壊してしまうぞ」
言いながら親指で類の目の下をマッサージでもしようと思ったが、少し撫でただけで止められた。
「壊さないけど?」
「前科あるやつが何を言う。いいから休め」
「いやだ。チョコ作る」
「作らない」
「なんで!!」
「お前本当に疲れてるだろう」
目の前の成人済み百八十センチもある大男が、駄々をこねる子供に見えてきた。そこが類の可愛い所の一つでもあるが、今は本当になるべく休んでほしい。あやすように頭を撫でようと手を伸ばしたら、ぺちっ、と振り払われた。
「っ」
「子ども扱いしないで。僕の体のことは僕がちゃんとわかってるよ」
「部屋の中で二回も倒れたやつはわかってるとは言えないぞ」
「あれは床で寝落ちただけさ、前も言ったはずだけど?」
「自分の意思と関係なく寝落ちたことを人間は倒れたと言うんだ」
「ああ言えばこう言う!!」
「それはこっちのセリフだが!?」
「どうせ司くんは、っ、……もういい。作業に戻る」
「お、おい、少しは寝ろって……」
話を途中でやめた類はそう言い捨て、ソファから立ち上がってはまた部屋へするりと戻っていった。一人分の重力をなくしたソファの反力に乗ってオレも後を追おうとしたが、振り返った頃にはもうドアもバタンッと閉まり、加えてガチャリと鍵をかけられた音が聞こえた。
「……怒らせてしまった……」
やはり何とかしてても時間を作って事前に相談すればよかった。なんて、今更後悔してもどうにもならない。勝手に二人の恒例行事を変えたのはオレだから、怒られて当然とも言える。それより、また部屋に引き篭った類が心配だ。さっきもだいぶフラついていたが、今日も夜更かしたり徹夜を重ねたら、また……
「……類? なあ、」
諦めずにドア前で呼びかけてみるが、類の声の代わりに、ドリルのような工具の音が鳴り始めた。……今は一人にして、といった所か。
「む……」
幸い、家の中にいるんだ。何があってもすぐに対応できる。……いや、何もないがいいが。万一の時に備えようと、オレは部屋から枕と布団を取り出し、ソファを寝床に変えた。
部屋は隣同士だから普通に寝てても気付くかもしれないが、オレはベッドから落ちても朝までぐっすり寝てしまうタイプだから、油断はならん。ソファなら深い眠りにはならないだろうから、物音がすればすぐに気付くだろう。そう思いながら、ソファと布団の間に潜りこむ。
「……バレンタイン前に、何してるんだろう、オレ」
あの様子じゃ、類も楽しみにしていたであろう。もしかすると、何も変えずに今まで通り、のほうがよかったかもしれない。気遣いのつもりが、オレとしたことが、逆に悲しませてしまった……
左手に少し見える類の部屋のドアは閉まったままで、布団に入ったのに、何故か体が温まらない気がした。
朝になったら用意したチョコを渡し、もし納得してもらえなかったら、もう一度材料を買ってきて、簡単なものでも二人で……
頭を使ったらエネルギーを更に消耗したのか、睡魔に勝てず眠りに落ちたオレが次に目を覚ましたのは朝の七時頃。
静かになった類の部屋をノックしても返事がなく、慌てて予備の鍵で開けてみると、中にも、そして家のどこにも、類の姿はなく、電話をかけたり、メッセージを送っても反応も既読もつかなかった。
◇
「わたしがちょうど休みじゃなかったらどうしてたわけ?」
「毎年必ずえむくんとどこかへ出かけてるから、その可能性は思いつかなかったよ」
「知ってるなら呼び出さないで。十時に待ち合わせている上にまだ何も身支度でいてないんだから、惚気なら五分以内に済ませて。」
実家の近くにあるコンビニのイートインに、僕と寧々がいる。礼儀として、朝から営業している喫茶店に誘ったけれど、予定があるからとコンビニに変更された。
「まだ七時前だしせめて十五分ぐらいほしいな」
「帰る」
「待っっっって今言うから」
ピキッと寧々の白い額に血管が浮かび上がりそうな気がして急いで宥めて何とか座りなおしてもらった。イートインスペースを利用するために適当に掴んだ缶を開けて一口飲んでみたら、ブラックコーヒーで噎せかけてしまった。
「はぁ……今度はなにがあったの」
「今まで毎年二人でチョコ作ってきたんだけど、急に今年は作らないから寝ろと言われたんだ……」
「司が正しい。終了。帰る」
「待っっっっって」
あと三分はあるよ!?
