ガバガバースなビリグレ② そんなことがあった数日後。午後のパトロールの後、ビリーは談話室に向かっていた。
最近は情報屋の仕事も選ぶようになったので暇を持て余している。どこかに遊びに行く気分でもなかったので暫く部屋でネットサーフィンをしていたのだが……。
(最近、どんどん匂いが強くなってる……)
部屋の奥側に設置された彼のスペースから、あの脳を揺さぶられるような香りがひっきりなしに漂ってくるのだ。甘くて美味しそう、それでいて体に熱を灯すような奇妙な匂いをこれ以上嗅ぎ続けるのは危険だと判断して、とりあえず部屋から逃げ出してきた。
もう何かに集中できる気分でもない。誰か知り合いがいたら絡んで暇つぶしでもするか、と思い談話室の中に入る。
目論見通り、部屋の中にいる数人の中に知った顔を見つけた。しかもあれは……。
「Hey!!DJ〜♪」
「うわぁビリー……」
「チョットチョット〜!?人の顔みて『うわぁ』は酷くな〜い??」
「妙に似てる声真似やめて?っていうか何しに来たの?」
「談話室にきたら何か面白いコトあるかな〜って思ったダケ!イーストのメンバーみ〜んな出払ってて暇だからDJがおしゃべりに付き合ってくれると嬉しいな〜?」
「はいはいパスパス」
「軽っ!?そして雑!!?」
適当にあしらわれても気にすることなく、ビリーはフェイスの向かいのソファに腰掛ける。
ついていたテレビを見やると、ちょうどドラマのエンディングが流れているところだった。
このドラマは探偵もののミステリーで、ビリー的には今期の当たり枠だと思っている。ビリーもグレイも推理ドラマは好きな方なのでもちろんこの番組も初回からチェックしていた。王道設定なのに一話ごとの伏線回収が丁寧で全く飽きないから、同室の二人で観る時にはずっと固唾を飲んで物語の行く末を見守っている。ながれるテロップ欄を追いざっとキャストを見てみると、どうやら再放送のようであった。良かった、最新話だったらネタバレになってしまう。
「へ〜、DJってこういうの見るんだ?ちょっと意外〜」
「ドラマの内容自体には興味無いよ?主題歌が好きってだけ」
「え〜!?そんなのもったいないヨ〜!?めちゃくちゃ面白いから一話から全部観直してみて!!」
「うわっ押し強すぎ。ていうか、ビリーのオススメとかちょっと胡散臭い……」
「モ〜!!オイラだけじゃなくってグレイも好きなドラマなんだからね!?あんまり言うと俺っちプンプンだよ!!?」
「ああ、グレイのオススメか。なら興味わくかも」
「扱いの差!?ヒドイヒドイ!差別だ〜!!」
「区別ね。日頃の行いの差だよ」
軽口の応酬を繰り返しながらポンポンと会話を繋いでいく。昔からのこの距離感は、近すぎず遠すぎずで丁度いいと感じる。話している内にエンディングが終わり次回予告へと移った。もはやテレビに興味はなくなったのか、フェイスは長い脚を組み直しながらスマホに目を落とす。どうやら本当に相手をする気は無いらしい。ムスッと不貞腐れてみると、半ば面倒くさそうに話題を振ってきた。
「っていうか、ビリーとグレイって一緒に同じドラマ観てるの?」
「そうだよ〜!定期的に鑑賞会を開いてマ〜ス♪」
「相変わらず……というか、休暇明けからすごく仲良くなったよね。あんまり馴れ合わないタイプだって思ってたんだけど?」
「馴れ合わないって……それってオイラが?それともグレイ?」
「どっちも」
短く返された返答にフムと考える。確かに、この間の一件で自分たちの仲がとてつもなく深まったとはビリーも感じていた。
グレイと一緒にいると楽しい。心が暖かくなって、心臓が飛び跳ねるような、腹の中で蝶が踊るような、そんな高揚感に包まれる。彼がピンチの時は真っ先に助けに行きたいし、同じように自分の危機には彼が傍にいてほしい。そんな事を考えられる相手は、自分の父以外にはグレイが初めてだった。はじめての、大切な本当の友達。
フェイスの指摘通り自分自身があまり他人と馴れ合わない性格だとは理解してる。グレイだって、最初はなかなか他人と関わるのにも臆病な性格だった。それがお互いに出会って共に過ごしていく中で、ゆっくりゆっくりと溶けていったのだ。
比喩表現抜きで運命的な出会いだったと思う。うん、きっとそうだ。
「……何で急にご機嫌になってるの……?」
「フッフーン♪よくよく考えてみたら、やっぱりグレイとオイラは運命的な友達なんだなぁって思ったダケ♡」
「あー、はいはい。気にした俺が馬鹿だったよ」
「チョット!?なんで呆れてるの!!?」
惚気は充分。と言いながらフェイスが一つ伸びをした。それに合わせてフワッと香りが漂ってくる。男物の香水の匂いだ。彼が何の銘柄を使っているか分かったら高い情報料が付きそう、などともはや職業病になっている思考回路に行き当たった時、ふと先日の出来事が頭を過る。グレイから香った甘い匂い。もしかしたら、目の前の彼なら分かることがあるかもしれない。
「ネ〜ネ〜?DJって香水とか詳しい?」
「……なに?藪から棒に」
「ん〜、ちょっとネ〜?」
「うっわ怪しすぎる……」
あからさまに面倒くさそうな表情をうかべるフェイスに、ことの次第をかいつまんで説明する。途中で「いや、距離感どうなってんの……」などとボヤきながらも、彼なりにいくつかの考察を提示した。
「グレイ自身が何か香りをつけてないんだとしたら、柔軟剤とかの匂いじゃない?」
「んー、それだったら他の人も同じ匂いがするデショ?ジャックが纏めて洗ってくれてるんダカラ」
「じゃあ、他の人がかけてた香水の匂いが移ったとか?」
「えー!移ったってレベルの匂いじゃなかったもん!それにグレイシャワー浴びた後だったし……」
「分かんないよ?シャワーの後にしばらく誰かと会ってハグでもしてた、とかだったら有り得るんじゃない?」
「そうかも……だけど……」
正直考えたくない可能性だ。香水の匂いがハッキリと移るほど密着して長時間いるだなんて。それも、自分以外の人間と。
(……?)
アレ?何でグレイが自分以外の人といるのにモヤモヤしてるんだろ?おかしいな。グレイに友達ができるのは何よりも嬉しいことのはずなのに……?
「ま、グレイに関してそれはないか」
「……!そっ、そうだよね〜!!」
「なんで食い気味?」
「べっ、べっつに〜?」
フェイスが興味なさげに呟いた一言でハッと我に返る。そうだ、グレイと断トツで仲がいいのは自分なんだから、取られる心配もない……いやいや取られるって何!?