「僕が悪いのはわかってるんだ。でもあまりに急な話だったし、僕も今日をずっとずっと楽しみにしてたから、昨夜冷たい態度を取ってしまったんだよね……」
「はあ。謝ればいいんじゃない?」
そんな簡単なことでわたしは呼び出されたの? と言うような寧々の目が刺さってとても痛い。
「そ、そのつもりではあるんだ。でもなら折角のバレンタインだから、何かプレゼントも添えたほうがいいんじゃないかと思ってね」
「そのプレゼントを一分間以内に一緒に選べってこと?」
「延長をお願いしたいな」
「もう……類って頭いいのに司のことになると馬鹿になるよね」
「え? 自覚はなくはないけれど……」
「あるんだ」
僕が奢ったグレープフルーツジュースをじゅこ、と一口啜った寧々は、さっきからちょこちょこと横目で覗いていた、机に置かれてるスマートフォンを手に取って見せてきた。
画面には「天馬司」と大きく書かれていて、スワイプを催促するようにエフェクトが忙しなく動いている。
「えっ、何で寧々に……あ」
自分に掛ければいいのにと思って紫ケースのスマートフォンを取り出し、ロックを解除しようとしたが、黒画面以外表示されない。
「だから言ったでしょ。もしもし司?る……」
『寧々!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 類の居場所を知らないか!!!!!!!!!!?』
「うるっさ……!!」
朝の静かな店内に響き渡る司くんの声の直後、ピッと通話を切った寧々は音量を最小にしてから、すぐ再度掛けられてきた電話に出た。
『何故切るんだ!!』
それでも、スピーカーじゃないのに、僕までよく聞こえる彼の声が愛しくて、ついふふって笑ったら、寧々に睨まれた。
「うるさい。類ならここにいる。実家の向こうの辺りにあるコンビニ。二階。わたしはもう帰るから。じゃ」
重要なことだけをこれでもかというぐらい簡潔に伝えた寧々は、言葉が終わると同時に再び通話を切った。
「え、もう帰ってしまうのかい」
「時間がないと言ったでしょ。司がくるまでに自分をラッピングしておいて」
睡眠不足の頭が寧々の残したなぞなぞを解いた頃、ちょうど息を切らした司くんも到着した。
「る、るい……!!はぁ、るい……!!」
「つかさくんっ」
両腕を広げたら、司くんが飛び込んでくれた。僕達の家からここまで全速力で走ってきたのか、髪の毛も乱れて、額に汗が流れていて、僕が支えないと、へなへなと床に座り込んでしまいそうだ。けれど、背中に回してくれた手だけは、ぎゅっと強く掴んでくれている。
「……心配、かけてごめんね」
「はぁ、はぁ……ほん……本当にそれだぞ……っ、出かけるなら、書き置き、ぐらい、しろ……!!」
「す、すまないね、まさかスマホのバッテリーが切れていたなんて……」
少し落着いた彼を隣に座らせようと、肩をぽんぽん、合図を送るが、珍しく拒否されてしまい、そのままハグが続いた。いつもなら外だぞ!!! と、言いそうなのに。僕達のほかに誰もいないけれど。
「……寧々に、愚痴ってたのか?」
「まさか。僕が司くんに悪いことをしちゃったから、どう謝ろうかと……相談に乗ってもらったんだ」
「……? 類は悪くないぞ。オレが……オレが、相談もせずに一人でチョコを作ったのが、悪いんだ。すまん……」
そんな、許しを乞う仔犬のように胸に顔を埋められたら、チョコと言わずどんなことだって許してしまいそうだよ。
……うん?
「……? 待って、一人でチョコ作ったのかい?」
「……うん」
「そうか……作らない、じゃなくて、もう一人で作ってしまってたんだ」
「……うん」
「……それは、僕に寝ててほしいから?」
「うん」
「そうか……そうか」
寧々、僕は君の言うとおり馬鹿だったよ。プレゼントなんて、いらないんだね。
ぎゅうと、司くんのぽかぽかする体を抱き締めたら、彼の体温が伝わってきたのか、疲れた体に心地いい安心感が染み渡った。
「ど、どうしたんだ」
「いや……僕の恋人がこんなにも可愛いんだってしみじみ思ってね……」
「む……かっこいいの間違いだろう」
「フフ、そうだね、かっこいい……世界一かっこいいよ」
「そうだろう!」
褒められればにっと惜しみない笑顔をくれる彼に、またかわいいと言いそうになったし、キスも、その先のこともしたくなったから、まずは。
「お迎えありがとう。僕達の家に帰ろうか、司くん」
一旦離した彼の体温が、また繋いだ手から流れてきた。
夜、本日二度目に目覚めた後にベッドで分けあいながら食べた手作りチョコは、今まで食べたチョコとはまた違う甘さがあった。
END.