微妙にしかめっ面をしながら長考するビリーをこれまた微妙な顔で一瞥し、フェイスはテレビへと視線を戻した。もうとっくにドラマは終わっていてニュース番組へと移行している。その時取り上げられていた一つのニュースを見て、ポツリと呟いた。
「うっわぁ、久々に見たかも……Ωの強姦事件……」
げんなりとした口調に釣られるようにビリーも画面に目を向ける。丁度、事件現場となったサウスの倉庫街の映像が放映されているところだった。
人気のない場所に不釣り合いなほどパトカーが停まっている映像が映し出されていて、なるほど、ここならそういった犯罪も起きやすいと思う雰囲気があった。
「ほんとだ。最近は全然聞かなかったけどネ〜」
これは明日のニュースのトップ記事だな、と思い画面を見つめる。
αによるΩへの暴行事件。画面端に踊る毒々しい黄色のテロップにフェイスは思い切り顔を顰めていた。α性である彼にはこの事件においてあまり他人事とは思えないのだろう。βである自分がその内心を探ることは野暮なので口は閉ざしておくが。
『この事件の被害者は薬を飲んでいなかったのでしょうかね?』
『それはないでしょう!政府はαとΩの抑制剤を無償配布してるんです。服用が義務のこの時代に自ら飲まない選択をするなんてありえませんよ!』
画面は切り替わり、スタジオでMCとコメンテーターが会話を始めていた。そこへ、解説のボードを持った三人目が登場してくる。
『そうとも言いきれません。今回の事件の被害者はどうやら浮浪者だったようで、薬の支給を受けていなかったようなのです』
『ははあ、なるほど。そもそも薬を貰ってないということですか。そこで運悪くヒートに入り……』
『αのラットを引き起こしてしまった、と』
『そういう事です』
解説はボードをめくり『「ヒート」→Ωの発情期』『「ラット」→αの発情期』『ヒートがラットを引き起こす』と書かれたボードを見せた。
このニュースの真偽は分からないが、薬未服用のΩのヒートにαが釣られて起きた事件、というのが見解のようだ。なんというか……。
「コレ、ちょっと胸糞悪いんだけど」
「同感〜。Ωだけじゃなくってαにも服用義務があるんだし、薬飲んでたらそもそもαがラットになるわけないしね〜?完っ全に情報操作!」
明らかにαを庇う見解を世間に押し出す報道に、二人は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
生物学的にはα、Ω、βの三つの性はどれも大差ない。それは初めてバース性が発現した百年ほど前からずっと提唱されてきた事実だ。
だが、それでも優劣をつけたがる馬鹿が蔓延っているのも事実。自分たちの親世代はまだ差別が主流だった時代なのでしょうがないと言えばしょうがないが、これからの時代にこんな考え方は古すぎると思う。
このテレビ局はかなり偏った報道をする事で度々炎上しているが、今回ばかりはさすがにやりすぎだと感じた。明日のトップニュースはこのニュース番組の炎上で確定か、と脳内のメモに付け足しておく。
「数十年前ならいざ知らず、現代でこんな報道するなんて勇気あるネ〜」
「あはっ、それ皮肉?」
「オフコース!」
テレビを見る気も失せてしまった。チャンネルを変えると可愛らしい動物番組が映る。あ、これグレイ好きかも。遠隔録画しておけば間に合うかな?
「……ねぇ、答えたくないなら言わなくていいんだけどさ」
「ン〜?」
いつになく改まった切り出し方をするフェイスに、録画を探す手を止めて顔を向ける。珍しい。割とビリーに対してはズケズケとものを言うベスティが言葉を選んでいるなんて。
「ビリーとグレイって、その……番だったりするの?」
「……へっ?」
予想外の質問に、思わず素で間抜けな声を上げてしまった。考えるよりも先に口が動く。
「モー!冗談言わないでよDJ!俺っちとグレイは友達!!そもそも、オイラはβだし!」
番。それはαとΩによる一種の契約だ。αが発情期中のΩの項を噛むことで魂に互いの存在を刻み込む。番の契約は片方が死ぬまで切れることはない。そんな、一生をかけた契約だ。
だがもちろんそれはαとΩに対してのみ適用されるもの。ビリーもグレイもβ。番になるどころか発情期だったりフェロモンの分泌だったりというものには全く縁がない。急にどうしたのだろう、と訝しんで眼前の美形を覗く。
「いや、別に冗談で言ってるわけじゃなくって。バース性が分かった頃辺りに、ちょっと噂を聞いたことがあったからさ」
「噂?」
噂話は大好物だ。ビリーはフェイスの話を聞こうと身を乗り出す。全身で興味津々アピールをされて苦笑しながらも、フェイスは言葉を続けた。
「αとΩは発情期とその直前にフェロモンを出す性質があるでしょ?αはΩを、Ωはαを無作為に誘惑する為の匂いを出す。その匂いは人それぞれなんだけど、それが番になるとつがった相手の好きな匂いに変化するって噂」
「へ〜!番になるとお互いのフェロモンしか効かなくなるって話は知ってたケド匂いまで変わるもんなんだね〜初耳!」
「まあ性教育でもそこまで教えてくれないしね。匂いは百パーセント変わる訳でもないらしいからあくまでも噂」
フムフム。思わぬ所で耳より情報を仕入れてしまった。脳内メモに書き加える。
「っていうか、結構この手の話題はアカデミー時代にも出回ってたでしょ?まさか本気で知らなかったの?」
「ン〜、オイラあんまりそっち系には興味がなくってさ!バース性の話題ってセンシティブすぎてお金になんないんだよネ☆」
嘘は言っていない。バース性の詳細はあまり欲しがる人もいない上に知りたがる年頃は自分と同年代の者ばかりなので、ハッキリ言うと小遣い稼ぎレベルのお金にならない情報なのだ。
「お金にならないって……それこそ全くお金になりそうもないどーでもいい情報を根掘り葉掘り聞く人間の発言とは思えないんだけど?」
ギクッ。図星をつかれてすこし肩を跳ねさせる。少し動揺するもすぐにいつもの飄々とした表情に戻して口を開く。
「オイラだって情報の選り好みはするヨ〜?単純に興味が湧いたら聞くし、湧かなかったら聞かないってダケ!」
やや苦しい言い訳だったか。そう思い内心で冷や汗を伝わせるが、フェイスはそれ以上話を掘り下げることはしなかった。あまり触れて欲しくない話題だと察したのだろう。
実際、あまり好ましい話題ではなかった。
昔、父と二人で大道芸の旅をしていた時に寝泊まりしていた路地裏で、ビリーはαがΩを複数人で強姦している現場を見てしまったことがある。
あれは人間のコミュニケーションなんかじゃない。まるで獣が獲物に群がるかのように、一人の人間に陵辱の限りを尽くしていた。理性あるはずの人間が理性を失っている様は、幼心ながらにハッキリとした恐怖を植え込んだ。
思わず後ずさった時に運悪く落ちていた缶を蹴ってしまい音が鳴る。その音に反応してバッと数人が振り向くのと、自分が必死になって逃げ出すのはほぼ同じタイミングだった。
今でも、振り向きざまに見てしまったあの血走ったαの両眼を思い出すことがある。アレは、同じ人間だとは思えなかった。
α性が全員彼らのようだとは思っていないし、その性別全体に対して恐怖を抱いている訳でもない。現にバリバリのαであるフェイスには嫌悪感なんて抱いたこともない。
ただそういったことがトラウマになってあまりバース性に対する興味がない、というかあまり知りたくない領域になっているのが実情だ。
「ま、俺が考えられるのはそのくらいかな。後はサブスタンスの影響とかありそうだし、一度ラボで診てもらったら?」
「っ、あ、そうだネ!ちょっと今度二人で行ってみようカナ〜」
声は裏返っていなかっただろうか。そう思い相手の表情を伺うが、もうこちらに興味はなくなったようで、今はテレビをじっと見つめている。動物が好きなのか、それとも手持ち無沙汰だからただ見ているだけなのか。どちらなのか知りたいとは思うが、ここまで相談に乗ってもらったのだからこの後は静かに黙っていようと口を閉ざす。
サブスタンスの影響。確かに、それも有り得るかもしれない。その場合、グレイの身体に影響があったのか、それとも自分の嗅覚に影響があったのか、もしくはその両者なのかで対応が変わってくる。なるべく早めにグレイと相談してラボに行こう、と脳内でスケジュール帳を開いた。
「ねえ、ビリー」
「?どしたのDJ、そんな改まって」
と、そんなことを考えていると急に真面目な口調でフェイスが話しかけてくる。今度はなんだろう。思考の海から顔を上げて彼の方を向く。フェイスはテレビを見つめたまま、真顔で呟いた。
「このミニラビット、おチビちゃんにそっくりだよって本人に言ったら怒ると思う?」
…………。
「イヤ、なんで無駄にちょっかいかけようとしてるの……」